天皇陛下御即位おめでとうございます。国民こぞってお祝いいたしましょう。
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天皇陛下御即位三十年奉祝に関する各界の取り組み

地方公共団体および地方議会

(敬称略)

渥美 泰一(静岡県議会議長)

渥美 泰一(静岡県議会議長)

 天皇陛下御即位三十年をお祝いして

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位三十年の慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、心からお慶び申し上げます。

 静岡県は、戦前は沼津市に、そして現在は下田市の須崎に御用邸がありますことから皇室との関わりが特に深く、陛下におかれましては、皇太子時代から公式行事への御臨席や御静養などのために、数多く御来静を賜ってまいりました。

 御即位されてからの三十年間には、平成十一年の「全国植樹祭」や平成十三年の「全国豊かな海づくり大会」、平成十五年の「国民体育大会」などの行事に、皇后陛下とともに御臨席をいただきました。平成二十九年の「スペイン国国王陛下及び王妃陛下御案内」の折には、本県の防災センターを視察先としてお選びいただき、自ら御案内いただいたことは、誠にありがたいことであり、防災意識の高揚に努めている私ども県民にとりまして、大変な励みとなりました。

 顧みますに、陛下が御即位されてからの歳月の中で、我が国は、東日本大震災をはじめとする大規模な災害に幾度も見舞われましたが、両陛下におかれましては「常に国民とともに歩まれ、苦楽をともにされる」というお優しい心根のもと、被災地を御訪問され、直接国民にお見舞いやねぎらいの言葉をお掛けいただきましたことに、国民は心底から勇気づけられ、改めて両陛下と皇室に対する敬愛の念を深めたものでございます。

 また、本年四月には、両陛下の御成婚から満六十年をお迎えになりますこと、改めて心からお慶びを申し上げます。我が国のこの六十年の来し方は、戦後の傷跡から、国民の象徴としての天皇家を精神的なよりどころとして、新たな平和と繁栄の時代を築き上げてきた歳月と重なり合います。

 我が国の恒久平和と安寧のため、天皇陛下におかれましては、皇后陛下とともに、今後とも末長く御健勝でおわしますことを、静岡県民並びに県議会を代表して心から御祈念申し上げます。

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阿部 守一(長野県知事)

阿部 守一(長野県知事)

 天皇陛下御即位三十年を信州・長野県からお祝いして

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の慶賀をお迎えになりましたことを長野県民とともに心からお祝い申し上げます。

 この間、天皇皇后両陛下におかれましては、長野オリンピック・パラリンピック冬季競技大会や全国植樹祭などに御臨席賜りましたことに加え、被災地へのお見舞いやサイトウ・キネン・オーケストラの御鑑賞、福祉施設等の御視察など、幾度となく本県にお越しいただきました。そのたびごとに、多くの県民の思いに大御心をお寄せいただきましたことに、県民を代表して深く感謝申し上げます。

 平成二十三年の長野県北部地震で甚大な被害を受けた栄村には、ひとかたならぬお心遣いをいただきました。被災翌年の夏には、仮設住宅をお見舞いいただき、強い日差しの中にもかかわらず、入居者の皆さんお一人お一人に温かなお言葉を賜りました。このことは、被災された方々が前向きに復興に取り組む上で、とても大きな励みとなりました。

 千曲市のあんずの里は、初めての私的御旅行先として御来訪いただきました。長野県にとりましても大変名誉なことであり、あんずの生産者をはじめ関係者の方々は、そのことを誇りに美しい花咲くあんずの森を丹精込めて守り育てております。

 満蒙開拓の歴史を後世に伝える阿智村の満蒙開拓平和記念館にも御来館を賜りました。元開拓団員の方々と御懇談いただいた際には、その過酷な体験に真摯に耳を傾け、労をねぎらってくださいました。両陛下の平和への深い思いを関係者とともに心に刻み、平和の尊さを次代へと引き継いでまいりたいと存じます。

 折しも、本年は天皇皇后両陛下の御成婚六十年に当たります。両陛下にとって思い出深い地であり御静養の地でもある軽井沢町へはこれまで何度もお越しいただきました。両陛下との数々の思い出は、地域の方々にとっての誇りであり、よりどころでもあります。今後とも健やかに御滞在いただけるよう、自然や文化を大切にし、地域の皆さんとともに季節の草花を飾って御来訪をお待ち申し上げております。

 天皇陛下におかれましては、三十年もの間、国民に常に寄り添い続けてくださいましたことに改めて深く感謝申し上げますとともに、これからの新しい時代に皇室と国民との親愛の絆がますます深まりますことを心より祈念申し上げまして、お祝いの言葉といたします。

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荒井 正吾(奈良県知事)

荒井 正吾(奈良県知事)

 天皇陛下御即位三十年にあたって

 天皇陛下におかれましては、このたび御即位三十年をお迎えになられました。ここに謹んで、心からお慶び申し上げます。

 御存知のとおり、奈良県は古来より皇室と極めてゆかりのある土地柄であり、御即位に際しましては、平成二年十二月、即位礼及び大嘗祭後神武天皇山陵に親謁の儀のため皇后陛下と御一緒に御来県を賜りました。当時、県民による奉祝ムードが最高潮となった二日間の御様子が華々しく報道されております。

 御在位三十年の間、我が国では経済不況や災害など、幾多の困難な局面もございましたが、天皇陛下におかれましては、常に国の安寧と国民の幸福を願われ、殊に地方行幸の折りには、御訪問先の施設や被災地において人々を温かく励ましていただいております。平成二十六年の全国豊かな海づくり大会への御臨場につき、本県への行幸啓に際しましては、紀伊半島大水害被災者の方々と親しく御懇談くださり、一人ひとりの話に丁寧に耳を傾けられ、お慰め、お励ましをいただきました。それぞれの境遇に心をお寄せいただきながらお言葉をかけていらっしゃるお姿を間近で拝見し、感激した次第でございます。本年四月末をもって御退位になられますが、これからも皇后陛下と共に御健康で、国民を見守ってくださることを願うばかりでございます。

 御在位の間、前述の平成二年の神武天皇山陵に親謁の儀、平成二十六年の全国豊かな海づくり大会御臨場も含めまして、本県へは六度お出ましいただきました。私が知事に就任してからは四度お出ましいただきました。中でも特に印象に残っておりますのは、平成二十二年十月に平城遷都一三〇〇年記念祝典への御臨席と併せて地方事情御視察のため、天皇皇后両陛下に御来県賜りましたことでございます。同年十月八日、復元された第一次大極殿の前庭において、天皇皇后両陛下御臨席のもと、華やかでかつ荘厳な雰囲気の中、「平城遷都一三〇〇年記念祝典」が盛大に執り行われました。この式典において天皇陛下よりおことばを賜りましたが、その中で陛下が奈良平城京を「父祖の地」とお呼びになり、また「遷都一三〇〇年をことほぐとともに、我が国の古くから伝わる文化を守り育ててきた奈良の人々の幸せを祈ります」との温かいお心配りを賜りましたことは、この上ない喜びとするところでございます。

 改めまして、このたびの佳節を県民とともに謹んで言祝ぎ申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室のますますの弥栄を心からお祈り申し上げます。

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飯泉 嘉門(徳島県知事)

飯泉 嘉門(徳島県知事)

 天皇陛下御即位三十年を迎え

 天皇陛下におかせられましては、御即位三十年という慶賀すべき佳節をお迎えになられましたことを、徳島県民とともに、心からお祝い申し上げます。

 この三十年間を顧みますと、科学技術が飛躍的な進歩を遂げ、生活の利便性が大きく向上した一方、大規模な自然災害や百年に一度の経済危機、緊迫する国際情勢など、我が国の社会は、劇的に変化を遂げて参りました。

 この様な激動の時代の中、天皇陛下におかれましては、国民の幸福と国際社会の友好平和を第一に願われ、日々の多忙なる御公務に真摯に取り組まれますとともに、被災地へのお見舞いや暖かい御激励により、常に国民を勇気づけて頂いております。今日の日本の平和と繁栄をお支え頂いておりますことは、誠に有難く、謹んで敬意と感謝を捧げる次第であります。

 とりわけ、本県におきましては、天皇陛下御即位の直後、平成元年五月に開催されました第四十回全国植樹祭への御来臨をはじめ、平成五年の第四十八回国民体育大会「東四国国体」、平成十年の第十八回全国豊かな海づくり大会と、御即位以来、三度にわたる御来徳を賜りました。全国植樹祭における陛下お手植えのスギ、皇后陛下お手植えのヤマモモは、平成の御代、三十年の間に健やかに生い茂り、県内外の方々に大変親しまれております。

 また、御来徳の折、御訪問頂く先々で、県民一人ひとりに親しくお声がけ賜り、県民一同、大きな感動と深い感銘を受けたところであります。

 さらに、光栄なことに、平成二十七年二月、本県の地方事情として、「人口減少社会への挑戦」を天皇陛下に御説明申し上げる機会を賜りました。この際にも、天皇陛下の徳島をはじめ地方に対する深い思し召しに触れ、敬慕と感謝の念を改めて厚くするとともに、陛下より賜りました、有難いお言葉を胸にしっかりと刻み、県勢の更なる発展、そして日本の繁栄のために、今後とも全身全霊を傾注して参る所存でございます。

 結びに、天皇陛下の三十年にわたる御世に、衷心より敬意と感謝を捧げますとともに、天皇皇后両陛下の益々の御清勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉と致します。

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五十嵐 清(栃木県議会議長)

五十嵐 清(栃木県議会議長)

 皇室と栃木県との御縁

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことは誠に喜ばしく、栃木県民とともに、心からお祝いを申し上げます。

 「内平らかに外成る」、「地平らかに天成る」、国内外が平和にとの思いが込められた「平成」も間もなく区切りを迎えようとしています。

 陛下が皇后陛下とともに歩まれてきた平成の三十年を顧みますと、国民の弛まぬ努力により、かつてない平和と繁栄の中にありながらも、阪神・淡路大震災や東日本大震災をはじめ、近年頻発する自然災害、国際的な紛争など多くの困難に直面した激動の時代でもありました。

 この間、陛下におかれましては、ひたすらに国家、国民の安寧、世界の平和をお祈りになり、皇后陛下とともに全国四十七都道府県をくまなく行幸啓された際は、その先々で国民一人ひとりと気さくにお言葉を交わされ、励ましてこられました。

 とりわけ、地震や台風などの大きな災害が発生するたびに現地に赴かれ、被災された方々の声に耳を傾け、深い信頼と敬愛をもって労われているお姿に多くの国民が励まされ、復興の力となって参りました。

 栃木県には、全国三ヵ所ある御静養地の一つ「那須御用邸」や「御料牧場」などがあることから皇室との御縁は深く、御視察や御静養など、平成の御代だけでも三十八回と数多く御来県いただいております。

 「父母の愛でましし花思ひつつ我妹と那須の草原を行く」この御製は、平成十三年の歌会始で、皇后陛下と那須御用邸内を散策された際の思いを詠まれた歌と伺っております。

 那須御用邸には豊かで多様な自然環境が残されておりますが、「その豊かな自然を残しつつ、国民が自然と触れ合える場所として活用してはどうか」との陛下のお考えを受け、天皇陛下御即位二十年という節目の機会に御用邸のおよそ半分に当たる約五百六十ヘクタールが宮内庁から環境省に移管されました。その後、日光国立公園「那須平成の森」として一般開放され、県内はもとより、国内外から多くの観光客で賑わいを見せております。

 このように、長きにわたり国民に寄り添い、国民の希望と幸せに御心を傾けてこられた陛下、そして真心を持って献身的に支えてこられた皇后陛下に対し、あらためて衷心より感謝を申し上げる次第であります。

 結びに、御即位三十年という佳節に当たり、天皇皇后両陛下のますますの御健勝と皇室の弥栄を心からお祈り申し上げ、奉祝の言葉といたします。

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石井 隆一(富山県知事)

石井 隆一(富山県知事)

 奉祝文

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位30年の佳節をお迎えになられました。また、4月には、皇后陛下との御成婚60年の佳節を迎えられます。ここに、県民の皆様とともに謹んでお祝いを申しあげます。

 富山県では、「天皇陛下御即位30年奉祝富山縣民大会」が開催され、県民こぞって心からの感謝のまことを捧げたところであります。

 また、政府主催の「天皇陛下御在位30年記念式典」に出席させていただき、天皇陛下のお言葉に誠にありがたく感動し、尊敬と親愛の情を一層深めたところです。

 陛下が御即位されました平成元年に生まれた子どもたちも、今や30歳となり、而立の年を迎えました。この間、我が国そして世界においても、幾多の困難や課題に直面してきましたが、陛下は、いかなるときも国民と苦楽を共にされ、国民の幸福と世界の平和を願い続けてこられました。

 また、天皇皇后両陛下には、これまで、全ての都道府県を御訪問され、障害者や高齢者、子どもたちなど一人ひとりに、時には床に膝をつかれて手を握られ、直接励ましのお言葉をかけられ、人々を勇気づけておられるお姿は、国民の心に強く刻まれております。

 富山県におきましても、近年では、平成27年の「第35回全国豊かな海づくり大会」や平成29年「第68回全国植樹祭」に御来臨いただきました。

 いずれの御来県の折にも、式典会場や御視察先、沿道などで多くの県民の皆さんの熱烈な歓迎に笑顔でお手を振ってお応えになられるとともに、各地で励ましやお声掛けをされ、心温まるふれあいを深めていただきました。とりわけ、植樹祭の式典から御退席の際には、小学生による「ふるさとの空」の合唱でお見送りしたところ、両陛下は二度も足をお止めになり、最後までお聴きになり拍手をされました。そのお姿に会場全体が拍手と感動に包まれました。両陛下のお優しいお姿、また大変気配りをされる温かいお人柄に触れて、富山県民は尊敬と親愛の情を一層深めたところです。

 富山県では、平成27年3月、県民の半世紀にわたる悲願であった北陸新幹線が開業し、観光客の増加、企業立地の進展とともに、Uターン率や本県への移住が増えるなど、様々な効果が現れております。今後とも、こうした勢いを持続・深化させ、県議会、市町村、県民、企業の皆様と連携協力し、また国会議員の皆様のお力添えもいただきながら富山県の新しい未来を切り拓いてまいる所存であります。

 ここに、平成の世と、それに続く新たな時代が幾久しく平和でありますよう御祈念申しあげますとともに、天皇皇后両陛下には、御長寿で、ますますお健やかにお過ごしくださいますよう、そして皇室の限りない御繁栄を心からお祈り申しあげます。

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井上 伸史(大分県議会議長)

井上 伸史(大分県議会議長)

 天皇陛下御即位三十年を迎えて

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位三十年をお迎えになられましたことを、心からお祝い申し上げます。また、御即位以来三十年の永きにわたり、日本国及び日本国民統合の象徴として、国民と苦楽を共にされ、国の安寧と平和のために御心を傾けてこられましたことに対し、深く感謝申し上げます。

 本年一月の平成最後の歌会始の儀での「光」をお題とした御製で、天皇陛下は、阪神大震災の復興のシンボル「はるかのひまわり」の成長について、お心を込めてお詠みになられました。

 近年、全国的に大規模な災害が多発する中で、天皇皇后両陛下は、国内各地を巡られ、国民にお会いになっては一人ひとりに心温まる励ましのお言葉をおかけになられました。困難な立場にある人々に寄り添う両陛下のお姿に、私たちのお慕い申し上げる思いは募るばかりであり、親愛の絆は益々深まっております。

 本県におきましても、地震や台風、集中豪雨などの災害が相次ぎました。そうした中、両陛下におかれましては、一昨年の十月に、九州北部豪雨災害で甚大な被害を受けた日田市に行幸啓いただきました。日田市では、記録的な集中豪雨により、河川の氾濫や土砂崩れなどが相次ぎ、多数の方々が被災するとともに、農作物や文化財、交通機関などにも深刻な被害が発生し、多くの方が不安と困難を抱えておりました。

 両陛下には、御訪問いただいた日田市役所におきまして、被災者や災害対応に尽力した方々に、心のこもったお見舞いと、励ましやねぎらいのお言葉を賜りました。両陛下の温かいいたわりのお言葉は、復旧復興に向けて大変な苦労を強いられている被災者を、何よりも勇気づけるものでございました。

 日田市は私の生まれ育った郷土でもあり、一日も早い生活再建と被災地の早期の復旧・復興は、私の最重要課題であります。その日田市に、両陛下に御訪問いただき、大分県議会の議長としてお迎えできましたことは、誠に光栄であり、私の一番の思い出となっています。今日でも思い出す度に熱いものがこみ上げてまいります。

 両陛下には、数多い御公務に誠心誠意を込めて対応され、お会いになる方々には御誠実さと慈愛のお心で臨まれる御姿勢に感動しない者はいないと私は確信いたしております。

 最後に、天皇皇后両陛下がますます御健勝で、皇室が末永く繁栄されますことを心からお祈り申し上げます。

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伊原木 隆太(岡山県知事)

伊原木 隆太(岡山県知事)

 豪雨災害御見舞が復興の力に

 天皇陛下におかれましては、御即位以来、めでたく三十年をお迎えになりました。平成三十一年は御即位三十年であるとともに、天皇皇后両陛下の御成婚六十年という誠に慶賀すべき年であり、ここに謹んで心からお祝い申し上げます。

 本県は、天皇陛下の姉君に当たる池田厚子様が御結婚以来お住まいであり、皇室との御縁も深いだけに、喜びもひとしおでございます。

 この三十年を顧みますと、国際情勢が大きく変容する中、我が国でも社会・経済情勢が著しく変化する一方で、幾つもの大規模な災害に見舞われましたが、我が国は幾多の難局を克服し、今日の社会を築き、国際社会においても確固たる地位を確立しております。今ここに改めてこの三十年の跡を振り返りますと、感慨無量でございます。

