各界の取り組み

各界からの声

各団体

(敬称略)

青山 幸恭一般社団法人全国警備業協会会長
青山 幸恭

天皇陛下御即位三十年を迎えられてのお祝いと感謝について

 天皇陛下御即位三十年にあたり、一言お祝いと感謝を申し上げたいと存じます。

 平成の三十年を振り返ってみますと、社会の著しい変革と共に、世界では各種の紛争やテロ、そして、国内では大規模な自然災害が多数発生致しました。

 この間、陛下におかれましては、常に国民に寄り添われ、また、大規模な自然災害が発生するたびに被災者をお見舞いになるなど、国民の幸せと広く世界の平和を祈ってこられました。

 地域の安全安心に携わっている私共警備業界に対しましても、常にお心配りをいただき、とりわけ一社全国警備業協会が平成十七年十二月に叙勲指定団体として指定されて以降、平成二十年春の叙勲を皮切りに、これまで二十四名が叙勲の栄に浴されております。

 各受章者からは、天皇陛下拝謁の際に、陛下に直接お目にかかり、かつ直接お言葉をいただける機会は、この上ない喜びであると一同申しております。天皇陛下御即位三十年という御目出度いこの機会に、警備業界を代表して、改めて感謝の念を表したいと存じます。

 本年は、ラグビーワールドカップ、来年は、東京二〇二〇年オリンピック・パラリンピック競技大会、そして、二〇二五年には大阪万博が我が国で開催されるなど、今後、国際的なイベントが多々控えております。

 警備業界といたしましては、如何にして、これらイベントの安全な運営に寄与することができるかについて、各種の取組みを鋭意推進しているところでありますので、引き続き、格別なるご指導ご鞭撻を賜れれば幸いに存じます。

 警備業界といたしましても、このたびの御即位三十年を奉祝し、天皇陛下に報恩感謝のまことを捧げ、そして、来る新天皇御即位につきましても、各界の方々とともに、盛大にお祝いを申し上げて参りたいと存じます。

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秋山 肇公益社団法人日本綱引連盟会長
秋山 肇

陛下の思いを胸に

 天皇皇后両陛下の御即位三十年を心よりお祝い申し上げますとともに、天皇皇后両陛下に対し、衷心より深謝申し上げます。

 昨年十二月の天皇陛下御誕生日のお言葉を拝聴させて頂き、私は感涙致しました。

 戦争は人間の心から生まれたものであります。ならば、戦争をなくし平和を築いていけるのも人間であるはずです。陛下の戦争で犠牲になられた国民に対する思いや、平和に対する思いを自身の命に刻み、戦争を経験した世代の責任として、新時代を担う後継の青年達に平和・不戦の思いを伝え抜き、残りの自身の使命を全うして参る所存です。

 天皇皇后両陛下の益々の御健勝と御皇室の御繁栄を心よりお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせて頂きます。

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浅野 芳生一般社団法人日本在宅介護協会会長
浅野 芳生

奉祝 天皇陛下御即位三十年

 天皇陛下におかせられましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを心よりお祝い申し上げます。

 御即位以来満三十年、宮中ご公務のほか、歴代天皇として初めての全国四十七都道府県全てへの行幸啓、皇室外交を通じた各国との友好親善関係の増進など多岐に渡る御活動の中で、常に国民の安寧を願われ 日夜皇后陛下と共に国民に接せられているお姿を拝見いたしますと、その大御心に、深甚なる感謝の念を禁じ得ません。

 昭和六十三年より介護サービス事業の健全な発展、推進を行ってまいりました私たち一般社団法人日本在宅介護協会へ天皇陛下御即位三十年の奉祝委員就任のご指名を頂きましたこと、またお祝いの言葉を申し述べる機会を頂きましたこと、深く感謝申し上げます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、常日頃から福祉に対して強いご関心をお持ちいただき、多端なご公務を担われつつ行われます在宅介護現場等への行幸啓は、福祉に携わる私たちにとって大きな心の支えとなっております。

 平成の御代となり今日までの歳月を顧みますと、大規模な自然災害が数多く発生致しました。一般社団法人日本在宅介護協会では、その前身となる団体の時代より福祉の業界団体として、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震、東日本大震災、平成二十八年熊本地震、平成三十年七月豪雨などの被災地へ入浴車によるお風呂の提供や介護サービスの提供、支援物資対応などを通じて支援活動を行ってまいりました。自然災害が起こるたびに天皇皇后両陛下がご慰問をなされ、被災者の方々に対する温かいお言葉や復旧・復興に携わる人々へ励ましを行われているお姿を拝見いたしますと、言葉に言い尽くせないほどに皆元気づけられたことでした。

 これからも人としての個性と尊厳を尊重し、介護の必要な方々に対して適切で人間味のある介護を効率的かつ安定的に提供することにより、その社会的責務を果たし、我が国の社会保障制度基盤の形成に寄与すべく、微力ではありますが関係者一同、力を合わせて邁進してまいります。

 結びになりますが、両陛下の益々の御健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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阿部 一彦社会福祉法人日本身体障害者団体連合会会長
阿部 一彦

両陛下のおかげで、障害者福祉が大きく前進

 昭和三十三年、日本身体障害者団体連合会は創立し、昨年、六十周年を迎えました。創立当時は、障害者に対する社会の理解が進まず胸の痛む思いでしたが、そんな私共を一貫して支えてくださったのが天皇皇后両陛下でした。両陛下のおかげで、障害者福祉が大きく前進したと言っても過言ではありません。

 社会の見方が大きく変わる契機となったのが、昭和三十九年東京オリンピックにあわせて開催されたパラリンピックでした。スポーツを通じて交流を行うこの大会が初めて日本で開催された際、皇太子同妃両殿下であられた両陛下は、連日会場を廻られ選手を激励し、大会終了後は、東宮御所に関係者を招かれて労われました。

 その際、陛下は、「日本の選手が、病院や施設にいる人が多かったのに反して、外国の選手は、大部分が社会人であることを知り、外国のリハビリテーションが行き届いていると思いました。このような大会を、国内でも毎年行ってもらいたいと思います。」とお述べになった御言葉がきっかけとなり、昭和四十年から国民体育大会にあわせて、身障者スポーツ大会が開催されるようになりました。閉じこもりがちだった身体障害者が施設の外に出て、スポーツに取組むようになり、“障害があってもやればできる”という勇気と自信を持てるようになりました。家族もまた、その姿に励まされ支えられてきました。スポーツを通じて、社会参加の促進と障害や障害者に対する社会の理解が深まったことが、今日の障害者福祉向上の推進力にもなりました。

 平成十二年、両陛下をお迎えし、身体障害者福祉法施行五十周年を記念し東京体育館で開催した当会の全国大会では、五千人余の会員の方々に向けて、「将来に向かって、障害を持つ人々が幸せな生活を送ることができる真に豊かな社会が築かれていくことを心から願っています。」と温かいお言葉をいただいたばかりか、お見送りをした代表者達に励ましのお言葉をかけていただきました。有り難く、そして、私共の活動の更なる原動力となりました。

 両陛下は、障害に対する国民の意識を変える機会を作り、障害者を国民の一人として尊重してくださいました。二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック大会が、共生社会に向けた大きな一歩を踏み出すきっかけとして進むなかで、その礎を築いてくださったのが両陛下だと思っております。

 両陛下の永きにわたるご活動への感謝とともに、両陛下のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

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安道 光二公益財団法人日本ソフトテニス連盟会長
安道 光二

天皇陛下御即位三十周年を奉祝して

 このたび、天皇陛下におかせられましては御即位三十周年を迎えられ、心よりお慶びを申し上げます。

 私ども公益財団法人日本ソフトテニス連盟は「天皇賜杯・皇后賜杯全日本選手権大会」を主催させていただいており、この大会は日本最高峰の大会として、競技者の誰もが憧れ、目指す大会にとなっております。ソフトテニスは百三十年を超える歴史を有する日本発祥のスポーツです。このことに誇りを持ち、賜杯の名に恥じぬよう、スポーツを愛する陛下のお気持ちを無にしないよう、今後もスポーツの発展と、スポーツを通した国民の健全な心身の育成に寄与していく所存でございます。

 天皇陛下におかせられましては、国民体育大会において、皇后陛下とともにソフトテニス競技をご観戦いただいたことがございました。スポーツへのご関心の高さは熱心なご質問にも現れておいでで、健闘する選手をご覧になる眼差し、ファインプレーへの惜しみない拍手に、我々関係者一同は心より感動いたしました。陛下のスポーツに対する造詣の深さは、お言葉を賜るたび、そして熱心にご観戦になるお姿を拝見するたびに感銘を受けてまいりました。

 そして、様々な災害に際し、被災者に寄り添い、お心を痛められているお姿を拝見するたびに、陛下がどれだけ国民の平和な生活を望んでおられるかが拝せられました。我々スポーツに係わる団体が、陛下のお気持ちに応える術は何か、スポーツを通して貢献できることは何かを考えさせられました。スポーツの与える感動、健全な心身の育成への寄与、それはきっと陛下の望んでおられる日本の姿に繋がるものと信じ、陛下のスポーツを愛するお心に添うよう、今後も精進してまいります。

 ここにあらためて陛下への感謝と御即位三十周年に心からのお祝いを申し上げるとともに、これからもお健やかであらせられますよう心よりお祈り申し上げます。

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伊藤 雅俊公益財団法人日本スポーツ協会会長
伊藤 雅俊

天皇陛下御即位三十年を迎えて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年という節目の年をお迎えになられましたことを謹んでお祝い申し上げます。さらに本年は、両陛下の御成婚六十年という慶賀すべき年でもあり、誠に喜ばしい限りでございます。

 平成の三十年間は、内外ともに多難な激動の時代でございましたが、両陛下におかれましては、御即位以来、常に国民に御心を寄せられ、国民の幸福と世界の平和を祈り続けてこられました。

 皇居での御公務に勤しまれる傍ら、国内外での行幸啓、被災地への御慰問ほか数々の式典への御臨席など、いささかもお休みになることなく御精励されるお姿は、まさに日本国民統合の象徴としてのお務めを御身をもってお示しになっているものであり、深甚なる感謝と崇敬の念を禁じ得ないところでございます。

 天皇皇后両陛下には、永年にわたりスポーツ界にも深く御理解を賜っております。

 特に、三大行幸啓の一つ、国民体育大会には毎年御臨席を賜り、選手を温かい笑顔で労い、拍手で激励され、常に励ましのお言葉をいただいておりますことは、選手はもとより全ての大会関係者にどれ程の大きな勇気と希望を与えていただいているか計り知れないものがあります。開催地で歓迎する人々には目を合わせてお手を振りお応えいただき、そのお姿に接する時、皇室と国民を結ぶ敬愛と信頼の絆がゆるぎないものであることを改めて確信しております。

 さらに、両陛下には、私共、日本体育協会・日本オリンピック委員会創立百周年記念祝賀式典に御臨席を賜りましたことには、一同大きな感動と深い感銘を受け、至極光栄、心に強く刻まれております。

 我が国では、本年のラグビーワールドカップを皮切りに、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会、そして二〇二一年のワールドマスターズゲームズ関西といった世界的なビッグスポーツイベントの開催を迎え、国民のスポーツへの期待や関心はますます高まっております。

 私共はこれまで以上に、天皇皇后両陛下の温かい御心を糧に、スポーツの意義と価値を高める取組を推進し、遍く人々が主体的にスポーツを楽しみ喜びを味わうことができる環境を拡げ、誰もが望む明るい社会の形成に寄与してまいる所存でございます。

 結びに、天皇皇后両陛下の三十年にわたる御活動に心から感謝を申し上げますとともに、両陛下の末永い御健勝と、皇室の益々の弥栄を衷心よりお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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稲垣 精二一般社団法人生命保険協会会長
稲垣 精二

確かな安心の提供と世界に冠たる健康長寿国づくりへの貢献

 ご即位三十年を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

 この三十年の間、全国四十七都道府県すべてにお運びになり、障害者・高齢者施設や災害被災地などにて人々をねぎらい、激励のお言葉をおかけいただいたことは日本国民にとって代えがたいものであります。

 東日本大震災をはじめ、災害が発生した際には、被災地において、人々の傍らにお立ちになり、思いに寄り添われるお姿にどれほど多くの国民が励まされたかと考えますと、とても言葉では言い表せないものであり、感謝に堪えません。一国民として深く御礼申し上げます。

 国民一人ひとりの人生に寄り添い、安心をお届けすることを使命とする生命保険業界としても、こうした両陛下のお姿に勇気をいただき、使命感を背にお客さま一人ひとりをご訪問し、本業たる保険を通じた経済的安定の提供にとどまらず、人との接点を通じて少しでも心の支えとなれるよう、各地域にて活動することができました。引き続き、国民一人ひとりへの確かな安心の提供に向けて邁進していく所存でございます。

 また、平成元年より今日に至るまでのわが国の変化に目を向けますと、平均寿命は男女とも約五歳延伸するとともに、百歳以上の方の人口は二十倍以上に増加するなど、世界に冠たる長寿社会を築くに至っております。

 生命保険業界として、これまでも健康増進に向けた啓発活動などを通じて、多くの国民が末永く健やかなる人生を送ることができるよう貢献すべく取り組んでまいりましたが、これからも生涯にわたって国民と寄り添い、この取り組みを進めることで、国民の厚生の増大や活力ある社会の構築につなげていけるよう力を尽くしていく所存でございます。

 結びに、天皇皇后両陛下のご健康と皇室の益々のご繁栄を心からお祈り申し上げ、ご即位三十年のお祝いの言葉とさせていただきます。

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稲葉 久雄日光東照宮宮司
稲葉 久雄

「御在位三十年」、両陛下への御祝いと感謝の言葉

 激変する時代のさなか、天皇皇后両陛下が「御在位三十年」を全身全霊を以て御務めあそばされましたこと、誠にありがたく衷心よりご祝意と深甚なる謝意を表します。

 思えば、両陛下は人々が戦禍に苦しんだ先の時代に御思いを馳せ、常に「戦争のない時代」の到来を強く御念じになりながら国民とともに歩まれました。そのことは、八十五歳の御誕生日を御迎えになられた陛下の記者会見の御言葉からも読み取ることが出来ます。「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しております」と感極まり御言葉を詰まらせた御様子をテレビで拝見した時は、急に小職の目頭が熱くなりました。

 御慈愛に満ちた天皇陛下の御姿勢は、沖縄や南方諸島への慰霊の旅にも表れておりますが、その御心には、陛下が学習院初等科時代に日光に学童疎開なされた辛い御経験が少なからず影響したことと思います。

 以後、日光との御縁は途切れることはありません。昭和六十二年六月五日には美智子妃殿下と御一緒に当宮を御視察遊ばされる機会がありました。その時、権宮司の小職が病気療養中の額賀前宮司の代わりにご案内申し上げましたが、忘れられない光景は、病床より起きて唐門内拝殿前でお出迎えした額賀氏に対し往還の二度、「お体の加減は如何ですか」、「お体を大切にしてください」との優しい御言葉をおかけになられた場面です。

 さらに当宮が望外の名誉に浴したのは、平成八年七月二十六日、両陛下が当宮を行幸啓あそばされ、前年に竣功した客殿を御覧になられた時のことです。「平成」の元号にちなんで名付けた「平成の間」二階から、かつて先帝陛下が御散策あそばされた北神苑を御眺望なされましたが、小職からご説明申し上げますと、しばし思いにふけられていた御様子がうかがえ、大変印象深い出来事となりました。

 そして平成二十九年七月二十五日、那須の御用邸に小職を含め二荒山神社と輪王寺の長職の三名がお招きに預かり、御懇談の機会をいただきました。各自、社寺の歴史や将来展望等についてご説明いたしましたが、持ち時間が均等になるよう各自に細かく御気配りなされる御態度には、公平感あふれた一面を感じさせられたものです。

 間もなく御世替わりを迎えます御皇室の弥栄はもとより、「旅」の伴侶として、六十年陛下を支えて来られた皇后様と御一緒に「新しい時代」に向け、御体に御留意なされて御過ごしあそばされることを切に祈念申し上げます。

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井上 博公益財団法人日本知的障害者福祉協会会長
井上 博

天皇陛下御即位三十年に寄せて

 天皇皇后両陛下におかれましては、御即位30周年を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。

 昨年12月の天皇誕生日における私たち国民へのお言葉には心から感激いたしました。

 お言葉の中に、これまでの長い年月を私たち国民と共に歩まれ、多くのご心痛やご試練の中で国民のことを思い、そして祈り続けてこられたことを理解いたしました。積年の想いが凝縮された陛下のお言葉によって、多くの皆さんが心の指針を得ることができたと思います。

 両陛下は、御即位以来、常に社会的に弱いお立場の人を思い続けてこられたと理解しております。度重なる災害においては、日本各地の被災地へ訪問され、多くの犠牲があった先の大戦地の慰霊のご訪問、そして全国の障害のある方々の施設・事業所訪問等で多くの国民が励まされてきました。

 日本知的障害者福祉協会は、今年で設立85年を迎えます。知的障害のある方々の幸せを願い、地域生活や社会参加を支援する活動を通して障害のある方が大切にされる共生社会をめざしています。現在、全国で6,400箇所の施設・事業所で構成され、働くスタッフは日々、障害のある方々にサービスの提供や支援を行っています。

 両陛下におかれましては、巡幸の際には、日本全国の多くの障害関係施設にご訪問をいただき、そのたびに障害のある方々に優しい言葉をかけていただいております。

 かつて知的障害者福祉の父といわれた糸賀一雄氏は、「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」と訴え続けられました。“障害のある子どもたち一人一人が世の中に必要で、価値のある大切な存在である”そこには生産性や強い、弱い、物質的豊かさでははかりきれない人間存在の尊さが謳われております。

 戦後、我が国は、多くの国民の努力と研鑽により先進諸国と比較しても豊かで、安全な国となりました。その一方で、障害のある人、ご高齢の人、子どもたちといった社会的に弱い立場の人の幸せがおびやかされている事態があります。両陛下が願う精神的に豊かな寛容性のある国づくりを次の世代につないでいく責務が、私たちに求められているように思います。

 結びに、両陛下にあっては、これからもお健やかにすごされ、私たち国民の心のよりどころとしてご指導をいただきますよう、心よりお願いを申し上げます。

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岩沙 弘道(一社)不動産証券化協会会長
岩沙 弘道

天皇陛下御即位三十年を奉祝して

 天皇陛下御即位三十年を心よりお慶び申し上げます。

 この三十年間のうち、特に直近十年間の我が国は、東京オリンピック・パラリンピックやラグビーワールドカップ、大阪万博など大きな国際イベントの開催が決まる一方で、東日本大震災をはじめとする地震災害や豪雨被害など、数多くの自然災害の発生に悩まされて参りました。また、平成の御代の日本は戦争のない平和な時代ですが、国外に目を転ずれば、内戦やテロ事件など悲しく痛ましい出来事は止んでおりません。

 こうした時代に、大きな災害の折には、陛下が被災地に足を運ばれ、直接被災者を見舞われるお姿、人々にかけられるお言葉に、我々国民は心の底から励まされ、明日を生きる力をいただいて参りました。また国内のみならず、遠い孤島であっても、先の大戦で痛ましい被害のあった地に赴かれ、御霊の安寧と世界平和を祈られるお姿に深い感動を覚えるとともに、平和への誓いを新たにして参ったものです。

 私ども不動産証券化協会は、国民に健全な不動産投資による資産形成の機会を提供するとともに、国民の金融資産を時代の求める社会資本形成に結びつけることを使命としております。

 私どもの活動が、常に国民一人ひとりの幸せを願っておられる陛下のお心に少しでもお応えできるものであれば、これに勝る喜びはございません。

 両陛下が、御代替わりまでのご公務の日々を平らかに過ごされますことを祈念いたしますとともに、御退位後も国民の心の支えとして末永く御健勝であられますことを心よりお祈り申し上げます。

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岩城 光英公益社団法人日本トライアスロン連合会長
岩城 光英

自然の恵みとともに御健勝であられますように

 天皇陛下御即位三十年を奉祝し、全国のトライアスリート、役員そして多くの関係者を代表して祝意を申し上げます。

 トライアスロン競技の国際組織であるITU(国際トライアスロン連合)が設立されたのが、平成元年でした。フランスのアビニオンで世界選手権が開催されています。日本では、その五年後にITUマクドナルド会長の友人でありました猪谷千春会長のもとにJTU(日本トライアスロン連合)として統一されました。

 その後、トライアスロン界は、世の移り変わりの中においても、常に陛下の御心のもとにあったと振り返っています。

 陛下が日頃からお話しなされる「国民が平和で幸せに暮らせるように」とのお言葉は、スポーツを通じて健康で快活に生きる使命となって、私どもスタッフや選手そして全国の関係者たちが心に刻み続けていることです。

 トライアスロンは、平成十二年にオリンピック競技大会(シドニー)で採用され、平成十八年にアジア競技大会(ドーハ)、そして平成二十八年には国民体育大会(岩手県)で正式競技の仲間入りができるほどに成長いたしました。

 選手達も修練を積み、平成二十年北京オリンピックでは井出樹里選手が五位入賞に輝きました。皇居にお招きいただき、数多くのメダリスト、入賞者がいる中で、天皇皇后両陛下から祝福のお言葉を賜り、レース展開までご存知でいらしてくださったことには心から感激したとのことでした。

 全国の関係者がトライアスロン競技の普及と強化に力を注いでまいりました。平成二十七年には、愛知県トライアスロン協会の会長でもあった國分孝雄JTU副会長が旭日双光章受章の栄に浴しました。東京二〇二〇オリンピックでは、個人競技に加えリレーが加わり、パラリンピックにも参加することができます。

 トライアスロン競技には小学生もレースに参加します。そしてハワイのアイアンマン世界選手権に出場する稲田弘選手は八六歳であり、まさに生涯スポーツといえるでしょう。私たちは、国民の福祉と健康にさらに貢献できるよう尽力してまいります。

 陛下の御在位三十年は、私たちトライアスロン競技の成長と発展の三十年でした。これからも末永い弥栄と御健康をお祈りすると共に、私たちを常に勇気づけてくださったお力添えに心からの感謝を申し上げます。

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岩谷 力社会福祉法人日本肢体不自由児協会会長
岩谷 力

皇后陛下と「ねむの木賞」

 皇后陛下が聖心女子学院高等科時代にお作りになった「ねむの木の子守歌」は、その清純な詩に感動して二児の母である作曲家山本直純氏夫人の正美さんが作曲し、礼宮さま(現秋篠宮殿下)のご誕生を祝って昭和四十年十二月に皇太子妃殿下(当時)に献上されたものです。

 翌昭和四十一年一月にこの「ねむの木の子守歌」がNHKで放送されると、レコード各社からレコーディングの申請が宮内庁に出されました。

 こうした各社発売のレコードからの印税やその後もさまざまな形で使用されることに伴う印税全てが、当時まだ皇太子妃殿下でいらした皇后陛下の何か社会福祉に役立ててもらえれば、とのご希望により、下賜されることとなり、昭和四十一年二月十八日付けの文書をもって宮内庁長官より、「ねむの木の子守歌」歌詞著作権の日本肢体不自由児協会あて賜与が通知されました。

 これを受けて、当協会では皇太子妃殿下(当時)のご意志を永く記念するためにこれまでの印税を基金に昭和四十二年に「ねむの木賞」を設けました。

 「ねむの木賞」は、医療型障害児入所施設、特別支援学校等に永年勤務し、障害児・者の日常生活指導・教育などに携わり、優秀な成績を修めている女性職員の労をねぎらい、益々の活躍を期待して授与しております。

 昭和四十二年十一月六日の第一回贈呈式からの受賞者は二〇六名を数えております。贈呈式は毎年十一月初旬に当協会総裁であられる常陸宮殿下並びに同妃殿下のご臨席のもとに執り行われます。その後受賞者は皇居に招かれ、皇后陛下は一人一人受賞者の話を丁寧にお聴き下さいます。皇后陛下のお言葉には、障害児・者への思いやり、幸せを思うお心に満ち溢れ、受賞者はそのお心つかいに感銘し、さらなる精進の意を強くいたします。平成二十九年十一月七日に、「ねむの木賞」五十周年記念誌「ねむのはな」をご献上いたした際には、第一回受賞者の消息をお尋ねになり、この賞にお寄せ下さる思いの強さに心をうたれました。

 皇后陛下におかれましては、五十年余にわたり「ねむの木賞」を見守ってくださるお姿からは平和を願い、弱き人々の幸せを願い、誰もが共に手を取り合って生きる共生社会の実現の願いが伝わってまいります。これまでの皇后陛下の「ねむの木賞」に寄せられる思召に深く感謝申し上げますとともに、そのお志をこれからも永く伝え、ねむの木賞の贈呈事業を続けさせていただくことをここにお誓い申し上げます。

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襟川 惠子一般社団法人デジタルメディア協会理事長
襟川 惠子

慈しみのお心

 天皇陛下御即位三十年にあたり、私は感謝を表す言葉が見つかりません。天皇皇后両陛下の生活すべてを国民にささげられた慈しみは、生涯私の心の支えでございます。

 私が、藍綬褒章授与の栄誉にあずかり、皇居で天皇陛下にお言葉を賜った時のことです。陛下は端の列の車椅子のご年配の方々へ個々にお言葉をかけておられました。感激のあまり言葉にならないご婦人もいましたが、陛下は辛抱強くお待ちになられ、しぼりだすような「ありがとうございます」の声に耳を傾けておられました。数日間に渡り幾度も繰り返されるであろう式典の中で、その慈しみ深いお姿に改めて深く敬服いたしました。

 思えば、幼少の頃より皇族の方々はとても大きな存在でした。伊豆の江の浦に、父の腕に抱かれた記憶とともにある想い出深い別荘がございました。別荘には階段が二つあり、二階に上がると目の前に大きな海原が広がりキラキラと輝いていました。鴨居長押のあちこちには、菊の御紋章が施されており、幼い私が「これはなに」と祖母に尋ねると、貞明皇后がこの二階をお気に召されてご利用くださっていらしたからと聞かされました。子ども心にも御威光に触れた気がして、感じ入ったことを覚えております。

 また私の主人は、学生時代慶応義塾大学の音楽クラブで、先輩にあたる壬生基博様にベースギターを教わりかわいがっていただいておりました。その壬生様が秋篠宮殿下のご依頼で、山階鳥類研究所の理事長に就任された折には、皇室への様々な思い出がよみがえり、今こそお役に立つ時とばかりに、声をかけて多くの企業に支援活動の仲間にお入りいただきました。

 今後とも、微力ではございますが皇室のご繁栄にお役に立てれば幸いです。

 これからは天皇陛下と皇后陛下がご自身のための自由なお時間を少しでも多くお持ちになられ、末永くお幸せにお暮しあそばされることをお祈りし、心より御礼を申し上げます。

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遠藤 十士夫公益社団法人日本全職業調理士協会会長
遠藤 十士夫

皇室とともに。日本料理文化の末永き継承を願う

 天皇陛下御即位三十年を謹んでお祝い申し上げます。

 私は茨城の山奥の中学校を卒業した後、現在まで六十三年間、料理人を職業として参りました。修業を始めた当時から「やはりいつかは私も料理人として、皇室にご奉仕したい」という気持ちを強く抱いておりました。二十四歳の時に初めてその夢が叶い、天皇陛下御即位の行事にも庖丁を持って奉仕の光栄を賜ることができました。そして現在、私が育てた弟子達も、宮内庁大膳で腕を振るい活躍してくれていることが、私の何よりの誇りであり、喜びであります。

 これまで皇室行事に料理人としてご奉仕したことも数々の思い出がございますが、何より思い出されるのは、平成八年に天皇皇后両陛下の御前にて四條流式庖丁の儀式をご披露したことです。式庖丁は千年以上の歴史があり、代々の料理人達によって大切に伝えられてきました。私もこの伝統を受け継ぎ、陛下の御前でご披露させていただいたあの感動は、今でも忘れることはできません。儀式の後、天皇皇后両陛下より優しいねぎらいのお言葉を頂戴し、大変感激致しました。

 言うまでもなく皇室の祭儀で伝えられてきた神饌は、日本料理の神髄であります。また、皇室の料理人によって振る舞われる祭事の料理も、長い歴史の中で大切に守り伝えられてきたものです。これまで私の人生を掛けて日本の大切な和食文化の技術・伝統を受け継ぎ、天皇陛下にお仕えできたこと、そして三十周年をお祝いできることは、私の料理人人生の中で最大の幸せであります。

 天皇皇后両陛下には、三十年の長きに渡り、世界の平和と安寧、そして私たち日本国民の幸せを願い続けてこられた御活動に尊敬の念を抱き、心より感謝申し上げます。

 新しい御代も私たち料理人は、誇りと感謝を胸に、皇室にお仕えして参りたいと存じます。

 天皇皇后両陛下のご健康と皇室の末長いご繁栄を心よりお祈り申し上げます。

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岡本 佳津子公益社団法人日本バレエ協会会長
岡本 佳津子

お祝いと感謝

 天皇陛下御即位三十年のお祝いを全国民の皆様と共にさせていただける年に存在できますことを心より嬉しく思っております。私は日本が敗戦に近づきつつあります昭和十七年八月にこの世に生を受けました。昭和天皇の玉音放送は記憶にありませんが、“これこれ杉の子おきなさい”という歌を歌っていたことはかすかに覚えております。昭和二十年の大空襲のことは父から聞かされておりました。敗戦後の日本の復興はめざましく、文化芸術でさえも昭和二十四年には「白鳥の湖」の全幕公演を行うことができ、人々の心をいやし未来への希望の灯をともしたと聞いております。私共日本バレエ協会はロシアから初来日したボリショイバレエ団公演の一年後、昭和三十三年に結成されました。この年、日本中を賑わせたニュースが皇太子妃に日清製粉株式会社社長令嬢正田美智子さんが内定というものでした。翌年四月十日の皇太子明仁親王と正田美智子様とのご成婚パレードの沿道は五十万人の人でうまり、十七歳になりました私もこの中の一人となってお祝いをさせていただきました。昭和三十九年には東京オリンピックが開催され日本バレエ協会も文化庁や東京都の支援を頂き、盛んな舞台活動を行うようになりました。バレエのお稽古をする子供たちもどんどん増えていきました。私は昭和四十五年八月に日生劇場で行われました「眠りの森の美女」でオーロラ姫を踊らせていただき、皇太子御夫妻のご臨席を賜りました。初めてお目にかかる若く素敵な皇太子様と美しく輝く美智子妃殿下のお姿は今でも目に焼きついて忘れることができません。

 昭和天皇が崩御され元号も平成となり、この三十年の間美智子皇后様には喜びも悲しみも私共には計りしれないほどたくさんの事を乗り越えてこられながら、常に陛下により添われ、常に国民の事を思ってくださったことに、心からの敬意と感謝を申し上げます。そして同じ時代に生きてこられた事を大変光栄に思っております。

 ありがとうございました。

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岡本 喜代子公益社団法人日本助産師会前会長・顧問
岡本 喜代子

おことばから頂いた助産師への勇気とエール

 日本助産師会は、明治の産婆時代から妊産婦や母子に出産や子育て支援を中心に母子保健活動に貢献させて頂いています。最近では、思春期や更年期といった幅広い女性の性と生殖の健康に関わる支援もしています。現在、約三万九千人の助産師が病院、診療所、助産所等で活動しています。

 私が初めて、天皇・皇后両陛下とお目にかかりましたのは、今から三十数年前、日本初の母子の総合医療センターであった「大阪府立母子保健総合医療センター」(現大阪府立母子医療センター)に二度両陛下のご訪問があった際です。その折に病院の廊下でスタッフの一員として、お二人をお迎えした折、一人一人にお声がけ頂いたのを思い出します。

 私は、平成七年に、日本助産婦会(現日本助産師会)に赴任しました。助産師は、歴代の天皇陛下がお生まれになるお手伝いをさせていただくご縁で、古くから会と皇室との関わりが持たれておりました。十周年毎の会の創立記念日には、皇后陛下をはじめ、皇太子妃、女性の他の皇族の方々をお招きする機会を頂いております。

 私が本会に赴任して以降は、平成九年五月に美智子皇后陛下、平成十九年五月には、式典に秋篠宮妃紀子様、レセプションに美智子皇后陛下をお迎えしました。そして、私が会長をさせて頂いていた平成二十九年五月には、秋篠宮妃紀子様をお迎えさせて頂きました。

 そして、その折々には、心に沁みる勇気を頂くおことばを賜りました。それらのおことばは、記念誌に掲載し、機関誌を通じて全会員に届けさせて頂きました。

 特に、平成九年の美智子皇后陛下のおことばは、感銘を受けた開業先輩助産師が直筆で起こし、額に入れ本会に寄贈して下さいました。現在も会長室に飾られています。

 テレビ等で、天皇・皇后両陛下を初めとする皇室の皆様が常に、災害や病気等困難に面している国民一人一人に寄り添って下さっているご様子からも大きな勇気を頂いています。皇室の皆様の末永い弥栄を祈念申し上げます。

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落合 偉洲久能山東照宮宮司
落合 偉洲

天皇陛下とスペイン国王陛下に家康公の時計

 久能山東照宮は、平成二十七年四月御鎮座四百年大祭を迎えた。当宮博物館には、慶長十六年(一六一一)に、スペイン国王フィッリペ三世から徳川家康公へ海難救助のお礼として贈呈された洋時計が伝来している事から、田辺信宏静岡市長を先頭に、静岡市で「日本・スペイン・シンポジュウム」の誘致活動が積極的に展開された。その結果、平成二十八年四月、市内日本平ホテルを中心に盛大にそのシンポジュウムが開催されて、そこで家康公の時計をスペインから参加された皆様にご覧頂き紹介することが出来た。

 当初の予定では、このシンポジュウムの開会式に、スペイン国王フィッリペ六世をお迎えして、そこで家康公の時計をご紹介する予定であったが、諸般の事情により国王をお迎えすることが出来なかった。その後、ゴンザロ・デ・ベニート駐日スペイン大使から、スペイン大使館に招待され「一度約束した事を、中止にはしない。必ず国王が静岡に行かれるので期待して欲しい。」との話があった。

 そして、平成二十九年四月七日、天皇皇后両陛下が、スペイン国王フィッリペ六世・レティシア王妃両陛下を静岡市にご案内されるという行幸啓が実現した。

 静岡市内浮月楼「月光」の間、午後十二時五十分から、僅か五分の短い時間であったが、家康公の時計説明という大役を頂いた。

 時計の部屋に歩を進められる天皇陛下に、ゆっくりと寄り添い進まれる皇后陛下、お二人のお姿は、とても印象的で何とも有難く生涯記憶に残ることであろう。

 天皇陛下から「時計の製作時期」などのご下問があり、国王陛下からも「両国交流の証」というお言葉を頂き、有難い事であった。

 この事は、静岡開催の日本・スペイン・シンポジュウムに豪華な花を添えることになり、御祭神徳川家康公の平和外交の一班について、多くの人々に知って頂く良い機会になったといえるであろう。

 翌日の四月八日より五月二十八日まで宮崎県立美術館で久能山東照宮展が開催された。そのために、その後直ちに時計とともに宮崎に向かい、午後八時頃に宮崎県立美術館に到着。翌日の展覧会初日には、多くの宮崎県民が、新聞一面トップに報じられた静岡の記事を見て、県立美術館に足を運んだ。

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小野木 孝二(一社)日本福祉用具供給協会理事長
小野木 孝二

両陛下の国民に寄り添う姿勢に学んで

 この度、奉祝委員会の設立にあたり、各界代表の皆様方と共に、日本福祉用具供給協会としても、奉祝運動に参画できますことは誠に光栄の至りであります。

 平成の時代は、バブルの崩壊から始まり、数々の自然災害等日本にとりましては、試練の時代であったと思います。そのような時代の中で、天皇皇后両陛下の国民に寄り添い、特に辛い立場の人と同じ目線に立つという真摯な姿勢を私たちに見せていただくことによって、国民も希望を失うことなく、前を向いて歩み続けてこられたと思います。象徴天皇としてのお役割を見事に果たされた天皇皇后両陛下に国民の一人として心から感謝申し上げます。介護保険制度は平成十二年から正式にスタートいたしました。私たちの役割は、車いすや歩行器等の福祉用具を活用しながら、高齢者お一人お一人に寄り添いながら、最後までその人らしい人生を送り、希望を持ち続けることができるように、支援することであります。私たちも、天皇皇后両陛下の国民に寄り添うという姿勢を学ばせていただき、特に辛い立場にある高齢者の方々をご支援できればと考えております。

 私は、岐阜清流国体が行われた平成二十四年の翌年に岐阜県体育協会の会長を務めさせていただいた関係で、平成二十五年の東京国体の開会式後のスポーツ懇談会で、天皇陛下に岐阜国体のお礼を述べさせていただきました。そのとき、天皇陛下は、一年も前のことにもかかわらず、岐阜清流国体の開会式での催しの事、競技のことなど、昨日のことのように鮮明に覚えていただいていて、岐阜県人として心よりうれしく感動いたしました。

 天皇皇后両陛下におかれましては、ますます御健勝のなか、これからも国民を見守って頂ければと存じます。この度の御即位三十年誠におめでとうございました。

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花山院 弘匡春日大社宮司
花山院 弘匡

奈良への深いお慈しみ

 天皇陛下、皇后陛下におかれましては、三十年の御在位を迎えられましたこと、誠に有難く、お慶び申し上げます。

 初めて両陛下から御言葉を頂いたのは平成八年末の天機奉仕が最初でありました。旧華族会館である霞会館京都支所のお役目として御機嫌伺いのために宮中へ参内させて頂きました。その時は高等学校教諭であり、両陛下は学校における生徒達の日々の様子、さらに不登校などの生徒への取り組みについて御質問を頂きました。日々生徒と共にある指導などを御説明を致しました。生徒達へのお優しい御心に感銘を受けたことを覚えております。十六年と、さらに二十一年に上がりましたときは、春日大社の宮司として奉職を致しており、平城遷都千三百年記念式典の前年でありました。両陛下より奈良は皇祖先の地であること、奈良の人々が平城京跡を大切に守ってきた事への感謝の御言葉を頂き感激致しました。

 春日大社へは平成二十年十月三十一日に御親拝を頂きました。参道にて十数頭の鹿が森の中より穏やかに現れ、両陛下の周りに集まりました。過去の多くの行幸啓の記録に神の使いである神鹿がお迎えしたとあり、大神様がお喜びなされていることを強く感じました。両陛下は深い慈しみの眼にて鹿達を御覧になられ、神鹿についての御下問を頂きました。御親拝の後には平安時代よりの社伝神楽奉納を御覧になられ、巫女へもお優しいお気遣いを頂きました。さらに平成二十二年十月八日の平城遷都千三百年式典の後にも、春日大社の鹿苑にて行われる伝統行事の鹿の角伐を御覧になられるために行幸啓なられました。勢子達が古来からの道具のみで鹿を捕まえて、角を切る様子を御熱心に御覧になられ、切られたばかりの角をお持ちにもなられました。また口蹄疫へも大変な御心配を頂き、さらに行幸啓の間のみピタリと雨は止みました。

 平成の御代は平和な時代でありましたが、一方未曾有の災害にも襲われ、景気も大きく変動致しました。そのような中において、常に日本の中心に両陛下がおられ、国民に寄り添って頂けたことは、人々の心を安らぎに導いて下さりました。四月末の御退位の後も両陛下がご健康で麗しくお過ごしになられることを心からお祈り申し上げます。

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勝柴 次朗公益社団法人日本照明家協会会長
勝柴 次朗

両陛下のお姿に勇気と希望を頂いて

 天皇皇后両陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことに、お祝いと感謝の言葉を申し上げます。

 ご在位の三十年、平成の御代は、我が国に於いて、大きな自然災害が繰り返し発生し、夥しい数の被災者が出て、困難を極めた印象があります。

 その間、両陛下にあられましては、常に、最も困難で絶望的な状況の中で懸命に生きようとする人たちに、自ら寄り添って、心情を共有し優しく励ましてこられました。

 私たち国民は、そのお姿を、テレビや新聞等の報道を通じて拝見しては、同朋としての絆を深め共感し、更に自分自身をも鼓舞する勇気と希望を頂いてきました。

 また、戦後の疲弊と復興への懸命な努力のあと、成し遂げた繁栄を通じて過去の困難な記憶が薄れる中で、それでも両陛下が、過去に熾烈な運命を受け入れざるを得なかった人々への感謝と慰霊の継続を、身をもって進められるお姿も遙か拝見してきました。

 私たち国民は、このようなお姿を遙拝するにつけ、日々の生活とは次元を超えて、国民の安寧を常に祈り悠久の歴史を綴り続ける源を感じることが出来ます。

 これは私たち国民に常に寄り添って来られた、まさに「象徴」としてのお姿であることも感じます。

 私たちの世代は、かつて両陛下の華やかなご成婚パレードに、新しい時代の到来を感じて、心を熱くした世代です。

 そうした時代の流れの中で、平成の御代は、「文化芸術立国」の名の下に、国の方向が、経済から文化・芸術へとシフトしました。

 私が代表を務めさせて頂く日本照明家協会も公益法人として国の文化の高揚に資することを目的とする団体です。照明家は、華やかな一面と同時に、裏方として文化を裏から支えます。

 両陛下の、さりげなくお見せ下さるお姿と思し召しが、勿体なくも、私たち照明家のあり方を、象徴的にお教え頂いているかもしれない、と咀嚼しています。

 心よりお祝いと感謝の言葉を述べさせて頂きます。

 おめでとうございます。そして、有り難うございました。

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加藤 日出男財団法人根っこの家若い根っこの会会長
加藤 日出男

どうぞ末長くお元気で

 天皇陛下御即位三十年を奉祝し感謝いたします。

 天皇皇后両陛下、日本国民の為お尽くしくださいまして心より感謝いたします。

 私が園遊会に三回程出席させて頂きましたその都度、陛下は私を御覧くださり加藤さんと必ずお声をかけて下さいました。感謝と嬉しさでいっぱいです。

 どうぞ末長くお元気でお過し下さいますようにお祈りいたします。ありがとうございました。

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加藤 芳哉服部天神宮宮司
加藤 芳哉

奉祝 天皇陛下御即位三十年

 畏くも天皇陛下におかせられましては、御即位三十年の佳節をお迎えになられ、心からお祝い申し上げます。

 顧みれば、平成の御代は諸外国との交流やさまざまな技術開発が進み、生活文化・学術・経済等が発展を遂げる一方で、大きな自然災害に度重ねて見舞われた時代でもありました。

 しかし、天皇陛下におかせられましては、その度ごとに被災地に行幸啓遊ばされ、多くの被災者の声に耳を傾けられ、励ましのお言葉をおかけになりました。そのお姿やお言葉によって、災害に打ちひしがれた数多くの人々が明日への希望を見出し、新たな一歩を踏み出すことが出来たのです。天皇陛下は被災者のことを常に思われ、被災者に寄り添うことに努められました。

 また常に国民の象徴として国民と苦楽を共にされ、平成二十八年八月の陛下のお言葉にある「人々の傍らに立ち、思いに寄り添うこと」を常に大切になさりつつ、阪神淡路大震災、東日本大震災をはじめ、数多の大地震や台風・豪雨などの自然災害で被災された方々を励まし、被災地の復興を見守り続けられ、戦没者の追悼と慰霊の御巡幸、世界の平和と国安かれの祈りを捧げて来られました大御心に深い感謝の真心を捧げ、御即位三十年を衷心よりお祝い申し上げます。

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鎌田 長明公益社団法人日本青年会議所会頭
鎌田 長明

天皇陛下御即位三十年おめでとうございます

 このたび、天皇陛下御即位三十年をお迎えあそばされましたこと、謹んで心からのお祝いとお慶びを申し上げます。また、若輩の身にありながら、はからずも「天皇陛下御即位三十年奉祝委員会」代表世話人としての栄誉に預かり、この上なき感動と感謝の念を覚えております。

 畏れ多くも憚りつつ申し上げれば、「新日本の再建は我々青年の仕事である(東京青年会議所設立趣意書)」として始まった青年会議所の活動は、今上天皇の青年に対する暖かな眼差しと共に発展して参りました。特に、昭和四十一年に国際青年会議所の世界会議が京都で行われました際には、当時皇太子であらせられた今上天皇の行啓を賜りました。これを契機として日本青年会議所では今日に至るまで、一年の最初の総会をはじめとする諸会議を京都で開催しております。

 太陽は変わることなく輝いて

 青い空両手を広げ

 そのぬくもりを

 平等に与えてくれる

 (奉祝曲組曲「太陽の国」より)

 御即位二十周年奉祝のために作られたこの曲の通り、御即位三十年に至るまで私ども日本国民に平等にぬくもりを与えてくれた天皇皇后両陛下に衷心からの感謝の念を込めて、一首をもって、結びとさせていただきます。

 太陽の光の粒をかぞえつつ

 平けき世の成る数にせむ

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亀井 鍈子日本女性の会神奈川会長
亀井 鍈子

国民に寄りそわれた真心を仰ぐ

 天皇皇后両陛下のご在位三十周年を、心からお祝い申し上げます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、お二人ともご壮健で三十年の節目となる日をお迎えになられましたこと、重ねてお祝い申し上げます。

 私たち女性の目から見た時に、お二人の仲睦まじさ、またあらゆる人に目線を合わせ、丁寧に人に接するお心遣いに深く感銘を受けております。

 まず心に浮かぶのは、被災地等で困難に向き合う方々に心をお寄せになるお二人のお姿でしょう。

 小さなお子さん、お年寄り、障害を抱えた方、あらゆる方々に目配りされ、お一人お一人に膝を折って目を合わせお話を伺われる。そして心から励ましのお言葉をお掛けになる。そうした行動を繰り返されるお姿に心が震える思いが致します。

 おそらく避難所となった体育館は、冬は冷たく夏は暑い所でありましょう。そういう厳しい状況であっても、真心こめて真摯に向き合うお姿、汗も拭われず、じっと耳を傾けるお姿に私たちは感動いたします。

 天皇陛下が被災地にはじめて訪問されたのは昭和三十四年、昭和天皇のご名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことだそうです。陛下は昭和八年のお生まれでいらっしゃいますから、二十六歳の時でいらっしゃいます。以来六十年にわたり、被災地に通われてこられたことは、言葉では言い尽くせぬものがあると感じるのです。

 まことに僭越ながら、亡くなった主人亀井善之が運輸大臣の時、「海の日」を制定いたしました。その御縁もあり、農林水産大臣に就任いたしました平成十五年、島根県で開催されました「第二十三回全国豊かな海づくり大会」で山口県まで御用列車にご一緒させていただく栄を賜ることがございました。移動中の列車の中で、両陛下は一度もお座りになることなく、お立ち台にずっとお立ちになったまま、右からの声に応え、左からの声に応えて、二時間という長時間にわたり沿道の人たちにお手を振っていらっしゃいました。

 大会会場に到着されても同じ様に、お一人お一人にていねいに目を合わせ言葉を交わしていらっしゃったのです。そのお姿に、私たち夫婦は涙が止まりませんでした。農林水産大臣として全国植樹祭にも四回程ご一緒の栄を賜りましたが、いつも変わらないお姿でした。

 先般天皇陛下がおっしゃったように、平成の御代は災害の多い三十年でした。祈るしか出来ないそんな日もありました。しかし、そうした中にあって、天皇皇后両陛下の温かなお心、真心に私たちはどれだけ救われたでしょうか。

 私は、天皇皇后両陛下がいらっしゃるこの御代に生きることが出来て幸せだと思います。改めて、心からお礼を申し上げたいと思います。

 まもなく天皇陛下のご退位により平成は終わります。しかしながら、天皇皇后両陛下におかれましては、末永くご健勝でいらっしゃいますことを、心からお祈り申し上げます。

 結びに、あらためて、これまでの御心に心から感謝を申し上げ、お祝いの挨拶とさせて頂きます。

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岸 宏全国漁業協同組合連合会代表理事会長
岸 宏

全国豊かな海づくり大会の想い出

 天皇陛下の御即位三十年を、全国の漁業者の皆様と共に心からお祝い申し上げます。

 天皇・皇后両陛下には、昭和五十六年に大分県で開催された第一回全国豊かな海づくり大会に皇太子殿下並びに妃殿下としてご来臨の光栄を頂いて以来、開催都道府県の創意と趣向を加えての海の環境保全と水産物の豊饒を願う人々の努力を誓いあう真摯な行事が繰り広げられるこの大会に、三大行幸啓の一つとしてご臨席を賜り、昨年の高知県まで実に三十八回の歴史を重ねて頂きました。

 平成十五年には、私の地元島根県浜田市でも第二十三回大会を開催、ご臨席を賜りました。昼食会の後席、沿岸・宍道湖漁業が話題になった折、「ハゼは何種類位あるのでしょうか。」とお話いたしましたところ畏れ多くも、ハゼ類の分類の研究家として学会でも著名な陛下から、ハゼの種類には、在来種・交配による新種・発見による新種が夫々何種類あること、その生態系までも、私達素人にも理解出来るよう懇切丁寧にご説明を賜りました。その際天皇陛下より「皇太子殿下の時は色々な論文を出せたが天皇陛下即位後は忙しく、なかなかそれも出来ない…」旨のお話も拝聴し深い感銘を受けると同時に、大巾な予定時間延長に汗顔の至りであったことを思い出しております。

 また皇后陛下からは第三十六回山形県大会の後席において、十有余年も前の島根県大会の宿で、早朝地元浜田市内に流れていた音楽に深い印象をお持ち頂いていて、「あれは何という曲でしたでしょうか。今でも流されていますか。」とのご下問を頂き、地元浜田市に確認、昭和三十三年浜田市を襲った豪雨災害で大きな被害と多数の犠牲者が出た事を機に、再びこのような災害がおきない事を願う市民の浄財をもって翌年より今日まで毎朝六時に「浜千鳥」が吹鳴され、市民に朝の訪れを告げていることを私自身も知ることが出来、皇后陛下にもご報告出来たことは、浜田市民にとりましても感慨深く有難い素晴しい想い出であります。

 私達水産関係者には「豊かな海」という財産を未来に贈ると共に国民に対し水産食料を安定供給する大きな使命があります。これを果たすため今後共力強く取り組んで参ります。

 全国の漁業者が、これまでに両陛下から賜った「豊かな海づくり」への沢山の思し召しに心から感謝致しますと共に、両陛下ならびにご皇室のご繁栄をご祈念申し上げます。

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北里 一郎公益財団法人日本ワックスマン財団理事長
北里 一郎

天皇陛下のお言葉

 私は現在、秋篠宮文仁親王殿下が名誉総裁であられる公益財団法人日本ワックスマン財団の理事長の任に就いております。天皇皇后両陛下におかれましては皇室の私事、国事行為、公的行為など一般人には計り知れない多くのご活動をなされていることに敬服いたします。とりわけ被災地へのお見舞いと救援活動に携わる方々への激励の為に現地に赴かれておりますことを報道等で知るたびに、人々に寄り添うという天皇陛下のお優しいお心持が私共に伝わってまいります。

 私が最も感銘を受けましたのは、二〇一一年五月三十日、済生会創立百周年記念式典での天皇陛下の「おことば」であります。「済生会は長年にわたり、この『生命を救う道』を広めるという目的の下、たゆみない努力を続け、各地域における医療と福祉の向上に多大な貢献をなしてきました。ここに今日に至る済生会の歴史の中で、その活動を支えてきた多くの人々の努力に深く敬意を表します」と仰せられました。済生会は一九一一年二月十一日、明治天皇の済生勅語により創設され、同年五月三十日に恩賜財団済生会として「施薬救療」を中心に諸活動を開始いたしました。当時、国立伝染病研究所の所長を務めていた北里柴三郎は恩賜財団済生会の医務主管に任命され、その後、芝赤羽の済生会病院長に就任します。北里柴三郎は私の祖父でありますので天皇陛下の「おことば」を知り、感慨深いものがあります。

 尚、柴三郎は最先端の病原細菌学を学ぶため六年間(一八八六年~一八九二年)のドイツ留学を果たしますが、実は政府支給の学費は規程により五年目をもって打ち切られてしまいます。その時、さらに一ヶ年、「肺病治療法の研究を継続せよ」、として明治天皇より金千円の御下賜金を拝受したのです。当時の官費留学生の年間費用に準ずる額であります。明治天皇から受けた「御恩の万分の一に報い奉らんことを期した」柴三郎は帰国後、福澤諭吉の支援を受けて、結核の専門病院「土筆ヶ岡養生園」を開院したのです。

 祖父の時代に思いをはせつつ奉祝文をしたためる中で、天皇陛下の国民に対する深い思いやりの心を強く感じると共に「生命を救う道」という陛下のお言葉を大切にしたいと存じます。

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衣笠 剛一般財団法人日本バウンドテニス協会会長
衣笠 剛

春宵に謁するの記

 天皇陛下御即位三十年にあたり心よりお祝いを申しあげます。

 天皇皇后両陛下には忘れられぬ思い出がございます。

 それは平成が始まって間もなくの頃です。桜が終わり、柔らかな暖かさが心地よい黄昏時のことでした。友人と会っての帰り道、神田のひと気のない交差点に婦人警官の方が一人立っておられました。「どなたがお通りですか?」わたくしが尋ねると、「天皇皇后両陛下です」その婦警さんは顔をやや紅潮させながら答えてくださいました。「えらいことになった」わたくしは少し狼狽してしまいました。なぜなら、交差点にはわたくしと婦警さんの他には誰もいなかったからです。背広の襟は立っていないか、ポケットのフラップは乱れていないか、そしてそよ風に吹かれた髪に急いで手櫛を入れてお待ちすることにいたしました。さて姿勢はいかがしたらよいだろうか。京都三条大橋に在る高山彦九郎の皇居望拝の像が頭に浮かびましたが、国民のそういう姿を両陛下はお喜びになられないだろうと、直立不動で手を振ることに決めました。

 そうしている内に、いよいよ、右手前方から、パトカーに先導された黒塗りの乗用車が現れました。

 わたくしが立っている舗道側は美智子皇后、お隣には今上陛下がお乗りになっているのはすぐに分かりました。そしてお車はこれ以上ないと思われる位の緩い速度でわたくしが立っている目の前に近づいてこられるのです。そして先ず、にこやかな笑顔で手を振られる皇后さまと目が合いました、続いて今上陛下も笑顔でこちらを向かれ「わたくしのためだけに」お手をお振りになられたのです。

 春の夕べで、あたりは既に暗くなりかけておりましたが、両陛下がお乗りになられている車中だけは、まるでスポットライトが当たったかのように、神々しい光の中に浮かび上がっていました。

 そして、わたくしはお車が通り過ぎても、無心で手を振り続けていたのです。天皇皇后両陛下を「独り占め」。この一生に二度とない幸福感に満たされて、わたくしは交差点をわたり、家路を辿っておりました。

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工藤 翔二公益財団法人結核予防会理事長
工藤 翔二

天皇陛下ご即位三十年をお迎えして ─ 私の思い出

 天皇陛下ご即位三十年をお迎えになった天皇皇后両陛下に、心より祝意と感謝を申し上げます。

 私の思い出の一つは、平成十四年五月二十六日、京都で開かれた第二十六回国際内科学会議でのことです。内科学会百周年記念展示会場を、百周年記念実行委員長として両陛下をご案内申し上げましたが、両陛下はご興味のある展示にたびたび立ち止まられ、二十四分二十秒と指示を受けていた私は、時間内にご案内を済ませられるかと気を揉みました。陛下の、「結核菌の発見者、ロベルト・コッホは日本に来られたが、あれは何年ですか」というご質問に、陛下の博識に驚くとともに、「来日されて間もなく亡くなったので、二十世紀になってからだと思います」と、間違いではなくても正確にお答えできなかったことを悔やみましたコッホの来日は一九〇八年、没年は一九一〇年。この第二十六回国際内科学会議では、開会式で陛下からおことばを賜りましたが、おことばにある『プロミン』が、ハンセン病の最初の薬であったことを知らなかった学会役員一同、草稿を頂いた前夜に冷や汗をかいたのも、ほろ苦い思い出です。