 天皇陛下におかれましては、この三十年の長きにわたり、皇后陛下と御一緒に全国各地へ御巡幸になり、多くの国民に親しく接せられ、また、諸外国との友好親善を深められるなど、平和国家日本の象徴として、御精励いただいておりますことは、私どもも心から感謝いたしているところでございます。

 本県にも、御即位以来三度、皇后陛下とともに御来県を賜り、平成十二年の行幸啓においては、築庭三百年を迎えた「岡山後楽園」で能の御鑑賞や美しい園内を御散策いただくとともに、福祉、産業、教育などの事情を御視察いただきました。

 また、平成十七年の第六十回国民体育大会においては、開会式や競技会への御臨席をいただき、心に残る御言葉と温かい御声援を賜りましたことは、選手をはじめ大会関係者にとって大きな励みとなりました。併せて、地方事情の御視察先など県内各地で多くの県民と触れ合われ、にこやかにお手を振ってお応えいただきました。

 そして、平成三十年七月に本県を襲った豪雨に際しては、多くの人命が失われ、大きな被害が生じたことを深く案じられ、被災直後には温かい励ましの御言葉と御下賜をいただき、九月には被災地の御見舞のために御来県いただきました。被災者の皆さまにとって、この上ない励ましになったものと考えており、深く感謝の念を抱いております。

 私どもといたしましては、引き続き、豪雨災害からの一日も早い復旧・復興に向けて全力で取り組んでまいる所存でありますとともに、地方自治の発展と県民福祉の向上に一層の努力をいたすべく、ここにその決意を新たにするものでございます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、今後ますますお健やかにあらせられますとともに、皇室の御繁栄を祈念いたしまして、祝賀の言葉とさせていただきます。

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上田 清司(全国知事会会長・埼玉県知事)

上田 清司(全国知事会会長・埼玉県知事)

 天皇陛下御即位三十年を奉祝して

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられ、誠に慶賀に堪えません。

 この三十年の間、両陛下は、日々御多端な公務を担われますとともに、毎年行われる全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会に御臨席されるなど全国各地への行幸啓を重ねてこられました。

 平成二十九年までには、全ての都道府県を二回以上お訪ねになられ、御訪問された地元の福祉、文化、産業施設などでは、多くの人々に励ましのお言葉をかけておられます。

 また、平成三年の雲仙・普賢岳の噴火をはじめ、阪神・淡路大震災、東日本大震災などの災害発生に際しては、深くお心を痛められ、被災者の皆様をお見舞いになってこられました。このことがどれほど人々の励みとなり、また復興の力となったかは申し上げるまでもございません。

 本県におきましても、天皇陛下には、御即位後だけに限りましても、県立施設や県内企業の御視察など、実に二十三回にわたり行幸をいただいております。

 平成十六年に熊谷市ほか県内各地で開催いたしました第五十九回国民体育大会「彩の国まごころ国体」の秋季大会には、開会式への両陛下の御臨席並びに競技の御高覧を賜りました。式典前演技では、出演者全員による大合唱などに、両陛下からは、ひときわ大きな拍手と「真心をこめて開かむと埼玉に三千人の合唱響く」の御製を賜りました。

 平成二十六年には、大雪により大きな被害を受けた深谷市の復興状況などを御視察いただき、ゆり農家やねぎ農家などの皆様へ、温かい励ましのお言葉をいただきました。農家の皆様にとっては大変勇気づけられ、復興への大きな励みとなりました。

 近年では、平成二十九年に、日高市の高麗神社や巾着田曼珠沙華公園、深谷市の誠之堂・清風亭、旧渋沢邸「中の家」などにお運びいただき、大変多くのねぎらいのお言葉をおかけいただきました。

 「国民の安寧と幸せを祈ること」「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を何よりも大切にされる陛下のお心に、心から感謝の誠を捧げますとともに、両陛下の御健勝と皇室の御繁栄を心からお祈り申し上げます。

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内堀 雅雄(福島県知事)

内堀 雅雄(福島県知事)

 両陛下の被災者に寄り添うお姿に、県民一同元気づけられて

 天皇陛下におかれましては、御即位満三十年を迎えられましたことを、福島県民と共に心からお祝い申し上げます。

 この三十年間を振り返りますと、国際社会が大きく変容し、我が国も社会・経済構造の変化が著しく進む中にあって、幾つもの大規模な災害に見舞われるなど、多くの困難に遭遇いたしました。

 特に福島県は、平成二十三年三月十一日に発生した大地震と大津波により、多くの尊い命を失っただけでなく、その後の原子力災害により、豊かな美しい故郷が奪われました。

 そのような中、震災直後の三月十五日に、陛下が国民に向けて発せられたビデオメッセージは、当県の被災者を始め、国民一人一人に陛下の温かい真心が伝わり、甚大かつ深刻な被害を受けた県民にとって何よりも大きな心の支えとなりました。

 また、天皇皇后両陛下におかれましては、震災発生の二か月後から幾度となく御来県され、多くの県民を直接、励ましてくださいました。

 避難所では、その場にお座りになり、避難者と目線を合わせ、温かい御言葉をかけてくださり、お帰りになる際にも、風評払拭のため、福島県産の農作物を御購入くださるなど、その細やかなお心遣いに大変感激いたしました。

 両陛下の被災者に寄り添うお姿に、県民一同、元気づけられ、復興に向けて歩みを進める大きな力となりました。

 さらに、昨年、南相馬市において開催いたしました第六十九回全国植樹祭に御臨席を賜りました折りにも、活力が戻りつつある県内の状況を御視察くださり、式典会場や沿道で歓迎する県民に心を込めて手を振ってくださいました。

 両陛下が県民に対してお心をお寄せいただいておりますことに、深い敬愛の念を抱いております。

 私もこれまで、園遊会にお招きを頂き、両陛下が招待者一人一人に細やかなお心遣いとともに温かいお言葉をおかけになるお姿を拝謁し、深い感銘を受けております。

 当県は、地震、津波、原発事故、風評被害という未曽有の複合災害からの復興と急速な人口減少に対応する地方創生という、重い課題を抱えておりますが、県民が安全かつ安心して暮らすことができ、夢と希望を持てる県づくりに向けて、全力で取り組んでまいる所存であります。

 本年は、天皇皇后両陛下御結婚六十年という佳き年でもあります。

 ここに重ねてお祝いを申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の御繁栄を衷心よりお祈り申し上げまして、奉祝の言葉とさせていただきます。

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大井川 和彦(茨城県知事)

大井川 和彦(茨城県知事)

 心温まるお言葉とお心遣い

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、茨城県民を代表いたしまして、謹んでお慶び申し上げます。

 この三十年を振り返りますと、国際的な紛争の頻発、世界的な経済危機や大規模な自然災害など、多くの困難に遭遇した激動の時代でした。

 この様な状況の中にあって、天皇皇后両陛下におかれましては、常に国民の幸福と世界の平和をお祈りになられつつ、様々な式典への御臨席や被災地へのお見舞い、友好親善のための諸外国訪問など、多岐にわたる御公務に精励され、今日の日本の平和と繁栄をお支えくださいましたことは、誠にありがたく、心から敬意と感謝をささげます。

 本県におきましても、平成十七年六月に開催されました第五十六回全国植樹祭への御臨席をはじめといたしまして、両陛下おそろいで十一回御来県いただいております。

 近年では、平成二十八年十月に国賓として来日されましたベルギー国国王陛下同王妃陛下、翌年十一月に来日されましたルクセンブルグ国大公殿下同王女殿下の県内視察にあたりまして視察地を御案内いただき、各地で県民の歓迎に親しくおこたえいただきましたことは、県民にとりまして誠にありがたく、大きな喜びでありました。

 また、平成二十三年三月の東日本大震災により被災した際には、被災地の北茨城市に御訪問いただき、決壊した防波堤や打ち上げられた漁船などの被災現場をご覧いただきましたほか、平成二十七年九月の関東・東北豪雨におきましても、被災地の常総市に御訪問いただき、被災者に励ましやいたわりのお声をかけていただきました。洪水によりがれきが散乱した常総市の被災現場にお立ち寄りいただいたとき、雨が降る中で、傘をお差しになさらずに亡くなられた方へ黙礼していただいた天皇皇后両陛下のお姿は、今も忘れることができません。

 本県は、これらの災害により甚大な被害を受けましたが、天皇皇后両陛下からの心温まるお言葉やお心遣いが、被災から復興に向けて歩み出す大きな勇気となりましたことに、改めて心から深く感謝申し上げます。

 最後に、御即位三十年を祝し、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄をお祈りいたしますとともに、皇室と県民との絆が益々深まることを重ねてお祈り申し上げます。

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大澤 正明(群馬県知事)

大澤 正明(群馬県知事)

 天皇陛下の御即位三十年を群馬県民と共にお喜び申し上げます

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを、群馬県民と共に心からお慶び申し上げます。

 御即位以来、皇后陛下と御一緒に、全国植樹祭をはじめ本県に行幸啓なされた際には、関係者を御激励になられたり、地方事情を御視察になって、施設関係者や職員等を御激励になられるなど、多くの県民と非常に親しくお触れ合いいただきました。本当に有り難いことであり、深く感謝を申し上げます。

 昨年八月には、第三十九回草津夏期国際音楽アカデミーに御参加いただきました。コンサート会場の「草津音楽の森国際コンサートホール」においては、約六百人の来場者と共にシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」等の演奏を御鑑賞され、盛んに拍手を送られていました。

 このコンサートへは、両陛下で幾度となく御参加いただき、共に音楽を楽しませていただきました。このことは、私にとりましてこの上ない喜びであり、県民にとっても大変名誉なことだと、深く感激いたしております。また、数え切れないほどの県民が沿道で熱烈にお出迎えしている様子は、まさに、県民の両陛下への敬愛がとても深いものであることを物語っています。

 本県といたしましても、両陛下の想いを受け、「群馬で暮らし始めたくなる、住み続けたくなる、家族を増やしたくなる」ような魅力あふれる群馬づくりに向けて、より一層尽力してまいる所存です。

 結びに、謹んで天皇皇后両陛下の益々の御健勝と皇室の弥栄を心よりお祈り申し上げ、奉祝の言葉とさせていただきます。

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大谷 亨(北海道議会議長)

大谷 亨(北海道議会議長)

 天皇陛下御即位三十年を奉祝申し上げて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の佳節をお迎えになられましたことを、衷心より御奉祝申し上げます。

 御即位以来、国民統合の象徴として、国事行為の重責を担われながらも、大規模な自然災害や景気の低迷など、国民の気持ちが暗く沈みがちな時において、天皇皇后両陛下は常に国民を温かく励ましていただき、特に地方には一貫して深い御慈愛をお寄せいただいております。

 とりわけ思い出深い出来事といたしましては、平成五年並びに十一年に北海道南西沖地震災害、また平成十五年には有珠山噴火災害、そして昨年の北海道胆振東部地震の御見舞いのため被災地にお立ち寄りいただき、真心のこもった労いの御言葉を賜りましたことであり、道民一同復興に向けて立ち直るための何よりの励みとなりました。

 また、昨年八月には、本道が「北海道」と命名されてから百五十年目の節目を祝う記念式典に御臨席いただき、多くの道民とともに、積み重ねてきた歴史や先人の偉業を振り返り、開拓の歴史に思いを馳せていただいたところであります。

 我が国は、水や土、森林資源など豊かな国土を持ち、それをあたりまえに享受し、繁栄してきました。建国以来、我が国が永きにわたって存在し続けている事実は、国民に心の安寧をもたらすものであります。

 世界で、紛争やテロ、大規模な自然災害が数多く発生し、多くの国民が将来に不安を抱えている中、平和を願う陛下の御心にお応えし、皇室を心のよりどころとして、力を合わせて、我が国の貴重な伝統・文化、そして平和な社会をしっかりと後世に伝えていかなければなりません。

 私ども北海道議会議員も、日本の発展を支える地方自治に携わる者として、我が国の一層の繁栄に向けて日々努力を重ねて参る覚悟であります。

 最後になりますが、各界各層におきまして天皇陛下御即位三十年を祝い奉る気運が益々盛り上がることを御期待申し上げますとともに、皇室と国民の親愛の絆が一層深まることを祈念申し上げ、御祝いの言葉といたします。

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大村 秀章(愛知県知事)

大村 秀章(愛知県知事)

 被災地訪問の原点

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の慶賀の年を迎えられ、心からお慶びを申し上げます。また、本年は天皇皇后両陛下の御結婚六十年という佳節の年でもあり、重ねて両陛下にお祝い申し上げます。

 御退位まで残すところわずかとなりましたが、陛下には約三十年の長きにわたり、全国へのご巡幸や被災地へのご訪問、諸外国との友好・親善活動など、象徴としてのお務めを全身全霊で全うしてこられました。

 天皇皇后両陛下には、平成三年の全国豊かな海づくり大会、平成六年の国民体育大会に御臨場いただいたのを始め、平成十七年の愛知万博には、開会式と会場御視察の二度にわたりお出ましをいただくなど、御即位後、愛知県には七回お越しいただきました。県民を代表して、感謝申し上げます。

 特に思い出深いのが、平成二十七年の国際第四紀学連合第十九回大会の時で、名古屋大学でノーベル賞受賞者の赤﨑・天野両先生の御進講に関心を寄せられ、トヨタ自動車㈱元町工場MIRAIのラインでは、現場で働いている若い人達と長時間御懇談いただくなど、一同感激しておりました。私から県勢の概要を御進講させていただいた際、「この会議は、地質学や自然災害などに関する大変重要な会議ですね。」とお話があり、愛知県の自然災害が話題となりました。

 陛下からは、昭和三十四年の伊勢湾台風の折に、ヘリコプターで上空から被災地を視察されたことや、被災された方々にお会いになられたというお話を伺いました。伊勢湾台風が、陛下にとって初めての被災地訪問であったことを知り、常に被災地を思い、被災された方々の心に寄り添う様々なご活動の原点が、伊勢湾台風の被災地訪問であったことに、改めて陛下の慈しみの心を深く感じております。

 昨年九月には西日本豪雨、十一月には北海道胆振東部地震の被災地をお見舞いになるなど、伊勢湾台風でのご経験を契機に、被災地訪問を長年続けておられる両陛下の、被災地とその復興に対する真摯なお姿を拝見する度に、知事として、県民の安心・安全のため、今後も防災・減災対策にしっかり取り組まなければならないと強く感じております。

 特に本県では、南海トラフ地震等が危惧されています。県民の生命や財産を守るために、地震に強い安全なあいちを目指し、地震防災対策の充実に努めてまいります。

 結びに、天皇皇后両陛下の幾久しいご健勝と皇室の末永い弥栄を心からご祈念申し上げ、奉祝の言葉といたします。

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大屋 俊弘(島根県議会議長)

大屋 俊弘(島根県議会議長)

 県内各地で心温まる御言葉をいただいて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年を御壮健にてお迎えされましたことを謹んでお祝い申し上げます。

 東西冷戦の終結、グローバリズムの進展など、この三十年間は、まさに激動の時代となりましたが、我が国にあっては、着実に繁栄を遂げ、平和な社会が続いております。

 しかしながら、世界では紛争やテロが相次ぎ、環境問題が深刻化するなど、様々な課題が現出し、国内においては、全国各地において様々な災害が相次いで発生し、多くの人々の生活に甚大な影響が生じました。

 このような時代にあって、天皇陛下におかれましては、常に国民の安らぎと世界平和を願われ、海外諸国への御訪問、地方事情の御視察や各種大会へのご臨席、そして被災地への御訪問をはじめ、お休みになられる間もなく、国内外に精力的にお出ましになられました。

 島根県にも、御即位後、二回御来県になり、平成十五年には、浜田市で開催されました第二十三回全国豊かな海づくり大会への御臨席を賜り、御言葉を賜るとともに、県民とともに稚魚の放流にも御参加いただくなど、県民と触れ合いを深めていただきました。

 また、平成六年も含め、県内各地の福祉施設や文化施設などにお立ち寄りいただき、各所において心温まる御言葉をいただきました。

 我々島根県民は、天皇皇后両陛下の慈愛に満ちあふれた御心遣いに深く感動し、励まされ、そして明日に向かっての希望と勇気をいただいてまいりました。誠にありがたく、感謝の念に堪えません。

 私どもは、天皇陛下御即位三十年を契機といたしまして、天皇陛下の温かい御気持ちを胸に、様々な課題に正面から向き合いながら、地域の発展のためより一層努力してまいる所存でございます。

 結びに、天皇皇后両陛下にあらためて心から感謝を申し上げますとともに、今後益々の御健勝と、皇室のいやさかをお祈り申し上げ、お祝いの挨拶とさせていただきます。

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小川 洋(福岡県知事)

小川 洋(福岡県知事)

 復興への力強い励み

 天皇陛下御即位三十年を謹んでお祝い申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、常に我々国民と歩みをともにされ、自然災害や経済危機など我が国が困難な事態に直面したときも、温かく御激励を賜ってまいりました。

 本県には、平成二年の「国民体育大会」、平成四年の「全国植樹祭」、平成十九年の福岡西方沖地震被災地への御訪問、そして、一昨年の「全国豊かな海づくり大会」と、これまで四度にわたり御来県を賜っております。

 特に、「全国豊かな海づくり大会」では、私も天皇皇后両陛下に随従をさせていただきました。その際、両陛下は、将来を担う若手漁業者夫妻を優しくお励ましになるなど、本県の漁業者並びに漁業の振興に、多大なお心遣いをくださりました。また、この大会中に行われた提灯奉迎には、私も参加させていただき、一万二千人の皆さんとともに、両陛下の御来県をお祝いいたしました。それにお応えになる両陛下のお姿は、万歳をする大勢の皆さんの姿とともに瞼に浮かんでまいります。

 「くろあはびあさりの稚貝手渡しぬ漁る人の上思いつつ」

 これは、この大会開催を記念して陛下から賜りました御製です。大会後、県内で最も漁船漁業が盛んな宗像市の鐘崎漁港に御製碑を建立いたしました。大会の意義を末永く後世に伝え、福岡の豊かな海を将来に受け継いでまいります。

 そして、この行幸啓の際、両陛下の御叡慮により、一昨年の九州北部豪雨災害の被災地である朝倉市を御訪問いただき、被災され、身内の方を亡くされた方お一人おひとりに、お心のこもった温かいお見舞いと励ましのお言葉を賜りました。そのお言葉に、「残してもらった命を大切にして頑張りたい。」と決意を新たにする方、また、感極まって涙する方もおられる中、涕泣しながら取材をしている記者もいて、私自身、今思い出しても、胸が熱くなります。

 両陛下の被災された方々と被災地に対するお気遣い、御慈愛にあふれたお姿は、県民にとって大きな希望と復興への力強い励みになりました。私たちは、両陛下のお気持ちをしっかりと受けとめ、一日も早い復旧・復興に全力で取り組んでまいります。

 天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の御繁栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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尾﨑 正直(高知県知事)

尾﨑 正直(高知県知事)

 三大行幸啓の最後に御来県を賜り

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを心からお祝い申し上げます。また、この度「天皇陛下御即位三十年奉祝委員会」の代表委員として、皆様方とともに天皇陛下の御即位三十年をお祝いできますことは誠に光栄の至りに存じます。

 天皇陛下におかれましては、御即位されて以来、本県には、平成五年の地方事情御視察、平成十四年の第五十七回国民体育大会秋季大会、平成三十年の第三十八回全国豊かな海づくり大会と、三度にわたり御来県いただきました。

 なかでも、平成最後の三大行幸啓となる「第三十八回全国豊かな海づくり大会~高知家大会~」を、明治百五十年の節目の年である昨年に、本県で開催できましたことは、歴史の縁に鑑みても大変光栄なことであり、県民にとりましても大変よろこばしく、感慨深い機会になったと感じております。

 天皇皇后両陛下の御臨席の下で開催しましたこの大会では、大会テーマ「森・川・海 かがやく未来へ 水の旅」のとおり、四国山地に代表される「森」、最後の清流四万十川に代表される「川」、そして雄大な海「太平洋」のつながりを意識しながら、自然や環境を守り育てる気持ちや行動の大切さを、次の世代へしっかりと伝えることができたと考えております。あわせて、本県の豊かな水産資源や自然環境を未来へ引き継いでいくための保全活動の推進に向けた決意を新たにさせていただいたところです。

 天皇皇后両陛下におかれましては、大会御臨席および地方事情御視察の三日間の行幸啓を通じまして、沿道や御訪問先において、何度も繰り返しお手振りをなされるなど、県民に大変親しく接してくださいました。私としても、天皇皇后両陛下が国民一人ひとりをとても大切になさられておりますことに改めて深く感じ入り、大変感銘を受けたところです。

 天皇皇后両陛下から賜りました温かいお心づかいを心に刻み、県民が幸せで将来に希望が持てる県を目指し、全力を挙げて取り組んでまいります。

 結びに、改めまして天皇陛下御在位三十年を心から御祝い申し上げますとともに、両陛下の御健勝と皇室の益々のご繁栄を心からお祈り申し上げます。

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加戸 守行(元愛媛県知事)

加戸 守行(元愛媛県知事)

 いつも国民と共に

 御苦労・御心痛の多かった平成の御代三十年を国民に寄り添って過ごされて来られた両陛下には心から感謝申し上げます。

 天皇陛下の即位の礼に参列する栄誉に恵まれた私にとって、平成の御代に生きた幸せは何物にも替えがたく思います。特に平成十三年二月の愛媛県知事時代にハワイ沖で起きた県立水産高校実習船「えひめ丸」の沈没事故に伴う船体引き上げ・船内捜索では大変苦労いたしましたが、翌年春の園遊会で「愛媛県知事」の名札を御覧になられた両陛下から「御苦労されましたね」との暖かいお言葉をかけていただき、涙の出る思いがいたしました。平成二十三年三月に起きた東日本大震災の六日後に放映された天皇陛下のビデオメッセージの中で災害救助活動に従事した国・自治体の職員に対する感謝の言葉のトップに始めて「自衛隊」を挙げていただき感銘を受けたのですが、私には、十年前のえひめ丸事故の遺体捜索に気圧の関係での制限時間を超えて活動を続けられた海上自衛隊の潜水艦救難艦「ちはや」の潜水隊員に対しての感謝の言葉も含まれているような思いに駆られたことでもありました。

 平成初期の私の国立劇場理事長時代には、毎年、紀宮清子内親王殿下の日本舞踊の公演に御来館いただいて座席まで御案内申し上げ、両陛下のお側でサーヤ様の踊りを鑑賞する特権を享受しておりました。その時のお二人の会話や態度は庶民の子を思う親の素朴な会話と変わらないものでした。

 私にとっては、元日での年賀、天皇誕生日でのお祝い、数次に及ぶ県知事としての愛媛県政の御進講、歌会始への参加、叙勲等々で皇居へ数知れず参上させていただく幸運な三十年でありました。

 平成二十九年十月の「えひめ国体」御出席のため御来県された両陛下に愛媛県自慢の木造の県武道館での剣道競技を御覧いただいた折の案内役を武道館顧問の私が務めたのですが、私が「県産杉の集成材と丸太材を使用しておりますが、杉の香りはいいですね」と申し上げましたら、木曽檜で造営されている伊勢神宮を念頭に置かれたのか、天皇陛下からは「杉もそうですか。檜もよく香りますよね」と御返答があり、杉の香りを否定することなく感想を述べられる帝王学に感心させられたことでした。

 御退位の後の両陛下の寛がれた御生活と御長寿を心より念じ上げます。

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蒲島 郁夫(熊本県知事)

蒲島 郁夫(熊本県知事)

 希望の光となられて

 天皇陛下におかれましては、本年、御在位三十年を迎えられましたことを、熊本県民ともども心からお祝い申し上げます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、世界平和と人々の幸せを何よりも願ってこられた平成の三十年であったと思います。

 いつ、いかなる時も、陛下は、人々の大きな支えであり、何ものにも代え難い拠り所です。

 振り返りますと、両陛下には、御即位からこれまで三度も熊本県にお越しいただき、県民に、深い愛情を注いでくださいました。

 最初の御訪問は、平成十一年の「くまもと未来国体」でした。御即位以来初めてとなる御来熊に、会場や沿道には、日の丸の小旗を振る人々の笑顔が溢れ、二十一世紀へと繋がる素晴らしい大会となりました。

 二度目の御訪問は、平成二十五年の「全国豊かな海づくり大会」でした。この時、私どもの長年の願いであった水俣御訪問を実現していただき、再生する水俣の海を御覧いただくとともに、水俣病患者の方々に、お声掛をしていただきました。予定時間が過ぎても、最後の一人まで思いを受け止めようとなさる両陛下のお姿は、いつまでも、県民の心にとどまっています。

 そして三度目は、平成二十八年、熊本地震の発災後間もない五月、被災地へのお見舞いの御訪問でした。避難所では、厳しい避難生活を送る被災者一人一人にそっと寄り添われる両陛下の優しさに、全ての県民が、復興に立ち上がる勇気をいただきました。

 いずれの御訪問も、熊本県民にとって、かけがえのない、本当に大切な宝物です。

 県民に希望の光を届けてくださる両陛下に、あらためて、心から感謝を申し上げます。

 両陛下が、いつも見守ってくださることを励みに、県民の心を一つにして、熊本の創造的復興に全力で取り組んで参ります。

 結びに、天皇皇后両陛下の今後益々の御健勝と皇室の弥栄を御祈念申し上げ、奉祝の言葉とさせていただきます。

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川勝 平太(静岡県知事)

川勝 平太(静岡県知事)

 天皇陛下御即位三十年を祝して

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになり、衷心より祝意を表するものであります。

 陛下が歩まれました平成の三十年を顧みますと、国民のたゆみない努力により、国際化、情報化が進み、平和と繁栄を享受する中にありながらも、バブル経済の崩壊や世界的な金融危機に端を発する経済危機、少子高齢化、人口減少社会の到来など大きなうねりを伴う時代でもありました。

 この間、陛下は皇后陛下とともにすべての都道府県を訪問され、その先々で障害のある方や高齢者の施設などを訪れ、一人ひとりとお言葉を交わされるとともに、阪神・淡路大震災や東日本大震災など大きな災害が起きるたびに現地に赴き、被災者を励まされるなど、正に私たち国民と苦楽をともに歩んでこられました。

 また、海外にお出かけの際には、平和の架け橋として世界各国との友好にもお努めになるとともに、戦没者の追悼を行うなど、ひたすら平和と人々の福祉を念願してこられました陛下におかれましては、言い尽くせぬ御尽力をされたことと拝察いたします。

 静岡県は、下田市の須崎に御用邸があることなどから、とりわけ皇室との関わりが深く、陛下におかれましては、皇太子時代を含めて公式行事への御臨席をはじめ地方事情の御視察や御静養のため、昭和二十一年以降の本県の記録によりますと計六十回も御来静いただいております。

 天皇陛下に御即位されてからは、いわゆる三大行幸啓と言われる平成十一年の全国植樹祭、平成十三年の全国豊かな海づくり大会、平成十五年の国民体育大会に皇后陛下とともに御臨席を賜りました。

 最近では、スペイン国国王陛下及び王妃陛下御案内や私的御旅行としての行幸啓でも静岡県にお越しいただき、県内の福祉・文化等の施設を御視察賜り、多くの県民と触れ合いを深めていただくことができました。

 時代が急速に変貌し、我が国、そして静岡県が当面する課題は山積しておりますが、私たちは、日本国憲法の下、天皇陛下を国民統合の象徴と仰ぎ、国民の英知を結集するとともに、人々の絆を大切にして、今後とも平和で文化に富んだ豊かな未来を拓いていく努力を重ねてまいる決意を新たにしております。

 天皇陛下御即位三十年という誠に慶賀この上ない年に当たり、謹んで天皇陛下並びに皇后陛下の御長寿、御健勝と皇室のますますの御繁栄をお祈り申し上げます。

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川口 正志(奈良県議会議長)

川口 正志(奈良県議会議長)

 天皇陛下の御即位三十年を奉祝して

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の佳節をお迎えになられましたことを、謹んでお祝い申し上げます。

 御即位以来、陛下は常に国民の幸せと我が国の発展、そして広く世界の平和を念頭にあらゆる公務に真心を込めて向き合われ、皇后陛下と御一緒に親しく国の内外にお出ましいただきました。

 とりわけ我が国が、大震災や風水害など大規模な災害に見舞われる中にあって、両陛下におかれましては「国民とともに」との御心のもと被災地をご訪問され、直接国民にお見舞いやねぎらいの言葉をお掛けいただきました。また、障害者や高齢者など社会的に弱い立場にある人々に常に寄り添われ、数多くの慰霊の旅にあってはその先々で心からの深い祈りを捧げていただきました。

 こうした両陛下の真摯なお姿、温かい眼差しとお言葉に、我々県民、国民はどれほど励まされ、癒やしと明日へ一歩踏み出す力をいただきましたことか、改めて申し上げるまでもありません。誠にありがたく、衷心から感謝を申し上げるしだいでございます。

 奈良県には、御即位後間もない平成二年に、神武天皇山陵御親謁のため御来県いただきましたのをはじめ六度の行幸啓を賜り、多くの県民と親しく接していただき県勢もつぶさに御視察いただきました。このうち平成二十二年には、平城遷都千三百年記念祝典に御臨席を仰ぎ、平城宮跡に復原した大極殿を御覧いただいて「研究を重ねかさねて復原せし大極殿いま目の前に立つ」の御製を賜りました。

 その際、天皇陛下におかれましては、父祖の地としてこの地に深いゆかりを感じるとお述べになり、奈良時代の文化や技術の発展、人々の営みや尽力に思いを馳せていただきました。この御製とその御心に接した県民皆が深い感銘ととともに、改めて陛下や皇室への敬愛の思いを深めたところでございます。

 奈良県議会といたしましても、心のふるさと歴史のふるさととして、本県の伝統や歴史、文化財を守りながら、さらに豊かで活力にあふれた郷土奈良をつくるため、県民とともに努力を重ねてまいる所存であります。

 結びに、天皇皇后両陛下の幾久しい御健勝、御長寿と皇室の末永い弥栄を祈念申し上げ、奉祝の言葉とさせていただきます。

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川島 隆二(滋賀県議会議長)

川島 隆二(滋賀県議会議長)

 湖国より奉祝と感謝の意を込めて

 天皇陛下におかれましては、御即位されてより三十年という慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、湖国、滋賀県議会を代表し、心よりお慶び申し上げます。

 平成の御代を振り返りますと、我が国では戦争もなく、平和を享受できた御代でありました。一方で、阪神淡路大震災や東日本大震災、台風や豪雨等の自然災害が数多くありました。天皇皇后両陛下は、そのような災害が発生する度に深くお心を痛められ、いち早く被災地を御訪問されて、犠牲者の方々への追悼と、被災者の方々へのお見舞いをされて来られました。国民と共に痛みを分かち合うそのお姿と、被災者一人ひとりへの温かいお心遣いに、我々がどれだけ励まされ、生きる力と勇気を賜ったかは、申し上げるまでもございません。

 私も幾度か両陛下のお姿を拝見する機会をいただきましたが、その中でも平成三十年六月、福島県で行われた第六十九回全国植樹祭の記念式典が特に印象に残っております。小雨が降る会場に両陛下がお出ましになられた際、数千人の参列者が一斉に日の丸を振り、歓声を上げ、会場が熱気に包まれる様子を見て、天皇陛下はまさに国民から親しまれ愛される、日本国と国民統合の象徴であると、改めて畏敬の念を抱いたところであります。

 また、滋賀県への行幸啓として、両陛下には平成六年十月に県内各地を御視察賜りました。特に重度心身障害者施設では、一人ひとりに包み込むような優しい笑顔とお言葉を賜り、琵琶湖栽培漁業センターでは、琵琶湖の渇水やアオコの発生が与える影響にお心配りを賜るなど、県民一同深い感銘を受けた次第であります。

 平成十九年十一月には、琵琶湖において、内水面で全国初の開催となった「第二十七回全国豊かな海づくり大会」に御臨席賜りました。その際、陛下には「永い時を経て琵琶湖に適応している生物は、皆かけがえのない存在。この大会が河川、湖沼の生物を愛する心を培い、皆で豊かな湖づくりに励む契機となることを願います。」とのお言葉を賜っております。このお言葉を胸に、今後も国民的資産である琵琶湖を、健全で恵み豊かな湖として後代の国民に継承していくため、保全と再生に尽力していくことをお誓い申し上げます。

 結びに、今日までの陛下の御足跡と御心に深く感謝の誠を捧げますとともに、謹んで天皇皇后両陛下の益々の御長寿、御健勝と皇室の末永い御繁栄を心よりお祈り申し上げ、奉祝の言葉とさせていただきます。

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川津 隆(茨城県議会議長)

川津 隆(茨城県議会議長)

 陛下のまごころに感謝を寄せて

 天皇陛下御即位三十年という慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、茨城県民とともに心よりお慶び申し上げます。

 陛下におかれましては、御即位以来今日に至るまで、国家の安寧と世界平和を一途にご祈念されますとともに、度重なる大規模自然災害に際しましては、被災地に赴き直接被災者をお励ましになり、また、地方にお出ましの際には多くの人々に温かいお言葉をかけられるなど、親しく国民と心を通わされてきました。

 本県におきましては、平成三年に、オランダ国女王陛下とともに、つくばエキスポセンターや国の研究施設などをご視察されたことをはじめといたしまして、これまで十一回にわたり御来県を賜っております。

 とりわけ、平成二十三年の東日本大震災、平成二十七年の関東・東北豪雨と、本県が大規模な自然災害に見舞われた際には、皇后陛下とともに本県被災地に足を運ばれ、犠牲者のご冥福をお祈りになられますとともに、被災者一人ひとりの手を取ってまごころ溢れるお言葉をかけていただきました。このことが、私たち茨城県民にとって、どれほどの励みとなり、本県復興の力となったかは言葉では言い尽くせません。両陛下のお心遣いに対しまして、心より感謝申し上げます。

 本年秋には、本県において、国民体育大会並びに全国障害者スポーツ大会が開催されます。陛下は、これまで両大会を通じて参加者を励まされますとともに、障害者スポーツの普及に心を寄せてこられました。陛下が大切にされてきた思いを深く胸に刻み、選手も観客も楽しさを実感できる大会となりますよう、県民一丸となって盛り上げて参る所存であります。

 結びに、天皇陛下御即位三十年を心からお祝い申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の今後益々のご健勝と、皇室が末永く繁栄されますことをご祈念申し上げまして、奉祝の言葉とさせていただきます。

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北林 康司(日本会議秋田会長・秋田県議会議員)

北林 康司(日本会議秋田会長・秋田県議会議員)