 もう一つの思い出は、平成二十一年三月十八日、東京で開かれた結核予防会創立七十周年記念第六十回結核予防全国大会でのおことばです。陛下は、その中で、「私自身、かつてストレプトマイシンやヒドラジッドなどの新薬の恩恵に浴したものの一人です。」と率直に述べられ、当日夜のテレビでも驚きをもって報道されました。今、宮内庁ホームページでは、「昭和二十八年十二月、二十歳のお誕生日の直前に、結核の診断がなされ、以後、ストレプトマイシンやヒドラジッドなどの投薬が続けられ、昭和三十二年九月に至り、ほとんど御治癒との判断がなされました。」と、皇室医務主管の補足説明とともに残されています。会場で直におことばに接した私は、かつて国民を苦しめていた結核という病に対して、国民に寄り添われる陛下のお心に感動を覚えました。

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工藤 均青森県神社庁長
工藤 均

御即位三十年を言祝ぎ奉りて

 天皇陛下におかせられましては、本年御即位三十年を迎えられました。日本国民として、皇室のご祖先であります天照皇大神をお祀りする伊勢の神宮を本宗と仰ぐ一神職として、陛下の御即位三十年を御祝いできますこと有難く感激に耐えません。

 常に国民をお気に掛けて下さる陛下は全国各地へ行幸され、我が青森県へは平成の御代に二度御来県いただいております。平成二年の「第十回全国豊かな海づくり大会」ご臨席の際には、陛下に一目お会いしたいと大勢が集う青森駅前通りにおいて、そのお姿をカメラにお納めしたことが強く記憶に残っております。平成二十六年には東日本大震災の復興状況視察におこしになられ、八戸市長から被害状況の説明を受けられた際には、とにかく被災者をお気に掛けるご様子であったと伺っております。

 改めて平成の三十年間を振り返りますと、陛下のお言葉の通り、戦争のない平和な時代でありました。我々がこのように平穏な日常を過ごすことができるのは、日々陛下が国家と国民の安泰を八百万の神々と皇室のご祖先に祈り続けられてきたことによるものと、陛下を戴く日本人として喜びと感謝を忘れることはありません。

 一方で、東日本大震災や阪神大震災といった「大震災」と呼ばれる地震が二度も発生するなど、平成は自然災害が数多く発生した時代でもありました。雲仙普賢岳や御嶽山をはじめとする噴火、近年では西日本を中心とした豪雨災害が記憶に新しいところであります。、その他にもたくさんの自然災害に日本全国が見舞われましたが、陛下はそのような全国の被災地へお出ましになられ、被災者を励まして下さいました。陛下の優しいお言葉に我々はどれほどお力をいただいたことでしょうか。

 陛下は本年四月三十日に皇太子殿下へとご譲位され、翌五月一日には皇太子殿下が第百二十六代天皇として御即位遊ばされることとなります。これからも陛下の御身お健やかでありますよう、そして皇室の益々の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの詞とさせていただきます。

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黒住 宗道黒住教教主
黒住 宗道

親様をいただく有り難さ

 天皇皇后両陛下御即位三十年を奉祝し、衷心より感謝の言葉を申し上げます。

 「よく生きていてくれました…」

 この御言葉を拝聴したのは、東日本大震災の被災者に対して跪いて御声を掛けられる天皇陛下、皇后陛下の御姿をテレビで拝見した時でした。たまたまマイクロフォンが拾ったその玉声に接して、「親様をいただく有り難さ」に感涙を禁じ得ませんでした。

 阪神淡路大震災の被災地をはじめ、東日本の各被災地域、また熊本の激震地、そして西日本豪雨に襲われた各地とりわけ地元真備町に、私は居ても立ってもいられぬ思いで何度も駆けつけ、苦しむ人々に常に心を寄せ続ける宗教者でありたいと只々つとめてまいりました。そこでいつも痛切に感じたのが、お見舞いと激励の一言の重みであっただけに、親以外から発せられることのない「よく生きていてくれました」の御一言に、「大御心はすなわち親心」であることを、改めて深い感動とともに確信させていただきました。

 「皇室は祈りでありたい」との皇后陛下の尊い御言葉で広く知られるように、まさに日夜欠かすことなく私たち日本国民のことを祈り続けて下さっている天皇皇后両陛下をいただく有り難さを、一体どのように表現すればよいのでしょう…。忝さに胸震える国民も、空気や水のごとき存在としか思っていない国民も、また勝手に意見する国民も、皆悉く大きな親心で守られ祈られてきた三十年でした。大激動の時代に御在位いただいた昭和天皇陛下の御心を全て受け継がれて、先の大戦で身失せし御霊安かれとの祈りと平成の御代の安寧を全身全霊でお祈りいただき、この度大御心の随に御譲位なさる今上陛下に、この上なき有り難さを申し上げる以外言葉はありません。

 改めて天皇陛下、皇后陛下、有り難うございました。御聖寿の萬歳と皇室の御弥栄を心よりお祈り申し上げます。

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桑原 一夫神道政治連盟青森県本部長
桑原 一夫

平成の大御代を寿ぐ

 天皇陛下におかれましては御即位三十年という佳節をお迎えになられました。謹んでお祝い申し上げますとともに、この間、常に国民と苦楽を共にされ、国の安寧と世界平和の実現に御心を傾けていただきましたことを、深く感謝いたします。

 我が国は、一三〇〇年以上も前から「元号」という時間感覚を持ち続け、天皇を中心とする伝統と誇るべき文化を育んできました。私たちは、時代区分だけでなく、個人の生活においても「元号」を使い、表現することが多々あり、近年では、「平成生まれ」という言葉も頻繁に使われております。これは、日本国民が天皇陛下の御在位と結びついた他国にはない独自の時間軸を持っていることに他なりません。

 平成の御代を思うと、元年に消費税が導入され、世界では冷戦が終結しました。その後、バブル崩壊、リーマンショック等もありましたが、IT業界の台頭に経済は順調に回復に向かっているものと思われます。文化・学術の最高峰であるノーベル賞においては、平成六年の文学賞に始まり、物理学賞、生理学・医学賞など多くの科学者が受賞し、青色発光ダイオードやiPS細胞等は世界の驚きとともに、私たちの生活をより豊かにしていくでしょう。スポーツでは、平成十年に長野オリンピックが開催され、最多金メダル数を獲得し、各種目で様々な選手が活躍しました。明年には東京オリンピックが開催予定であり、多くの選手の活躍が期待されます。

 また、青森県には二度の行幸啓を賜りました。平成二年の七月に三沢市における「第十回全国豊かな海づくり大会」の際には、『くろそいとひらめの稚魚を人々と三沢の海に共に放しぬ』との御製を賜り、平成二十六年九月には八戸市や青森市、また黒石市の青森県産業技術センターりんご研究所にご訪問をいただきました。両陛下のお心配りやご教養の深さに感銘を受け、県民に大きな励ましと感動を与えていただきました。誠にありがたく、心から深く感謝を申し上げます。

 一方で、深く心に刻まれているのは、先の東日本大震災や多発した自然災害ではないでしょうか。被災地お見舞いでは、天皇陛下御自ら被災者の一人一人と膝をつき、向き合うお姿は、被災者のみならず、メディアを通して拝した国民の胸に希望の光をいただきました。また、内外の激戦地へ赴き戦歿者に慰霊の祈りを捧げておられます。このような尊いお姿を拝し、私たちは勇気づけられ、また諸外国の人々にも深い感動を与えられました。

 さらに、宮中祭祀の御奉仕者として国民の安寧と平和を祈る重き務めを「全身全霊」で果されてきた陛下を仰ぎ、このような大御心が皇祖より途切れることなく受け継がれてきたことに感謝と敬仰の念を抱くばかりです。このような麗しい日本文化の末永い繁栄を願います。

 結びにあたり、聖寿の万歳と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、国の隆昌と世界の平和をお祈り申し上げ、奉祝の詞とさせていただきます。

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髙坂 節三公益財団法人日本漢字能力検定協会代表理事
髙坂 節三

天皇陛下ご譲位に思う

 「昨日までのことは悪いこと、昨日までと逆のことをやったらよろしい」(阿久悠『生きっぱなしの記』)という、終戦後の急激な変化の時代に若き皇太子殿下(今上天皇)はどのようにして、自己を確立されたであろうか。「神の子」から「人間」としての宣言を出され天皇のお傍で成長された皇太子殿下の御苦労は察するに余りある。アメリカから女性の家庭教師を迎えられて、どのような印象を持たれたであろうか。

 皇太子殿下の教育係であった元慶應義塾塾長の小泉信三博士は、若い皇太子殿下に「私どもが天皇制の護持といふことをいふのは皇室の御為めに申すのではなくて、日本といふ国の為めに申すのであります。さうしてその日本の天皇制が陛下の君徳の厚きによって守護せられたのであります」と御進講で述べられている。

 殿下は十九歳の折に、昭和天皇の名代として英国エリザベス女王の戴冠式に出席されたが、その折に、半年にわたって欧米各国を訪問されたことは、岩倉具視を団長とする明治時代の『米欧回覧実記』と同じような影響を、皇太子殿下ご自身のみならず、国民全体に与えたと思われる。小泉信三博士はこの時も同行し、「帰国後の最大の問題は、どのようにしてお妃を選ばれるかである。」としておられた。博士が民間から初めて皇室に入られたお妃を心から歓迎したのは言うまでもない。私たち国民も新しい時代の到来を実感し、その後は皇族の一挙手一投足に多くの教訓と励ましを頂いた。

 今上天皇は、即位されて以降、皇后陛下とともに、日本各地を隈なく訪問されただだけでなく、たびたび海外に赴いて、素晴らしい親善のお務めを果たされた。その国民と共にある、国民に寄り添うお姿を忘れる事ができない。昨年十二月の御誕生日には「結婚以来、皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。…自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、六十年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。」と、万感の思いを込めて話された。

 陛下と同世代に生を享けた者としての、今上天皇が詠まれた数多の御製の中から二首を取り上げて、心からの感謝と御礼の言葉に代えさせて頂きたい。

 「いにしへの 人も守り来し 日の本の 森の栄えを共に願はむ」(平成三年)

 「あまたなる 命の失せし崖の下 海深くして 青く澄みたり」(平成十七年)

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神津 信一日本税理士会連合会会長
神津 信一

天皇陛下への感謝の言葉

 天皇陛下の御在位三十年を奉祝し、税理士会を代表して謹んで感謝の言葉を捧げます。

 平成三十年十二月の天皇陛下のお誕生日のお言葉には、国民の皆が感銘を覚えました。特に「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」というお言葉、また、皇后陛下と出会われ、爾来六十年間深い信頼の下、行動を共にし続けてこられたことに対する感謝の念を、「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、六十年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。」というお言葉には、目頭が熱くなり熱涙を禁じ得ませんでした。

 沖縄を始めとする世界各地の激戦の跡地を、お二人で慰霊のためにご訪問され、深々と礼をなさっていらっしゃるお姿、また、平成三年の雲仙・普賢岳の噴火を始めとして東日本大震災、熊本地震など、日本各地の被災地をご慰問になり、被災された人々を同じ目線で、一人一人に勇気付けられているお姿を思い起こすにつけ、国民の一人として只々感謝いたすばかりであります。

 御即位以来、日本国憲法の下で象徴としての天皇の望ましいあり方を求めてこられたと述べられておりますが、そのお姿は永く御皇室に受け継がれるとともに、国民に語り継がれていくものと確信いたします。

 税理士制度は昭和十七年の税務代理士法に始まり、昭和二十六年の税理士法公布を経て、以来七十七年間に亘り我が国の戦後の復興から繁栄に至るまで、税務に関する専門家として、申告納税制度の理念にそって、納税義務の適正な実現を図ることで国家財政の基盤確保に寄与して今日に至ります。

 天皇陛下の国民に対する思いと歩まれてきた道を胸に、我々税理士及び税理士会は、この国の未来のために、国民・納税義務者の信頼にこたえ、国を支える中小企業に寄り添い、被災地では税務支援を行うことにより、我が国に貢献する制度として発展することを希求し続けます。

 天皇陛下におかれましては、今後ともご健康にご留意されまして、末永く皇后陛下との旅をお続けいただきますことを、衷心よりお祈り申し上げます。

 平成三十一年春

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神津 里季生日本労働組合総連合会会長
神津 里季生

すべての働く者・生活者の幸せに向けて

 近年わが国においては、自然災害が相次いで発生いたしました。八年前には国難ともいうべき東日本大震災の大惨事を経験し、その後も水害や地震災害などが続きました。その過程において、天皇・皇后両陛下はまさに私たち国民の象徴として、被災地の方々に寄り添われ、災難に打ちひしがれていた多くの方々の心に、光を灯していただきました。被災地へのご訪問を重ねられる天皇・皇后両陛下のお姿は、どれだけ多くの人々の心を和ませ、そして明日への活力を引き出していただいたことでしょうか。

 そして昨年の天皇陛下満八十五歳のお誕生日に際し、陛下は記者会見で、平成元年からの世界情勢を振り返られるとともに、平和の尊さについて述べられました。平成元年に産声をあげた私たち日本労働組合総連合会通称「連合」にとりましても、平成の時代を振り返り、そして新しい時代を展望していくことは、すべての働く者・生活者の幸せと平和を実現していくためにもまことに重要なことであると、しっかり認識を深めて参りたいと思います。

 なお私は、天皇陛下が御即位後初めての外国ご訪問となりました平成三年秋、当時タイ王国におきまして縁あって大使館の書記官を務めておりました関係で、諸行事を通じて、陛下のお人柄を間近に感じさせていただく機会を得ました。その後陛下は三度にわたり当時の館員を宮中にお呼びいただき、その際にも一人ひとりにお言葉をかけていただきました。

 また五年前の秋の園遊会におきましては、「日本労働組合総連合会」の名札にお目を留められ、「最近はどうですか」とのお言葉をいただきました。私は思わず「なんとか賃上げが広がるように努力しております」とお答えしたものでした。陛下が常に働く者の幸せを念じておられますことを、あらためて実感させていただきました。

 一つひとつの場面を思い起こしつつ、尊崇の念をひたすら熱くするところでございます。

 齢を重ねられるなかにあっても平和への旅を重ねてこられたお姿、そして皇后陛下との仲睦まじさを自然な形で私たち国民にみせていただくそのお姿、申し述べたいことは山のようにありますが、それらの思いもこめさせていただきながら、両陛下のますますのご健勝をご祈念申し上げて、一言の祝辞とさせていただきます。

 (平成30年11月27日 天皇陛下御即位三十年奉祝委員会設立総会 祝辞の内容に加筆修正いただいた内容です)

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小苅米 淳一日本会議岩手県本部会長
小苅米 淳一

国民の一人として深く感謝

 私はかつて岩手県を中心に三十店舗程あるスーパーマーケットの経営者を二十年程しておりました。私も例にもれず、アメリカを先進地として度々訪れ多くを学び、先輩格として経営者としての考え方等も学び続けて来ました。流通業の多くの方々がそのようにして来たと思います。しかし、学べば学ぶ程、やはり宗教、文化の違い、多民族国家としての土地柄、歴史の積み重ねの違いは厳然としてあり、悩みつつも次第に日本には日本に合う良いやり方があるのではないかという思いが、心の中に芽生えて来ました。五十才代半ばから何かしら日本の歴史にも興味を持つようになり、地方に出張するとその土地の神社とか歴史的遺跡に心を寄せるようになり、その積み重ねからなのでしょうか、古事記、日本書紀の内容にも関心を寄せるようになり、それに関する遺跡をも訪ねるに及んで、漸く日本の歴史、文化に正に向き合うようになって来たと思います。

 私はもう今は年令も七十代後半となりますが、日本の歴史を辿るに従って重く思うことは、日本の敗戦に伴う占領軍の戦後処理の内容とその後遺症であります。建国百七十年程度しかなかったアメリカが長い歴史と文化を持っている日本を充分理解できないまま、日本をつくり変えようとして、多くの処置をした。しかし、そのやり方には多くの問題がありました。現在日本がかかえている問題と課題が、そこに根ざしているように思えてなりません。

 天皇陛下におかれましては、日本の大混乱期でもあった戦中戦後における昭和天皇のご苦労を、皇太子時代から共に重く受け止められてここまでおいでのことと拝察されます。戦後の日本の人心は急変する国際化も相俟ってなのか決して穏やかではありませんでした。その中にあって天皇陛下は新しい日本の皇室のご家族の姿を国民に示され、日本全国各地の多くの国民にお言葉をかけられ、海外にも足を運ばれて、昭和天皇に続く、戦後の日本を安泰に導く天皇としてのお仕事、ご努力を誠に見事に果せられました。この尊さについてはとても言葉では言い尽くせないことであります。心から御即位三十年を奉祝し、日本国民の一人として深く深く感謝申し上げ、御礼申し上げます。

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小関 眞一一般社団法人日本自動車販売協会連合会会長
小関 眞一

感謝を込めて

 天皇陛下におかれましては御在位三十年をお迎えになられ、心からお祝いを申し上げます。

 東北で事業を営むひとりの経済人として、このような佳節に巡り合えますことは誠に幸せであります。

 私の地元である山形で平成四年に開催されました第四十七回国民体育大会「べにばな国体」の開会式におきまして、お姿を拝見できお言葉をいただきましたことはこの上なき感激であります。今でも鮮明に記憶に残っております陛下との思い出でございます。

 時を同じくして庄内空港が開港、山形新幹線が開業、山形道が山形北インターチェンジまで開通など、高速交通網が一気に整備されましたことも大変画期的な出来事でありました。

 私の経営する自動車販売事業は、内外に大きな課題を抱えながらも、平成の時代を着実に歩むことができました。

 この間、自然災害が全国各地を襲い多くの方々が被災されましたが、両陛下は直ちに被災地に赴かれ被災者に寄り添われました。その真摯なお姿が、国民全体の励みと希望になったことは言を俟ちません。

 二〇二〇年に東京オリンピック・パラリンピック、二〇二五年には大阪国際博覧会と、いずれも二度目となる大きな祭典が決まっております。両陛下のお導きの下、国民あげて日本の美しく健やかな姿を世界に向けて発信してまいりたいと存じます。

 両陛下におかれましては、益々のご健勝をご祈念申し上げますとともに、日本の将来を末永く見守りくださるようお願い申し上げます。

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小濵 裕正日本チェーンストア協会会長・株式会社カスミ取締役会長
小濵 裕正

天皇陛下御在位三十年奉祝感謝の辞

 天皇皇后両陛下御在位三十年にあたり、この間の献身的な御功労に衷心より感銘し、ありがたく感謝申し上げます。

 戦争や自然災害による各地の犠牲者や被害地域に対する、安寧・慰霊・復興・共生の祈り及び激励などのお姿や言行動を拝見拝聴するたびに、陛下は象徴天皇のありようを究められ「人間として斯くあるべし」、まさしく国民のお手本を示されたことに敬服の意を表したく思います。

 平成最後の歌会始の儀における天皇陛下の御歌

 「贈られしひまはりの種は生え揃ひ

 葉を広げゆく初夏の光に」

 阪神淡路大震災で亡くなられた小学生の名前にちなんだ「はるかのひまわり」の種を被災者からいただき御所に植えられ、毎年大切にお育てになりながら成長を見守ってこられた思いを詠まれたお歌にお命を失われた小学生はるかさんのひまわりの育成を通して国民に生命の尊さと被災地の復興・繁栄を祈られ、共生社会の重要性を示され、心底願われている御心に感涙を禁じえません。私も太平洋戦争の後遺症や阪神淡路大震災の間接的な被害者でしたが、両陛下のお姿にお力を得て、馬齢を重ねてまいりました。この間に、未曾有の規模の東日本大地震が発生し一瞬にして各地域の人的財産・教育施設・地域の伝統文化までも喪失しました。両陛下の精力的な活動を目の当たりにし、それまで接することなき無縁の東北地方の陸前高田市の子供さんたちに対して教育環境の整備と伝統文化の復活を誓いました。あれから毎年お客様・お取引先様・従業員の皆様からの浄財で教育基金を届け、また子供たちが楽しみにしている伝統文化の「けんか七夕祭り・うごく七夕祭り」にその年の弊社新入社員と共に参加交流しています。これらの活動は両陛下の言行動を模して実施させていただいており、そのことにより従業員の精神的支柱を育てる企業風土の醸成に多大なるご教授をいただき感謝申し上げる次第です。

 両陛下におかれましてはご退位後も心身の充分なる御慰労の上、御皇室の要として息災にお過ごしいただきますよう心より祈念申し上げます。感謝。

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小林 栄三日本・トルコ協会会長
小林 栄三

天皇陛下御即位三十年によせて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになりましたことに、謹んでお慶び申し上げます。

 平成の御世に、交通網等の発展により、国際交流はあらゆる分野で、ハイレベルから草の根レベルまで飛躍的に拡大致しましたが、今日、我が国が諸外国と良好な関係を保っておりますことは、天皇陛下をはじめご皇族方の国際親善活動に対するご尽力によるものが甚大であり、大変畏れ多くも有難いことであると思っております。

 私は経済界に長年携わっております関係で、国内においては、ご皇室が国賓の方々をあたたかくお迎えになる場にご一緒させて頂く機会が幾度かあり、そのお姿を拝見する度に深い感銘を受けて参りました。また、海外での仕事に際しましても、諸外国の方々から我々日本人に対する格別のご厚意を感じることがございますが、ご皇室のお力によるものであると日々感じております。

 現在、私は日本・トルコ協会の会長職を拝命しておりますが、両国史を遡りますと、明治二十(一八八七)年の小松宮同妃両殿下によるご皇族として初めてのトルコ(当時のオスマン帝国)御訪問は、両国民の交流に繋がる非常に重要な出来事であったと認識しております。日本とトルコの外交関係樹立は大正十二(一九二三)年のトルコ共和国建国の翌年にあたる大正十三(一九二四)年でしたが、本ご訪問をきっかけに両国民がアジアの東端と西端に位置する両国の地理的距離を超えて文化及び経済交流の土台を築き、平成の御世に至るまで極めて友好的な関係を保持しております。今やトルコは世界有数の親日国として認識されておりますが、わが日本・トルコ協会の前身である日土協会が大正十五(一九二六)年に設立され、昭和四(一九二九)年に高松宮殿下を総裁に戴き、戦後は三笠宮家に名誉総裁及び総裁を継承して頂いていることは、トルコの方々の親日感情に大きな影響を及ぼしていることを実感しております。この機会にご皇室の国際親善活動に対し、衷心より感謝の気持ちを表したいと存じます。

 天皇皇后両陛下の益々のご健勝と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます。

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小林 直毅新潟県神社庁長
小林 直毅

御即位三十年を寿ぎて

 平成は幸いにも戦争のない時代として終わりを迎えようとしています。同時に数々の自然災害が国土を襲った苦難の時代としても人々の記憶に刻まれることになるでしょう。われわれは君民一体の国ぶりのまにまに雄々しくその困難に対処したのです。

 新潟県もまた平成十六年十月の中越地震、平成十九年七月の中越沖地震と、二度の大規模地震に見舞われましたが、その度に天皇皇后両陛下の御来県を仰ぎ、親しく御見舞や励ましのお言葉を賜りました。このことはどれだけ県民の力になったか知れません。

 平成二十一年「トキめき新潟国体」の開会式に行幸啓あそばされた天皇皇后両陛下はまことにご機嫌うるわしく、明るくにこやかな表情をお見せ下さいました。震災からの復興をアピールした式典前演技でも、また選手団の入場などでも、頷かれながら何度も拍手を送るお姿が印象的でした。

 平成最後の天皇誕生日のご会見に際し、陛下は国民各層に対する慈愛に満ちた思いを吐露され、また皇后陛下に対する深いねぎらいのお言葉を発せられました。ひたすら国民の安寧を思うお言葉を拝するにつけ、改めて皇室を仰ぐ国に生まれたことの幸いを思ったことでした。

 今上陛下の御即位三十年を心からお祝い申し上げますと共に、皇室の弥栄、天津日嗣の無窮ならんことをお祈り申し上げる次第です。

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小堀 光實比叡山延暦寺執行
小堀 光實

忘れえぬ感激の事

 今上陛下御即位三十年を心から奉祝申し上げ、謹んで玉体安穏、美智子皇后陛下の尊体安穏をお祈り申し上げます。

 両陛下お健やかに平成三十一年の新春をお迎えなされ、皇居宮殿での一般参賀の方々にお応え下さるご様子に慶ばしくも万感込み上げる思いが致したのは私だけではないでしょう。

 平成二十八年八月八日、天皇陛下御自ら平成の日々を懐かしくいとおしむように振り返りになられ、御譲位の意をおっしゃられるご様子を拝見しましてから、早その年が参りました。

 平成三十一年間に亘る御代の日々、常に日本国民は元より世界の人々の安寧を心にお寄せなられて参られたことに忝くも有難く感謝の念ほかありません。

 思い返しますに平成十九年十一月、滋賀県で開催の第二十七回全国豊かな海づくり大会に臨まれるのにあたり、同十三日両陛下には比叡山延暦寺に行幸啓の栄を賜り、昭和天皇、香淳皇后両陛下の行幸啓より実に三十二年振りの事でした。

 大書院でのご休息のあと、総本堂根本中堂に延暦寺史上初めて両陛下お揃いでご参拝。次いで宝物を収蔵展覧する国宝殿に参られるなど比叡山でのひとときをお過ごし下さいました。その折、私はドライブウェイから境内への出入口場所の管理担当として僧衣姿で道端脇に控え、御料車をお迎えさせていただきましたが緊張の余り只々頭を下げるばかりで、両陛下のご様子すら拝することが叶いませんでした。前述のご日程をお過ごしなされ愈々ご下山の頃となり、再びドライブウェイへと先導前駆車に続く両陛下御料車が参られる時、思い切って頭を上げ御料車を拝しましたら寸前で車窓を開けられ皇后陛下とご一緒に玉顔をお向けいただき軽く会釈をお返し下さったのでした。その場に只一人居らせていただいた私にとって忘れも出来ない感激の一瞬であり、今も尚その光景が鮮明に甦ります。

 両陛下の素晴らしい思い出であります。

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菰田 正信一般社団法人不動産協会理事長
菰田 正信

天皇陛下御即位三十年を奉祝して

 天皇陛下が御即位されて三十年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。

 わが国において平成が戦争のない時代であったことに日本国民として幸せを感じるところでございます。

 この三十年間、多くの方々がノーベル賞を受賞するなど、世界中の様々な分野で日本人が輝かしい功績を挙げ活躍する一方で、阪神・淡路大震災や東日本大震災をはじめとする数多くの自然災害が発生し、悩まされて参りました。また、国外では、テロ事件や民族紛争などにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦悩の日々を送っています。陛下には、極めてご多忙なご公務の中、四十七都道府県すべてに親しくお見舞い、ご訪問され、被災された方々や各分野で尽力される人々をねぎらい、激励されておられます。また、国内にとどまらず、先の大戦の激戦地を巡られるなど、陛下が平和と安寧を願ってお示しになられる思し召し、お言葉にどれほど励まされてきたことでしょう。

 この間、私ども不動産業界は時代のニーズに応じて、都市再生の推進や優れた住環境の創出に努め、魅力的なまちづくりや良質な住宅の供給を通じ、日本経済・社会の発展に寄与してまいりました。常に国民の幸せと、世界の平和を願っておられる陛下のお気持ちをしっかりと胸にとどめ、これからも様々な課題の解決に努め、国民一人ひとりが真に豊かな暮らしを実現できるよう邁進してまいりたいと存じます。

 平成の御代から次の御代へ皇位がつつがなく継承されることをお慶び申し上げますとともに、両陛下におかれましては、これからもご健勝にてあられますこと、ならびに、皇室の弥栄を心よりお祈り申し上げます。