 祝意

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位三十年をお迎えになられますこと誠に慶賀にたえないところであります。秋田県民とともに慶祝の誠を表します。

 平成に入りましてからの三十年を振り返りますと、東日本大震災をはじめとする大規模な自然災害の多発、国際的な紛争やテロの頻発、世界規模の経済危機など多くの課題や困難に直面した、まさに荒波に揉まれた時代でありました。

 この間、天皇陛下におかれましては、絶えず国民の幸せと国家の繁栄、そして世界の平和を願われ、全国各地を皇后陛下とともにご訪問なされました。少しでも多くの国民と接し、何時でも国民に寄り添ってこられましたそのお姿は、誠にありがたく、心からの敬意と感謝を捧げる次第であります。

 平成の御代における両陛下と本県との思い出を振り返りますと、平成九年十月に地方事情のご視察のために秋田県をご訪問くださった際、私は議長として、ずっと両陛下に随従させていただきました。

 お食事中、隣にお座りになる皇后陛下が、「議長さん、これは何ですか」とおっしゃいましたので、「秋田ではミズの玉と呼びます。ミズの玉は熊がよく好んで食べるそうです」と説明させていただきました。すかさず天皇陛下が「熊はどのような種類ですか」とお尋ねになりましたので、「秋田で生息する熊はツキノワグマです」とお伝えいたしました。すると、今度は皇后陛下が「議長さん、皇居でもワラビやゼンマイは採れますが、硬くて食べられません」と、大変興味深いお話をされました。私は「それでは、柔らかくて美味しい秋田のワラビを皇居にお届けしますので、ぜひ味わっていただきたいものです」と、お伝えしましたが、同行された宮内庁長官と侍従長からの快諾は残念ながら叶いませんでした。上皇陛下、上皇后陛下のお立場になられた暁には、ぜひとも柔らかくて美味しい秋田のワラビを召し上がっていただきたいと切に願うものであります。

 ここに改めまして、御即位三十年という佳節を迎え、陛下のこれまでの御治世と大御心に衷心より感謝と報恩の誠を捧げ、両陛下のご健康、ご多幸と皇室のご繁栄をお祈り申し上げ奉祝の言葉とさせていただきます。

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桐生 秀昭(神奈川県議会議長)

桐生 秀昭(神奈川県議会議長)

 国民とともに歩まれた三十年を振り返って

 天皇陛下におかれましては、このたび、御即位三十年という慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、神奈川県議会を代表いたしまして、謹んでお祝いを申し上げます。

 御静養地である葉山御用邸があります神奈川県は、皇室とは御縁が深く、本県議長として、この慶事に接し、こうして奉祝文を捧げられますことを、誠に光栄に存じます。

 私は、元日に皇居で行われました新年祝賀の儀にお招きいただき、お近くで拝謁の栄誉に浴しました。九一八万の神奈川県民のため、誠心誠意、職務を全うする決意を新たにしたところであります。

 思い起こせば三十年前に、「内平らかにして外成る」、「地平らかにして天成る」という思いが込められた、平成の御代が始まりました。

 今日までの歳月を顧みますと、日本は繁栄と平和を享受する一方で、国内外で、大規模災害の発生、国際紛争やテロの勃発、世界的な気候変動、経済危機の到来など、国民生活に大きな影響を及ぼす多くの困難に直面した、まさに激動の時代でございました。

 この間、陛下におかれましては、皇居での御公務はもとより、友好親善のための諸外国訪問、国民体育大会や全国植樹祭など各般の行事への御臨席、全国各地の福祉、文化、産業等施設の訪問など、国民すべてに思いを馳せつつ、率先して御精励を続けてこられました。

 なかでも、平成三年の雲仙・普賢岳の噴火、平成七年の阪神・淡路大震災、平成二十三年の東日本大震災など相次いで発生した大規模災害に、大変御心を痛められ、被災地を訪れになって被災者に温かなお言葉をかけられる御姿は、我々国民にどれだけ大きな感動と復興への希望を与えてくださったか、言葉に尽くすことはできません。今、改めて陛下に深く感謝申し上げる次第でございます。

 現在、私たちは多くの困難な課題に直面しておりますが、常に国民に寄り添い、国民とともに歩み、国民の幸せを願う陛下のお気持ちに応え、我が国が一層繁栄するよう、私ども神奈川県議会といたしましても、全力を尽くしてまいる所存でございます。

 終わりに、天皇陛下御即位三十年を今一度心よりお祝い申し上げ、両陛下のご健勝と皇室の末永いご繁栄を祈念いたします。

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熊谷 雄一(青森県議会議長)

熊谷 雄一(青森県議会議長)

 復興を支えていただきて

 天皇陛下御即位三十年を御壮健にてお迎えになられましたことを、謹んでお祝い、喜びを申し上げます。

 陛下は、御即位以来、諸外国の御訪問や戦没者の慰霊、各般の御公務のほか、災害被災地のお見舞いなどを通じて、常に世界平和と我が国の繁栄、そして何より国民の幸福を願われ、お心を砕いてこられました。

 本県では、平成二年七月に三沢市で開催された「第十回全国豊かな海づくり大会」に皇后陛下とともに御臨席を賜り、その後、県内各地を御視察いただきました。その際には、多くの県民に温かい励ましのお言葉を賜り、私どもといたしましては、この上ない喜びで、感銘を深くしたところであります。

 何より印象深いのは、平成二十六年九月に東日本大震災からの復興状況の御視察のために御来県され、八戸港の被災状況や県民の復興に向けた取組などについて深くお心をお寄せいただいたことであります。このことは、どれだけ県民の心の支えとなったことか計り知れません。ここに改めて深く感謝を申し上げます。

 またこのように、天皇陛下の御即位三十年を、青森県民とともにお祝いできますことは、国民と皇室を結ぶ敬愛と信頼の絆がますます揺るぎないものとなるものであり、誠に意義深く、慶賀に堪えません。

 結びに、平成の長年のお務めに感謝申し上げ、天皇・皇后両陛下がますます御健勝であらせられますとともに、御皇室の末永い御繁栄を心から御祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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黒岩 祐治(神奈川県知事)

黒岩 祐治(神奈川県知事)

 天皇陛下御即位三十年に寄せて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年を迎えられましたことを、神奈川県民を代表いたしまして、謹んでお祝い申し上げます。

 陛下の御即位以来の御事績を振り返りますと、戦没者や遺族、障がいなどの困難を抱える方々に心をお寄せになられ、常に国民と共に歩んでこられたお姿が大変強く心に残っています。

 阪神淡路大震災、東日本大震災などの未曾有の大災害の折には、天皇皇后両陛下がいち早く被災地を御訪問され、被災者に寄り添ってくださるお姿に、被災者のみならず、多くの国民が励まされ、勇気づけられてきました。

 このように、陛下が一つひとつの御公務に精励され、国民の安寧と幸せをお祈りくださるお姿に、われわれ国民一同深く感銘し、敬愛と感謝の念を強くしてまいりました。

 神奈川県には葉山御用邸があり、両陛下におかれましては、たびたび本県に御来県いただきました。その度、県民とのふれあいの機会を賜っており、両陛下の温かいお人柄に接しました県民にとって、かけがえのない思い出となったことを神奈川県知事として大変うれしく思っています。

 私も御静養の際には、県勢概要を説明させていただく機会をいただきました。陛下が熱心に耳を傾けてくださるお姿に触れるたびに、県民生活のことを真剣に考えてくださる陛下のお心に胸を打たれ、知事としての使命感を新たにしてまいりました。

 とりわけ、平成の三十年の御代の間には、十年の国民体育大会秋季大会、十七年の全国豊かな海づくり大会、そして、二十二年の全国植樹祭という、いわゆる三大行幸啓の全てについて両陛下を本県にお迎えすることができ、誠に光栄に存じております。

 全国植樹祭の際には、県内事情を御視察いただき、障がい者支援施設では施設利用者の方々に温かい励ましのお言葉を賜り、県民一同深く感激いたしました。

 こうした両陛下のお気持ちにこたえることが出来るよう、県民とともに歩みを進めていきたいと考えております。

 最後になりますが、天皇皇后両陛下のこれまでの御活動に感謝申し上げますとともに、両陛下の御健勝と皇室の弥栄を心よりお祈り申し上げます。

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河野 俊嗣(宮崎県知事)

河野 俊嗣(宮崎県知事)

 天皇陛下の深い御心に感謝して

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを、宮崎県民とともに謹んでお祝い申し上げます。

 この三十年を顧みますと、戦後五十年、六十年、七十年と節目の年を重ねる中で、情報通信技術の急速な発展や経済のグローバル化などにより、平和と繁栄を享受してきた一方で、阪神淡路大震災や東日本大震災などの甚大な自然災害に見舞われるなど、幾多の困難、悲しみにも直面してきました。

 このような中、いかなるときも国民と苦楽を共にされ、国民の幸福と世界の平和を願い続けてこられた陛下のお姿に、国民は深い畏敬の念を抱いてまいりました。

 皇后陛下と御一緒に全国各地にお出ましになり、温かい励ましのお言葉をお掛けになる御様子は深い慈愛に満ち、国民はどれほど勇気と希望をいただいてきたことでありましょうか。

 特に、宮崎県において、口蹄疫、鳥インフルエンザ、霧島連山新燃岳噴火の被害が発生した際は、両陛下に大変御心配をいただき、復興に取り組む県民にとって大きな励みとなりました。また、私も地方事情御説明、園遊会、新年祝賀の儀で、幾度か拝謁の栄に浴する機会を賜っておりますが、昨年秋の園遊会において、陛下が出席者それぞれの名札をしっかり御覧になりながら接しておられた真摯なお姿が、誠に印象深く心に残っております。

 両陛下には、昭和三十七年に御成婚後初めて御来県いただき、これまでに八度、平成の御代を迎えてから二度の御訪問を賜りました。

「あまたなる いにしへ人の ねむりゐる 西都原台地に 苗木を植うる」

 これは、平成十六年に本県の西都原古墳群で開催された全国植樹祭に御臨席いただいたときの情景を詠まれた御製であります。二基の陵墓参考地があり、皇室とのつながりもあるとされる当地に御製碑を製作し、大切に引き継いでおりますが、図らずも昨年、同地を中心とする宮崎平野が「古代人のモニュメント~大地に絵を描く南国宮崎の古墳景観~」として、本県初の日本遺産に認定されたところでございます。

 本県も本格的な人口減少に直面し、地域社会への様々な影響が懸念される状況にございますが、これら古から脈々と受け継がれてきた地域の資源、文化を大切にしながら、先人への敬意と感謝を忘れることなく、県勢発展に努めてまいる所存であります。

 結びに、陛下が三十年の長きにわたって、国民の安寧と幸せを祈り、お務めを果たしてこられたお陰をもって今日を迎えることができましたことに心から感謝を申し上げますとともに、両陛下の御健康と皇室の限りない御繁栄をお祈りしまして、奉祝の言葉とさせていただきます。

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齊藤 正明(埼玉県議会議長)

齊藤 正明(埼玉県議会議長)

 温かいお言葉と穏やかな笑顔への感謝

 このたび、天皇陛下が御即位三十年をお迎えになられましたことはまことに慶賀に堪えないところであり、ここに埼玉県議会を代表し、謹んでお祝い申し上げます。

 御即位からの三十年は、東日本大震災などの大規模自然災害やテロ、国際紛争の続発に加えて、バブル経済の崩壊やリーマンショックによる経済の大きな変動が生じるなど激動の時代でありました。

 このような中、天皇皇后両陛下は、どんな時も国民の安らぎを願い、喜びと苦労を国民と共に分かち合い、社会に尽くしてこられました。その温かいお言葉と穏やかな笑顔に、我々がどれだけ励まされたか言葉では言い尽くせません。

 天皇皇后両陛下におかれましては、皇居での多端な御公務を担われるとともに、春の全国植樹祭、秋の国民体育大会など地方への御行幸啓を重ねられ、各地の福祉施設や文化施設等にも熱心にお訪ねになられました。また、被災者のお見舞いや戦没者への御慰霊、諸外国との国際交流や外国の元首など国賓の御接遇にも力を尽くしておられます。平和国家日本の象徴として、また、日本国民統合の象徴として、国内外で陛下が御精励されていることは、我々にとりまして感慨無量でございます。

 御即位以来、埼玉県にも何度となく陛下の御行幸をいただき、その度に、温かいお言葉で県民を勇気づけ、励まされたことは感謝の念にたえないところであります。最も印象深いのは、平成二十三年四月に東日本大震災の避難所として使われていた埼玉県加須市の旧騎西高校をお訪ねになられ、福島県双葉町から避難した被災者を慰問されたことでございます。被災者一人ひとりを励ますそのお姿に、県民だけでなく国民がどれだけ深い感動をおぼえ、勇気づけられたか言葉に尽すことはできません。改めて、陛下に深く感謝申し上げる次第でございます。

 議長として、平成三十一年元日の新年祝賀の儀にお招きいただいた際にも、陛下から「新しい年をともに祝うことを誠に喜ばしく思います。年頭にあたり、国の発展と国民の幸せを祈ります。」とのお言葉をいただきました。陛下からいただいた国民の幸せを願うお言葉を胸に、埼玉県議会は今後とも県政の発展に精一杯努めてまいる所存でございます。

 結びに、天皇皇后両陛下の御健康と皇室の末永い御繁栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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坂田 孝志(熊本県議会議長)

坂田 孝志(熊本県議会議長)

 温かいお見守りを大きな力に

 天皇陛下におかれましては、御在位三十年の慶賀すべき年を迎えられましたことを、熊本県議会を代表しまして、県民とともに謹んでお祝い申し上げます。

 御即位からの三十年を顧みまするに、天皇陛下におかれましては、皇居での御多端な御公務はもとより、全国各地における行事への御臨席、被災地へのお見舞い、諸外国への友好訪問など、日本国及び日本国民統合の象徴として、ひたすら国民の安寧と世界の平和を願われ、御心を砕いてこられました。

 本県に未曾有の被害をもたらした、平成二十八年熊本地震では、多くの県民が、繰り返す大きな地震に動揺し、車中泊や避難所での不安な日々を過ごしました。そのような中、天皇皇后両陛下におかれましては、本県の被災地を御訪問され、犠牲者を悼み、被災者を慰め、救援活動に御尽力された人々を労われました。両陛下の被災者一人ひとりへの心温まるお言葉とそのお姿に、私たち県民がどれほど勇気づけられ、励まされたことかわかりません。私たち県議会としましても、両陛下の温かいお見守りを大きな力といたしまして、熊本地震からの創造的復興と県民が安心して暮らせる地域づくりに邁進してまいる所存でございます。

 この佳節に際しまして、県議会におきましては、二月定例会において、御在位三十年をお祝いする賀詞を決議し、早々に奉呈をさせていただきました。また、蒲島知事ら関係者とともに、感謝の気持ちを込めまして、県庁プロムナードに肥後六花のひとつである肥後椿の植樹をさせていただきました。

 本年は天皇陛下御退位、皇太子殿下御即位という、大きな節目の時を迎えられますが、国民とともに歩んでこられた天皇皇后両陛下の益々の御健勝と御多幸、御皇室の末永い弥栄を心よりお祈り申し上げまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

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作野 広昭(石川県議会議長)

作野 広昭(石川県議会議長)

 両陛下の温かなお言葉を胸に抱き

 天皇陛下御即位三十年という慶賀すべき年を迎えられましたことを、石川県議会を代表いたしまして謹んでお祝い申し上げます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、御即位後これまでの三十年間に地方でのご公務でもとりわけ重要とされている三大行幸啓でのご来県をいただきました。平成三年十月の「第四十六回国民体育大会」、平成八年九月の珠洲市での「第十六回全国豊かな海づくり大会」、平成二十七年五月の小松市での「第六十六回全国植樹祭」に両陛下のご臨席を仰ぎ、いずれの行事も穏やかな天候の下、能登から加賀地域まで県民一同が両陛下の温かなまなざしとお言葉に元気と感動をいただきました。

 とりわけ、第六十六回全国植樹祭の開催年は、石川県民の長年の悲願であった北陸新幹線の開業年と重なり、両陛下には初めて北陸新幹線をご利用されご来県をいただきました。大会は「木を活かし 未来へ届ける ふるさとの森」をテーマに開催され、当日は残雪を頂く霊峰白山を背景に、森林資源の利活用を通じた新たな森づくりを参加者全員で共有し、全国に発信することができました。石川県議会議長としても、両陛下に随従させていただき、大会の閉会を宣言させていただくという貴重な機会をいただいたことをたいへん光栄に思っております。

 また、私個人といたしましては、昨年三月に県議会議長に就任し、同年九月に本県の小松空港において、国民体育大会にご臨席のため福井県に向かわれる両陛下をお出迎えし、帰京される両陛下をお見送りする機会をいただきました。その際に両陛下から温かいお言葉をお掛けいただき、中でも皇后陛下からいただいた「第百代議長就任おめでとうございます。」という祝福のお言葉を今でも鮮明に記憶しており、感慨深く感じております。

 両陛下はこれまで全国各地へのご訪問、被災地へのお見舞いなど常に国民に寄り添い、献身的な歩みを続けてこられました。そうしたお姿を拝見することは地方に住む我々にとって、大いに勇気と希望を与えていただけるものであり、我々地方議員が目指す地方活性化の大きな原動力となっております。

 私ども石川県議会といたしましても、数多くの本県の強み・財産を最大限に活かしながら、県民の幸せのため、地方活性化に向けて邁進する所存であります。

 結びに、両陛下の今後益々のご健勝、ご多幸と皇室の末永いご繁栄を心より祈念いたしましてお祝いの言葉とさせていただきます。

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佐竹 敬久(秋田県知事)

佐竹 敬久(秋田県知事)

 心温まるお言葉を胸に

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを、秋田県民を代表いたしまして、心からお祝い申し上げます。

 御即位以来、天皇陛下には日本国及び日本国民統合の象徴として、多忙な御公務をお務めになられながらも、皇后陛下と共に全国各地を御訪問され、国民に勇気と希望を与えてこられましたことに謹んで感謝を申し上げます。

 天皇皇后両陛下には、平成の御代を迎えられてから、平成九年の地方事情御視察、平成十九年の第六十二回国民体育大会「秋田わか杉国体」、平成二十年の第五十九回全国植樹祭と三度御来県いただき、福祉施設の御慰問先や県内各地の御視察先で、多くの心温まる励ましのお言葉を賜るとともに、本県に台風や大雪の被害があった際は、お見舞いを御下賜くださるなど、常に国民に心をお寄せくださっていることに、県民は深い敬愛の念を抱いております。

 私は、昨年秋、高知県で開催された全国豊かな海づくり大会の歓迎レセプションに後催県の知事として出席し、陛下と懇談させていただいた際に、本県で開催された全国植樹祭でお手植えなさった苗木の生育状況を報告しましたところ、感謝のお言葉を賜り、感激で胸がいっぱいになりました。

 また、今年の新年祝賀の儀では、出席者に対し、天皇陛下から国の発展と国民の幸せを祈りますとのお言葉を賜っております。これまで、幾度となくお言葉を賜った者として、御退位を寂しく感じるとともに、両陛下の国民を慈しむ心に触れ感無量でございました。今後とも、皇后陛下とつつがなくお過ごしになり、末永く国民を見守っていただけますよう願っております。

 常に国民の幸せを願っておられる大御心に応え、かけがえのない「ふるさと秋田」の発展のため、私も県民と共に全力で取り組んでまいる所存であります。

 ここに改めて、天皇皇后両陛下の益々の御健勝と皇室の繁栄を心からお祈り申し上げますとともに、皇室と国民の親愛の絆が更に深まりますことを祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

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佐藤 光樹(宮城県議会議長)

佐藤 光樹(宮城県議会議長)

 天皇陛下御即位三十年をお祝い申し上げます

 天皇陛下におかれましては、このたび御即位三十年をお迎えになられましたことは、宮城県民ひとしく慶賀に堪えないところであり、県民とともに謹んで慶賀の誠を表します。

 宮城県議会といたしましても、本年二月定例会において賀詞を決議したところであります。

 天皇皇后両陛下におかれましては、この三十年間、常に国民と苦楽を共にされ、国民の安寧と世界の平和の実現に御心を傾けてこられました。本県には、平成二十三年に発生した「東日本大震災」以降、六度にわたり被災地をお見舞いいただき、その都度、被災された方々一人ひとりに寄り添い心温まるお言葉を頂戴し、県民の心を癒やしていただきました。

 また、天皇皇后両陛下をお出迎え、お見送りをする県民に対して、心温まる笑みでお答えになるお姿に天皇皇后両陛下の慈しみのお気持ちを感じさせていただいたところであり、誠にありがたく,改めて感謝を申し上げる次第であります。

 昨今、国内では各地において災害が多発しております。天皇皇后両陛下には、その都度、各地を御見舞いいただき、本県と同様に、多くの被災された方々にお心を寄せられ、誰一人分け隔て無く注がれるお優しく温かいお心遣いに感銘を受けております。

 そして、御即位三十年をお迎えになられた記念すべき本年の「新年祝賀の儀」に参列させていただき、天皇陛下より国の発展と国民の幸せを願うお言葉を賜りました。県民の福祉の向上に向け議長としての職責を全うすべく決意を新たにしたところです。

 結びに、天皇皇后両陛下のこれまでの国民に対するお気持ちに改めまして感謝申し上げますと共に、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室のますますの弥栄をお祈り申し上げます。

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重清 佳之(徳島県議会議長)

重清 佳之(徳島県議会議長)

 受け継がれる陛下の思し召し

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の佳節を迎えられるにあたり、心からお慶び申し上げます。

 陛下は、皇太子殿下であらせられた昭和四十六年、本県で開催された全国高校総合体育大会御臨席のため、妃殿下とともに初めて四国を御訪問され、私の地元、海部郡の大浜海岸にもお越し頂き、ウミガメの産卵を御視察なさいました。昭和六十年には、当時、東洋一の吊り橋と言われた完成直後の大鳴門橋をお渡りになって本県へお越しくださいました。

 そして、御即位後間もない平成元年五月、徳島県民こぞっての祝賀ムードと大きな興奮の中、天皇陛下としての初の地方行幸啓として、第四十回全国植樹祭に御臨席のため、本県御訪問の栄を仰いだことが今も強く想起されます。さらに、平成五年の第四十八回国民体育大会(東四国国体)、平成十年の第十八回全国豊かな海づくり大会にも本県へと足をお運び頂きました。

 本県を皮切りとした地方行幸啓を重ねられた陛下は、御即位後、全都道府県を二回以上御訪問されておられます。国民の声に耳を傾け、寄り添うという熱い思し召しを持ち続けておられるお姿に心底感銘致している次第であります。

 特にそのことを実感致しましたのは、昨年の秋の園遊会で謁見の機会を得た時のこと、雨の中、傘をお差しになりながら、大勢の参列者のお話を丁寧にお聞きになっておられるお姿が大変印象的でありました。

 昨年六月、私の地元へ徳仁親王皇太子殿下が行啓され、奉迎させて頂きましたが、歓迎に集まった大勢の県民に歩み寄り、幼老を問わず丁寧に話しかけておられるお姿が、国民の気持ちを汲み取ろうとされる陛下のお姿に重なって見えました。

 本年、平成の御代から次代へと、新たな時代が幕を開けることとなりますが、陛下のお人柄、国民を大切に思うお気持ちは、皇太子殿下にもしっかりと受け継がれていると確信致した次第であります。

 三十年もの長きに渡り、国民をいたわる御心のもと、御公務に精励された陛下に改めて深甚なる感謝の意を捧げますとともに、県勢の一層の発展に最善を尽くして参るとの決意を更に固くしたところであります。

 陛下におかれましては、今後とも末永く国民を見守り頂きますことを心から希求申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄を衷心より祈念申し上げまして、御即位三十年にあたってのお祝いの言葉と致します。

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柴立 鉄彦(鹿児島県議会議長)

柴立 鉄彦(鹿児島県議会議長)

 平成の御代に感謝して

 天皇陛下の御即位三十年を謹んでお祝い申し上げますとともに,我が国と世界の人々の安寧と幸せに御心を傾けてこられましたことに対し,深く感謝の意を表します。

 両陛下は,去る平成二十九年十一月に,当県の屋久島,与論島,沖永良部島を行幸啓され,私は,県議会議長として随行させていただきました。

 島々にお向かいになられる機上にて,両陛下は,窓から眼下をじっとご覧になっておられました。平成二十七年五月に新岳が噴火した口永良部島や先の大戦時,沖縄からの疎開船,対馬丸が沈没した場所をご覧になりたかったのだと後でお伺いしました。私は,小さな島の被災も,決してお忘れにならない,両陛下のご姿勢に心打たれました。

 この行幸啓では,私は皇后陛下のお側近くで,随行させていただきましたが,四十九年前,両陛下が皇太子同妃両殿下の折,当県での明治百年記念祝典にご臨席賜りました時に,当時,県議会議長としてお迎えしたのが私の父であったことを申し上げましたところ,皇后陛下は「金丸知事さんの時ですね」と,四十九年前のことをご記憶になっておられ,ご聡明な記憶力にとても驚きました。

 また,平成二十四年に,与論島,沖永良部島ご訪問の計画を天皇陛下の急なご病気でお取りやめになられたそうですが,沖永良部の花き農家では,農家のご婦人に五年前に来られなかったことと,当時,花が贈られてきたことへの感謝の気持ちをお伝えになられました。万事にわたりご配慮が行き届いていらっしゃってたいへん感銘いたしました。

 皇后陛下は,後にご訪問を振り返られて「遠く来て島人と共に過ごしたる三日ありしを君と愛しむ」とお詠みになられました。両陛下が,いかに島民との時間を愛おしんでおられたか,謹んで拝しました。

 平成の御代の終わり近くに,両陛下の行幸啓を賜り、県民と触れ合っていただきましたことは、県民の明日への夢や希望につながりました。

 私も両陛下のお姿,そして県民とのふれあいを間近に拝して,両陛下がどれほど,国民の上を思っておられるか,ということを実感いたしました。

 その後の「新年祝賀の儀」や「園遊会」にも,夫婦で参加させていただきました。園遊会では,先の行幸啓での労いの言葉を賜り,議員生活最後の年の良き思い出となりました。

 心から感謝いたしております。

 天皇陛下御即位三十年を機に、両陛下がますますご健勝で、皇室が末永く繁栄されることを心からお祈り申し上げます。

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鈴木 英敬(三重県知事)

鈴木 英敬(三重県知事)

 温かいお人柄と深い御見識に感銘

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを、百八十万県民を代表して心よりお慶び申し上げます。

 平成の御代を顧みますと、冷戦構造の終結やバブル経済の崩壊などを経て政治や経済のシステムが大きく変化するとともに、インターネットの急速な普及などにより生活のあり方が変わり、つながりと孤独が輻輳するなど、激動で不安定な時代でした。また、大規模な災害が頻発した困難な時代でもありました。

 御即位以来、天皇陛下におかれましては、全都道府県をくまなく御訪問され、常に広いお心と優しいまなざしで国民に接してこられました。とりわけ、被災された方々の手を握られ、励ましのお言葉を直接かけられるお姿を思いおこしますと、感動で胸が熱くなります。

 三重県には、昭和三十四年、未曾有の大災害となった伊勢湾台風の被害状況をヘリコプターから御視察いただいた皇太子殿下時代なども合わせ、これまで十四回にわたり御来県されました。平成二年の即位の礼及び大嘗祭後の神宮御親謁の儀におけます凛としたお姿や、御来県の度に県民にかけていただいたお言葉は、心に強く刻まれ、片時も離れることはありません。特に平成二十六年、式年遷宮後の神宮御参拝や斎宮歴史博物館などの御視察に御来県された折には、県内事情に幅広く耳を傾けていただき、温かいお人柄と深い御見識に感銘を受けました。

 また、平成二十五年、「幸福実感日本一の三重をめざして~家族を支え、子どもを守る」と題して県勢概要を御説明する栄誉をいただきました際、天皇陛下は御熱心にお聴きくださいました。私は平成二十三年に知事に就任して以来、全国戦没者追悼式や新年祝賀の儀に欠かさず参列していますが、常に変わらない誠実なお姿を拝見する度に、我が国の平和と一層の繁栄のために力の限りを尽くしていく決意を新たにしているところです。

 本年四月には、天皇皇后両陛下が御退位に向けて御来県くださいます。平成という一つの時代を、常に国民に寄り添い歩んでいただいた天皇陛下への感謝の気持ちや、新しい元号を迎えることへの思いを、県民の皆様とともに共有し、万全の体制でお迎えいたしたいと存じます。

 今年は、天皇皇后両陛下の御結婚六十年という佳節の年でもあります。ここに重ねてお祝い申し上げますとともに、国家国民の平和と安寧のため、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄を心からお祈り申し上げ、奉祝の言葉といたします。

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鈴木 清(長野県議会議長)

鈴木 清(長野県議会議長)

 天皇陛下御即位三十年を祝して

 天皇陛下におかれましては、この度御即位三十年を迎えられました。

 先帝の歩まれた昭和から平成の三十年は、外にあって、文字どおり諸国との戦争や争いのない稀有な時代でありました。

 一方、内にあっては、阪神淡路、東日本と震災に見舞われ、自然の猛威にさらされ、いかに近代文明を謳歌していても、人智の及ばない無力さを痛感する時代でもありました。

 概観するに、東西冷戦の終結とともに始まった平成の三十年間は、軍事経済の両面で覇権を争う米中対立や、いわゆるデジタル化の加速、環境破壊に伴う気候変動など、世界は大きな変化のうねりにあり、我が国は少子化が進み、他国に類の見ない速さで高齢化社会が現出しております。

 その間、先の大戦で散華された英霊に対し、慰霊の巡幸を続けられ、その足跡は沖縄をはじめ、太平洋の島々にも及び、遺族の共感や国民の感動を呼び起こし、まさに国父・国母の在り方と歩みをお示しになられた歳月でもありました。

 国民の統合・象徴として内にあっては皇室の祭祀を絶やすことなく、ひたすら国民の安寧と幸福を祈り、外にあっては国民体育大会や全国植樹祭等、事情の許す限りお出ましになられるなど、常に国民と共に喜びと悲しみを分かち合ってこられたお姿は、新しい時代の天皇像と皇室の在り方を身をもってお示しされたものでした。

 特に長野県にあっては、私的な御旅行や御静養にお越しになられ、その中でも軽井沢には幾度となくお見えになり、昨夏には知事、警察本部長共々、私も議会を代表して送迎に列席させていただきました。その際、駅頭にて小旗を振る大勢の方々から期せずして、「お帰りなさい。」という声が自然発生的に湧き起こり、町民との深い絆と親愛の情が交叉し、感動を禁じ得ない場面でありました。

 お帰りになる際、小職の体型・雰囲気から、私に向かい、皇后陛下がわざわざ足を止められ、「警察の方にも大変お世話になりました。」とお声をかけていただき、警察本部長と思わず、お互い顔を見合わせた一幕も思い出に残る一瞬でした。

 どうか御譲位後もご健康で過ごされ、時には本県にもお気軽においでになられますように、県民の一人として、お待ちするものです。

 皇室の御繁栄と皇統の安んずらんことを願い、祝意とさせていただきます。

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鈴木 俊広(愛媛県議会議長)

鈴木 俊広(愛媛県議会議長)

 お祝いの言葉

 天皇陛下には、本年、御即位三十年をお迎えになられました。謹んでお祝い申し上げますとともに、この間、国民統合の象徴として御公務にいそしまれる中、常に国民の安寧と福祉の増進、世界平和のために御心を傾けてこられましたことに、深く感謝の意を表します。

 天皇皇后両陛下におかれましては、御即位されて以来これまで三度にわたり、愛媛県に行幸啓いただきました。

 平成五年の第十三回全国豊かな海づくり大会は、全国有数の漁業生産高を誇る本県にとりまして、水産愛媛のイメージを全国に向けて発信するすばらしい機会となりましたことは、大変ありがたく思っております。

 その際には、県内各所を御視察いただき、歓迎申し上げた県民に対し、心温かく接していただきました。

 また、平成二十九年の第七十二回国民体育大会「愛顔つなぐえひめ国体」では、秋晴れの元、両陛下の御臨席を賜り、県民参加によるすばらしい総合開会式を挙行することができましたことは、愛媛県民にとりまして、この上ない大きな喜びとなりました。

 そして、昨年、本県に甚大な被害をもたらした平成三十年七月豪雨災害におきましては、両陛下には、発災直後から、被災された方々に対するお気遣いや、復旧作業に当たられている皆様へのねぎらいのお言葉などを賜りますとともに、昨年九月には、本格的な復興に踏み出した本県を御訪問いただき、現地の苦しみに直接寄り添い、温かいお励ましをいただきました。そのお姿とお言葉には、多くの県民が深い感銘を受け、被災地の復興に向け、大きな励みとなり、今日に至っております。

 本県における両陛下のこのような御足跡は、われわれ愛媛県民にとりまして、いつまでも忘れることなく、深く胸に刻まれているのであります。

 最後に、御即位三十年という佳節に当たり、改めて両陛下に深甚なる感謝と奉祝の意を表明しますとともに、両陛下のますますの御健勝を心からお祈り申し上げまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

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高野 行雄(富山県議会議長)

高野 行雄(富山県議会議長)

 このたび、天皇陛下が御即位三十年をお迎えになられましたことはまことに慶賀に堪えないところであり、ここに富山県議会を代表し、謹んでお祝い申しあげます。

 「内、平らかに、外、成る」の思いをこめて、平成の御世が始まりました。

 日本は繁栄と平和を続けましたが、激動の三十年でもありました。

 大規模な自然災害、テロ、国際的な紛争などが頻発する状況の中、常に国民の幸せと世界の平和を願われてやまない、大御心に思いをいたしますと、そのご心労はいかばかりであったかとご推察申し上げる次第であります。

 この間、陛下には、皇后陛下とご一緒に、戦没者への慰霊、被災地へのお見舞い、友好親善のための諸外国へのご訪問、国内各地で開催される行事へのご出席など、休まれることなくご精励され、国民に励ましと希望を与えていただきました。

 近年、富山県におきましても、平成二十七年の「第三十五回全国豊かな海づくり大会」、平成二十九年の「第六十八回全国植樹祭」にご臨場になられた陛下には、富山湾の深層水で育てられたヒラメの稚魚を放流された情景や富山生まれのスギによって、花粉症を患う人がなくなるようにとの願いを御製にお詠みいただきました。

 また、天皇、皇后両陛下の熱心に行事をご覧になるお姿や温かい激励のおことばは、関係者への大きな励みとなったところです。

 いずれのご来県の折にも、両陛下には、ご視察先や沿道で、笑顔を絶やさず、多くの県民に親しく接していただいたことが、強く印象に残っております。

 終わりに、天皇皇后両陛下には、これからもますますお健やかにお過ごしくださいますよう、そして皇室の彌栄を心からお祈り申し上げまして、奉祝のことばといたします。

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高橋 戒隆(岡山県議会議長)