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近藤 誠一(公社)日本舞踊協会会長
近藤 誠一

強い信念と深い慈しみのおこころ

 天皇陛下の御即位三十年の奉祝に当たり、筆者自身の体験に基づき、両陛下のお人柄を表すエピソードを三つご紹介させて頂きます。

 第一は平成元年、当時陛下の御用掛(ご通訳)を仰せつかったばかりの私が、初めて正式のご通訳に臨んだ時のことです。陛下はある中東の国の大使から信任状をお受けになりました。そしてその大使が英語で、「わが国王より、陛下におかれましては恙なきやとお尋ねです」と述べた時、私は「陛下におかれましては、恙なきやとお尋ね申し上げます」と訳して何も気づきませんでした。

 しかし陛下が、「私はお陰様で元気にしております、と国王陛下にお伝え下さい」とお答えになったとき、私は目の前が真っ暗になりました。ご機嫌伺いをされたのが「わが国王」であることを訳し忘れたことに気づいたからです。しかし陛下はそのことを全く意に介せず、「と国王陛下にお伝え下さい」とさらりと述べられて、大使への礼儀を果たされただけでなく、帰り際に伏目勝ちの私に対し、陛下はいつも通りのにこやかな表情で、優しく「ありがとう」と仰ったのです。

 二つ目は、平成六年の両陛下のご訪米の時のことです。両陛下は、十六日間と言うハードスケジュールの中、常に笑顔を絶やさず、礼儀正しく多くのアメリカ人と親しく話をされていました。そしてデンバー近くの広い高原地帯をご走行中に、皇后陛下が突然車を停めさせ、まるで子供の様に野原を小走りに駆け巡られたのです。その光景は随行していたアメリカのメディアの好感を呼びました。そしてそれまで戦争に関連して天皇陛下に極めて批判的な記事を書いていたニューヨーク・タイムス紙が、一転して友好的な記事を書いたのです。それはセキュリティーの厳しい中、広々した草原にたまらず車を停めて駆け出された皇后陛下の人間味が、記者の心をつかんだのです。

 もうひとつは平成二十三年の八月三十一日、文化庁長官であった私が、東北大震災被災地の文化財の被害状況につき、御進講を申し上げた時のことです。各地の被害状況の説明に対し、両陛下は心を痛められつつも、ある国宝が軽微な被害で済んだことを知らされると、「あ、そう。よかったですね」と、まるで子供のように嬉しそうな笑顔を見せられたのです。

 両陛下の人間関係を大切にする信念と慈しみのこころ、日本国民の象徴としてこれ程相応しいものはないと思わせていただきました。

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斎藤 十朗全国社会福祉協議会会長
斎藤 十朗

感謝

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられ、心よりお慶び申し上げ、国民等しく感謝申し上げております。

 皇后陛下におかれましても、天皇陛下と“旅”を共になされ、心より感謝申し上げます。

 陛下が皇太子時代、学習院高等科馬術部主将を務められ、学習院高等科と東京教育大付属高校(現筑波大付高)との間には学校揚げての体育総合対抗戦があり、学習院側からは付属戦、付属側からは院戦と呼んでおり、当時付属には馬術部が無く、急遽、部を創部して第一回戦が行われ、勿論、付属が負け、以後しばらく勝てなかったのです。その第一回戦で殿下の一年下の付属側に私の兄がおり、殿下の同馬匹対戦相手だったと聞いております。私も四年後にこの院戦に出場し、その後大学は慶応に進み、馬の生活一筋でした。

 殿下は乗馬力も一流で、当時最も権威のあった東京馬術大会でも優勝等もされました。

 畏れ多いことですが、この様なことで何かと親近感を持たせていただいておりましたが、参議院議長に就任すると、毎国会終了ごとにその経過のご報告に参内し、各種記念式典等に於いて、拝謁を賜わったり、その他、お話をさせていただく機会が多くありました。

 陛下は、あらゆる方面に、最も高い水準で、何にでも精通しておられますので、ご下問には非常に緊張いたしました。

 陛下は、常に人の話をそらすことなくお聞きになられますので、ご予定が遅れるのではと、心配したのは私だけではなかったのではと思います。

 陛下は皇后様と共に地方へ行幸啓される時には、必ずといってもよいくらい、高齢者、障害児者、児童等の福祉施設や活動をご視察いただき、又、別途東京近郊の施設等をご視察いただくことを年間のご計画として決めていただいているようでした。災害被災地へのご訪問も度重ねられ、国内、海外の戦跡等の慰霊のご巡拝も、私も地元三重県の遺族会長を永くやっておりましただけに、感謝感激であります。

 新憲法下に於ける象徴天皇とは、具体的にどうあるべきなのかについて、広辞苑等どこにも書いてありません。今上陛下が具現されたことに、尽きるのだと私は思います。

 本当に永い間、有難うございました。感謝のほかありません。

 上皇上皇后両陛下として、幾久しく、お好きな事をなさって下さい。

 皇室の弥栄をお祈り申し上げております。

 (平成30年11月27日 天皇陛下御即位三十年奉祝委員会設立総会 開会の辞の内容に加筆修正いただいた内容です)

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齊藤 斗志二公益社団法人日本ダンススポーツ連盟代表理事会長
齊藤 斗志二

平成の御代を寿ぐ

 謹んで天皇陛下の御即位三十年をお慶び申し上げます。

 本年はまた、両陛下の御成婚六十年という誠に慶賀すべき年にあたり、二重の喜びと心からお祝い申し上げます。両陛下が在位された平成の御代を寿ぐと共に、感謝のことばを添えさせて頂きます。

 戦無き 世のありがたさ

 衣食住 困らぬしあわせ

 言いたいことは 何でも言える

 分け隔て無き おもてなしも

 勝手な振舞い つつしめば

 “清”欲知足 つらぬけば

 積もる努力を わすれねば

 

 明日は良くなる 次もある

 希望は続く 湧いてくる

 類稀なる 国となる

 跪く 両陛下のお声お姿

 語り継がれるかぎり

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笹川 陽平WHOハンセン病制圧大使・日本財団会長
笹川 陽平

ハンセン病制圧活動の裏に皇后陛下の“お導き” 皇室の熱い思いに感謝

 皇室には奈良時代、光明皇后が建てられた救済施設「悲田院」、「施薬院」以来、ハンセン病に心を砕いてこられた長い歴史がある。天皇・皇后両陛下も皇太子同妃時代から国内十四のハンセン病療養所(うち一ヶ所は民間)をすべて訪問され、患者・回復者に対する偏見・差別の撤廃を世界に訴えるため二〇一五年一月二十七日に日本で初めて開催された第十回のグローバル・アピール式典でも回復者らに心のこもった励ましをいただいた。

 式典翌日、日本、インド、エチオピア、米国など六カ国の代表八人と御所でお会いになり、一人ひとりに寄り添うように手を取って「長い間ご苦労様でした」、「今なお病気や差別に苦しんでいる人々の指導者として頑張ってください」などと話し掛けられ、ハンセン病と判明して以来、家族から手を握られることもなかったインド代表は「苦労のすべてが頭から消えた」と涙とともに感激を語った。

 この関連では私にもう一つの感動があった。式典二週間前、両陛下にハンセン病の現状について、ご説明する機会があり、当初予定を大幅に延長して一時間以上、各国の取り組みなどをご説明申し上げた。両陛下のご質問は多岐にわたり、韓国の現状に関してもご質問があり、一九七〇年代前半に当時の駐韓日本大使だった金山政英氏(故人)が日本船舶振興会(日本財団の前身)に亡父・笹川良一を訪ねて来られ韓国のハンセン病対策に協力を要請、これを受け七十六年にソウル郊外に韓国ハンセン病研究院が完成した経過などをお話した。

 金山大使が訪問された折には筆者も同席、「(韓国の現状について)妃殿下も心配されております」と言われるのを記憶していたが、ご説明では、この点に触れなかった。ところが皇后陛下は「昔、韓国で活動するシスターから韓国のハンセン病患者が置かれた悲惨な状況を訴える手紙が届き、金山大使に相談したのです」とその間の経過を自ら説明され、最後に「それはよかったわ」と笑顔を見せられた。

 竣工式には私も出席、膿が出ている患者の手や足をさすって励ます亡父の姿が私に、ハンセン病との闘いを終生の仕事とする決心をさせた。換言すれば、金山大使に対する皇后陛下のご相談を端緒に、それに導かれる形で以後、半世紀近く、百二十一カ国にも上るハンセン病制圧活動に取り組んできたことにもる。

 長い間、“業病”などとして忌み嫌われたハンセン病は一九八〇年代初頭に多剤併用療法(MDT)と呼ばれる治療薬が開発されたことで「治る病気」となり、日本財団が五年間、MDTを世界で無償配布した結果、一六〇〇万人に上った患者の多くが回復、年間の患者発生数も二十万人前後まで減少している。両陛下の熱い思いに対する感動と感謝を胸に、ハンセン病との闘いを一層強化する決意でいる。

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笹部 俊雄公益財団法人JKA会長
笹部 俊雄

天皇陛下御即位三十年を祝して

 天皇陛下が御即位されて三十年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。

 御即位以来、めまぐるしく変化する内外の社会情勢の中にあって、様々な出来事がございました。国内では大震災をはじめとする数多くの自然災害や痛ましい事件・事故が発生しました。国外でも、悲しい出来事が数多く発生いたしました。その中にあって陛下は、常に国民と苦楽を共にされ、国民の幸福を祈り続けてこられました。

 競輪・オートレースの収益金は、発足以来、機械工業及び公益事業の振興、地方財政の健全化等に役立ってきましたが、社会環境の変化に応じて各種スポーツの振興、災害救助、地域福祉、医療、学術などへ寄与する社会貢献のために役立てさせていただいております。

 競輪は昨年、お陰様で発足七十周年を迎えることができました。競輪界にとって皇室にまつわるご縁としては、「高松宮記念杯競輪(GI)」「寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(GI)」が下賜されております。

 昭和六十一年に世界でも例を見ない世界選手権自転車競技大会十連覇を達成した中野浩一を昭和五十九年秋の園遊会にお招き下さり、昭和天皇から“最近、競輪はどうですか”のお言葉を直々に賜るというこの上ない栄誉にあずかったことは、終生忘れられない思い出となっております。

 また、毎年、弊財団が開催する年間優秀選手表彰式典において、彬子女王殿下の励ましのお言葉を賜っておりますことは、誠に光栄の至りであり、競輪選手に大きな勇気と希望を与えて頂いていることに心から感謝申し上げます。

 柔道と並び日本で生まれたオリンピック競技種目である「ケイリン」は、平成十二年のシドニーオリンピックから自転車競技の中に正式種目として採用されましたが、平成二十年北京オリンピックで競輪選手の永井清史が日本人選手として初の銅メダルを獲得し、国民の皆様に大きな感動を与えました。

 平成の先の新しい時代、半世紀ぶりに東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、これを契機に日本が誇る自転車競技の一つである「ケイリン」を大きく飛躍させ、次世代への円滑な継承について関係者が協力し、よりよい自転車競技文化の醸成に寄与していきたいと存じます。

 そして私どもは、これまで以上に社会的課題に取り組む様々な社会貢献活動に対し関わっていけるよう競輪・オートレース両事業の活性化に尽力してまいりたいと存じます。

 天皇皇后両陛下のご健勝と、皇室の益々の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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佐竹 力総全国料理業生活衛生同業組合連合会会長
佐竹 力総

常に国民の目線にお立ちになる叡慮に感激

 天皇陛下がご即位三十年をお迎えになりましたこと、心よりお慶び申し上げます。

 私が赤坂離宮での園遊会にお招きをいただいたのは、平成二十六年秋のことでございました。

 数多くの招待された皆様と、両陛下のご来臨をお待ち申し上げていたのですが、高まる緊張感で体を固くしておりました。そうしたなか、ふと天皇陛下が私の前で立ち止まられ、名札をご確認ののち、親しくお言葉を賜りました。

 実は、園遊会の前年、平成二十五年十二月、「和食;日本の伝統的な食文化」がユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。それを陛下は、お心に留め置かれ、関係業界の代表として招かれていた私にねぎらいのお言葉をかけていただいたものと思われます。

 また、続いて皇后陛下からも、暖かいお言葉を賜りましたが、まさに身に余る光栄で、そのときの感激は、いまだに忘れることができません。

 顧みれば、三十年間の平成の御代は、国内に戦乱こそございませんでしたが、大きな震災、台風や集中豪雨など、各地で自然災害が相次ぎました。

 両陛下におかれましては、その都度、被災地に赴かれ、避難所での暮らしを余儀なくされた方々と向き合われました。しかも、両ひざを床にお付きになり、被災者と同じ目線でお言葉をかけられていた光景をテレビでしばしば拝見し、万感胸に迫る思いがいたしました。

 常日頃から両陛下が、国民に対して一視同仁のお心配りをいただいていることを、私自身、園遊会の会場で、図らずも実感したような次第でございます。

 これからも、我が国の平和、国民の安寧をお守りいただきたく存じます。

 両陛下がお揃いで、幾久しくお健やかな日々を過ごされますことを、国民のひとりとして願ってやみません。

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佐藤 浩市公益財団法人全日本なぎなた連盟会長
佐藤 浩市

なぎなた競技を御覧いただいて

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位三十年をお迎えになられました。謹んでお祝い申し上げますとともに、この間、常に国民と苦楽を共にされ、国民の幸福と世界の平和を願い続けておられることに深く感謝の意を表します。

 天皇皇后両陛下におかれましては、平成二十四年九月に岐阜県で開催されました第六十七回国民体育大会に行幸啓いただいた際に、岐南町で開催されましたなぎなた競技会で少年少女の演技種目を御観戦いただきました。

 私は、なぎなた競技の御説明役を務めさせていただきましたが、天皇陛下は、真剣に演技している子どもの姿を熱心に御覧になられ、「演技の優劣は、どの様に判定しているのですか」、また、「審判はどの様な人が行うのですか。」と御質問されるなど、なぎなたに高い御関心をお示しになられました。

 演技を終えた選手には、温かい拍手をお送りいただき、勝敗に係わらず選手にとって大きな励みとなりました。また、両陛下に御臨席賜りましたことは、なぎなた関係者にとって至上の喜びとなりました。

 皇后陛下からは、「今後の競技予定はどうなっていますか。」との御質問があり、「仙台市でねんりんピックの大会があります。」とお答えすると、「昨年の東日本大震災では、なぎなた関係で被災された方もいらっしゃると思いますが、大会に参加される皆さんがお元気でありますように。」と温かいお言葉をいただきました。

 そして、両陛下は、お帰りのため席を立たれた際に岩手県のプラカードにお気付になられ、選手控席にいた監督に近づいて「力を落とさずに頑張ってください。」とお声をかけられました。

 こうした被災地の人々を案じる温かいお言葉をお聞きし、両陛下の国民に対する深い真心に感銘を受けるとともに、敬愛の念を一層深くいたしました。

 短い時間でしたが、常に国民のことを思われている両陛下のお人柄に触れることができましたことは、一生の思い出として深く心に刻まれております。

 結びに、長きにわたり国民とともに歩んでこられた天皇皇后両陛下のますますの御健勝を御祈念申し上げますとともに、謹んで皇室の御繁栄をお祈り申し上げます。

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佐藤 康光公益社団法人日本将棋連盟会長
佐藤 康光

陛下と将棋

 この度、天皇皇后両陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられました事、心よりお祝いを申し上げます。将棋にまつわることといたしまして、静岡県伊豆今井浜温泉の旅館「今井荘」に陛下が昭和天皇と将棋を指しておられる写真が飾られております。私も平成十年にその地で対局させていただき、初めて「名人」のタイトルを獲得した思い出の対局場ということもあり、伺った際にそのお写真を拝見し、大変嬉しく思ったことをよく覚えております。

 これからも体調にご留意され、日々健やかにお過ごしになられますようご祈念いたしまして、簡単ではございますが奉祝の言葉とさせていただきます。

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末吉 将霊友会会長
末吉 将祠

天皇陛下御在位三十年を寿ぎて

 天皇陛下には、めでたく御在位三十年の佳き日を皇后陛下と共にお迎えになられましたことを、謹んで衷心よりお慶び申し上げます。

 昨年十二月二十三日、天皇陛下八十五歳のお誕生日の記者会見でのお姿をテレビ報道で拝覧し、陛下のお言葉を拝聴させていただきました。

 御即位された平成元年にベルリンの壁が崩れ、国際社会は東西冷戦状態が終わりましたが、陛下がお望みになられた「国際平和」への道は必ずしも進展しているとは申せません。幸いにして我が国は直接戦争に巻き込まれることもなく、さまざまな変化・発展を遂げてまいりました。しかし、この平和と繁栄は先の大戦での多くの犠牲と国民のたゆみない努力がもたらしたものであることを、戦後生まれの人々にも正しく伝えていくことが大切であるとも言及されておられました。

 また、火山の噴火、地震、台風、集中豪雨による災害の被災者、障がいをはじめ困難を抱えている人々、百五十年を迎えた海外移民、さらには外国人労働者へのお気持ちなどを、時にはお声を詰まらせながら語られました。

 この会見で、御即位以来三十年間の長きにわたり、常日ごろ国民の生活に思いをいたされ、「国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進」を切に希求し続けられてこられた陛下のお言葉を拝聴しながら、私は止めどなく溢れる涙をこらえることができませんでした。

 顧みれば、平成二十七年十一月十二日、赤坂御苑で催された「秋の園遊会」にお招きいただきました。その折、私の名札をご覧になられた皇后陛下が、「ああ、大阪の……。みなさんにお世話になりました」と、国際花と緑の博覧会のことに関してお言葉をかけてくださいました。それをお聞きになられた天皇陛下からも、「その節は、どうもありがとう」と、お言葉を賜りました。両陛下の優しさと暖かさに全身を包まれた喜び・感激は、決して生涯忘れることはできません。

 皇太子、天皇陛下として、長年にわたり御公務に精励されてこられましたことに、日本国民の一人として深く拝謝いたしますと共に、御譲位後もますますお健やかにお過ごしになられますこと、ご皇室の弥栄を、謹んで御祈念申し上げます。

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杉山 公宏公益財団法人日本動物愛護協会代表理事・理事長
杉山 公宏

「平成」の御世に感謝、乾杯!

 天皇陛下御即位三十年にあたり、謹んで天皇皇后両陛下に祝賀と感謝の言葉を申し述べます。

 両陛下におかれましては、常に世界の平和と国民の安寧、まさに「平成」そのものを祈り続けられ、そしてそれを綿々と行動に移してこられました。この至上の行為には、ただただ感謝の念にたえません。両陛下の末永いご壮健とご多幸を祈念申し上げます。

 さて、世界に視野を広げますと、国外の各地では戦災と天災により多くの尊い命が失われ、そして多くの人が苦しんでいます。一方、わが国の「平成」の世におきましても、幾多の大規模な天災により、多大な人的・物的被害に見舞われました。これらのことは、いずれも心痛の極みです。しかし幸いなことに、「平成」の世におきましては、むごたらしい戦災は皆無です。大変ありがたいことです。

 お陰様で、私は私立大学に勤務した後、動物愛護を標榜する公益財団法人に所属し、無事かつおおむね満足感を持って、八十四歳を迎えることができました。前者においては、獣医病理学の教育・研究に加え、孔子の教えである「敬譲相和」という建学の精神を学生に説いてきました。後者においては、動物への感謝を念頭に、「人と動物の調和ある共生社会の実現」に貢献すると共に、生命尊重、友愛および平和の情操を育む活動に精進しています。

 追記としまして、八年程前からたしなんできました俳句のうち、とりわけ日本の祝いごとに不可欠であります「酒」を標題として老生の駄句、三句を披露させていただきます。ご笑覧いただければ幸いです。

 喧騒の地球に老いて月見酒

 戦なきこの世に老いて菖蒲酒

 「平成」に老いて感謝の年始酒

 「平成」の御世に感謝、乾杯!です。

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鈴木 一光一般財団法人児童健全育成推進財団理事長
鈴木 一光

永遠の象徴

 初めて両陛下の拝謁の栄に浴しましたのは、平成十七年六月九日の「こどもの国」開園四十周年記念イベントでした。「こどもの国」は、昭和三十四年の御成婚を記念して昭和四十年五月五日こどもの日、横浜市に開園した児童福祉法第四十条の児童厚生施設です。この日、「こどもの国」に行幸啓されました。

 ご入室と同時に場内の空気がしんとしました。両陛下は静かに微笑まれながら三方にゆったりと会釈をされて中央に歩を進められました。陛下より寿ぎを賜った後、出席者は個々に内謁を許されました。私には皇后陛下より「どのようなお仕事をなさっていますか」とご下問がありました。「全国の児童館の支援を通して、すべての子どもが幸せに暮らせますよう微力を尽くしております」と言上しました。皇后陛下はゆっくりと頷かれて「大切なことをしていただいておりますね。これからもよろしくお願い致します」と、過分なお言葉を頂きました。しばし頭を低れて感涙を隠しました。

 平成二十三年三月十一日には、東日本を未曽有の大災害が襲いました。その震災で犠牲になられた方々に追悼の誠を捧げるために、毎年三月十一日に国立劇場において行幸啓を賜り挙行される東日本大震災追悼式に、招聘を受けました。両陛下のご尊顔を末席より拝し、その挙措進退に刮目しております。両陛下とも弔意のおことばを述べられる時以外はご着座になられると一時間余りピクリとも動かれません。すごい辛抱です。天皇陛下におかれましては幼少期から国民の象徴を体現されるための訓練を受けられた賜物と敬服いたしますし、皇后陛下のご苦労や如何ばかりかと拝察されます。映像で拝見しても、全国を行幸啓され笑顔で国民の中に分け入ってはお言葉をお掛けになります。日々、気疲れの連続であられましょう。

 想えば、日本人は農耕民族です。自然を尊んで苗から実が獲れればいい。そこへ干ばつや風水害が起こらなければいい。人の力では克服できない自然災害というものを、人間を超えた、超人的な力によって鎮めなければなりません。そういう社会のなかで呪術の力をもったものが神となり、権力をもった。それが天皇の始まりだと思います。いつも国民の為に安寧を願い祈って下さる変易されないお姿は、日本人の確固不動の拠り所になりました。私たちの誇りの象徴としての憧れに不断の精進で日々お応え下さる、天皇の在る国に生きている幸せを、衷心より感謝申し上げます。

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鈴木 哲司日本救急救命士協会会長
鈴木 哲司

皇室中心帰向主義

 今上天皇におかれましては、御即位三十年をお迎えになられ、この佳節に際し日本救急救命士協会の代表といたしまして心よりうれしく御即位三十年を言祝ぎ申しあげます。

 平成の三十年間、天皇皇后両陛下は、大規模な自然災害に際してはいちはやく被災地にお見舞いになり被災民を励まされ常に国民に寄り添ってこられました。東日本大震災では大地震と大津波の被害は関東北部から東北地方にいたる広範囲にわたり、福島第一原子力発電所では冷却装置の故障により、水素爆発により放射能が漏れるという原子力災害が発生しました。日本という国が放射能汚染によって今後どうなるのか、いつ収束するのかとの先の見えない不安と恐怖に国民は苛まされ、日本全体が閉塞感に満ち黒雲に包まれておりました。

 しかし、東日本大震災から五日後の平成二十三年三月十六日、天皇陛下は異例のビデオメッセージを発せられ、日本存亡の危機に際してテレビ画面を通じて被災者と全国民に向けて「お言葉」を賜わられました。まさにこの「お言葉」は、日本の暗闇を照らす光であり、日本国民の心がひとつになりこの国難を天津日継天皇とともに乗り越えていかねばならないという勇気と愛を授かることが出来ました。震災時に危険を顧みず災害現場の最前線で活躍した救急救命士達にも大きな励みとなる「お言葉」でありました。日本人は皇室中心帰向主義において活躍する時、その全能力が発揮されるのです。

 歴代天皇は常に「皇道」をもつて君臨遊ばされたのであります。日本建国の大精神と、国是は、世界の頭脳として「皇道」を活用することは言うまでもありません。

 私どもは、日本建国の大精神を天下に明らかにし、万世一系の皇室の尊厳無比なることを天下に示し、且つ日本の建国の精神は征伐にあらず、侵略にあらず、善言美詞の言霊をもって万国の民を世界平和に言向け和すことを堅く信じております。

 皇室の弥栄と国の隆昌を御祈念いたしまして祝辞といたします。

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関口 慶一佛所護念会会長
関口 慶一

天皇陛下御即位三十年をお祝い申し上げます

 天皇陛下御即位三十年に際しまして、謹んでお祝いを申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、建国以来、連綿と受け継がれる万世一系の皇統のもと、第百二十五代の天皇として御位にお即きになり、三十年の長きにわたって、常に国家と国民の安らかなるを願われ、日々のご公務に勤しんでこられました。

 国事行為や賓客接遇の傍ら、皇后陛下とご一緒に全国各地をご訪問されるなど、その国民に寄り添われるお姿や慈愛に溢れる御心を拝するにつけ、私どもは両陛下に対する尊崇・敬愛の念を深めているところでございます。

 「平成」という元号は、『史記』における「内平外成」及び『書経』における「地平天成」に由来し、「平」の文字は「平和」の意味を有すると伺っております。

 国内におけるこの三十年を振り返りますと、「平成」という時代が、文字どおり戦争のない平和な時代として歴史に刻まれようとしている一方、地震や火山噴火、台風といった自然災害にしばしば見舞われた時代でもありました。特に平成七年の阪神・淡路大震災、平成二十三年の東日本大震災では多くの人々が命を失い、被災地に大きな傷跡を残しました。また、海外においては、平成十三年西暦二〇〇一年に発生した「アメリカ同時多発テロ」が世界に大きな衝撃を与え、以降、国際社会ではテロとの戦いが繰り広げられております。

 このような時代の中で、天皇陛下におかれましては、国家の安泰と国民の安寧のため、常に祈りを捧げてこられました。本年春には、陛下より皇太子殿下に皇位のご継承がなされる由でありますが、長きにわたる天皇皇后両陛下のお務めに対し、国民として深く尊敬と感謝の意を表しますとともに、次なる時代におきましても、皇室を国の中心に仰ぎ、新天皇のもと、国民相携え、異体同心となって、先人たちの築き上げた平和と繁栄を継承し、子孫に手渡していけますよう努めて参りたいと存じます。

 天皇皇后両陛下のご健康・ご長寿と皇室の末永いご繁栄を祈念いたしますとともに、御即位三十年にあたり、改めて衷心より奉祝の誠を捧げます。

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千家 尊祐出雲大社宮司
千家 尊祐

御即位三十年を奉祝して

 天皇陛下におかせられましては、本年めでたく『御即位三十年』を御迎えあそばしましたこと、国民等しく心からお慶び申し上げるところでございます。激動する世界の中で、私ども国民が日本の国のその揺るがぬ御世を仰ぐことが出来るのも、連綿と続く日本の歴史と共にお栄えになられて来た御皇室の御蔭であることは申すまでもございません。平成の御世が三十年の慶節を迎えたことは、私ども国民の喜びであり、『御即位三十年』を皆様と共々に、盛大に御祝い申し上げたいと存じます。

 御譲位を御決断あそばしました天皇陛下には、三十年の歳月を日本国の象徴として御務めになられ、皇室祭祀や国事行為の執行に真摯に向かわれてこられた御姿を思い返すに、日本国の繁栄と私ども国民の安寧を一心に御祈りなさってこられたことへの感謝は、言葉では尽くせないものがございます。

 平成十五年十月三日、天皇陛下・皇后陛下には出雲大社を御親拝あそばされ、皇后陛下にはその御祈りの御心を「出雲大社に詣でて」と御題になり御詠みになられました。

 国譲り 祀られましし 大神の

 奇しき御業を 偲びて止まず

 出雲大社の御祭神大國主大神さまは天の下を国づくりされ、生きとし生けるものの幸せの縁を結ばれたことは、記紀古典に記されるところです。その御神業を「奇しき御業」と尊崇敬拝なさいます御心は「偲びて止まず」との御皇室の究まりない「おいのり」となさっていると拝します。その祈りの精神で国民の幸せを思し召し下さる両陛下の大御心の中に生かされていることに思いを深め、今後益々の御皇室の幸栄えを国民の皆様と一緒に御祈りしてまいりたいと存じます。

 御親拝の御写真を拝見しておりますと、今でも感激が甦ってまいりますとともに、御皇室の御祈りの御心を稽古して、大神様に御奉仕させて戴く喜びを感じております。

 陛下は常に世界の平和と発展・国民の生活に御心を御寄せになられ、私どもはそうした幸せを御祈り下さる大御心の中に生かされていることに思いを深めなければならないとともに、国民一人一人が“絆”という心の橋を架け合いながら、陛下の御期待に添える社会の実現に努め合いたいものです。我が国は国際的に見れば幸福な国家・国民であり、それは天皇陛下が御一心に国家・国民の幸福・安寧を八百万神に御祈りされているからにほかなりません。

 『御即位三十年』を御迎えあそばします天皇陛下の益々の御健勝と大御世の安泰を御祝いさせていただくことを嬉しく思いますとともに、併せて世界の平和と日本国の弥栄を祈念致しまして、御祝寿の言葉とさせていただきます。

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千家 隆比古出雲大社教管長
千家 隆比古

御即位三十年を御祝寿申し上げます

 天皇陛下におかせられましては御即位より三十年の長き月日を国民と共にお歩み戴きましたことに衷心より感謝申し上げ、御祝寿申し上げます。また最も御側近くで天皇陛下をお支え続けられました皇后陛下に対しましても深い感謝の誠を捧げずにはいられません。

 天皇皇后両陛下は全国の各地を御訪問あそばされました。通常の御公務ばかりではありません。地震、豪雨などの自然災害の被災地の御見舞いのため、先の大戦にてお亡くなりになった方々の国内外での慰霊の御拝のため、さらには離島や福祉施設にまで直接お出かけになり、深い祈りを捧げられ、お優しい労いの御言葉をお掛けになられました。御言葉は戴かれた方のみならずその所所にとっての希望の光となりました。

 被災者、お年寄りや子どもたちなどと同じ目線で、しっかりと相手をご覧になりお声を掛けられるその御姿は我が子を労る親の姿にも重なり、天皇陛下の御言葉にあります「国民と共に」の国民はまさに全国民であることを心に刻ませて戴きました。

 第十六代仁徳天皇は家々から竈の煙が立っていないことに、国民の暮らしが苦しいことを慮られ、課税を停止し、自らに質素な生活を課せられました。やがて国民の暮らしぶりは回復し、“高き屋に登りて見れば煙立つ 民の竃はにぎはひにけり”とそのお喜びをお詠みになられました。天皇陛下におかせられましても、「国民と共に」と受け継がれたその大御心を体された三十年であったと拝察申し上げます。

 明治の初め、出雲大社教初代管長千家尊福は、正月に歌われる唱歌「一月一日」を作詞いたしました。結びにこの歌に三十年の感謝と奉祝の慶びを籠め、そして新しき大御世のますますの平和を御祈念致し、御祝寿の言葉とさせて戴きます。

 年の始めの例とて 終なき世のめでたさを

 松竹たてて門ごとに 祝う今日こそ 楽しけれ

 初日のひかりさしいでて 四方に輝く今朝のそら

 君がみかげに比えつつ 仰ぎ見るこそ 尊とけれ

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竹井 芳明一般社団法人日本鳩レース協会会長
竹井 芳明

天皇陛下と「鳩」

 天皇陛下と「鳩」との結びつきを思いますと、何と言っても陛下の皇太子時代に英国エリザベス女王戴冠式に昭和天皇の名代として、列席された時にあります。

 昭和二十八年三月三十日、皇太子殿下は米ウィルソン号で横浜港を出港しました。まだ写真電送の技術が発達していない時代です。同行した新聞記者にとってウィルソン号の船上でくつろぐ皇太子殿下の写真をどうやって本社まで届けるかが問題だったのです。その難問を潜り抜け、大特ダネをものにしたのが毎日新聞の伝書鳩です。その伝書鳩はフィルムを入れた通信管を脚に付けて、しっかり運んだのです。太平洋上から実に四〇〇キロを飛んだことになります。因みに言えば現在の日本鳩レース協会の北海道から関東平野へ向けて飛ぶ東日本稚内グランドナショナルレース、東日本チャンピオンレースでのレース鳩の飛翔距離は一〇〇〇キロですから、その後の「鳩」の形質は格段に向上したことになります。

 通信伝令となった鳩のフィルムは毎日新聞で写真に焼き出され、四月二日付朝刊紙面に載りました。見出しが感動的でした。「私は力の限り飛んだ」。しかしながら、このスクープが伝書鳩としての最後の華でした。伝送技術の発展です。戦時中の軍用鳩がその役目を終えて、更に新聞社・通信社の伝書鳩の歴史も、昭和四十年代で幕を降ろしました。

 伝書鳩による実用通信から退場した「鳩」は、現在、鳩レースの場面で活躍しています。その距離は一〇〇キロから一〇〇〇キロまでに及んでおります。レースという名称を付けておりますが鳩レースには特殊性があります。鳩の帰巣本能を利用していますので、同一日の全国大会が開催出来ません。また晴天の日のみ、レースは行われます。奉祝の式典の日、祭典の日で、行われる各地の鳩レースでは祝意を込めて、会員一同、レース鳩を飛翔させたいと思っております。

 結びにあたり、国民と日本国のことを常に考え、ご公務におつきになってこられました天皇皇后両陛下のご活動に感謝申し上げるとともに、今後ともご健康に留意されますことをお祈り申し上げ、ご即位三十年奉祝の辞とさせて頂きます。

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竹田 恆和日本オリンピック委員会会長
竹田 恆和

心を込められた一語一語への感謝

 天皇陛下におかれましては、ご即位後三十年という長きに亘りまして常に変わられることなく、人々の傍らに立たれ、思いに寄り添われ、国民の幸せ、さらには諸外国との友好親善を通して、広く世界の平和と繁栄を願ってこられました。陛下のたゆまぬご活動に心から感謝申し上げます。

 また、スポーツ界に身を置くものとして、国民体育大会やオリンピック、パラリンピックの選手をはじめとするスポーツ関係者への陛下から賜りました多くの励まし、そして慰労のお言葉にも、改めてお礼とともに深く感謝申し上げます。

 今年は東京二〇二〇大会の一年前となり、スポーツ界にとりまして大変重要な年となります。大会運営面では準備の実践段階となり、選手強化の面では、日本代表候補選手が名乗りを上げてまいります。

 一方、テレビで日本とオリンピックの半世紀にわたる物語が話題を集めスタートいたしました。日本人初のオリンピック選手となったマラソンの金栗四三選手が主人公の一人で、オリンピック初参加に向けて悪戦苦闘する嘉納治五郎先生も登場し、オリンピックへの国民の関心が一層高まることを期待しております。

 日本オリンピック委員会は、平成二十三(二〇一一)年、日本体育協会(現日本スポーツ協会)と共に創立百周年を迎えました。明治四十四(一九一一)年に嘉納治五郎会長の下で大日本体育協会として創立され、嘉納会長は、協会が日本を代表する国内オリンピック委員会であるとともに日本におけるスポーツ振興の中核的存在になることを願って、その活動をはじめ、百年の歴史が刻まれてまいりました。

 百周年記念式典には、天皇皇后両陛下のご臨席を賜り、天皇陛下よりお言葉をいただきました。その式典の前日、宮内庁から一本の電話が入りました。準備されているお言葉に陛下自ら気にされたことがお有りのようで、担当者からの事実確認の連絡でした。

 陛下がお言葉の一語一語に至るまで、心を込められた準備をなされていたことに、常に誠心誠意、国民のことを思われるお姿そのものと、感動と感激を覚えました。

 式典当日のお言葉は、百年という歴史を振り返られ、日本のスポーツが多くの先人の努力の上に築かれたことに深く思いを寄せられて、最後に「日本体育協会と日本オリンピック委員会が交流を深めつつ互いに助け合い、高め合って、スポーツの発展に尽くされることを願います」との大変有難いお言葉でした。このお言葉を胸に、日本のスポーツ界発展のために、まずは東京二〇二〇大会の成功に向けて全力を尽くす所存です。

 最後になりますが、両陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄を祈念申し上げ、ご即位三十年の奉祝に寄せる言葉とさせていただきます。

 (平成30年11月27日 天皇陛下御即位三十年奉祝委員会設立総会 祝辞の内容に加筆修正いただいた内容です)

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辰 守弘真清田神社宮司
辰 守弘

剣璽御動座の感激

 昭和四十八年、伊勢の神宮では第六十回式年遷宮が執り行われた。その翌年、昭和天皇様の御親閲があり、地元伊勢の大学の武道部だったこともあり、内宮前で先輩の命令の下、警察に協力しながら警護の一役を担ったことがあった。その時は良くわからなかったが、後年少しずつ理解も深まっていき、戦後長らく中断されていた「剣璽の御動座」が、その節見事に復活なったのであった。その時に、戦後史に燦然と輝いている葦津珍彦先生もお出迎えなされており、良くわからぬ我等学生も先生と一緒に写真に収まっていたことが、「葦津珍彦先生追悼録」で確認できる。まさに閉ざされていた歴史が、遷宮後の御親閲で見事息を吹き返して今日に至って居り、歴史の重みを感ずる出来事であった。

 その歴史的なことがなってから十五年、国民の切なる祈りが捧げられる中、昭和から平成へと御代が替わり、今上陛下様が祖宗の神器を承け給いて践祚なされたのであった。この上なき感激であった。

 一連の即位儀礼がなされた後、昭和天皇様が熱望していたが果たされなかった沖縄御訪問を、両陛下がどこの地域より先に果たされたことを知る我等は、有り難きことと感激して、平成の願いそのままの元号を戴きながら、今日まで歩んで来ている。

 当たり前のことを当たり前にというのが神社人のスタンスなのだが、敗戦後占領軍が行った影響が未だそこかしこにあり、戦前の日本人が持っていたものをもう少し見直して歩んで行ければ、祖国日本も輝いて行くことだろう。

 國のシンボルの国旗にさえ敬意を表し得ない人が、占領中ならいざ知らず、今も多くいるのだから情けない限りなのだが、それほどにまだ占領の影響下にあるのが現状である。国立大学の学長ですら、国歌国旗などに関しての自覚が乏しいのであるから、精神の汚染祓いはまだまだといわざるを得ない。

 平成が輝いた時代であったと云われるように、あと少し覆う群雲が晴れて、光りが輝き出すように我等は勤めていきたいものである。

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田中 安比呂賀茂別雷神社(上賀茂神社)宮司
田中 安比呂

御即位三十年を寿ぎ奉る

 今上陛下におかせられましては旧臘二十三日恙無く八十五歳の御宝算を数えられ本年一月には御即位三十年を目出度くお迎え遊ばされましたこと誠に慶賀の至りであり謹んで奉祝の意を捧げる次第でございます。当神社では桓武天皇の御代に第一回が斎行されてより二十一年毎に式年遷宮を斎行する定めがございます。其の第四十一回斎行直後の平成六年十一月八日に明治天皇以来で皇后陛下とお揃いでは初の御親拝を賜り、続く第四十二回斎行の翌平成二十八年十月二十五日にも同じく行幸啓遊ばされ御親拝を賜りました。その際には小職が鳥居前に御着から御先導申し上げ、御親拝後当神社参集殿で御休息時に御呼びがあり親しく両陛下に謁を賜りました事は終生の想い出で光栄の極みに存じております。

 また、全国神社の例祭等で特に今上陛下のお使いである勅使の御差遣を賜る「勅祭社」と呼ばれる神社が伊勢の神宮を筆頭に当神社を含む十七社ございますが、毎年夏頃に該当神社の宮司・権宮司が御所に於いて謁を賜る慣例がございます。此の時その年の当番幹事社宮司が代表して陛下に対し奉りお言葉を申し述べさせて頂く栄誉があり、小職は東日本大震災発生翌年の平成二十四年に恐懼に堪えない乍らも只管感謝と大身体のお健やかなる事を願う拙きご挨拶を申し上げた事を緊張感と共に忘れる事が出来ません。

 小職が奉職致します此処京都の地は陛下父祖の地でございますので度々行幸啓遊ばされます砌、京都御所での奉送迎ご案内を頂戴し有難く参上致します。両陛下は順次奉送迎者に御会釈を賜りつつ歩を進められますが、ある時侍従の方が小職を紹介された刹那に皇后陛下におかせられましては「何時も卯杖を有り難うございます」と発せられました。此の卯杖とは正月初卯の日に皇室の弥栄をご祈願申し上げ毎年献上致しております当神社の縁起物ですが、当神社名をお聞きになり直ちに先の御言葉を発せられた訳で、皇后陛下の御心を拝して心で涙し敬慕の念が弥増した事は申す迄もありません。

 かような御心遣いで今上陛下の御側に六十年寄り添われ支え続けられた皇后陛下も今後は上皇后陛下と御成になりますが、上皇陛下と共に愈大身体健やかに天機麗しくお達せられますようご祈念申し上げ擱筆と致します。

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田中 恆清神社本庁総長
田中 恆清

各界互いに連携を図り、国民挙っての奉祝運動を

 本日ここに、ご参集の皆様方の賛同を得まして、天皇陛下御即位三十年の奉祝委員会が発足いたしました。

 常に国家・国民の安寧を祈り続けてこられた天皇・皇后両陛下の、この三十年のご活動に対し、国民がこぞって感謝の誠を捧げることができるよう、今後中央では、先ほどご承認戴きました奉祝行事について、誠心誠意取り組んで参る所存です。

 また、来春には今上陛下は御位をお譲りになられ、皇太子殿下が第一二六代天皇として御即位あそばされます。秋には皇位継承の儀式が古式ゆかしく厳粛に執り行われます。それに伴いまして、本奉祝委員会も「天皇陛下御即位奉祝委員会」として、引き続き新天皇の御即位を寿ぐべく奉祝活動を展開して参ります。

 各省庁では、御即位三十年、そして新しい天皇様の御即位を奉祝する記念事業について計画を進めており、また民間においても、天皇陛下御即位三十年の奉祝行事についてすでに計画・実施されている地域もあろうかと存じます。今後、全国四十七都道府県のすべてにおいて奉祝委員会が設立され、国や地方自治体、そして民間の各種団体が互いに連携を図り、国民が挙ってこのご慶事をお祝いする機運を醸成して参りたく存じます。

 本日発表いたしました奉祝事業が、全国各地においても所期の目的の通りつつがなく執り行われ、天皇陛下の大御心に添うことができますよう、本日ご参会の皆様方にはご尽力を戴きますことをあらためてお願い申し上げまして、閉会のご挨拶とさせて戴きます。

 (平成30年11月27日 天皇陛下御即位三十年奉祝委員会設立総会 閉会の辞 より転載)

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丹澤 忠義公益社団法人全国運転代行協会会長
丹澤 忠義

すめらぎを祝い奉りて咲きほこる白雪まとふ紅椿たち

 天皇陛下が御即位三十年をお迎えになられましたことを、心よりお祝い申し上げます。

 そして、この「平成の時代」の、三十年の長きにわたって、天皇皇后両陛下が、常に私たち国民に心を寄せてくださり、深い慈しみと温かな励まし、そして、いかなる時にも心穏やかになれる安らぎをくださったことに対しまして、衷心より感謝申し上げます。

 また、天皇陛下への奉祝のお言葉を献呈申し上げるという大変光栄な機会を頂きましたことに、このうえない感慨深さを感じますとともに、身が引き締まっております。

 私ども公益社団法人全国運転代行協会は、「国民の皆様が安心して生活できるよう、日本社会から飲酒運転をなくす」という社会的使命を担う運転代行業の、更なる利便性の向上と普及促進の活動を行っております。このような私どもの日々の活動が、常に「国家の安泰と国民一人ひとりの幸せ」をお祈りくださっている両陛下のお気持ちに、幾ばくかでもお応えできているのでありましたら、この業界に携わっております全ての者にとりまして、これ以上幸せなことはございません。

 現在、私は八十代の齢で当協会を舵取りする任に就いておりますが、運転代行業が交通安全に資する産業として、国民の皆様から更なる厚い信頼を寄せて頂けるよう力の限りを尽くし、そして次代の担い手へと継承し、日本という素晴らしい国が、安全で安心して暮らせる国であり続けるよう、微力ながら貢献いたしたいと考えております。

 折しも、雪化粧の中で咲いております幾多の真紅の椿を目にしますと、まるで日本国の国民がこぞって、日の丸を掲げて、天皇皇后両陛下と古から続いている皇統へ、御祝いと感謝を申し上げているようでございます。そして、厳しい寒さの中にあっても美しく咲いているその花々の様子から、「私たち日本国民は、どんな逆境の時にあっても、その困難を乗り越えてくることができました。いつも私たちに寄り添ってくださり、そして励ましと勇気をくださいまして、本当にありがとうございました」という、両陛下への、どれほど感謝申し上げても申し上げ尽くせない想いを込めまして、表題の歌を詠ませて頂きました。

 天皇皇后両陛下におかれましては、いついつまでも御身お健やかに、穏やかにお過ごしになられますことを心よりお祈り申し上げ、ここに謹んで御祝詞申し上げます。

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反田 邦彦長崎県コアの会塾頭・長崎県防衛協会常務理事
反田 邦彦

提灯奉迎にお応えを賜った感激

 天皇陛下におかせられましては、お健やかに御即位三十年をお迎えあそばされました。このご慶事を謹んでお祝い申し上げます。

 天皇皇后両陛下には、この平成の三十年の間に六回も長崎県に行幸啓を賜りました。

 その最初は、平成二年五月の第四十一回植樹祭ご臨場のためでありました。そのわずか一年半ほど前に、当時の長崎市長が昭和天皇へ不敬極まる暴言を吐いたことで、心ある長崎県民は申し訳なさに深く胸を痛めており、新たに即位された両陛下を真心こめてお迎えしたいと、沿道では人の波が途切れることなく皆国旗を振り、お泊りの長崎市、諫早市、小浜町(当時)ではいずれも提灯奉迎を実施し、三夜に亘って多くの人々が提灯を掲げるという、まさに長崎県を挙げての奉迎となりました。

 以来、平成三年の雲仙・普賢岳噴火に伴う被災地お見舞い、七年の戦後五十年の御慰霊、同年の雲仙・普賢岳噴火災害復興状況ご視察、十四年の第二十二回豊かな海づくり大会ご臨席、そして、二十六年の第六十九回国民体育大会「長崎がんばらんば国体」へのご臨場と、行幸啓を仰ぐ度に、長崎県民は心の限りに奉迎の誠をお捧げしてきたのでありました。

 私は、平成二十六年、「長崎がんばらんば国体・がんばらんば大会奉迎実行委員会」(名誉顧問・中村法道県知事、会長・上田惠三日本会議長崎会長当時)の運営委員長を拝命し、両陛下、そして皇族方の奉迎活動に携わらせて頂きました。県内自治体、法人・企業・団体・個人有志の皆様のご協力を戴いて、長崎県挙げての奉迎活動ができました。

 中でも、とりわけ感激が胸に刻まれていますのが、諫早地区奉迎実行委員会(会長・黒田隆雄諫早商工会議所会頭)様と協力して実施しました、十月十一日の諫早市での提灯奉迎でありました。諫早市では二十四年ぶりのことで、実施までには様々な困難がありましたが、当日、予想をはるかに上回る約一万人もの市民・県民が集って、一斉に提灯を振り、「ありがとうございます」「天皇陛下万歳」「皇后陛下万歳」「両陛下万歳」と一同奉唱して両陛下をお迎え申し上げました。両陛下もお部屋から提灯を振ってお応えになられました。

 皇室と国民が提灯を通して心が一つになるような、温かい思いで一杯となった感激の体験でありました。翌日、宮内庁より「昨日の提灯行列が素晴らしかった」とのお言葉が伝えられ、大変ありがたい思いに、一層感激を深く致しました。

 天皇陛下には、本年四月三十日に御譲位の由と承っております。天皇皇后両陛下から賜ったこの感激に皇室を戴く日本国民としての幸福を胸に刻んで、五月一日よりは新帝陛下の下、皇室の末永いご繁栄を祈念し、誇りある日本の国づくりに、なお一層力を尽くして参りたいと存じます。

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月岡 隆石油連盟会長
月岡 隆

日本のエネルギー安定供給への貢献に向けて

 天皇陛下御即位三十年にあたり、ここに謹んでお慶びを申し上げます。

 平成の御代は、石油業界にとって激闘の時代でありました。平成八年の石油製品の輸入全面解禁で本格的な自由化を迎え、人口減少やエコカーの普及から平成十二年に需要は減少局面に移行しました。これらの変化を背景に過当競争に陥ったことが一因となって業界再編が進み、かつて十三社あった石油元売は大手三社グループに集約されました。

 平成の三十年間はまた、大規模自然災害との闘いの時代でもありました。畏くも天皇陛下におかせられましては、多忙なご公務の中にあっても、国家、国民の安寧を祈り、精力的に日本全国におみ足を運ばれて被災者や災害復興に向けて各分野で努力する人々を労われ、激励されるお姿をお示しになられることで、日本国民に勇気をお与えくださったことにあらためて深謝申し上げます。

 石油業界では、日本国民の生活を支える石油の安定供給に万全を尽くす為、過去の災害の教訓を活かして、製油所・油槽所・給油所における強靭化対策の取組みを積極的に推し進めてまいりました。関係各位の努力が実り、北海道胆振東部地震においては、製油所陸上出荷の早期再開、非常用発電機設置給油所の早期再開によって消費者の混乱を最小限に抑える等、これまで培ってきた災害対応力を遺憾なく発揮することができました。一方で、全道ブラックアウトという想定外の事態に対し、信号停止による物流網の混乱、非常用発電機の能力不足による出荷基地供給能力の制限等、新たな課題も浮き彫りになってまいりました。地形的にも気象的にも自然災害の多い日本において、災害への備えは果てし無い改善の繰り返しであります。今後も引続き関係省庁にご協力頂きながら、より一層災害対応力を高め、国土強靭化に資する取組みを推進してまいります。

 加えて、地球規模での気候変動が課題になっている今日、温暖化対策も化石燃料に由来するエネルギー供給を主力事業とする石油業界にとって重要な課題です。新興国の経済成長がもたらすエネルギー消費増大を抑制する有効な手立てがない中、低炭素社会の実現に向けた世界規模での持続可能性追求のために、日本の石油業界が果たすべき役割はとても大きいと考えています。

 今後も国土強靭化及び低炭素社会の実現に向けた取組みを通じて、この美しい日本を守り続けることをお誓い申し上げて、御即位三十年のお祝いの言葉とさせていただきます。

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坪井 明治全国商店街振興組合連合会理事長
坪井 明治

皇室と国民の絆がさらに深まりますように

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年を迎えられましたことを謹んでお祝い申し上げます。

 平成を振り返ると、国の内外において様々な出来事が発生いたしました。国外においては、湾岸戦争を始めとする各地域での紛争や同時多発テロに代表される各地での相次ぐテロ、地球温暖化等の世界的環境問題、著しく発展し続ける情報化社会への変革などがありました。また、国内においては、北朝鮮による拉致被害者や地下鉄サリン事件などの悲しく痛ましい事件、政治、経済の混迷に加え、東日本大震災や各地で多発している大規模な自然災害など、激動の時代だったと言えましょう。

 天皇陛下におかれましては、御即位後「日本国と日本国民統合の象徴」というお立場として、国事行為の重責を担われてこられました。

 皇居での公務をはじめ、皇后陛下とご一緒に友好親善のための諸外国ご訪問及び国賓・公賓のご接遇、先の大戦で尊い命を亡くした戦没者や遺族への慰霊、全国各地で開催される行事等へのご出席など、全国四七都道府県への行幸は二巡にまでわたり、国民と苦楽を共にされた昭和天皇の御心を受け継ぐように、常に国民の幸福を祈り、国民に寄り添い、国民の声を受け止め、国民と共に歩まれてこられました。特に、昨今頻繫に発生している大規模自然災害では、いち早く被災地をお見舞いになられ、膝を屈めて被災者一人一人を励まし、労い、勇気づけておられるお姿は多くの国民の心に強く刻まれております。天皇皇后両陛下のお姿と慈愛に満ちたお言葉に、国民は大きな感動と敬愛の念を抱くと共に深い感謝の意を捧げるものです。

 私ども商店街振興組合連合会は、地域の商店街振興組合と共に地域コミュニティの拠点として公共的な役割・機能を担い、地域経済や雇用を支え、知恵を絞り、工夫を凝らしながら様々な課題に取組み、魅力ある地域づくりを目指して地域振興に努めて参りました。

 今後さらに地域の伝統・文化の継承や、潤いある国民生活に寄与すると共に、我が国の一層の繁栄に向けて日々の努力を重ねてまいる所存でございます。

 結びに、改めて皇室の弥栄をご祈念申し上げると共に、皇室と国民の絆がさらに深まることを祈念し、天皇陛下御即位三十年のお祝いの言葉とさせていただきます。

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出口 紅大本教主
出口 紅

御即位三十年を言祝ぎ奉りて

 御即位三十年をお迎えになられました天皇皇后両陛下に対し奉り謹んでお祝いと感謝の言葉を申し上げます。

 畏くも今上陛下におかれましては、戦後の荒廃期から現代に至るまで、日本の平和と繁栄の礎を築いてこられた昭和天皇様の御心を平成の御世へと受け継がれました。

 ご即位になられましてからは、いついかなる時にあらせられましても、宮中祭祀を通じ国民の安寧と幸せを祈り、日本国の繁栄と世界平和実現に大御心を捧げてこられましたことに衷心より感謝の誠を捧げますとともに、日々ご壮健でご活躍されてこられました、今上陛下のご聖寿の万歳とご健康をご祈念申し上げる次第でございます。

 宮中祭祀やご執務など、日々ご多端のご公務に加え、二度にわたる外科手術をお受けになられ、御体力的にも大変お厳しいと思われる中でも、全身全霊をもって国内外の御行幸を精力的に行われる御姿を、深く敬愛の念をもって拝見させていただいておりました。

 大規模災害に際し、両陛下御自ら現地におもむかれ、罹災された人々に膝をおつきになって激励されるお姿に、罹災者だけでなく、日本国中が勇気づけられ、救われた気持ちになりました。また、先の大戦によって犠牲となられた戦歿者やご遺族に対しても深い御心を注がれ、慰霊の御旅によって多くの国民の心に寄り添ってこられました。

 平成二十八年八月八日、陛下自ら「ご退位」のご意向を示されたことを驚きと共に受け止めさせていただきましたが、天皇陛下のご退位は、江戸時代後期 文化十四(一八一七)年に第百十一代の光格天皇が仁考天皇に譲位されて以来、約二百年ぶりの御譲位であると承っております。

 憲政史上初めての御譲位であり、そのお言葉を漏らされるに至ったご経緯と数多のご苦悩を思うとき、そのご心中がいかばかりかとお察し申し上げます。

 本年四月末日、皇位を皇太子殿下に御譲位なされ、新帝陛下が践祚御即位され第百弐拾六代天皇として国内外に御即位を宣明されると伺っており、日本にとって真に重大な御代替りの時を迎えることと相なります。

 新帝陛下の大御代の平安と安泰を祈り、新元号の下、微力ながら誠心誠意、奉祝の誠を捧げさせていただきたく存じます。

 両陛下に対し奉り、誠に畏れ多いことではございますが、長きにわたりご尊職、ご重責をお務めになられたご尊苦に対し奉り、謹んで感謝申し上げます。

 天皇陛下ご即位三十年を機に、天皇皇后両陛下のますますのご健勝と皇室のご繁栄を心よりご祈念申し上げ、私のお祝いの言葉とさせていただきます。

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遠田 和夫日本行政書士会連合会会長
遠田 和夫

天皇陛下御即位三十年を寿ぎて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の嘉節をお迎えになられましたことを、謹んでお祝い申し上げます。天皇陛下におかれましては、国家の安泰と国民生活の安寧のために常にお心を砕かれ、また、近年は多発する自然災害の折々に皇后陛下と御一緒に被災地域を訪れて、被災者の方々を慰問されるお姿に崇敬の念を抱きますとともに深甚なる感謝を申し上げます。