高橋 戒隆(岡山県議会議長)

 天皇皇后両陛下の御心こそ、被災者の支え

 天皇陛下が、この度御即位三十年をお迎えになられましたことは、誠に慶賀にたえないところであり、心よりお慶び申し上げます。

 この度の慶事に際して、国民は慶祝の意に満ちておりますが、陛下の姉君であらせられます池田厚子様が御結婚以来お住いになるなど、皇室と縁深い本県においては、とりわけ大きな慶びに満ちあふれている次第であります。

 さて、本県では、昨年、「平成三十年七月豪雨災害」が発生し、死者六十八名、行方不明者三名など甚大な被害に見舞われました。

 県内で最も被害の大きかった倉敷市真備町で生まれ育った私にとりまして、この度の災害は、慣れ親しんだ景色や人々の生活が失われるものであり、身を切られるような痛切な思いを抱いております。

 この未曾有の災害に際し、その傷跡の大きさに、被災者をはじめ県民が一様に立ちすくむ中、天皇皇后両陛下におかれましては、日程が厳しい中、悪天候をおして被災地に行幸啓いただき、被災者に温かい励ましのお言葉を賜ったほか、警察や消防、自衛隊、ボランティアの関係者にねぎらいのお言葉を賜ったのであります。

 天皇皇后両陛下の御訪問は、被災地に光をもたらし、県民に勇気をもたらすものでありました。そして、一日も早く元の生活を取り戻すべく、今なお歩みを続ける被災者にとりまして、そのお言葉は大きな力となるとともに、復旧・復興の原動力として強く息づいており、心から感謝申し上げる次第であります。

 顧みますと、本県では、昨年の行幸啓を含めまして、三度にわたり天皇皇后両陛下をお迎えしており、平成十二年の「地方事情御視察」の際には、本県産業などの事情を御視察いただくとともに、「岡山後楽園」において能の御鑑賞や園内を御散策いただきました。また、平成十七年の「第六十回国民体育大会」においては、開会式、競技会への御臨席をいただいたほか、国立ハンセン病療養所を御訪問いただくなど、県内各地で多くの県民と親しく接していただきました。天皇皇后両陛下御訪問の際のお姿やお言葉は、かけがえのない思い出として今も県民の心に深く刻まれているのであります。

 県議会といたしましても、国民に寄せられる天皇皇后両陛下の御心にお応えできますよう、一日も早い復旧・復興や多岐にわたる県政の諸課題に、議員一丸となって積極的に取り組んでまいる所存であります。

 結びに、天皇皇后両陛下のますますの御健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げまして、お祝いの言葉といたします。

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立谷 秀清(全国市長会会長・福島県相馬市長)

立谷 秀清(全国市長会会長・福島県相馬市長)

 深い御愛情に感謝いたします

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを、全国市長会を代表し謹んでお祝いを申し上げます。

 平成の時代、我が国は幾度か大規模な自然災害に見舞われました。天皇皇后両陛下におかれましては、その都度被災地を御訪問され、犠牲者を弔い、被災者や被災地域の住民を励まし、さらには救助、復旧などにあたっている防災関係者、ボランティア、自治体職員などを労ってこられました。

 その中でも、当市も甚大な被害を受けた東日本大震災では、天皇陛下は「東北地方太平洋沖地震に関するおことば」を国民に向けて発信されました。そして、そのお言葉を「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」と結ばれました。被災地にとって励みとなり、復興への一筋の光を見つけることができた心強く本当に有難いおことばでした。その後、天皇陛下は皇后陛下と共に七週連続して被災地を訪問されました。両陛下が訪問された被災地で共通していることは、被災者の顔に明るさがでてきたこと、地域の雰囲気が前向きになったことです。これは両陛下の御人柄、御人徳によるものであり、私ども基礎自治体の長としては本当に感謝しているところです。両陛下が移動のバスの中からお手振りをする姿に接した住民が笑みを浮かべ、避難所では両陛下がお入りになっただけで空気が変わり、お帰りになる頃には避難者の表情が穏やかなものとなっていました。天皇皇后両陛下のご存在がそれだけで被災者をはじめ地域住民に希望と勇気を与え、復旧、復興への大きな力となりました。

 「日本のお父さんとお母さんだよ。」これは、両陛下が訪問された相馬市内の避難所で小さな我が子から「天皇陛下と皇后陛下はどんな人?」と尋ねられた母親が答えたものです。常に国民の健康と安全な生活を祈られ、国民の悲しみを御自身の悲しみとしてお受け止めになる天皇皇后両陛下はまさに国民の父であり、母であります。これまで私どもにお寄せいただいた温かい御愛情に幾重にも感謝いたしますとともに、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の御繁栄を心からお祈り申し上げます。

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谷本 正憲(石川県知事)

谷本 正憲(石川県知事)

 天皇陛下のあたたかいお心に触れて

 天皇陛下が御即位三十年をお迎えになりましたことを、石川県民を代表いたしまして、謹んでお祝いを申し上げます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、三十年の御在位中、幾度となく、災害に見舞われた地域をお見舞いなさるなど、日本国の象徴として常に国民に寄り添われ、国民の安寧と幸せ、そして世界の平和にお心をお寄せになってこられました。両陛下のお心に崇敬の念を表しますとともに、国民の一人として、深く感謝申し上げる次第であります。

 石川県へも、平成三年の第四十六回国民体育大会、平成八年の第十六回全国豊かな海づくり大会、そして、平成二十七年の第六十六回全国植樹祭と、三度行幸啓いただき、いずれも、慈愛に満ちたあたたかいお心で県民に接してくださいました。

 全国植樹祭で御来県いただいた折にも、至るところで天皇皇后両陛下のお心遣いを感じました。金沢城公園の御視察では、復元整備に携わった職人に歩み寄られ、その労をねぎらわれました。また、特別支援学校で商品販売の授業を御視察いただいた際には、店員役の生徒から、翌日の朝食にと、マフィンやジャムなどをお買い求めになりました。

 いずれも御予定にはなかったことでありましたが、国民と同じ目線に立たれ、気さくに触れ合われる両陛下の細やかなお気遣いに、その場にいた者一同、深く感動いたしました。

 そして、この植樹祭では、昭和五十八年に本県で開催された植樹祭で、昭和天皇がお手播きになったスギの間伐材で鍬を製作し、天皇皇后両陛下にお使いいただきました。

「父君の蒔かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う」

 天皇陛下がお詠みになったこの御製に、陛下が「父君」である昭和天皇に思いを馳せながらお手植えになったのではないかと感じました。親子の情愛にあふれたあたたかい御製に、たいへん感慨深く思った次第であります。

 天皇陛下におかれましては、本年四月末日をもって御退位され、皇太子殿下が御即位されます。新たな元号ではじまる時代が、平成と同じく平和な時代となりますよう心からお祈り申し上げますとともに、天皇皇后両陛下のますますの御健勝と、皇室の末永いいやさかを衷心からお祈り申し上げ、奉祝の言葉といたします。

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鶴田 有司(秋田県議会議長)

鶴田 有司(秋田県議会議長)

 心のこもったお手植え・お手播き

 この度、天皇陛下御即位三十年という慶賀すべきお年をお迎えになられましたことを、心からお祝い、お慶びを申し上げます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、世界平和と日本国民の平和と安寧のため御多忙の日々をお過ごしの中、平成九年十月には、本県への「地方事情御視察」にお越しいただき、平成十九年九月には「君のハートよ位置につけ」をテーマに開催された「秋田わか杉国体」の開会式に、そして、平成二十年六月には「岩手・宮城内陸地震」発生の中、北秋田市で開催された「第五十九回全国植樹祭」に御臨席を賜りました。

 特に、全国植樹祭では、「このたびの全国植樹祭を契機として、更に多くの人々の間に森づくりに参加していく機運が高まることを願います。」とのお言葉を賜るとともに、お手植え・お手播き行事では、天皇陛下におかれましてはブナ、トチノキ、秋田スギを、皇后陛下におかれましてはカツラ、ミズキ、ヤマモミジを、それぞれお手植え・お手播きになられました。どの樹種も本県を代表するものですので、両陛下が心を込めてお手植え・お手播きになられているお姿がとても印象的でございました。また、この情景をお詠みになられた御製を賜りましたことは、誠に栄誉なことであり、県民ひとしく慶びに堪えないところであります。

 さはやかに風渡り来る北秋田に人らとともに木々の苗植う

 両陛下がお手植えになられた苗木は、大空に向けてすくすくと成長しております。また、お手播きになられた種子は、県の試験研究機関において苗木に育てられた後、県内各地の公共施設等に「記念樹」として譲渡され、現在も大切に育てられております。

 ここに改めて、この三十年にわたる両陛下の御足跡に感謝の誠を捧げるとともに、両陛下の御健勝と皇室の御繁栄を県民と共に心からお祈り申し上げます。

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土森 正典(高知県議会議長)

土森 正典(高知県議会議長)

 平成の御代の最後の三大行幸啓に随従させていただいて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを謹んでお祝い申し上げますとともに、天皇皇后両陛下御成婚六十年の慶賀すべき年をお迎えになられましたことを重ねてお祝い申し上げます。

 この三十年間を振り返りますと、東西冷戦が終結する一方で、国際紛争やテロが頻発し、国内においても、少子高齢化や人口減少が進行しました。また、幾つもの大規模な災害に見舞われました。

 天皇陛下におかれましては、このような状況の中、皇后陛下と御一緒に、様々な式典への御臨席や被災地へのお見舞い、地方事情の御視察、さらには、戦没者の慰霊や諸外国との友好親善のための御旅をお続けくださいました。

 被災地では、犠牲者を悼み、遺族を慰め、被災者や救援活動に携わる人々を励まされ、戦没者の慰霊の式典では、先の大戦で尊い命を捧げられた戦没者や御遺族に対して深い御心を注がれますとともに、世界の平和と人々の安寧をお祈りいただきました。

 このような両陛下のお姿に、我々国民がどれほど励まされ、希望と勇気をいただいたことか、申し上げるまでもございません。

 本県には、御即位後、平成五年の地方事情御視察、平成十四年の第五十七回国民体育大会秋季大会、そして平成三十年の「明治百五十年記念第三十八回全国豊かな海づくり大会~高知家大会~」において、行幸啓を賜りました。

 とりわけ、平成の御代で最後の三大行幸啓となる全国豊かな海づくり大会を本県で開催させていただきましたことは、高知県民にとりまして、この上なく光栄に存じます。

 私は、大会の際の行幸啓に随従させていただきました。両陛下は、御訪問の先々において、関心を持たれて詳しく御質問されるとともに、子どもたちをはじめ関係者に心温まるお言葉をおかけくださいました。

 また、沿道に詰めかけた大変多くの県民にも、にこやかに微笑まれながら手を振ってお応えいただくなど、その穏やかで優しさ溢れるお姿に、県民は皆、大きな感動をいただきました。

 両陛下に随従させていただきましたことは、私の心に深く刻まれ、生涯忘れ得ぬものとなりました。

 現在、本県をはじめ、地方においては、人口減少や少子高齢化など困難な課題に直面しておりますが、常に国民の幸せを願っておられる大御心に応え、高知県、ひいては日本の発展のため、私も県民とともに全力で取り組んでまいる所存でございます。

 結びに当たりまして、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄を心からお祈り申し上げます。

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長崎 幸太郎(山梨県知事)

長崎 幸太郎(山梨県知事)

 天皇陛下御在位三十年を祝して

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年を迎えられましたことを謹んでお祝い申し上げます。

 御即位以来、国民統合の象徴としての在り方を問い続け、常に人々の思いに寄り添い、国民の幸せ、広く世界平和を祈ってこられた陛下の歩みに、深甚なる謝意を表します。

 この三十年の間には、山梨県にも数多く御来県いただいておりますが、記憶に新しいところでは、平成十三年の第五十二回全国植樹祭への御臨席、平成二十四年の武田の杜保養休養林の御視察などが思い出されます。

 特に、武田の杜保養休養林の御視察は、その前年に予定されていた恩賜県有林百周年記念大会への御臨席が、御都合により、お取りやめとなった際、御来県を心待ちにしていた県民の気持ちを慮っていただき、陛下御自ら、改めて山梨県を訪れる御意向を示されたことにより実現したものと伺っております。そのお心遣いや、沿道各所において多くの県民の歓迎に親しく応えられるお姿に、陛下の温かいお人柄が偲ばれ、深く感銘を受けたところであります。

 その折に、「クニマス」の稚魚を御覧いただきましたが、約七十年ぶりに生息が確認されたことをたいへんお喜びになり、「奇跡の魚」と表現された陛下のお言葉を励みに、地元の西湖では、動力船乗り入れ禁止や、外来魚の削減など、住民一丸となってクニマスの生息環境を保全する取組を進めており、県の試験研究機関においても、養殖に向けた研究が着実に成果を挙げております。

 また、平成二十六年には、本県と周辺都県を襲った大雪による被害に対し、温かい励ましのお言葉とお見舞いを御下賜くださり、農業用ハウスの倒壊など甚大な被害を受けた県民にとって、大いに元気づけられ、復旧、復興に向けた大きな力となりました。

 人口減少や高齢化など、地方においては、たいへん厳しい社会状況にありますが、常に国民の幸せを願っておられる陛下の思いに応えるため、この山梨が日本再生のモデルとなるべく邁進して参る所存であります。

 今春には陛下の三十年余の象徴としての御旅が終わりを迎えられます。ここに改めて、天皇皇后両陛下の御健康と皇室の末永い御繁栄を心からお祈り申し上げ、お祝いと感謝の言葉とさせていただきます。

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中村 法道(長崎県知事)

中村 法道(長崎県知事)

 長崎県への御恩情に深謝

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位30年の慶賀すべき年をお迎えになりましたことを、県民の皆様とともに謹んでお祝いを申し上げます。

 御即位以来、天皇陛下におかれましては、日本国の象徴として、絶えず国民の幸せと国家の繁栄、そして世界の平和を願われ、災害被災者への御慰問や戦没者への御慰霊、諸外国との国際交流、障害者への御支援などにお心を注がれ、常に国民に寄り添ってこられました。

 長崎県には、平成2年の第41回全国植樹祭への御臨場、平成3年の雲仙・普賢岳噴火に伴う被災地のお見舞い、平成7年の戦後50年慰霊の旅と雲仙復興状況の御視察、平成14年の第22回全国豊かな海づくり大会への御臨席、平成26年の第69回国民体育大会「長崎がんばらんば国体」への御臨場とこの間6回もの行幸啓を賜っております。

 これまでの御来県の中で、特に印象に残っておりますのは、雲仙・普賢岳噴火災害の際に被災者をお見舞いいただいた時のことでございます。避難されている方々を前に膝をつかれて優しく、心温まる励ましのお言葉をおかけになる陛下のお姿が、今も県民の心に深く刻まれております。

 また、私が随従させていただきました平成26年の「長崎がんばらんば国体」では、台風の接近により不安定な天候の中で開催された総合開会式の情景をお詠みになられた御製を賜ったところでございます。

 「台風の近づきて来る競技場 入り来たる選手の姿たのもし」

 台風接近を案じてくださった陛下のやさしいお心遣いに接し、深い感銘を覚えたところであります。

 天皇陛下御即位30年という年をお迎えし、改めて天皇皇后両陛下の本県に対する格別の御恩情に深く感謝を申し上げる次第であります。

 私も知事として、国民の幸せと世界平和を願われる天皇陛下のお心をしっかりと胸にとどめ、豊かで平和な社会の実現と県勢の発展に全力を尽くしてまいりたいと存じます。

 結びに、天皇陛下の御即位30年を重ねてお祝い申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の御健勝、御多幸と皇室の益々の弥栄を衷心よりお祈り申し上げます。

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仁坂 吉伸(和歌山県知事)

仁坂 吉伸(和歌山県知事)

 天皇陛下御即位三十年奉祝文

 天皇陛下におかれましては、御即位満三十年をお迎えになりましたことを心からお祝い申し上げます。

 平成の御代、社会はめまぐるしい変化を遂げ、IoTやAI、ロボットを活用した社会の先に、仮想空間と現実空間を高度に融合させ、経済発展や社会問題の解決を目指す時代を迎えようとしています。

 その一方で、日本が、阪神淡路大震災、東日本大震災などの大災害から復興の道を歩み続けた時代でもありました。

 そのような中、陛下は、国民統合の象徴として、国事行為の重責を担われるとともに、ひたすら国民の安寧をお祈りになり、皇后陛下と御一緒に全国をお訪ねになりました。

 本県にも皇太子殿下であらせられた時から数えて、七度御来県になり、全国豊かな海づくり大会、全国植樹祭、国民体育大会などに御臨席を賜ることが叶いました。

 また、平成二十三年の紀伊半島大災害の際には、発災直後に宮内庁長官から、陛下が大変心配しておられるので、少し落ち着かれてから皇居に来て説明いただけないかと御連絡をいただき、後に御説明にあがった際には、陛下の被災者へのお気遣いがひしひしと伝わって参りました。

 そして、平成二十七年の国民体育大会に御臨席の際、紀伊半島大水害の被災者との面会を強く御希望くださり、御懇談の中で、一人一人に御心をお寄せくださいました。

 平成二十八年八月、陛下は、ビデオメッセージにより退位の意向を広く国民にお伝えになり、その思いに人々は深く感銘を受けました。そして、四月三十日、憲政史上初めて御位をお譲りになります。