 行政書士制度は、本年二月二十二日に、行政書士法公布より六十八年目を迎えます。その長い歴史を振り返りますと、まず一番に思い出されるのは、天皇皇后両陛下の行幸啓を賜り、平成十三年二月二十二日に挙行いたしました「行政書士制度五十周年記念式典」です。

 私は、当時、佐賀県行政書士会副会長の職にあり、式典に出席しておりました。「行政書士は、常に変化する社会の中にあって、その業務を通じ、国民がその権利や利益を守ることを助け、また、行政手続の円滑な実施に役立ち、我が国の経済社会の安定と発展に寄与してきた。」との陛下のお言葉に感激し、そのときに感じた行政書士としての矜持を、日本行政書士会連合会会長となった現在も業務の励みとしております。

 あの式典から十七年の歳月が過ぎ、行政書士に求められる役割も変化してきております。我が国における社会情勢の変化は目まぐるしく、情報技術の進歩により、近い将来、我々行政書士の業務をAIが担うようになると言われる一方で、近年の日本で働く外国人の急増や空き家問題をはじめとした社会問題の解決においては行政書士の活躍が期待されております。また、超高齢化社会を迎え、成年後見人をはじめとした高齢者支援活動や、近年多発する自然災害に際しては、各被災地域で被災された方々や被災された自治体への支援活動を行うなど、国民と行政の様々な要望に応えるために、行政書士として培った知識と経験をもって活動の幅を広げてまいりました。

 これからも、天皇陛下のお言葉のとおり、「国民生活に密着し、国民と行政とを繋ぐ行政書士」として、研鑽を重ねて、国民に寄り添い、社会の発展の寄与に努めてまいります。

 天皇皇后両陛下の益々の御健勝と皇室の弥栄を心から御祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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利根 康教寒川神社宮司
利根 康教

御即位三十年を祝して

 謹んで聖寿の万歳と御皇室の弥栄を言祝ぎ、国家の繁栄、世界の恒久平和を衷心より祈念申し上げます。

 畏くも今上陛下におかせられましては、御即位より三十年という佳節をお迎えになられましたこと、誠に御目出度く慶賀に存じ上げます。

 天皇陛下には、御即位以来、多くの御公務を担われる中で国家の平和と国民の安寧を祈られてこられました。陛下の祈りを込められた言動とお姿は、世界各国から多くの尊敬と賞賛を頂戴し、国民一人一人のことを常に考えてこられた陛下の御心を感じるたびに、私は日本という国に生まれて本当に良かったと誇らしく思っております。

 さて、当神社では教化啓発のために、月毎に御製を境内に掲示しております。多くの御製を拝見しておりますと、御製は四季の変化を詠まれたものもございますが、震災を始めとした自然災害に見舞われた地を思って詠まれたもの、先の大戦にて祖国のために尊い命を捧げた御霊を偲ばれて詠まれたものが数多くあり、私はどうしてもそれらの御製には目がとまってしまい、陛下の国民の生命を案じられる心情と、国家の平和を常に考えられている御心に温もりを感じてしまいます。

 本年の歌会始においても震災への思いを御製で詠まれており常に国家国民のことを思われる陛下に改めて深い感銘を受けております。

 「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」という語源の平成の御代が、国内においては多くの自然災害はございましたが、戦争のない平和が実現でき得たことは、陛下の祈りの御心が実現されたことであると確信しております。

 私たちはこのような世界に誇れる国家である日本を守り伝えると共に、国民全体がこぞって奉祝の機運を高めていかねばなりません。五月に控える御代替りを通じて、皇室と国家国民がより一層の強い絆で結ばれていくことを祈念しております。

 末尾にあたり、天皇皇后両陛下の益々の御健勝と皇室の弥栄を心からお祈り申し上げまして、奉祝の言葉とさせていただきます。

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冨永 洋一一般社団法人日本コミュニティ放送協会代表理事
冨永 洋一

御即位三十年を寿ぎ

 天皇陛下の御即位三十年、並びに天皇皇后両陛下の御成婚六十年を、衷心よりお慶びお祝い申し上げます。

 また、図らずも「天皇陛下御在位三十年奉祝委員会」の委員として末席にお加え頂いた事、このような栄誉に感動し、心より感謝申し上げます。

 私達、(一社)日本コミュニティ放送協会は、市町村、または生活圏を対象エリアとするコミュニティ放送局の業界団体であります。

 平時は、放送を通じてそれぞれの地域の街づくりや活性化に取り組み、災害時には、放送内容を災害対応に切り替え、被災地の皆様に必要な情報を提供する事を目的としており、無くてはならない「ライフラインメディア」として各地域で尽力しております。

 陛下は、平成の御代に多くのご公務の中、国安かれ、民安かれとお祈りなされつつ、歴代天皇として、初めて全都道府県をくまなく二巡り行幸啓なされ、常に和やかな笑顔で国民に寄り添ってくださいました。

 なかでも、様々な福祉施設や、被災地で被害にあわれた方々に膝をついて目をしっかりと見つめられ、慈愛に満ちたお言葉を掛けられるご様子は、被災者の方々のみならず、ニュース映像で拝見する私達まで心が熱くなり、感動を与えてくださいました。

 また、海外を含め、先の大戦の激戦地をご訪問され、戦没者慰霊を重ねてこられましたことも、忘れずにはいられません。

 私達、国民は、その大御心に深い感動と深甚なる感謝の念を持ち続けております。

 天皇皇后両陛下には、私の居住する山口県に平成二十三年山口国体、平成二十四年全国植樹祭にご臨席の為、行幸啓されました。

 空港やご訪問先はもとより、沿道の至る所に日の丸を持った人波の光景は、今まで見たこともなく、県民に脈々と受け継がれたご皇室への尊崇と敬愛の心を改めて確認でき、心が熱くなる思いでした。

 また、下関市で行われた「県民の集い 提灯奉迎」では午前より、予定をはるかに超えた多くの皆さんが参集され、御在所まで提灯行列を行い、夕闇が深まる中、御在所の灯りが消えると、両陛下がお出ましになり、お手持ちの提灯を縦に横にとお振りになられました。

 参会者もそれに併せ、提灯を振る中、「君が代」の大合唱、聖寿万歳の声も一段と目の前の関門海峡に大きく響き、両陛下と、感涙にむせぶ参会者の心が一つになった瞬間を体感し、日本人であることに感謝と誇りを自覚しました。

 国民と共に、喜びや悲しみを我がこととして受け留められ、我が国と世界の平和と幸福を祈られる天皇皇后両陛下のお姿に、私達、国民は感動するとともに、心より感謝を申し上げます。

 結びに、両陛下のご健勝と、ご皇室の益々の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせて頂きます。

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鳥原 光憲公益財団法人日本障がい者スポーツ協会会長
鳥原 光憲

天皇陛下御即位三十周年感謝の言葉

 天皇・皇后両陛下におかれましては、皇太子殿下の頃から長年に亘り障がい者スポーツにお心をお寄せいただき、障がい者のスポーツ活動に深いご理解とご支援をいただいておりますことに対し、心から感謝し御礼を申し上げます。

 一九六四年、当時皇太子殿下であられた陛下は、東京パラリンピックの名誉総裁に御就任され、妃殿下とともに連日競技会場に足を運ばれ競技をご観戦いただきました。大会後には、陛下のお言葉がきっかけとなり、翌年には当協会(当時:日本身体障害者スポーツ協会)が設立され、同年岐阜県で第一回の全国身体障害者スポーツ大会(現在の全国障害者スポーツ大会)が開催され、現在では十五競技三六〇〇名の選手が参加する大会にまで発展しました。両陛下は第一回から平成二年に皇太子殿下にお譲りになるまで、二十回以上にわたりほぼ毎年ご出席され選手に対し激励のお言葉をかけられ、多くの選手が感激を受け励まされました。また、陛下はパラリンピックなどの国際大会で活躍した選手を御所や皇居に招宴され、選手に対しねぎらいと励ましのお言葉をおかけになるなど常にお心をお寄せいただきました。

 当時のエピソードとして、陛下が招宴等において二〇〇四年アテネパラリンピック大会水泳金メダリストの成田選手にライバルであったドイツのカイ選手が逝去した話をされたことや、二〇〇〇年シドニー大会の日本代表選手団主将で水泳の金メダリストの河合選手に幼少時の弟と一緒にプールに通っていたことをお話されたこと、また、夏・冬のパラリンピック金メダリストである土田選手は二〇〇八年北京大会で大怪我した話やその後の体調を心配されていたことを人づてに聞いたことなど、両陛下が多くの選手のことを詳しく存じ上げられていることに皆驚きと感激を受け、その後の励みになったことなどが挙げられます。

 最近では、陛下には障がい者スポーツの更なる普及と発展を願われ、平成二十八年のリオデジャネイロパラリンピック大会、平成三十年のインドネシアアジアパラ大会から御下賜金を賜るとともに、平成三十年には車いすテニス、車いすバスケットボール、車いす駅伝の大会に対し、障がい者スポーツでは初めてとなる天皇盃、皇后盃を御下賜いただきました。

 このように、日本の障がい者スポーツは天皇・皇后両陛下はじめご皇族の皆様に常に見守られ発展してまいりました。陛下やご皇族の皆様には心から感謝し御礼を申し上げるとともに、陛下の熱い思いを受け止め、来年開催される東京二〇二〇パラリンピック競技大会の成功とその後の障がい者スポーツのさらなる発展に向けて関係者一同一層の努力をしてまいる所存であります。

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中澤 靖夫公益社団法人日本診療放射線技師会会長
中澤 靖夫

天皇陛下御即位三十年、誠におめでとうございます

 天皇陛下御即位三十周年の嘉節をお迎えになられましたことを、心よりお祝い申し上げます。また、御即位三十年奉祝委員会の設立にあたり奉祝委員就任のご指名を頂き、たいへん栄誉なことと感激いたしております。

 我が家では天皇皇后両陛下のお写真や皇室の皆様方のお写真が幼いころから飾ってあり、床の間には天照皇大神の掛け軸が鎮座しておりました。父が毎朝神棚にご飯とお水をお供えし、お祈りをささげ、祝日には必ず国旗を門に掲揚し、国家の繁栄と世界平和をお祈りしていました。その習慣は今も昔と変わることなく、引き継いで実行しています。私の経験の中で皇室の窓が大きく深く開けたのが昭和三十四年四月十日、皇太子明仁親王と美智子様のご成婚パレードでありました。お幸せそうなお二人を家族みんなでテレビを見ながら拍手をしながらお祝いさせて頂いたとき、心に篤く感じるものが湧いてきました。

 平成二十三年三月十一日に発災した東日本大震災では東北地域において多くの住民が亡くなるなど甚大な被害が発生しました。天皇陛下はいち早く東日本大震災によって被災された皆様方へのビデオ収録を行われるとともに、東京武道館・旧騎西高等学校等に非難された方々を見舞われました。四月に入り天皇皇后両陛下は宮城県南三陸町に入られるとともに、被災者の皆様方を見舞われました。多くの被災者が天皇皇后両陛下から生きる勇気と希望と目標を頂いたと聞いております。私たちも放射線を被爆したのではないかと不安に思っている住民の放射線サーベイ、お亡くなりになられた方々の検案前のご遺体の放射線サーベイ、原子力発電所内診療所支援、放射線被ばく相談等一年以上にわたり放射線関連のボランティア活動をさせていただきました。

 神武天皇が橿原でご即位されたのが紀元前六百六十年二月十一日、今から二千六百七十九年前であります。爾来万世一系の天皇家が国民生活の安定と向上のために、常に国民とともに歩まれ、国民とともに慶ばれ、国民とともに涙された歴史は世界広しといえども日本国だけであり、このような文化と歴史の中にいる私たちにおおきな勇気を与えていただいております。

 天皇皇后両陛下、今後とも国民を導いていただきますよう心からお願いいたしますとともに、心からご即位三十年を奉祝し、皇室の永遠の繁栄をお祈り申し上げます。

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長澤 豊全国農業協同組合連合会経営管理委員会会長
長澤 豊

天皇陛下御即位三十年のお祝い

 天皇陛下におかれましては、本年御即位三十年をお迎えになられました。謹んでお祝い申し上げますとともに、この間、常に国民と苦楽を共にされ、国の安寧と世界平和の実現に御心を傾けてこられましたことに対し、深く感謝の意を表します。

 農業は、自然の摂理を利用した人間のささやかな営みであります。自然は、農作物に恩恵を与える一方で、特に近年では、時として牙を剥いて大きな災害を引き起こすこともございました。天皇陛下は、東日本大震災をはじめとする様々な大規模自然災害に際して、多くの農業者が苦難に遭遇するなか、いち早くお見舞いに向かわれ、慈悲深い眼差しで温かいお励ましをいただき、被災者に寄り添って復興を見守ってこられました。そのお姿とお言葉には、被災された農業者だけではなく、多くの国民が深い感銘と勇気をいただきました。

 このような天皇陛下の御活動に対し、深い感動を覚えますとともに、敬愛の念を新たにするものであります。

 私ども農業団体といたしましても、「農業は国の基」との考えに立ち、農業と農村が元気になり、未来にわたって国民に安全・安心な食料を安定供給できますよう、一層の尽力をしてまいる所存であります。

 今後、天皇皇后両陛下の益々の御健勝と、皇室が末永く繁栄されることを心からお祈り申し上げ、そして農業界におきましても、天皇陛下御即位三十年を奉祝する機運が高まりますことをご祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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中野 春雄日本をよくする千葉県民の会会長
中野 春雄

幾久しくお健やかに

 今もまだ、平成十年十二月十四日~十五日の三日間に渉る「賢所御神楽奉仕」(男女二十五名)の機会を、団長として参加した体験があざやかに脳裏に焼き付いている。特に、ご奉仕の終わった後、御所にて親しく両陛下のご会釈を賜ったことである。

 団長として団員の皆様の一歩前に立ち、御礼を申しあげた後に、天皇陛下から「御神楽奉仕ご苦労様でした。寒くありませんでしたか。心配しておりました。如何でしたか。」のお言葉を頂いた。何故か、瞬間「真の王者」の文字が浮かび、全身が暖かく包まれ涙のこみ上げるのを堪えきれなかった。皇后様が少し後方でにこやかに微笑んでおられた。

 天皇陛下は、八十五才のお誕生日に「象徴天皇としてのあるべき姿を求めて、その姿云々」とご自分の立場と行動を謙虚に語られたが、私には、正に元首としての覚悟の姿を平成の御代、見事にご体現されてこられたと確信した。

 両陛下は、過酷なご慰霊の旅をされたが、「バンザイクリフ」に向かって黙礼をされるお二人の後姿のお写真に、万感の思いを抱かれた人は少なからずおられたのではないか。私には、靖国神社御親拝実現の日の近きを祈った記事とお写真であった。

 毎年一月二日有志の方々と参賀の人(外国の人も多い)に、小旗配りをしている。頃あいを見て、「長和殿ベランダ」にお出ましの天皇・皇后両陛下を始め皇族方のお姿を拝し、今年をどう生きるのかの覚悟をすることにしている。

 私にとって、天皇・皇后両陛下の一挙手一投足は、一回限りの我が人生を、真に生き抜く憧れの人である。

 両陛下の「幾久しくお健やかに」と祈りつつ、日本人の一人として、「誇りある日本の国づくり」をここに誓うものである。

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中村 節夫公益社団法人日本チアリーディング協会会長
中村 節夫

天皇陛下御即位三十年、平成とともに育まれたチアリーディング

 天皇皇后両陛下が常に希望されておられます国民の健康と幸せ、そして我が国の繁栄と世界平和を両陛下御在位の平成の時代とともに、日本チアリーディング協会も歩んでこれました事を、深く感謝申し上げたいと思います。

 国が平和の故に人身も安定し繁栄をもたらし、私達のスポーツも着実に発展させることができたとの思いを深くしております。

 本協会は、日本スポーツ協会並びにJOCに加盟するわが国における競技スポーツとしてのチアリーディング界を統轄し、代表する団体として、同競技の健全な普及及び振興を図り、国民の心身の健全な発達に寄与することを目的として日々活動をしております。お陰様で、今年は協会創立三十三年を迎え、平成の時代とともに、監督官庁をはじめ、関係機関・各位の温かいご指導、ご支援を頂きつつ、今日まで協会の歴史を刻むことができました。

 チアリーディングは応援から始まった団体競技ですが、現在の日本チアリーディング協会の設立を機に、体力と運動能力を要するスポーツとして認知されるようになりました。大会は選手達の掛け声とともに信頼と供応感が会場全体を包み、観客と選手が一体となって応援し合うスポーツとして観戦して頂いております。また、「元気・勇気・笑顔」を表現するスポーツとして、今や幼稚園児から小・中・高校生、大学生、社会人等と競技者の裾野が大きく広がっており、パワフルでスピード感あふれる“技”の数々を展開し、競い合う大会の模様は放送メディアを通して全国にそして世界に日本の笑顔を発信していただいております。

 チアリーディングをとおし、日本文化の質の高い調和と信頼と友情が醸成され、現代の若者達にも共有されていますことを大変嬉しく思っており、急激な欧米文化との交流の中で、日本文化が持つ良さを再度団体競技を通して学んでくれた選手達には感謝の気持ちで一杯です。

 日本においては、チアリーダーは女性のみと受け取られた時代が長く続きました。チアリーディングが日本に導入された当初、男性は皆無でありましたが今では徐々に男性の参加も増加傾向にあり、男女混合競技を推進している現代のスポーツ界において、時代の先駆けとして歩めたことを心から喜んでおります。

 最後に、国民に温かく寄り添われる天皇皇后両陛下の深い御慈愛を賜り、関係者を代表して、御在位三十年を奉祝し、感謝を申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の御健康を心から御祈り申し上げます。

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中家 徹全国農業協同組合中央会会長
中家 徹

「天皇杯」を高い目標に、たゆまぬ努力

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位三十年をお迎えになられました。JAグループを代表して、衷心よりお祝い申し上げます。

 平成の御代は、国内外ともに激動の時代でありましたが、日頃より国民の幸せと世界の平和に思いを馳せられ、あらゆる方々に激励や平和への祈りを重ねてこられたことに、心より感謝いたしております。

 とりわけ、大規模な自然災害が発生した際には、いち早く被災地に足を運ばれ、犠牲者の御冥福をお祈りになられるとともに、被災者一人ひとりの手をとって、慰めと心温まる励ましのお言葉をおかけになってこられました。

 「国民と共にありたい」というお心遣いが、被災者を勇気づけ、復興の大きな原動力になったものと存じます。あらためて、こうした御活動に対し、深い感謝と敬愛の意を表する次第であります。

 JAグループも、幾度となくめぐる災害において、「協同の力」を結集し、被災地の目線に立った支援に努めてまいりました。引き続き、厳しい営農や生活を強いられる皆様に寄り添い、復興に向けた役割を発揮してまいる所存です。

 また、我々は農業団体として、日本放送協会との共催により、毎年「日本農業賞」を開催しております。日本農業の確立を目指し、意欲的に経営や技術の改善にとりくみ、地域社会の発展にも貢献している個人・団体を表彰するものです。

 その中で特に優秀な表彰者は、農林水産省と公益財団法人日本農林漁業振興会が共催する「農林水産祭」に参加させていただき、さらにその性質・内容が抜群で広く社会の賞讃に価するものにあっては、大変な栄誉である「天皇杯」を授与いただきます。

 「天皇杯」を高い目標に、農業者は日々、様々な創意工夫とたゆまぬ努力を続けております。日本農業は後継者不足や過疎化などの課題が山積しておりますが、こうした力がその課題を解決する力になると確信しております。

 JAグループといたしましても、現場の声をもとに、日本農業と地域の発展を後押しできるよう、一層の尽力を果たしてまいる所存です。

 結びに、天皇皇后両陛下に心からの感謝を申し上げますとともに、末永いご健勝と、御皇室のますますのご繁栄をお祈り申しあげ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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成田 昌憲公益社団法人日本カヌー連盟会長
成田 昌憲

奉祝天皇陛下御即位三十年

 このたび、天皇陛下におかれましては御即位三十年の佳節を迎えられますことまことにもって喜びにたえません。謹んでお祝い申し上げます。

 近年、国内でまれにみる大規模な自然災害が発生いたしました。

 こうした折にも天皇陛下は皇后陛下とご一緒に被災地をお見舞いされ、人々に寄り添われ、深い愛情をもって国民の安寧と世界の平和を願ってこられました。

 私ども国民の一人一人が「おことば」と「お姿」に深く感銘を受けたところでございます。

 また、私どもスポーツ界におきましてもオリンピック・パラリンピック競技に限らず、一つのジャンルにとどまることなく広く関心をお持ちいただき、機会あるごとに選手・役員への激励を賜り、関係者の励みにもなっております。とりわけ、永年にわたる国民スポーツの最高峰祭典であります国民体育大会の総合開会式には毎年ご臨席を賜り、一同光栄に胸を熱くするものであります。

 そして愈々迫りくる国民待望の二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック大会におきましても、各会場において白熱した競技をご覧いただき、選手・役員・ボランティアの皆さんへ、そして世界のすべての観客の皆さんへ「おことば」を賜りたく切にお願い申し上げる次第でございます。

 私ども競技団体といたしましては、天皇陛下と皇后陛下のこれまでのスポーツに対する激励を賜りましたことを深く心にとどめ、長寿社会において体力の向上とスポーツの普及振興に全力で取り組み、明るく平和な社会づくりと国民の心身の健全な発達に寄与してまいる所存でございます。

 むすびに天皇陛下、皇后陛下への感謝のまことを捧げ、益々ご健勝で皇室の末永く繁栄されることを御祈念申し上げます。

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西川 隆雄全日本パン協同組合連合会会長
西川 隆雄

一億人の象徴 想像もつかないご多忙の三十年、お疲れさまでございました

 昭和二十年以前と終戦後の昭和天皇陛下は大きくお立場がお変わりになり、戦後の憲法で現人神から人間になられました。

 私達戦後の事情しか知らない七十歳までの一般国民は【神と崇められた天皇陛下】についてはほとんど存じ上げません。

 しかし、戦後の昭和天皇はあらゆる機会に開かれた皇室を目指され、全国で開催される公のイベントに積極的にご列席なさり、私も十五歳の折、国民体育大会が兵庫県で開催され、俄か作りのブラスバンド隊でクラリネットを吹きながら加古川駅で陛下をお迎え致しました。その時の思い出は今でも心に残っています。

 そして、日本国内はおろか世界中を沸かせた厳かで古式豊かな素晴らしいご結婚パレードを以って「国民が誇りに思い、身近な皇室」を皇太子ご夫妻がお示しになられました。

 昭和天皇陛下から始まった人間天皇。それは三十年に亘り今上天皇、皇后両陛下が身を以ってお示しになられた「常に国民の幸せと、世界の平和を願われる天皇」のお姿なのだと、一国民としてありがたく受け止めています。

 近年世界的な気象の大変化を感じる中で、わが日本も北から南まで大地震が続発し、大洪水も頻繁に国土を荒らし、全国あちらこちらで沢山の命を失い、住まいを失うという悲しい出来事が続発。その度に天皇、皇后両陛下がその現場に身を運ばれ、跪いて手をお取りになり、やさしくお尋ねになって居られるTVの光景は両陛下のお気持ちをそのまま伝えてくれます。

 このお二人のお姿はどんな光景の中でも見られる私達の天皇皇后両陛下の素顔であるといつも嬉しく拝見してまいりました。

 これからも、私達国民の大切な両陛下の素晴らしい笑顔をお見せ頂きたく願っております。

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庭野 日鑛立正佼成会会長
庭野 日鑛

深い信頼と敬愛をもって

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位三十年をお迎えになられましたこと、衷心よりお祝いを申し上げます。

 世界に比類なき万世一系の天皇陛下を戴くことの尊さを改めて深く心に刻んでおります。

 建国以来今日まで、数々の荒波を越えて、我が国が気高く豊かな文化・伝統を築いてこられたのは、いつの世も天皇陛下が国家の柱石としておいでになり、その下に国民が誇りをもって、倦むことなく勤んできた結果であると存じます。

 とりわけ今上陛下は、国家・国民の安寧を祈られると共に、身をもって人間としての範をお示しくださり、その英邁で慈悲深いお人柄は、国民から常に尊崇、敬愛されてまいりました。

 東日本大震災の折には、七週連続で被災地をご訪問され、計画停電にあたっては、皇居・御所が対象地域外であったにもかかわらず、一カ月以上、自主的に停電をお続けになられたと伝え聞いております。暗いお部屋で寒さをこらえられ、夜はろうそくの下でお食事をなさったということです。国民と共にという一貫したお心に、奉謝の念がわき起こってまいります。

 平成二十八年八月、陛下は「おことば」の中で、「天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と仰せになりました。本来、「深い信頼と敬愛をもって」とのお言葉は、陛下に向けて私共が申し上げるべきことであり、本当に恐れ多いことでございます。

 本年四月から五月にかけ、天皇陛下の御退位、皇太子殿下の御即位が執り行われます。陛下が願われている国家・国民の安寧のため、私共も仏教教団の責務として、人々の心平らかなることに精励し、それを通して平和で調和のある日本、世界の実現に寄与してまいりたいと存じます。

 両陛下のご健勝と皇室の弥栄を心よりご祈念申し上げます。

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野依 良治国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター長
野依 良治

「科学者」天皇陛下

 天皇陛下御即位三十年を謹んでお祝い申し上げ、また長年にわたる科学界への温かいお励ましに感謝の念を捧げたい。

 陛下は半世紀にわたるハゼの分類学の研究において、新種発見など顕著な専門的成果を上げられてきたが、平成四年(一九九二年)に米国の科学誌「サイエンス」の日本特集号に「日本の科学を育てた人々」と題する論文を寄稿され、その存在感は科学界全体に広まった。「科学は真理を求めるものである以上、その研究は、国境をはじめとする様々な境界を越え、お互いが協力しあって進められることが望ましい」とまことに本質的なお考えを披露されている。

 実際に天皇、皇后両陛下は日本学士院はじめ学術団体の授賞式、恒例行事への御臨席を始め様々な機会を捉えて、国内外の科学者たちと交流を重ねられてきた。私自身も「講書始の儀」で研究の概要をお話しする機会を得、また責任者であった日本化学会創立百二十五周年記念式典に行幸啓を賜り、理化学研究所では日本初の一一三番元素(のちのニホニウム)の発見を始め、活動状況をご紹介申し上げた。

 平成十九年の両陛下欧州ご訪問は生涯忘れることができない。スウェーデンにはじまり、エストニア、ラトビア、リトアニア(バルト三国)、そして英国の五カ国の公式訪問であったが、主に「近代分類学の父」カール・フォン・リンネの生誕三百周年記念行事ご出席のため、つまり「科学者」天皇としての旅であるため、光栄にも私は我が国の科学界を代表して首席随員を仰せつかった。各国において両陛下は心を込めて、王室、政府要人はじめ、科学者、文化人、学生、福祉関係者、在留邦人や一般市民などと幅広くご交流に務められた。優雅なお振る舞いとともに、随所で陛下の科学的ご興味が尽きないことを伺い知った。私の旧知のスェーデン王立科学アカデミーのノルビー元事務総長も「科学者天皇」の存在の大きさを絶賛していた。ロンドンの記念行事ではリンネと日本の分類学にかかわる格調高いご講演をされた。英国側の講演者フォーティー地質学会長の「地球温暖化、気候変動などの問題は科学者だけでは解決できず、世界中の人々が協力すべきだ。一般社会社会と科学の連携が大事な時代に、科学立国の日本が科学者天皇を戴いていることは、世界にとっても大きな励ましになる」との言葉はとくに印象的で、胸が熱くなった。

 敬愛する天皇、皇后両陛下のご健康と皇室の末長いご繁栄をお祈り申し上げる。

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八角 信芳日本相撲協会理事長
八角 信芳

人生の一番の宝物

 天皇陛下が御即位三十年をお迎えになられましたこと、心より深くお慶び申し上げますと共に、三十年もの間、我々国民を深い愛情のもとに見守ってくださったことに心より感謝申し上げます。

 陛下におかれましては、平成三十一年初場所を含め、過去二十三回、両国国技館にて大相撲の天覧を賜りました。誠に名誉なことであり、日本相撲協会協会員一同深く御礼申し上げます。

 私が理事長に就任してからは、三回、両陛下の御案内をさせて頂きました。誠に名誉なことであります。決して失礼の無いように、お好きな大相撲を存分にお楽しみ頂けますようにと、いつも大変緊張しておりましたが、両陛下には常に温かい笑顔で接して頂き、毎回、深い感動を頂いておりました。両陛下のお優しいお人柄に、直接、接する機会を頂けましたことは、私の人生の一番の宝物となっております。

 天皇陛下には、いつも「良い相撲をありがとう」との有難いお言葉を賜りました。いつも感激すると同時に、「もっと良い相撲をお見せしたい」と、身の引き締まる思いをしておりました。また、陛下は力士の出身地をよく御存知であり、外国人力士の出身地もすべて御存知でした。陛下が大相撲に御興味を持ってくださっていることに、いつも大変有難く感じておりました。力士たちは本当に幸せだと思います。

 皇后陛下には、平成三十一年初場所の天覧を賜った際「お元気でしたか」と温かいお言葉を賜りました。その時、頭が真っ白になりました。昨年は不祥事があり、両陛下をご招待できず、大変申し訳なく思っておりましたが、このお言葉を頂いた際には「頑張ってきて本当に良かった」と心から感激いたしました。また、皇后陛下はいつも休場力士のことを気にかけてくださり、「大丈夫ですか」とお言葉を賜りました。そのお優しいお人柄に、強く感銘を覚えておりました。

 陛下におかれましては、御退位され上皇陛下と成られました後も、是非とも大相撲を御観覧頂きたく、協会員一同、心よりお待ち申しております。我々と致しましても、上皇陛下の御観覧にふさわしい相撲協会となるべく、大相撲の伝統文化をしっかりと守り、より一層、土俵の充実に努力してまいる所存でございます。

 陛下に大相撲への深い愛情をお示し頂いていることに心より深く感謝し、陛下の御即位三十年を御祝い申し上げ、両陛下がいつまでもご健康であられますよう、皇室の益々の御繁栄を御祈願申し上げます。

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原嶋 和利(公社)全日本不動産協会理事長
原嶋 和利

国民に寄り添われた三十年に一国民として

 天皇陛下におかれましては御即位三十年をお迎えになられましたこと、会員一同とともに心よりお慶び申し上げます。

 この三十年の長きにわたり、天皇陛下は日本国及び日本国民統合の象徴としてお務めを果たされて参られました。その間、国民の幸せを願われつつ、皇后陛下と御一緒に全国各地の行事に臨まれ、全ての都道府県を二回以上お訪ねになられるなど、地域に生活する人々の様子を親しくご覧になってこられました。

 特に戦争を経験された天皇陛下は、皇后陛下とともに、国内外を問わず、戦争の歴史と向き合われ、世界平和への思いと戦争でお亡くなりになられた方や遺族に対して深い御心を注がれておられます。

 「戦後の平和や繁栄が多くの犠牲により築かれたことを忘れずに戦後生まれの人々に正しく伝えていかなければならない。」との天皇陛下のお言葉は、将来に向けてしっかりと引き継がれていかなければならないものと深く感じております。

 また、平成の時代は自然災害が多く発生しました。天皇陛下は、その都度、被災地を、いち早くお見舞いになられ、被災された人々を励まされ、その後の復興を見守ってこられました。そのお姿とお言葉には、被災された方々だけではなく、多くの国民が深い感銘と勇気をいただきました。

 私事ではございますが、平成二十一年秋の黄綬褒章を受章いたしました。その折初めて宮中において御姿を拝見いたしました。凛としたお姿に身の引き締まる思いとそのお言葉に深い感銘を受けたことは忘れ得ぬ私共の人生の大切な思い出となっております。

 また、平成二十九年秋の「園遊会」に出席する機会にも恵まれ、温かい眼差しで歩まれるお姿を家内と共々拝見させていただき、その温厚な御人柄に接し、敬愛の念を新たにするものでありました。

 現在までの激動の日本をご覧になって来られた天皇陛下におかれましては、常に国民に寄り添われ、辛い立場の人の気持ちに立たれて、同じ目線で国民と接していただき、国民の敬愛の的であらせられました。

 あらためて、天皇陛下の三十年にわたる歩みに心から感謝を申し上げるとともに、ここに天皇皇后両陛下のますますのご健勝と皇室の限りない御繁栄を心からお祈り申し上げます。

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春竹 利昭公益社団法人日本小唄連盟会長
春竹 利昭

天皇陛下御即位三十年を迎えて

 天皇陛下におかれましては御即位三十年をお迎えになられ、謹んでお祝いを申し上げます。長年にわたる様々な行事の折節に加え、自然災害に見舞われた全国各地に皇后陛下と共に何度も御身を運ばれ、常に国民と苦楽を共にされたそのお姿は、我が国の安寧と世界平和の実現に御心を傾けてこられましたことを心底より感じざるを得ません。

 本年五月には御譲位され、皇太子殿下が次代天皇の御位にお即きになることとなりますが、この国民すべてにとりましての慶事に際して設立されました「天皇陛下御即位三十年奉祝委員会」よりご要請賜りまして、江戸時代より現代に続く伝統芸能の一翼を担って参りました小唄界を代表し、奉祝の一文を寄稿させて頂けます栄に浴しましたことを、心より厚く感謝申し上げます。

 小唄の歴史は十八世紀末の江戸時代に遡ります。歌道の達人と称せられ、御譲位後に最後の上皇となられた光格天皇(御在位一七八〇(安永八)年-一八一七(文化十四)年)の御代の頃より、清元、長唄、常磐津など三味線音楽の真髄を凝縮して描いた「粋」の芸が多くの民衆に愛され、小唄は今日まで継承されて参りました。伝統文化の行く末が様々に論じられる昨今ではありますが、現在日本において伝統や文化は未だしっかりと息づいています。それは、古来の様式美を継承し続けてきた日本人の心そのものが伝統であり、日本人のアイデンティティそのものであり、その「和の心」そのものがまさしく日本固有の文化なのです。

 民衆に愛され今日まで受け継がれた三味線音楽の中ですが、「粋」を以てなる小唄には天皇を詠った作品は残念ながら大変少なく、小唄の創始者のひとりと任ぜられる清元お葉作曲《風折烏帽子》に描かれた「醍醐天皇に献じた干鮎」のひと節、私ども小唄連盟所縁の長生松美作曲、石原慎太郎作詞の《待ちわびて》に描かれた万葉集(巻四)の額田王が天智天皇に贈った和歌「君待つとわが恋ひをればわが屋戸の簾動かし秋の風吹く」からのひと節が知られるのみです。けれども、この二句にも描かれておりますように、山紫水明の国である日本の自然を風土とし、日本人は古より自然と調和し、自然に感謝し、畏怖畏敬の念を持って生活をしてきました。

 このように長きにわたって「和の心」を忘れずに来られましたのは、国民ひとりひとりが魂のふるさととして天皇を敬愛し、守り続けてきたからであり、天皇はまた国民の中心に常におられ、国民に寄り添い、国の平安を護り続けて下さったのです。天皇陛下御即位三十年を機にご譲位されます両陛下がこの後もますます御健勝で、次代天皇の下皇室が末永く繁栄されることを心からお祈り申し上げます。

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日枝 久(公財)日本美術協会会長
日枝 久

両陛下とともに歩んだ世界文化賞

 天皇陛下のご即位三十周年を心よりお祝い申し上げます。

 私ども公益財団法人日本美術協会(総裁:常陸宮正仁親王殿下)は高松宮殿下記念世界文化賞の運営をしております。本賞は昭和六十三年に協会設立百年を記念し、それまで五十八年の長きにわたって総裁を務められた高松宮宣仁親王殿下のご遺志を継いで文化芸術分野における世界的顕彰制度として創設されたものです。翌、平成元年十月には第一回の授賞式典を行いました。その初回から十五回まで、受賞者は授賞式典の翌日、皇居へ参内し、天皇皇后両陛下の拝謁を賜ってまいりました。その後も二十周年、二十五周年、三十周年といった折にふれ、両陛下には記念レセプションへご臨席を賜り、受賞者や本賞選考にあたった海外国際顧問らと親しくご懇談いただきました。昨年、本賞は記念すべき三十周年を迎え、世界から選ばれた受賞者はこれまで一五四名に上ります。正に世界文化賞は今上天皇皇后両陛下の暖かいご支援とともにその歩みを始め、歴史を重ねて参りました。毎回のご懇談に際して、両陛下はゲスト一人一人の業績や人柄を熟知され、和やかな中にも大変深みのある芸術談義を楽しまれています。両陛下から賜りましたご厚情を忘れず、世界文化賞は三十周年を越えて、これからも歩みを続けてまいります。誠にありがとうございました。

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東野 昌一一般社団法人日本遊技産業経営者同友会代表理事
東野 昌一

天皇陛下御即位三十年を祝して

 天皇陛下御即位三十年を謹んでお慶び申し上げます。

 天皇皇后両陛下は平成の三十年間の長きに渡り、多端なご公務を担われつつ、国の平和と安寧を願われ、私たち国民に寄り添い、温かく見守り、そして励ましてこられました。その御心に深甚なる感謝の念を禁じえません。

 私ども日本遊技産業経営者同友会は、遊技業を営む経営者たちの集まりでございますが、その主たる活動の一つに、自然災害による被災地での復興支援活動がございます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、大規模な自然災害が発生した際、まだ道もない被災地にいち早く訪れ、被災者の方々と同じ目線で温かい御言葉をおかけになられました。被災地の方々に寄り添い励まされるその御姿は、私の心にも深く染み入り、今尚継続する活動の原動力となっております。

 私事ではございますが、皇居勤労奉仕に勤しむ私どもを労われる陛下の御姿は、今も忘れられません。太陽のような柔和な笑顔を向けられ、優しくお声掛けくださった御姿を拝見した時にとても胸が熱くなったのをよく憶えています。

 私どもは、国民の娯楽として一時代を築いた「ぱちんこ」という余暇文化が、今後も日本における大衆娯楽の一翼を担えるよう益々尽力していく所存であります。

 最後になりましたが、天皇皇后両陛下のご健康と、新たな歴史を迎える皇室の末長いご繁栄を衷心よりお祈り申し上げ、御即位三十年のお祝いの言葉とさせて頂きます。

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廣池 幹堂公益財団法人モラロジー研究所理事長・学校法人廣池学園理事長
廣池 幹堂

天皇陛下御即位三十年をお祝いして

 天皇陛下には御即位三十年をお迎えになりましたこと、心よりお祝い申し上げます。

 この三十年間に天皇皇后両陛下が果たしてこられたお務めに思いをはせるとき、一国民として、言葉に尽くすことのできない感謝の念がわき起こってまいります。特に平成の御代は、自然災害をはじめ、大きな困難に幾度も直面してきました。そうした際に両陛下がお示しくださったお姿に、私たちはどれほど心を癒され、また勇気を与えられてきたことでしょうか。常に国民一人ひとりの心に寄り添い、世界の平和を祈られる両陛下を「国の親」「心の親」として仰ぐことができる幸せを、今、あらためて噛みしめております。

 歴代の天皇は、いつの時代も国民の幸せを一心に祈ってこられました。親がわが子を慈しむように国民を思われる皇室のあり方は、第一二五代の今上陛下に至るまで、まったく変わっていません。わが国の先人たちは、そうした皇室に深い敬愛の念を寄せ、長い時を共に歩んできました。これがわが国の伝統的な国柄です。

 今上陛下はまた、歴代の天皇が大切に守り伝えてきた「祖先を敬う心」や「自然の恵みに感謝する心」、そして「和を大切にする心」を、現代において体現しておられます。それは時代や国境を越えて、普遍的な価値を持つ精神でしょう。

 昭和天皇の御心を継承され、敵味方の区別なく、すべての戦没者や遺族に思いを寄せられ、沖縄、長崎、広島、東京、そして硫黄島やサイパンへと慰霊・鎮魂の旅をお続けになりました。公のために尽くして今日の繁栄の礎を築いたわが国の先人たちへの思いを片時もお忘れにならないのです。

 ひとつ残念に思うことは、祖国を守り、アジアの解放のために尊い命を捧げた英霊が眠る靖國神社のご親拝が叶わぬまま、今日を迎えたことです。多くの国民の思いとして、この実現を心から願っております。

 歴代天皇の御心を受け継ぎつつ、象徴としてのお務めに全身全霊で向き合ってこられた天皇陛下。民間から皇室に嫁がれて六十年、大変なご苦労を乗り越えられ、陛下と歩みを共にされてきた皇后陛下。ご譲位後は、どうかゆっくりとお二人の時間を過ごされますことを、感謝を込めて願うものです。

 皇室の弥栄、そして両陛下がいつまでもお健やかであられますことを、心よりお祈りいたしております。

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福田 富昭公益財団法人日本レスリング協会会長
福田 富昭

心の支えとなった天皇杯

 私共、公益財団法人日本レスリング協会は、全日本レスリング大会を主催しており、毎年々末に、東京代々木オリンピック第二体育館で同大会を実施する事を決定致しておりました。

 弊協会は総力を挙げて「天皇杯」を御下賜頂く事を宮内庁に上申を申し上げておりました処、幸いにも運良く、平成十五年末に開催される同大会を「天皇杯、全日本レスリング選手権大会」と銘を打つ事が可能となりました。

 その天皇杯の御下賜以来、男子、女子レスリング共に、オリンピックに於いてもメダルを獲得するという素晴らしい成績を作り出せる勢を賜ったと存じております。

 そして、何よりもこの「天皇杯」という偉大なる名誉と誇り、これには選手、コーチ、役員一同が勇気づけられました。同時に日本レスリング界の誇りと自信に繋がり、外国勢と闘う若者達の新鮮な心掛けが生まれました。又、当時の日本アマチュアスポーツ界では、私共レスリング競技が極めて新しい御下賜ともお伺い致しており、世界にはない日本の誇るべき天皇陛下の御公光に心からの御尊意を申し上げる次第でございます。

 ここに改めて「天皇杯」の御下賜に心からの感謝を申し上げます。

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別役 重具神道政治連盟高知県本部長
別役 重具

奉祝御在位三十年

 拝啓 先ずもって、御在位三十年の年が今年一月を以って満了されましたことは、慶賀この上なく、国民挙ってお慶び申し上げる次第であります。また、今年は御代替りの年でもあり、五月からは御譲位による新帝陛下の御代の元年ともなるわけです。

 今上陛下に在らせられては、御即位以来、国の為、国民の為に只管、お務め下さり、お祈り下さっていることは恐懼の極みでもあります。

 さて、私の事ではありますが、曽て二度ほど陛下に御接見いただく機会をえました。その一つは、一昨年の春のことでした。その前の年が終戦七十年の節目の年で、全国の護国神社に対し、幣饌料を御下賜遊ばされた事への御礼言上の機会に、皇居に参内した折の事でした。高知県護国神社の宮司として、他の宮司様方とともに、陛下よりお言葉を頂きました。「高齢になった遺族のために、これからも力を尽くして頂きたい。」旨のお言葉であり、感激一入でありました。その折の微衷を靖国神社に献詠致しました。

 “九重は雨に煙りて春浅し雲居の庭に御言畏む”

 もう一つは、今から十五年ほど前、平成十六年の秋、香川県で開催された海づくり大会に御来県の際、四国桜友会の一員として、高松市のホテルで開催されたレセプションに御招聘頂きました(桜友会とは学習院の卒業生の会です)。高知桜友会は七名ほどで、会場にお入りになられた天皇皇后両陛下は、それぞれ別れて各テーブルをお廻りになられ、お言葉をお掛け頂くわけですが、高知のテーブルには天皇陛下が来られ、お言葉をお掛け頂きました。「室戸の方は如何ですか。」一番近くにいた私は、咄嵯の事に「いえ、大したことはありませんでした。」とお答え申し上げると、「そうですか」と少し微笑まれておられた御姿が今でも心に残っています。その年の夏、室戸方面を通過した台風により、海岸近くの家々が高波の被害を受けた災害をお知りになったうえでの御下問であったのに、あまり、知識の無かった自分の返事の適当さに、その後反省の念頻りであったことを今でも覚えております。

 その天皇皇后両陛下が最後の公式行幸啓として、昨秋高知県に御来県になられ、護国神社をはじめ、三社に幣饌料を御下賜下され、また我々の提灯行列に、城西館のベランダからお応えして頂いた、その慈愛に満ちた御姿が今でも鮮やかに蘇ります。御譲位の後も、両陛下いつまでもお健やかにお過ごし頂く事と皇国日本の繁栄を心より願って止みません。

 すめらぎ弥栄。

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星野 和彦新潟県戸隠神社宮司
星野 和彦

「第六十五回全国植樹祭」奉迎行事の思い出

 平成二十六年の全国植樹祭ご臨席の為、天皇皇后両陛下には、新潟県長岡市に行幸啓いただきました。平成の御代、二度の大地震や大水害に見舞われた新潟県へは、御即位以来七度目のご来県になります。

 行幸啓のまじかに迫るひと月前、ようやく有志による準備会を立ち上げ、地元長岡市の商工会議所会頭の奉迎委員会の会長、また新潟県知事の名誉顧問への就任依頼をはじめ、全県からの顧問や奉迎委員への就任依頼、協賛募金のお願い等々、事務局スタッフは、限られた時間との戦いの毎日でありました。

 にわか作りの奉迎委員会ではありましたが、短期間にもかかわらず顧問、奉迎委員への就任が三百余人、予定額に近い協賛金も集まりました。

 奉迎委員会としての事業は、長岡駅頭やご視察地での日の丸の小旗奉送迎は当然のこと、中心行事として、昼の奉迎パレードと夜の提灯奉迎の実施でありました。

 実施当日は心配されたお天気も「天皇晴れ」。厳粛な出発式典の後、長岡市内の目抜き通りを高校生のブラスバンドの先導により、横断幕や日の丸の小旗を持った二千人を超える県民による大行進が展開されました。その沿道は、声援を送る数千の県民で溢れておりました。

 夕闇迫る午後七時半、両陛下の行在所となったホテルの直近の小学校の校庭に、準備した千五百個の提灯に明かりがともり、上階の両陛下と庭上のわれわれが一体となった「絆の灯火」。奉迎委員会の会長の先導による「万歳三唱」。それに呼応しての両陛下の「右に左に、上に下に」と提灯のご答礼…。参加者全員での国歌「君が代」の斉唱。

 お部屋のカーテンが閉ざされ参加者一同が未だ感動の余韻に浸っていたその時、おつきの方から、陛下の有り難いお言葉が伝えられました。

 「大勢集まってくれて有難う。皆様の声も良く聞こえました」

 その場にいた誰もが、天皇陛下を戴く日本国民としての「しあわせ」を肌身で感じ、言葉では言い表せない感激でイッパイでありました。

 この度の奉迎行事には、延べ五万人を超える県民から参加していただきました。ご視察地や式典会場での様々な場面での奉迎の様子を編集した記録集は、両陛下のお手元に謹んで奉呈させていただきました。

 三十年にわたるご在位中、日々の祭祀は勿論のこと、全国各地へのご巡幸をはじめ、大戦の激戦地への慰霊と災害地のご視察および被災者への励ましの旅の連続であられた天皇皇后両陛下のご事績に心より感謝申し上げます。

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保積 秀胤宗教法人大和教団教主
保積 秀胤

天皇陛下御即位三十年を謹みて慶祝申し上げます

 天皇陛下御即位三十年を謹みて慶祝申し上げます。奉祝委員のひとりとして、陛下の慶事を迎えられますことはよろこびに堪えません。

 陛下におかせられましては、日本国民の統合の象徴として、私ども国民に常に勇気と希望をお授け下されておられます。平成の御代は国の内外ともに正に激動の時代でございました。国外ではテロや紛争が拡大の一途をたどり、国内にあっては政治や経済の混迷に加え、大地震や水害などの大規模災害が全国各地で発生致しました。このような内憂外患の最中にても、大規模災害発生時には、陛下は被災地へと赴かれ、犠牲者の安鎮を祈り、苦難に耐える被災者に寄り添われるなど、如何なる時にも常に私ども国民の安寧と幸せを祈り続けておられます。

 そして、私たちは平成二十三年三月十一日、忘るるにも忘らえ難き、東日本大震災という未曽有の大災害を蒙りました。私どもの教団は宮城県仙台市に本部を置き、関東以北の太平洋沿岸部が主たる教区にて、多くの信奉者が犠牲となり、また、福島第一原発事故の発生により一家は離散し、いまだ仮設住宅での暮らしを余儀なくされております。本部をはじめ、各教会施設は壊滅状態となり、正に意気阻喪の日々を過ごしておりました。そんな折、陛下は「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」として慈愛溢れるメッセージをご発信なされました。途方に暮れる被災者の心にどれほどの勇気と希望が与えられたことでしょうか。また、幾度となく被災地をお見舞い下され、温かき大御心をお授け下されました。私は何としても陛下の大御心への御恩に報ゆるべく、翌平成二十四年二月に皇居勤労奉仕団を結成し、毎年ご奉仕に上がらせて頂いております。第一回目の折りには、陛下は心臓のバイパス手術をお控えになられる大事なる御身であらせられるのにも関わりませず、畏くも御会釈を賜る栄誉を拝し奉りました。陛下よりの御下問を賜りし時には、込みあぐる感情に耐えながら万感の想いをもって感謝の言葉を申し上げさせて頂きました。有難き極みにて終生の御宝となる一刻を賜りました。

 本年は、光格天皇以来二百年ぶりとなる天皇陛下の御譲位による「御代替わり」の年でもございます。連綿と受け継がれる万世一系の御皇室の伝統をお守りすべく、私も宗教人生の余生をお捧げする覚悟にございます。

 聖寿万歳を、そして御皇室の弥栄、日本国家国民の隆昌をご祈念申し上げ御祝詞とさせて頂きます。

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堀 憲郎公益社団法人日本歯科医師会会長
堀 憲郎

国民に寄り添うお姿に感謝

 天皇陛下におかれましては御即位三十年をお迎えになられましたこと、衷心よりお祝い申し上げます。ここに奉祝委員会代表委員としてお祝いの文を捧げることが叶いますことは光栄の至りと存じます。

 平成十六年十月二十三日十七時五十六分に、私の故郷である新潟県長岡市を震源とする新潟県中越地震が発災いたしました。交通も寸断されている中を歯科医師会の会員を中心に、避難所等での緊急歯科医療と口腔健康管理の提供を必死に遂行した体験を忘れることはありません。

 そして、まだ余震も続いていた十一月六日、天皇皇后両陛下には被災住民が身を寄せる市内の高校の体育館等にお運び頂き、避難していたひとりひとりにお見舞いと激励の言葉を賜りました。家を失い、先の見えない状況に失意だけが募る中で、両陛下のお姿とお心のこもったお言葉が、どれだけ被災者の心の支えとなり、私たち医療提供者を含めてそれぞれが使命を果たすことに勇気を与え、復興に向けての市民の力になったか、計り知れないものがあったと振り返ります。

 天皇皇后両陛下が、常に平和を願い、国民に寄り添うお気持ちを第一にされ、災害にあっては被災者への思いを行動で示してこられたお姿を、三十年間私たち全ての国民は目に焼き付け、感動と感謝をもって結束することができたのだと改めて感じております。

 両陛下のご在位三十年が、両陛下の望まれた平和な日本であったことに感謝申し上げますと共に、両陛下にはこれからも末永くご健勝であられることをお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせて頂きます。

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本郷 一彦日本会議長野地方議員連盟会長・長野県議会議員
本郷 一彦

日本人の心の基盤

 天皇陛下におかれましては御即位後、激動する平成の三十年間に渡り日本国家の象徴として、多くの公式行事、大規模災害へのお見舞いなど国民の意思に寄り添いながら全力で行動をされ、加えて世界平和のための有効親善にも尽力され、深い敬愛の念を改めて痛感するものであります。

 神武天皇以来、二千数百年という万世一系の歴史を有する世界で唯一の民族国家日本の安定と繁栄は、皇室の持つ高次元の位置付けが背景にあり、その歴史的重さは比類なきものであります。皇室の持つ権威と世俗の権力が分離構成されている日本は、起伏多き国家の命運の中、ひたすらに国家国民のために祈る天皇のお姿には、ただただ敬服するのみであります。

 平成の三十年間は、世界において多くの紛争、戦争、テロ、大型の自然災害が多く発生し、経済的にもバブルの崩壊、ブラックマンデー、リーマンショック等、極めて厳しい環境が押し寄せ、日本はその度に再生し常に国民生活の安寧を祈念される天皇陛下のお姿に心を打たれました。

 私も県議会議長時代、幾度両陛下に接しその高潔な人格と常に国民の意思を尊重し、花を愛する心に感銘を受け、また新年元旦の宮中松の間において、多くの名士の各位とともにお言葉を賜り、秋の園遊会におけるご家族とのお姿に深い感動を覚えました。

 天皇の存在は表層的な精神面での存在ではなく、日本人の心の基盤であり、その存在は確固たるものであります。多くの歴史的分水嶺の時、必ずや天皇の心というものが目に見えない形で日本を守り抜いてきたことは、歴史が証明しております。新しい日本は、農耕社会、工業社会、情報社会へと進化を続けながら、今後はAI、ロボット、IOTの時代へと加速化されますが、その基本は日本人の精神性に他なりません。

 政治、経済、教育、文化、スポーツと多くのカテゴリーがありますが、それぞれの安定と明るい未来社会を祈念している天皇陛下の理念こそがそのバックボーンであり、ここに天皇陛下即位三十年を心からお慶び申し上げ、結びと致します。

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松浦 雄一郎日本会議広島会長
松浦 雄一郎

天皇陛下御即位三十年を寿ぎ感謝

 天皇陛下におかれましては、新憲法下で初めて御即位、三十年の長きにわたり国民統合の象徴として、国事行為を担われてまいりました。衷心よりお祝い申し上げます。

 この三十年間は戦火に巻き込まれることなく平安であったかのごとくに見えはしますが、厳しい激動の世界情勢、国内における政治、経済、社会情勢は必ずしも安定した国状にあったとは言えないように思われます。

 そうした状況の中、平和裡に切り抜けてこれましたのは、ひとえに日本と、日本国民の統合の象徴としての天皇陛下をいただいているという日本の国柄と言えましょう。

 確かに平成の御世におきましては、我が国は戦火に巻き込まれるようなことはありませんでしたが、我が国を取り巻く国際情勢は安寧と言えない中、世界の平和を願われ諸外国との友好親善につとめられてこられました。

 また、先の大東亜戦争で尊い命を捧げられました戦没者、ご遺族に対し、慰霊の御旅を続けられ、深い御心を注がれていらっしゃいます。

 ことに近年の大規模自然災害多発に際しましては、災害の度ごとに現地をお見舞されますなど、国民に寄り添われ、ひたすらに民安かれ、国安かれと祈られ、国民を、日本を守ってこられました。

 四月三十日には天皇陛下におかれましては御譲位、次いで皇太子殿下の御即位が行われるという重大な節目をお迎えになるわけですが、この御世替りが我が国固有の長い歴史と伝統の上にたって、立派になしとげられますようお祈りいたします。

 重ねて、天皇陛下御即位三十年をお祝い申し上げますとともに、感謝の誠を捧げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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松本 英昭日本太鼓財団会長
松本 英昭