 昨年のお誕生日の一般参賀や今年の新年一般参賀には、過去を大幅に上回る人々が皇居に詰め掛けており、国民の多くが、常に寄り添ってくださる陛下を景仰申し上げています。

 昭和天皇が崩御された際、しばらく日本は火が消えたようになりました。再びそのようなことが起こらないようにという御心からのことと、畏れ多くも思いを致し、ただただ尊敬の念に堪えません。

 これからも、陛下から賜りました「豊かな自然を大切にしながら各地域の特徴を生かしてさらに発展することを願っています」とのお言葉を大切にし、和歌山県のあらゆる魅力を全国に発信するとともに、県民を幸福に導くために一生懸命努めて参ります。

 結びに、天皇皇后両陛下に心から感謝を申し上げますとともに、一層の御健勝と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます。

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西川 一誠(福井県知事)

西川 一誠(福井県知事)

 福井しあわせ元気国体の御製を拝して

 天皇陛下におかれましては、本年、御即位三十年をお迎えになられました。謹んでお祝い申し上げますとともに、この間、長きにわたりそのお姿を国民に親しく示され、また世界に対して我が国への理解が深まるようご尽力をされてこられましたことに対し、深く感謝の意を表します。

 天皇皇后両陛下におかれましては、これまで三度、福井県に行幸啓いただきました。

 昨秋、両陛下を平成最後の国体となる「福井しあわせ元気国体」にお迎えできましたことは県民にとりまして誠に光栄であり、大きな喜びとなりました。県民を代表して厚く御礼申し上げます。

 天皇陛下には総合開会式にご臨席いただき、近づく台風の影響を受け、雨が降りしきる福井県営陸上競技場において、県民が吹奏楽を奏し、雨の中けなげに踊る様子をお詠みいただきました。

 あらし迫る開会前の競技場
 福井の人ら広がりをどる

 「福井国体・障スポ」は、多くの県民や関係団体、ボランティアなど、福井県民が一致協力したことにより、天皇杯・皇后杯の獲得、世代の融合など、しあわせを感じ、元気あふれる大会となりました。今春、開・閉会式などの会場となった福井運動公園に御製碑を建立し、今大会の成功や感動とともに永く語り継いでいきたいと思います。

 あわせてご訪問いただいた福井県教育博物館においては、幕末明治福井百五十年博の企画展である「幕末明治福井の教育 近代教育のはじまり」をご視察いただき、天皇皇后両陛下が通われた当時の尋常小学校や国民学校の教科書をご覧いただきました。お懐かしそうにお二人でほほ笑み合われる場面もあり、大変印象的でした。

 さらに、県内各所において、歓迎申し上げた県民に対し、一つひとつ心温かく接していただき、大きな励みとなりました。

 行幸啓を賜り、両陛下への県民の敬愛と信頼は、ますます強く、深いものとなっており、誠に喜ばしいことであると思っております。来る次の時代も平成以上に平和となり、皇室と国民との親愛の絆がさらに深まりますことを祈念しております。

 両陛下には、今後もお健やかにお過ごしいただくとともに、皇室が末永く繁栄されることを心からお祈り申し上げます。

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西川 太一郎(特別区長会会長・荒川区長)

西川 太一郎(特別区長会会長・荒川区長)

 天皇陛下御即位三十年を迎えて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の慶賀すべき年を迎えられましたことを、東京二十三区長の特別区長会会長、また荒川区長として、心よりお祝い申し上げます。

 東京二十三特別区は、皇居がございます千代田区をはじめ、首都圏の中心となる各区で構成され、常に御公務の中心地として発展を続けております。今日までの特別区・日本のこの発展も、ひとえに陛下の国内外の安寧と友好親善のご活動があってこそと、感謝申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、平成二十五年六月十一日、荒川区立日暮里図書館に行幸いただき、荒川区出身の作家、吉村昭氏の企画展「吉村昭『海の壁』と『関東大震災』」を御視察いただいております。陛下は「三陸海岸大津波」や「関東大震災」などの展示資料をご観賞なされ、災害の記憶を語り継ぐことの大切さについてのお話を賜りました。

 陛下の行幸の際には、近隣の幼稚園児を始め多くの区民が歓迎のために集まりました。陛下がお着きなると区民からは大きな歓声があがりました。車の窓を開け、一人ひとりに優しく手を振られる陛下の姿に周辺は感動に包まれました。陛下を荒川区にお迎えできましたことは誠に光栄なことであり、このように心優しくお触れ合いいただきましたことに、厚く御礼申し上げます。

 本年で御退位により平成の時代は幕を閉じますが、御在位中には東日本大震災をはじめとする自然災害が発生しました。そのたびごとに、天皇皇后両陛下の被災地ご訪問を拝見し、感銘を受けました。

 特別区においても、特別区全国連携プロジェクトを中心に、各都市、自治体、企業等との連携を強化し、特に自然災害の被災地においては、積極的な協力を絶えず行っています。

 今後も陛下のお気持ちに報いるよう、各方面の団体との絆をさらに深めて参ります。

 結びに、天皇皇后両陛下、皇室の皆様方の益々のご健勝・ご繁栄を特別区民とともにご祈念申し上げ、奉祝のことばとさせていただきます。

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西脇 隆俊(京都府知事)

西脇 隆俊(京都府知事)

 父祖の地・京都よりお祝い申し上げて

 天皇陛下におかれましては、本年一月七日で御即位三十年を迎えられましたことを、京都府民を代表し心からお祝い申し上げるとともに、これまで多くの御公務に、全身全霊をもって当たられ、我々国民に、勇気と希望を与えていただきましたことに、深く感謝を申し上げます。

 さて、平成という時代が終わろうとしておりますが、国内外ともに激動の時代でありました。とりわけ、平成七年の阪神淡路大震災や、平成二十三年の東日本大震災をはじめとする大規模自然災害が非常に多く発生した時代でありました。

 私も、京都府知事就任前には、復興庁事務次官として被災地の復興支援にあたりましたが、両陛下におかれましては、数多くの被災地を御訪問され、被災者一人ひとりの手をとって慰めと心温まる励ましのお言葉をかけてこられました。その中でも、阪神淡路大震災や東日本大震災などの際には、自然の猛威の前に、多くの国民が打ちひしがれる中、両陛下がひざまづかれ、被災者に寄り添ってくださったお姿に、私たち国民は大いに勇気づけられました。

 京都府におきましても、平成三年の「全国植樹祭」や平成十二年の「全国豊かな海づくり大会」、平成二十年の「源氏物語千年紀記念式典」をはじめ、多くの行催事への御臨席、各地への御視察、御訪問などを賜りましたほか、これまで両陛下には父祖の地としての京都に毎年のようにお越しいただき、その際には、府内の福祉施設や産業施設などにもお立ち寄りいただき、御視察先の人々に対しての労いや温かい励ましのお言葉をいただくなど、府民は大いに勇気づけられました。両陛下の府民へのお心遣いに対しまして、改めまして心より感謝を申し上げます。

 本年は、天皇陛下が四月三十日に御退位され、皇太子殿下が五月一日に御即位されます。新しい元号を迎え、まさに新しい時代の幕が開こうとしているこのとき、京都府といたしましても、千年を越える歴史や文化、伝統を守るとともに、時代の変化に合わせ、既存の施策やシステムを変えていく、前例にとらわれない思い切った発想をもとに、次の五十年、百年を見据えて、新しい時代の京都づくりを進めてまいりたいと考えております。

 結びに当たりまして、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄を心から祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

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橋爪 洋介(群馬県議会議長)

橋爪 洋介(群馬県議会議長)

 天皇陛下御即位三十年奉祝の言葉

 天皇陛下におかせられましては、御即位三十年の佳節をお迎えになられましたことを、謹んでお祝い申し上げます。

 我が国は、世界の国々の中でも、長い歴史や伝統を有する、平和で豊かなすばらしい国であるとともに、皇室の存在が、世界の日本に対する評価を高め、尊敬に資していることを、大変誇らしく幸せに思います。

 また、天皇陛下は御即位以来、皇后陛下とともに、国内外において御公務に御精励されておられますことは、誠に喜ばしいことであり、心より敬服いたしております。

 さて、群馬県は、尾瀬や谷川岳などの豊かな自然に恵まれるとともに、世界遺産である「富岡製糸場と絹産業遺産群」のほか、ユネスコ「世界の記憶」に登録された「上野三碑」など、世界に誇る歴史と文化を有しております。

 天皇皇后両陛下には、幾度となく本県を御訪問いただいておりますが、特に「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」には、平成十五年から十二回にわたる行幸啓を賜り、平成三十年には、私も随従させていただく栄誉に浴したところであります。

 参加者に優しくお声を掛けられ、常に柔和なまなざしでお応えになられた両陛下のお姿に、県民は大いに励まされました。このような心温まるふれあいは、大切な人生の思い出として、県民の記憶にいつまでも残るものでございます。

 現在、我が国におきましては、本格的な人口減少社会が到来し、厳しい財政状況や大きな時代の変化が続くと予想されておりますが、輝かしい未来のために、豊かで潤いのある群馬県を目指し、県民とともに力を尽くしてまいる所存であります。

 結びに、天皇皇后両陛下の益々の御健勝と皇室の御繁栄を祈念申し上げ、奉祝の言葉とさせていただきます。

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花崎 光弘(香川県議会議長)

花崎 光弘(香川県議会議長)

 二度のご来県を賜る

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の佳節をお迎えになられましたことを、心よりお祝いを申し上げます。

 御即位後、天皇陛下におかれましては、常に国民の安寧を願い、喜びや悲しみを国民と共に分かち合ってこられました。特に、大規模な自然災害が発生し、被災地をお見舞いされた際には、腰をかがめて手を握られ、被災者を勇気づけられる天皇陛下のお姿は、国民の心に強く刻まれております。三十年の間に、陛下と国民を結ぶ敬愛と信頼の絆は、年を重ねるごとに深くなっております。

 香川県におきましては、二度、ご来県を賜っております。

 平成五年の東四国国体では、香川と徳島の二県共同開催となったことから、「香川の火徳島の火をかかげつつ選手ら二人炬火台に向かふ」との御製をお詠みいただきました。ご帰京の際には、皇后陛下が体調を崩され、ご来県できなかったことに触れられ、「このたびの旅を楽しみにしていた皇后がともに訪問を果たせなかったことを残念に思いますが、多くの県民から寄せられた温かい言葉は大きな励ましになることと思います。」とのお言葉をいただきました。

 平成十六年の全国豊かな海づくり大会には、はじめて両陛下そろってご来県いただきました。本県が全国で初めて種苗の量産に成功したタケノコメバルやヒラメ等の稚魚を御放流いただき、「種ぐさのいのち育くむ藻場にせむと小さきあまもの苗を手渡す」との御製をお詠みいただきました。東かがわ市引田の漁業体験施設で養殖ハマチやウミホタルをご視察された時、餌に飛び付くハマチの元気な姿に驚きの声を上げられ、暗闇の中でウミホタルが青白く幻想的な光を放つと、「孫たちにも見せてやりたい。」と話されていました。

 二度のご来県において、私たち香川県民に示されたお姿やかけられたお言葉は、深く人を思いやる天皇陛下のお人柄そのものであり、今も、その感激は忘れておりません。

 私ども香川県議会議員一同は、日本の発展を支える地方自治に携わる者として、「県民が笑顔で安心して暮らせる活気にあふれた成長する香川」を目指し、努力を重ねてまいる覚悟であります。

 終わりに、天皇皇后両陛下のご健康と皇室の末永いご繁栄を心からお祈り申し上げます。

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浜田 恵造(香川県知事)

浜田 恵造(香川県知事)

 天皇陛下御即位三十年奉祝文

 天皇陛下におかれましては、皇位を継承されまして以来、満三十年をお迎えになられましたことを、心からお慶び申し上げます。

 平成の三十年間は、国内外の経済・社会情勢が大きく変化した、まさに変革の時代でありました。こうした中にありまして、陛下におかれましては、常に国民の幸せを祈り、恒久の平和と繁栄を願われつつ、皇室外交を通じて世界各国との友好親善関係の増進にお努めになられますとともに、社会福祉の向上や環境問題などに深い関心をお示しになられるなど、国民のために心を砕いてこられたところでございます。

 陛下におかれましては、過去六度にわたり、ご来県を賜っておりますが、東四国国体、並びに平成十六年の全国豊かな海づくり大会におきましては、天皇陛下としてご光臨を仰ぎ、県内をご視察賜りますとともに、県民への温かい励ましのお言葉を頂戴いたしました。

 とりわけ、豊かな海づくり大会におきましては、当時、台風が相次いで襲来し、香川県内においても、高潮や土砂崩れにより人命が失われるなど、大きな被害を受けておりましたことにお触れになり、被災者の方々の悲しみと苦労に深く思いを致されるなど、陛下のお言葉により、多くの県民が勇気づけられました。

 また、国立ハンセン病療養所大島青松園の入所者の皆様とのご懇談の機会には、一人ひとりに歩み寄られ、お声をかけられるなど、苦難の歴史を歩んできた方々の労をねぎらわれました。

 さらに、小豆島への航路では、海岸で両陛下をお迎えした島々の皆様と、船上から仲睦まじくお手を振り交わされるお姿が、たいへん微笑ましく感じられました。

 私は、平成二十五年二月に、地方事情について陛下にご説明申し上げる機会をいただきましたが、その際にも、陛下のお心遣いと温かいお人柄に触れ、深い感銘を覚えた次第であり、陛下のお気持ちにお応えすべく、県勢の発展のために全力を傾注してまいる所存であります。

 結びに、天皇皇后両陛下の末永いご健康と皇室の弥栄を心からお祈り申し上げまして、お祝いの言葉といたします。

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林 文子(指定都市市長会会長・横浜市長)

林 文子(指定都市市長会会長・横浜市長)

 天皇陛下御即位三十年によせて

 天皇陛下におかれましては、このたび御即位三十年をお迎えになりましたこと、心よりお慶び申し上げます。また、天皇皇后両陛下御成婚六十年、誠におめでとうございます。両陛下の輝くような笑顔、国民を挙げての祝賀の様子が、今なお鮮やかに思い起こされます。謹んで祝意を表します。

 天皇皇后両陛下は、長きにわたりお心を一つにされ、国民の幸せと世界の平和を祈り続けてこられました。全身全霊で御公務に臨まれ、国民を慰め、励まし、苦楽を共にしていらっしゃいます。

 平成二十三年九月には、敬老の日にちなみ、横浜市内の地域ケアプラザに両陛下をお迎えし、御高齢の方々によるボランティア活動等をご覧いただきました。両陛下のお出ましに、周囲はたちまち明るい笑顔にあふれました。また両陛下の御成婚を記念し、昭和四十年五月五日、こどもの日に開園した「こどもの国」にも、幾度となく訪問されています。御結婚に際し国民から寄せられたお祝いを「こどものための施設に使ってほしい」というお二人のお気持ちが、自然あふれる「こどもの国」誕生のきっかけでした。開園五十周年の記念式典をはじめ、御一緒させていただくたびに、天皇陛下の包み込むような優しさ、皇后陛下の慈愛に満ちたお姿に、私自身、大きな励ましをいただいてまいりました。

 両陛下は、全国各地における自然災害の被災地にも訪問を重ねてこられました。阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震や豪雨などにより、指定都市において甚大な被害が発生しました際にも、被災者の方々一人ひとりに心を寄せられ、多くの人々の心に光を灯してくださったのです。

 平成の三十年を振り返り、この間の社会の変化や日本の状況に思いを致しますと、何より、人を思いやる心、互いを見つめ合う眼差しが求められていると思えてなりません。全国の指定都市をはじめ地方自治体は、少子高齢化や人口減少社会の到来に伴う数々の課題に直面しています。これらを乗り越えていくためには、人の力、互いに共感し信頼し合う関係性が必要です。平成の時代を通じて、両陛下に学ばせていただいたことを胸に、今後も指定都市、ひいては日本社会の持続的な発展に、力を尽くしてまいります。

 結びに、天皇皇后両陛下が今後もお健やかに過ごされますこと、皇室の益々の弥栄を心よりお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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尾藤 義昭(岐阜県議会議長)

尾藤 義昭(岐阜県議会議長)

 両陛下をお迎えして

 天皇陛下におかせられましては、御即位三十年という慶賀に堪えない年をお迎えになられましたことを、ここに謹んでお慶び申し上げます。陛下の御事蹟に対しまして、心から報謝の誠を捧げますとともに、天皇皇后両陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄をご祈念申し上げます。

 さて、顧みますと、岐阜県関市において、皇室三大行事の一つ、第三十回全国豊かな海づくり大会が平成二十二年六月に開催されました。当時、関市長だった私は、天皇皇后両陛下を開催地の市長としてお迎えするという、大変な栄誉に恵まれました。

 大会当日の天気は、前日まで雨の予報でしたが、当日は、暑くもなく、寒くもなく、極めて素晴らしいお迎え日和になりましたことは、きっと岐阜県民の思いが天まで届いたものと思います。そうした中、大会式典がつつがなく終わった後、両陛下が関市役所にお越しになられ、私は昼食会という晴れがましい場所に出席させていただくことができました。昼食会で、両陛下は、地元で採れた「みのにしき」のご飯や、市特産のサトイモ「円空いも」など、生産者の愛情がこもった地産の野菜を大変おいしそうに召し上がられました。

 その後席として、お茶を飲みながら両陛下と御懇談する機会が得られ、事前に「皇后様から福祉関連のご質問があるかもしれない」と事務方から聞いておりましたので、私は、市の福祉施設や医療体制等についてお答えできるよう、十分な準備をしておりました。ところが、皇后様からは「市庁舎の前に植えてある青い植物は何ですか」とのご質問があり、私は「麦でございます」とお答えいたしました。続いて、皇后様から「それは、何に使われるのですか」とのお尋ねがありましたので、私は、驚き、思わず、「うどんやパンの原料になります」とお答えしました。正確な答えではありましたが、今に思えば、緊張の余り、頭が真っ白になってしまったようです。