天皇陛下御在位三十年を奉祝し感謝する言葉

 天皇陛下御在位三十年を寿ぎ、感謝申し上げます。

 天皇陛下は、「天皇が象徴であるとともに、国民統合の象徴としての役割を果すためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。」と仰せられました(平成二十八年八月)。天皇・皇后両陛下が、国と国民への信頼と敬愛をますます深めていかれる御様子を感じるのは、「象徴」のお立場を真摯に模索されるお姿を見上げるからでしょう。

 被災地で、膝を折り、被害者に寄り添われる天皇・皇后両陛下のお姿、戦地への鎮魂の旅にも、水が染み入るように、じんわりと心を打たれるものがあります。

 このように、常につらい立場に置かれた人々と心を通わすようにされ、当事者が抱える精神的な傷も背負おうとなされる。それが相手方にとって至上の救いと励ましになっております。

 国民は、この天皇・皇后両陛下のお気持ちを理解し、これに共感しております。

 日本太鼓は、身体障害者の補助療法としても採り入れております。皇后陛下には、日本太鼓に多大なる御関心を賜って参りましたが、特に身体障害者の日本太鼓全国障害者大会については御記憶に留めて頂き、数回の行啓に浴し、障害者が日本太鼓に向かう姿をご覧頂き、障害者本人はもとより、指導者、引率者等の関係者にも、毎回、あたたかいお言葉を賜り、大きな力を頂戴して参りました。昨年の第二十回大会には、天皇陛下の行幸に浴し、演奏の後には、「練習が大変でしょう。」等の心温まるお言葉を出演者におかけ頂きましたことは、感謝に堪えず、演奏者はもちろん、関係者一同が喜びで胸がいっぱいになり、これからも一層精進したいと決意を新たにしております。

 ここに、天皇陛下御在位三十年を祝奉し、お祝詞を申し上げます。

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丸山 敏秋一般社団法人倫理研究所理事長
丸山 敏秋

宮中茶会の思い出

 皇室に「和合の力」が脈々と生きつづけてきたことを、身にしみて感じたことがある。平成二十一年十一月十三日、皇居で開かれた宮中茶会に、初めて招かれて参上した。午前の部の四〇〇名ほどの方々とバスで坂下門から宮殿に入る。やがて豊明殿に各妃殿下、皇后陛下と天皇陛下、そして男性皇族が順々に入場。当時の鳩山首相が天皇陛下ご在位二十年の祝辞を捧げ、次いで陛下が返礼のお言葉を簡潔に述べられ、すぐに乾杯となる。それからの約四十分はフリータイム。両陛下と皇族が参会者の集団に歩み寄って来られ、どなたと言葉を交わしても許される。警備や整理の係官がいるわけでもない。

 唖然として眺めているうちに、愚生もその和気藹々とした雰囲気に馴染み、皇太子殿下や秋篠宮妃殿下の列に並んでご挨拶した。両陛下の前には老齢の方々が大勢順番を待っているので並ぶのは遠慮し、すぐ近くで両陛下が丁寧に会話されるお声を拝聴した。場内には閣僚や国会議員も大勢いて、与党野党の隔たりなくうちとけている。両陛下を中心に、立場や私情を超え、参会者全員がよき家族のように「ひとつ」になっていた。実に和やかで一体感のある、心から楽しいと思えるひとときであった。

 十一時を過ぎ、終了を告げる鈴の音が響くと、両陛下と皇族方はお出ましのときのように一列に並ばれ、黙礼をして静かに退出される。とそのとき、「天皇陛下、万歳」の声が上がり、全員が高らかに和した。両陛下は立ち止まり、振り向いて手を振られた。胸に熱いものがこみ上げてくる。「一君万民」とか「皇民一体」とか言われてきたが、けっしてそれは絵空事ではないと、あの宮中茶会で思い知らされたのである。

 天皇陛下の御在位三十年を寿ぎ、両陛下の末永いご健康を心より祈念申し上げます。

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水島 総日本文化チャンネル桜代表
水島 総

平成の御代を御見送りする

 平成三十一年一月二十八日、澄み切った冬空の下、国会議事堂正門には二本の日の丸がゆったりとはためき、正門前道路の側道には、私たち「頑張れ日本!全国行動委員会」の約四十人が日の丸の小旗と「天皇陛下万歳」の横断幕を掲げて並んでいた。平成の御代最後の国会召集をされる天皇陛下をお迎えするためである。国会構内においても、多数の議員たちが並んで陛下をお待ちしている。新年一月の国会開催らしく、女性議員たちの着物姿も華やかだ。

 「陛下が皇居を出発されました」警察の方が知らせてくれる。「皆さん、間もなく陛下のお出ましです。整列してお待ちください」世話役の声に、一同居住まいを正す。およそ十分後、皇宮警察の白バイと先導車が正門前の道に姿を見せ、続いて陛下をお乗せした御料車が、菊の御紋の旗をなびかせて、こちらに向かって来る。

 「天皇陛下、万歳!」リーダーの掛け声をきっかけに、全員が聖壽万歳を繰り返す。御料車が近づき、ありがたいことに、車の窓を静かに開けられる。陛下の御尊顔と笑顔が私たちの目に飛び込んでくる。聖壽万歳を叫ぶ私たちに、陛下はいつも片手を挙げられ応えてくださる。それは二千六百年以上の皇室の歴史からの、あるいは歴代天皇さまからの御挨拶である。陛下の笑顔は、百二十五代にわたる時空を超えた歴代「天皇陛下」の笑顔である。

 私たちのグループは、国会開会日と、国内外への行幸・行幸啓の折などに、陛下の御見送りや御出迎えをしてきた。いつものことだが、御料車が通り過ぎ、陛下の御尊顔を拝すことのできる時間は、十秒もないだろう。しかし、私たちにとって、この凝縮した時間は、古代日本人の祖先に直接連なっている時間なのである。

 平成最後の国会召集という御公務を終えられ、皇居に戻られる陛下は、いつものごとく、御料車の窓を開けられ、御尊顔を拝することができた。優しく微笑まれる御顔に、今回だけは、寂し気な御表情を浮かべておられたような気がしたのは、私だけだったろうか。

 陛下の御料車は、静かに私たちの前を通り過ぎ、遠ざかり、もう見えなくなった。聖壽万歳を止めた私たちの胸に去来していたのは、文字通り、「平成の御代」が終わるという、痛切なある思いと、陛下への感謝、かつ陛下への万感の思いだった。私たちは「日本」を御見送りしたのである。

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水野 明久日本アイスホッケー連盟会長
水野 明久

天皇陛下ご即位三十年をお祝いして

 天皇陛下のご即位三十年を心からお慶び申し上げます。ご高齢でありながら長い間、国民に寄り添い、私たちを勇気づけてくださいましたことについて深く感謝を申し上げたいと存じます。

 アイスホッケー界におきましては、長野冬季オリンピックの男子決勝「ロシア-チェコ」戦を天皇皇后両陛下にご観戦いただいきました。男子アイスホッケー決勝は「冬季五輪の花形」と言われ、閉会式直前に行われる最後の競技になります。中でも長野オリンピックは、世界で最もレベルの高い北米アイスホッケーリーグ(NHL)のプロ選手が初めてそれぞれの国の代表として参加した大会であり、一段と注目されていました。

 会場となった長野市のビッグハットで説明役を務めた富田正一・国際アイスホッケー連盟副会長(当時)は、「両陛下は、アイスホッケーが北米で盛んで、NHLというプロリーグがあり、そのプロが初めてオリンピックに参加していることもご存じでした。過去には国体でアイスホッケーを観戦されたことがあり、競技自体にも関心をお持ちのようでした」と話しております。

 女子アイスホッケーが初めて正式競技になったのもこの大会からでした。皇后陛下は女子の試合について、「日本の文化ではお先にどうぞという気持ちがありますが、自分が前に出る気持ちが必要ですね」という感想を述べられたそうです。

 日本のアイスホッケーは、女子がソチ、平昌と二大会連続でオリンピックに出場しましたが、男子は長野以来出場できておりません。男女ともオリンピックに出場して手に汗握るような試合をお見せできるよう、引き続き精進していきたいと思っております。

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宮﨑 渥巳一般社団法人日本ジャズダンス芸術協会会長
宮﨑 渥巳

慈愛に満ちた御心

 天皇陛下御即位三十年をお迎えになられましたことを、心よりお慶び申し上げます。

 今、世界中で自然災害も含めて様々な出来事が起こって居りますが、天皇皇后両陛下におかれましては世界の平和と人々の幸福を常に願っておられるお姿を拝見し国民の一人としてとても誇らしく、感謝申し上げる気持ちでいっぱいです。新聞・テレビ等で両陛下の国民にお心を寄せられ、お年寄りや子供達の目線に合わせてお話しされる慈愛に満ちたお姿を拝見する度に胸が熱くなる思いです。そのお心の奥にある真の強さ、美しさを、舞踊芸術を志す者として学ばせて頂いて居り、そしていつの日か創作する心の宝になる事と信じて居ります。

 今後も天皇皇后両陛下のご健勝をお祈り申し上げますとともに御造詣が深い日本の素晴らしい文化・芸術をもっと自由に楽しまれる御姿を拝見できたらと願って居ります。

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宮本 惠司妙智會教団法嗣
宮本 惠司

慰霊と癒しの「旅」を続けられた陛下

 今年は今上陛下の御即位三十年の佳節でありますが、四月三十日には御譲位あそばされます。

 「戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しております」と陛下ご自身がお述べになられていますように、「平成」の御代は、文字どおり、平和を貫き通した三十年でした。

 陛下は、世界三十カ国にわたる国際親善と全国に及ぶ戦争・災害犠牲者への慰霊と癒しの「旅」を続けられました。各地で平和への祈りを捧げられるそのお姿こそ、日本国民統合の「象徴」であられたとご推察申し上げます。特に、被災地にはいち早くご訪問され、膝を折られてお座りになり、被災者に寄り添われるお姿に、私たちはどれほど癒され、勇気づけられたことでしょうか。

 私ども妙智會教団の使命は「誰彼の区別なく、平等に慈悲を及ぼし、世界に光明を点じて、世界平和に貢献すること」であります。そして、戦争のない時代を構築するため、微力ながら祈りと平和・社会活動を続けております。

 その一環として、次代を背負う子供たちを貧困や暴力から守る国際NGO「ありがとうインターナショナル」を立ち上げ、「子どものための宗教者ネットワーク」の設立など、全世界の宗教者と共に平和活動に邁進しております。

 また、長らく日本赤十字社などの活動にご賛同申し上げ、人道的支援にご協力させて頂いております。

 こうした貢献により、教団では昭和三十三年に宮本ミツ初代会長、同三十八年に宮本丈靖前会長が『金色有功章』を頂いております。

 また平成十七年には、ありがとうインターナショナルの活動を評価して頂き、宮本丈靖前会長が、日本赤十字社の名誉総裁であらせられます皇后陛下のお手ずから、『金色有功章』を授与されるという栄に浴しております。

 宮本ミツ初代会長は開教の日、同じ渋谷区代々木に所在する宗教者として、明治天皇がお祀りされております明治神宮に、教団幹部と共にご挨拶申し上げました。その時から今日まで、深く長いご高誼を賜っており、毎年、年の始めにはご参拝し、ご皇室の弥栄をお祈り申し上げております。

 今上陛下が身を挺して垂範された「象徴」天皇として使命感、そして平和に対する深い祈りと実行、さらに癒しの御心こそ、宗教者の一人として、しっかりと受け止めなければならないことでございます。今上陛下の御心を体して、世界平和実現のために邁進することをここに固くお誓い申し上げます。

 上皇陛下にお即きあそばされましても、末永くお健やかであられますように心からご祈念申し上げます。

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山氏 徹全国肉牛事業協同組合理事長
山氏 徹

感謝

 平成三十一年四月三十一日十七時から始まる「退位礼正殿の儀」をもって今上天皇が御退位なされます。これに先立つ天皇誕生日の記者会見で陛下が触れられた、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」のお言葉に、日本国民としてこの平成の時代を過すことができた幸せを感じ、心から感謝の気持ちが湧いてきました。しかし、外には紛争やテロ、内には自然災害と社会的には多くの困難が存在したなか、天皇陛下は常に国民に寄り添われ、国民の気持ちをお汲み取りいただき、国民と苦楽を共にしていただきました。

 私たちの肉用牛産業もその例にもれません。本邦初のBSE(牛海綿状脳症)や未曾有の家畜を失った口蹄疫の発生。また度重なる自然災害は畜産に多大な被害を与えました。天皇陛下はこのような事態にも、肉用牛生産者の傷心に寄り添っていただき、膝を交えられて力強くお励ましいただきました。また、天皇陛下の「お田植え、お稲刈り」と皇后陛下の「蚕への御給桑」に対しても、より親近の気持ちを抱かせていただくとともに、恒例の農林水産祭で拝受賜る天皇杯を通じて、天皇陛下の畜産に対するお気持ちを心強く感じておりました。さらに、ご行幸ご巡幸の折々に畜産農家にお立ち寄りいただき、お言葉をいただいたことに希望と勇気をいただきました。

 ひるがえってみますと、平成時代は国際貿易交渉を始め様々な課題が明らかにされた時代でもありました。しかし平成の最後に至り、私たち肉用牛生産者が明るい将来を展望することができ、若い後継者が夢を持って肉用牛生産に取り組むことができる環境を整備していただきました。この新しい生産環境の下で、肉用牛生産者と生産者を取り巻く関係者が一丸となって同じ方向を目指すことができるようになりました。このことで、平成時代が私たち肉用牛生産者が頑張って努力をしてきた甲斐のある時代であったと感じることができ大変うれしく思います。

 私たちがこのような気持ちを持つことができたことは、常に私たちの傍らでお心遣いをいただき、同じ目線に立って私たちを思い気遣っていただいた天皇陛下のご事跡の賜物によるものと衷心より感謝申し上げます。ここに御代替わりの佳節をお迎えするにあたり、肉用牛生産者を代表して天皇陛下御在位三十年を奉祝申し上げます。

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山本 信夫日本薬剤師会会長
山本 信夫

薬剤師にとって忘れ得ぬ平成の御代

 天皇陛下御在位三十周年、誠におめでとうございます。国民の一人として心よりお祝いを申し上げます。また、お祝いの言葉を申し述べる名誉ある機会を頂戴しました事、望外の喜びであります。

 さて、私ども薬剤師にとりまして平成の御代は、記憶に長く留められる時代であると存じます。薬剤師が我が国に誕生して以来の目標であった「医薬分業」は、平成二十七年その目指す到達点に達しました。また、薬剤師教育を薬学・医学の進歩に即応できるよう、基礎化学に加えて、臨床系の薬学教育も兼ね備えたカリキュラムへの充実を目指した「六年制薬剤師養成教育制度」が、半世紀にわたる議論を経て平成十八年度から実施されました。

 我が国に薬剤師制度が導入された一八八九年から数えて百三十年目にあたる本年は、創設以来微動だにしなかった、薬剤師・薬局の定義が大きく変わり、社会からのニーズに的確に対応できる法体系への改正が予定されています。

 平成の御代は薬剤師にとって、その養成のための教育を変え、目標に向けて邁進し、国民の期待に応えられる法制度へと整備が進められた、いわば「新たな薬剤師元年」ともいえる時代であったと、多くの薬剤師が実感し、長く歴史に刻まれる事となると確信しております。

 いささか個人的な事ですし、不敬にあたるかも知れませんがお許しを賜り、私の天皇陛下への思い出を述べさせて頂きます。戦後の団塊の世代に生まれた私どもにとって、祖父母・両親の教育もあってか、昭和天皇は務めて国民の身近にお立ちになっておられたことと思いますが、少し遠い場所にいらしたように感じていました。

 しかし、今上陛下は、常に我々国民の「傍近くにいらっしゃる」という思いを強く持っておりました。小学校三年生の時にご成婚のパレードを目の当たりにしたこと、その後、褒章を賜った際や保健文化大賞を受賞した際に参内しお言葉を賜ったこと、それぞれが私の記憶の中に鮮明に思い出されます。

 とりわけ、平成二十七年秋の園遊会にお招きを頂いた時、胸につけている名札がお目に留まったのか、天皇陛下から「最近の医薬品」についてお言葉を賜りました。同時に家内は皇后陛下から「東日本大震災のボランティア薬剤師」について、お言葉を賜りました。身の縮む思いでしたが、私どもにとっては生涯忘れえぬ名誉な思い出となっています。これからも、天皇皇后両陛下がお健やかに過ごされますよう、心より祈念申し上げます。

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横倉 義武公益社団法人日本医師会会長
横倉 義武

医師会活動への優渥なる御言葉を励みに

 御即位三十年を迎えられた天皇皇后両陛下に謹んでお祝いを申し上げます。

 私が陛下をはじめてお見かけいたしましたのは、幼少の頃に参加したボーイスカウトの全国大会のときのことです。当時、まだ東宮であられた陛下の凜としたお姿に心を打たれる一方、慈愛に満ちた眼差しに強い親しみを覚えたことを記憶しております。

 それから約半世紀。医師としての務めを果たし続けていくなか、日本医師会長の職を拝したことで、園遊会にお招きをいただく栄に浴するまでの身となりました。

 はじめて参会した際には、半世紀の歳月を経て陛下を間近でお目にかかれる慶福に、恐懼感激したことを覚えております。爾来、「医師会の方ですね」と参加する度に優しくお声がけくださる陛下に対し、幼少期に抱いた親しみ以上の親愛の情を募らせている次第であります。

 日本医師会といたしましては、平成九年、設立五十周年記念式典を挙行するにあたり、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎました。

 式では、陛下より「国民の医療のために尽くしてきた努力を深く多とするとともに、活力ある社会の構築に、国民とともに励むことを切に期待する」旨の御言葉を賜りました。

 このことは全ての医師会員にとって大きな励みであり、今も矜持として心に留めているものであります。その後に策定をした『日本医師会綱領』に、「人間の尊厳が大切にされる社会の実現を目指す」ことを国民との約束として掲げましたことは、「国民とともに励むことを切に期待する」という聖旨への我々のお応えです。

 陛下が常に日本国と日本国民統合の象徴として国民に寄り添われてきたように、我々医師も患者さん一人一人に寄り添いながら、国民医療の向上に挺身してまいります。

 また、陛下への報恩謝徳の念をもって、日本医師会は今後も陛下よりの御言葉を受け継ぎ、それを良き伝統として、医師会設立の本位であります医学・医療の発展に尽くし続けてまいります。

 日本医師会を代表し、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄を衷心より祈念申し上げ、御即位三十年を奉祝する言葉とさせていただきます。

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芳村 正徳神習教教主
芳村 正徳

国民は幸せでした。

 陛下

 恐れ多くもメッセージをお送りいたしますことをお許し下さい。

 三十年の長きに亘り、私たち国民を、そして日本を見守って下さいましてありがとうございました。

 そして、皇后陛下、国民の母として常に暖かな眼差しで私たちを見守って下さいましてありがとうございました。

 先帝がお元気であられました時に、「天皇」という特別なご存在を抱く日本という素晴らしい国の国民として生を受け、陛下が即位されましてからも大見守りを頂きながら生きて来ました人生はとても幸せでありました。そしてそれは御代が替わりましても変わることはありません。

 「国がためあまた逝きしを悼みつつ平らけき世を願ひあゆまむ」

 この御歌を陛下は終戦五十年の節目に詠まれました。

 常に国民を気遣われ、平和と安寧と幸せを御歌に託してお詠みになって来られました。

 しかし、御歌のみならず、阪神淡路大震災、東日本大震災をはじめとする災害が起こりました時には、その都度、皇后陛下と共に被災者をご心配くださり、その生活を気にかけて下さり、お疲れも厭うことなく被災地を訪問され、一人一人の心に寄りそって下さいました。このような幸せな国民は世界中どこを探しても日本以外に存在せず、それ故に言葉に言い表すことができない程、有難い御存在であられます。

 西行法師は、皇太神宮参詣の際「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠まれました。しかし、私は陛下を思う度にこの和歌を詠んだ西行法師の気持ちになるのです。

 陛下は元旦の四方拝を初めとして、数え切れぬほどのご祭儀を行い、天地の神々にこの国の平和と国民の幸せを祈って来られました。厳寒の冬の早朝、深夜…天候のすぐれない日も数多くあったと思います。また、国会の招集、衆議院の解散をはじめとした国事行為。任証官の任命式、国賓、賓客、大使公使との会見、引見、宮中晩餐をはじめとして公的行為。そしてこれらに限らず、いつも国民に寄り添いながら常に励まして下さり、いかなる人間にも到底真似のできないことを一年一年積み重ねて来られました。

 陛下の御心の大きさ、国を思うお気持ち、国民を思うお気持ちにはただただ頭がさがる思いです。

 ご在位中の陛下から全ての国民は「忠恕」の心を教えられたことでしょう。

 御代が替わりまして後は平穏な毎日を皇后陛下と共に送られますことを心より願っております。

 終わりになりますが、「葦原の千五百秋瑞穂の国は、是れ、吾子孫の王たるべき地なり。爾皇孫就きて治せ。行矣。宝祚の隆えまさむこと当に天壌と窮り無けむ。」(天照皇大神の天壌無窮の神勅)

 天皇というご存在が輝く日本である限り、未来永劫、日本は繁栄し、国民は幸せです。

 ありがとうございました。

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米沢 寛全日本電気工事業工業組合連合会会長
米沢 寛

聖寿の万歳

 旧聞ですが平成二十七年五月、地元石川で二度目となる全国植樹祭が天皇・皇后両陛下ご台臨のもと開催されました。金沢で両陛下をお迎えする奉迎式典は日本会議石川県本部が中心となり準備をすすめました。私は日本会議石川県本部の会長であることから奉迎の実行委員長を仰せつかり多くの県民とともに奉迎をしました。

 天皇・皇后両陛下がお乗りになった車が近づくと、沿道を埋めつくした多くの市民が一斉に日の丸の小旗をうちふり天皇陛下の長寿を願い「聖寿の万歳」が始まりました。まったく台本にはない万歳でした。沿道の市民の絶えることのない「万歳」に天皇、皇后は笑顔で手を振られ丁寧にお応えされました。改めて市民の平成の「象徴天皇像」を垣間見る思いがしました。同時に天皇がいかに日常を国民のために、国の隅々まで気配りされておられるかを目の当たりにし頭の下がる光景でした。

 日本会議は「美しい日本の再建と誇りあるくにづくり」を掲げ、政策提言と国民運動を行っています。皇室の地方行幸啓の際の奉迎活動もその一つであり、憲法改正問題は喫緊の課題としています。皇后さまは八十三歳の誕生日の記者会見で、天皇陛下の退位を表現する特例法「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が国会で成立したことに「計りしれぬ大きな安らぎを覚え、これを可能にしてくださった多くの方々に深く感謝しております」と述べられましたが、つねに天皇に寄り添われ、陰でささえられるご様子を新聞、テレビの報道で拝見するたび、そのご努力を推測します。常にそばにおられた皇后さまが「多くの議論を経て特例法が成立したことへの感謝」と「長い年月、ひたすら象徴のあるべき姿を求め、歩まれた陛下が御高齢となられた今、しばらく安息の日々をお持ちになれることに大きな安らぎを覚え、これを可能にして下さった多くの方々に深く感謝しております」とご自身の言葉を率直につづられましたが私ども国民の心を打つお言葉でありました。

 天皇として残された日々を象徴としての務めを果たしたいという思いどおり、この正月の一般参賀では平成最後とあって多くの国民に、予定を上回り親しく国民にお応えになられるなど、大勢の人々のためにできる限り応えたい、常に国民に寄り添おうとする両陛下の熱い思いがつたわりました。

 恒例の全国戦没者慰霊祭をはじめ先の大戦で戦禍に散った多くの英霊への深い思い入れは、南洋諸島など激戦地への慰霊訪問、時にはヘリコプターで移動、ホテルのない島々では船でお泊りになるなど異例のご訪問のかずかずにとどまらず、国内を襲った多くの自然災害、阪神大震災をはじめとし東北大地震、北海道でも地震が起きるなど大きな地震が日本列島を襲った度ごとに被災地を見舞われるご様子に、常に国民に寄り添われようとなされるお姿に大きな感動を覚えました。

 激動する平成の時代の象徴である天皇に心から感謝を申しあげ、いつまでも聖寿であっていただきたくことを願っています。長年にわたるそのご活躍に幾多の英霊ととともに深甚なる感謝とお礼の言葉を申し上げたいと存じます。

 ありがとうございました。お疲れ様でした。

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湧永 寛仁公益財団法人日本ハンドボール協会会長
湧永 寛仁

天皇陛下御即位三十年を迎えて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられました。謹んでお祝い申し上げますとともに国民国家の安寧と世界平和に御心を傾けてこられましたことに対し、衷心より感謝申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、即位されてからこれまで四度にわたり国民体育大会のハンドボールの試合に御臨席賜りました。日本ハンドボール協会を代表致しまして厚く御礼申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、平成五年に徳島県と香川県で開催された第四十八回国民体育大会秋季大会における少年女子の試合に御臨場賜りました。天皇皇后両陛下におかれましては、平成十一年に熊本県で開催された第五十四回国民体育大会秋季大会における成年男子第一回戦、平成十四年に高知県で開催された第五十七回国民体育大会秋季大会における成年女子の試合、平成二十五年に東京都で開催された第六十八回国民体育大会における少年女子準々決勝の試合に御臨場賜りました。

 ハンドボールはオリンピックの競技であり、代表選手は東京オリンピックにむけて鍛錬しております。両陛下の御覧を賜りましたことは、日本全国でおよそ九万五千人のハンドボール競技者の大きな励みとなっております。深く感謝申し上げますとともに、東京オリンピックにむけて代表選手、日本ハンドボール協会が一丸となって精進して参る所存です。

 天皇陛下御即位三十年を迎えられるにあたり、両陛下がますますお健やかで、皇室が末永く繁栄されることをお祈り申し上げます。

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渡辺 均日本プロボクシング協会会長・ワタナベボクシングジム会長
渡辺 均

国民の一人として心より感謝申し上げます

 謹んで天皇陛下の御即位三十年をお慶び申し上げますとともに、天皇陛下御即位三十年奉祝委員会の設立、誠におめでとうございます。

 天皇陛下におかれましては、平成三十年の永きに渡り国民とともに歩まれ、国民に寄り添われて参りました。国民の一人として心より感謝の念を捧げます。

 特に全国各地の被災地には、常に天皇皇后両陛下が率先して赴き、被災された皆さんに手を差し伸べられ、直接お言葉をお掛けされている両陛下のお姿を報道などを通して目にする度に、私も国民の一人として本当に癒され、温かな気持ちが広がりました。

 平成という時代は、陛下が願われ、身を以て示された戦争の無い平和な日本と世界の実現を目指した時代でもありました。もちろん、今、戦争の無い平和な日本を国民全てが享受できていることは、陛下の一貫した志の賜物でもあります。

 僭越ではありますが、私が会長を務めさせていただいている日本プロボクシング協会においては、全国に三百近いジムがあり、多くのプロボクサーが活動しております。日本は、プロボクシングというスポーツでは世界有数の先進国として現在、プロの世界王者が男女合わせて十数名おり、明日の世界王者を狙う有望な選手も多数控えております。

 さらに、今年からプロとアマの垣根を超えて連携し、来年開催される「東京オリンピック・パラリンピック」の成功に向けて、微力ながら私も含めてボクシング界全体で尽力してまいります。この日本からボクシング競技に出場する各国の選手が正々堂々と戦う姿を通して、「夢と感動と希望」を日本と世界の多くのファンの皆様に与えることができれば、と願っております。また、健全なスポーツという面からボクシングを国民の皆様に知っていただき、そのトレーニングの一部を取り入れることで老若男女を問わず、皆様方の健康増進にも必ず寄与できると確信しております。

 さて、天皇陛下におかれましては、今春、御譲位(御退位)され、皇太子殿下が第百二十六代天皇の御位にお即きになることとなりました。陛下におかれましては、御退位以後も健やかにお過ごしくださり、末永くこの国の未来を見守ってくださる様、お願い申し上げます。

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