 その後、お茶会の参加者から、「関市の小瀬鵜飼は、宮内庁式部職の鵜匠によって行われていると聞いておりますが、いつ頃からその様な名誉が与えられたのでしょうか」とのお尋ねに、天皇陛下は「それは、私に聞いていただくより、侍従長に聞いていただく方がより正確だと思います」と即座にご返答され、その当意即妙なやり取りに感銘を受けたことを覚えております。

 そんな話が繰り広げられ、和やかなうちに終わったお茶会は、私にとりまして、一生の宝になっております。そして、天皇皇后両陛下をお見送りした後、海づくり大会を無事に終えることができた喜びが溢れ出し、職員と手を握り合って、心の底からの感動を全員で分かち合いました。この日のことは、今でも、思い出す度に熱いものがこみ上げ、私にとりまして、生涯忘れ得ぬ思い出となりました。

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平井 伸治(鳥取県知事)

平井 伸治(鳥取県知事)

 浜菊と岩燕 慈愛あふれる眼差し

 天皇陛下におかれましては、この度御退位を前に御即位三十年の節目をお迎えになられますことに対しまして、鳥取県民とともに心よりお祝い申し上げますとともに、災害や困難と闘う国民に常に心を寄せられつつ、戦争のない平和な平成の時代を築いてこられましたことに、謹んで限りない感謝の気持ちを捧げます。

 平成二十三年は、大災害の年でした。三月十一日、東日本大震災が襲い、漁港も含めて津波が爪を立てて広く災禍をもたらし、本県におきましても、前年大晦日から正月にかけて降り続いた豪雪により二六八隻の漁船が海に沈みました。こうした中、「がんばろう日本 災害からの復興」を掲げ、十月三十日に天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、被災地の漁業者も交えて、本県で第三十一回全国豊かな海づくり大会が開催されました。

 「我が君のいと愛でたまふ浜菊のそこのみ白く夕闇に咲く」

 津波が襲った岩手県大槌町で、かつて平成九年に全国豊かな海づくり大会が開かれました。その際訪れられた皇后陛下が詠まれた御歌を御紹介し、小職は満堂の皆様に「夕闇に咲く浜菊のように、凛として、上を向いて、復興へ突き進もう」と訴えました。式典会場を出る両陛下を御案内申し上げておりましたところ、天皇陛下から「先程は御歌を紹介してくれてありがとう」とお声がけいただきました。そのお言葉に、未曾有の被災に向けられた両陛下の深い御慈愛の心があふれていました。

 その二年後の平成二十五年五月二十六日に霊峰大山の麓で第六十四回全国植樹祭が開かれた時も、本県は両陛下行幸啓の栄誉に浴しました。お泊りの準備を担われたホテルの方とお話しした時、「お部屋の窓の上に岩燕が巣をかけているのでお取りしておこうと思います」と言われたので、小職は「天皇陛下は生きとし生けるものを愛されるので、むしろ御覧いただくように残して下さい」とお願いしました。盛会のうちに全国植樹祭が挙行され、その余韻の残る年末になって、新聞に掲載された天皇陛下の御製歌を目にした時は、胸の高鳴りを抑えることができませんでした。

 「大山を果たてに望む窓近く体かわしつついはつばめ飛ぶ」

 雄大な大山と初夏を謳歌する岩燕を、目を細めて御覧になる両陛下。その眼差しはこの国と国民の繁栄を見守り続けてこられました。

 三十年の時を刻みながら、天皇皇后両陛下の御心に包まれつつ、幾多の災害や困難を乗り越え、この国は、国民は、一歩一歩歩み続けることが叶いました。

 天皇陛下の御聖徳に感謝申し上げますとともに、平成の御世を国民とともに歩まれました天皇皇后両陛下の末永い御健康と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます。

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広瀬 勝貞(大分県知事)

広瀬 勝貞(大分県知事)

 温かい御心にふれて

 天皇陛下におかれましては、この度、御即位三十年を迎えられましたことを大分県民とともに謹んでお祝い申し上げます。

 天皇陛下は御即位以来、世界の平和と国民の幸せを一心に念じ、国民と苦楽をともにしてこられました。皇后陛下とともに全国各地をくまなく御訪問され、障害者や高齢者、子供たち一人ひとりに、身をかがめ、手を握って励ましの言葉をかけてこられました。こうしたお姿を拝見するにつけ、国民の両陛下に対する敬愛の念と信頼の絆がますます強く、深くなっていることを大変喜ばしく感じています。

 本県には、平成十二年の第五十一回全国植樹祭をはじめ、平成二十年の第六十三回国民体育大会、平成二十七年の太陽の家創立五十周年記念式典、そして平成二十九年の九州北部豪雨災害被災地お見舞いと、御即位以来四度の行幸啓を賜りましたが、その都度県民に心のこもったお言葉を賜りました。また、沿道で歓迎する数多の県民に対しても、車の窓を開けてにこやかにお手を振っていただくなど、優しく温かいお心遣いをいただき、県内は明るい喜びにあふれました。一昨年、九州北部豪雨により甚大な被害を受けた日田市をご訪問いただいた際には、両陛下から、被災者や災害対応に尽力した方々に直接お見舞いやねぎらいのお言葉も賜りました。病人や乳幼児の避難者を心配されるなど細やかなお気遣いに感銘を受けるとともに、県民にとりましてもこの上ない励みとなり、復興に向け大きな弾みとなったところです。

 天皇陛下が、昨年末八十五歳の誕生日の所感の中で、平成が戦争のない時代として終わろうとしていることへの安堵の思いや伴侶としてお支えされた皇后陛下への率直な感謝の気持ちを語られたことに、深く心を打たれました。また、新年一般参賀において、平成最多となる十五万人を超える人々が皇居を訪れたことに対し、当初の予定を二回増やして七回もお出ましになったことも陛下のお人柄を表す心温まるエピソードです。

 両陛下の今春の御退位に一抹の寂しさを禁じ得ませんが、末永く御健勝であられることをお祈りいたしますとともに、皇室の弥栄を御祈念申し上げます。

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福田 富一(栃木県知事)

福田 富一(栃木県知事)

 「天皇陛下御即位三十年」お祝いの言葉

 天皇陛下におかれましては、御即位満三十年という慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、栃木県民を代表いたしまして、心からお祝い申し上げます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、御即位以来今日に至るまで、常に広いお心と優しいまなざしで国民に接してこられました。この間、厳しい経済状況や大きな災害などによる困難な事態もありましたが、直接国民に御言葉をかけられるなど温かく励ましてこられました。

 こうした中、栃木県には、御静養地である那須御用邸や皇室への食材の供給を担っている御料牧場があるなど、皇室とは縁が深く、天皇皇后両陛下もたびたび行幸啓あそばされております。そうした折には、私は、県勢の状況を御説明申し上げて御機嫌を奉伺しているところであり、天皇皇后両陛下におかれましては、御熱心にお聴きいただいております。

 さて、毎年お越しになる那須御用邸での御静養時には、地元農家の御視察が行われてきました。平成二年に始まって以来、花き生産農家、畜産農家、果樹・野菜生産農家、稲作農家などを御視察され、生産物を収穫したり、農家の方々へ直接お言葉をかけていただきました。訪問を受けた農家の方々は、現在もこれを大きな励みとして農業に取り組んでおります。

 また、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災では、栃木県内にも東北地方から多くの方が避難して来られました。天皇皇后両陛下は避難者の方の一助になればと、那須御用邸の職員用浴場を避難者に開放されるとともに、那須町のホテル、旅館に避難した方を御見舞いになりました。

 さらに、平成二十六年には、関心を寄せておられた足尾の鉱毒による被害からの回復に向けた取り組みを御覧になるために、渡良瀬遊水池や足尾の松木渓谷などを私的御旅行として御訪問になりました。

 このように、これまでの本県への行幸啓において、多くの県民にお声かけをいただき、県民は、天皇皇后両陛下に特段の親しみを感じているところであり、このたびの慶事に際しましても、心から喜んでいるところであります。私も、天皇皇后両陛下の県民へのお心遣いに対しまして、改めまして心より感謝を申し上げます。

 ここに、天皇皇后両陛下の御健勝と、御皇室の益々の御繁栄をお祈り申し上げますとともに、今後とも両陛下そろって御来県いただけることを御祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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藤山 将材(和歌山県議会議長)

藤山 将材(和歌山県議会議長)

 天皇陛下御即位三十年を奉祝して

 天皇陛下におかせられましては、昭和六十四年一月七日に皇位に就かれて以来、御即位三十年をお迎えあそばされます。謹んで、御即位三十年を寿ぎ、心からお祝いを申し上げます。

 平成の時代、和歌山県では「世界リゾート博覧会」や「紀の国わかやま国体・紀の国わかやま大会」の開催、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録、「みなべ・田辺の梅システム」の世界農業遺産認定など、故郷・和歌山が脚光を浴び、歴史に刻まれる素晴らしい出来事が多くございました。その折々に、皇室の皆様には御来県いただき、励ましを賜りましたことは懐かしくもあり、また、勇気づけられた思い出であります。

 陛下の御来県につきましては、平成九年の地方事情御視察、平成二十三年の全国植樹祭、そして、平成二十七年の紀の国わかやま国体への御臨場と、三度、御来県あそばされました。皇后陛下とお二人で御臨席の国体では、開会式の式典前演技の様子を御覧になり、「作られし鯨もいでて汐を吹く集団演技もて国体開く」との御製を賜ったところでございます。

 そして、平成の和歌山を話す上で決して忘れてはならないのが、平成二十三年の紀伊半島大水害であります。この災害では県内でも大きな被害がありましたが、わかやま国体開会式の前日、天皇陛下、皇后陛下は貴重な御時間をお割きになり、被災された方々を御見舞いされました。両陛下が現地にお越しいただきましたことに県民は、大きな感動と深い感謝の想いを抱いております。

「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」

 天皇陛下には、御在位中、先の大戦における戦没者の慰霊のため、戦跡を御訪問せられ、深い哀悼の意を表されるとともに、大きな災害が発生した際には必ず現地に赴かれ、犠牲者を悼み、被災された方々を励まされるなど、御自ら国民に寄り添われ、幸せを願い、苦楽を共にされてこられました。その尊い御姿勢は、深い慈しみと大きな優しさで、私達を勇気づけ、また、日本人としての誇りをどれ程もたらせたかは言うまでもございません。先程の陛下の御言葉にすべてが込められているのではないでしょうか。

 結びに、御即位三十年の佳節にあたり、国民を想う天皇陛下の温かい御心に感謝の意を捧げますとともに、皇室の御繁栄と天皇陛下、皇后陛下のますますの御平安、御安泰を祈念いたしまして、奉祝の言葉とさせていただきます。

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蓬原 正三(宮崎県議会議長)

蓬原 正三(宮崎県議会議長)

 天皇陛下の温かいお心遣いに感謝

 天皇陛下におかせられましては、御即位三十年を迎えられましたことを、宮崎県議会を代表いたしまして謹んでお祝い申し上げます。

 御即位から三十年の間、我が国におきましては、人口減少・少子高齢化のほか、高度情報化やグローバル化が急速に進展し、社会・経済情勢が大きく変化したほか、多くの大規模な自然災害に見舞われるなど、幾多の困難に直面した激動の時代でありました。

 このような中、陛下におかせられましては、皇居での御公務はもとより、皇后陛下と御一緒に国内各地における各般の行事への御出席や、被災地への御見舞い、友好親善のための諸外国訪問などの御公務に、懸命かつ献身的に努められてこられました。

 今日の我が国の平和と繁栄は、常に私たち国民を温かく見守り、励まし続けてこられた陛下の深い御恩恵によるものであり、あらためて心より感謝申し上げる次第であります。

 本県には、平成七年の「第十五回全国豊かな海づくり大会」、平成十六年の「第五十五回全国植樹祭」に御臨席を賜り、また、その際に、福祉施設の御慰問をはじめ、歴史・文化施設や地域の特色を活かした地場産業の現場などをつぶさに御視察いただくなど、地域における社会福祉と生活の向上に尽力する県民に対し、数々の身に余る心優しいお言葉をいただきました。

 また、本県が、平成二十二年の口蹄疫、平成二十三年の鳥インフルエンザ、新燃岳噴火などの相次ぐ災害に見舞われた際には、悲壮感に苛まれた県民に対し、心からのお見舞いと激励のお言葉を賜わりました。

 これに県民は大きな感動と深い感銘を受けたところであり、その心温まるお心遣いを大きな原動力として、県民一丸となって復興への歩みを進め、無事に本県の再生を果たすことが叶いました。

 私ども宮崎県議会といたしましても、陛下から賜りました温かいお言葉を胸に、本県の更なる飛躍、そして我が国の繁栄に向けて、一層真摯に取り組んでまいる所存であります。

 ここにあらためて、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室のいやさかを心からお祈り申し上げまして、お祝いの言葉といたします。

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古田 肇(岐阜県知事)

古田 肇(岐阜県知事)

 天皇陛下御即位三十年を「清流の国ぎふ」よりお祝い申し上げます

 天皇陛下におかせられましては、御即位三十年を迎えられましたことを、二百万岐阜県民を代表いたしまして、謹んでお慶び申し上げます。

 平成の三十年を振り返りますと、世界的にも中国の天安門事件、ドイツのベルリンの壁崩壊、米ソ冷戦の終結など様々な転換期を迎える中、日本におきましても少子高齢化や人口減少という大きな社会的変化に加え、記憶に新しい平成二十三年の東日本大震災など国民の生活を揺るがす未曾有の災害に見舞われ、あらためて国土強靭化の必要性が浮き彫りとなった時代でもございました。

 このような激動の時代の中、天皇陛下におかせられましては、全国各地を精力的にご訪問いただき、大規模災害の被災者、高齢者や障害者に寄り添いながら、慰めと心温まる励ましのお言葉をかけられるなど、常に国民の幸福と国家の安寧を願ってこられました。その御心により、今日の我が国が数々の困難を乗り越え、国家の繁栄と国民の幸福が築かれましたものと改めて深く敬意を表し、心より感謝申し上げる次第でございます。

 私自身も、ご招待いただきました新年祝賀の儀や園遊会への出席をはじめ、本県に行幸啓の機会をいただき身近に拝した思い出が数多くよみがえってまいります。

 本県には、昭和三十二年以降、計十五回にわたり御来県をいただく中、私の在任中には、平成十八年の第五十七回全国植樹祭に始まり、平成二十二年の第三十回全国豊かな海づくり大会~ぎふ長良川大会~、平成二十四年の第六十七回国民体育大会(ぎふ清流国体)・第十二回全国障害者スポーツ大会(ぎふ清流大会)にご臨席を賜りました。それぞれの式典におきまして、本県の象徴である県木・イチイの苗木をお手植えいただくとともに、県魚・鮎の稚魚をご放流いただきました。

 また国体開会式では、入場行進の情景に思いを致され「小旗振りて通りて行ける選手らの笑顔うれしく手を振り返す」と御製をお詠みいただきました。

 まさに、国体の出場選手を温かく激励されますとともに、選手の活躍、大会の成功への思いをお詠みいただいたものと、誠に光栄に思い、深い感謝の念を抱かずにはいられません。

 さらに、御来県いただきました都度、本県の魅力に対するお褒めのお言葉や県民への温かなお言葉を拝しましたことに、私ども県民がどれほど励まされ、勇気をいただいてきたことか、改めて申し上げるまでもございません。

 平成の時代、世界平和と国民の幸福の祈りを重ねていただきました両陛下におかせられましては、江戸時代後期の光格天皇以来、実に二百年ぶりに歴史的な退位が現実のものとなり、日本国の大きな歴史の転換点を迎える訳でございます。両陛下には、今後ともご自愛いただきますとともに、国民の安寧と幸せをお見守りいただけますことを心よりお願い申し上げます。

 また、この岐阜の地は、ユネスコ世界遺産である白川郷合掌造り集落や世界農業遺産の清流長良川の鮎をはじめ、県内各地で脈々と継承される地歌舞伎やユネスコ無形文化遺産の本美濃紙などの伝統文化、世界三大古戦場と言われる関ヶ原、さらには、飛山濃水と謳われる豊かな自然など、多彩な「清流の国ぎふ」の魅力の宝庫でございます。近い将来、本県の魅力をごゆるりとご堪能いただける機会が実現いたしますことを、心からご期待申し上げます。

 ここに、改めて天皇皇后両陛下に心より感謝申し上げますとともに、両陛下の御健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げます。

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前田 剛志(三重県議会議長)

前田 剛志(三重県議会議長)

 国民とともに歩まれた三十年

 この度、天皇陛下におかれましては、御即位三十年の慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、心よりお慶び申し上げます。

 陛下におかれましては、御即位以来、ひたすら国家、国民の安寧と世界平和をお祈りになり、御心を砕いてこられました。とりわけ、地震、台風などの大規模な災害で被災された人々への激励や、先の大戦における戦没者への追悼などに際しては、皇后陛下とともに、災禍の中にある人や犠牲者、障害者や高齢者など社会的に弱い立場にある人々に対して深く御心を寄せてこられました。そのお姿に、国民はどれほど勇気づけられ励まされてきたことでしょう。

 また、両陛下におかれましては、全国四十七都道府県をくまなくご訪問になり、来臨の先々で常に国民の生活を温かく見守っていただきました。三重県には、即位の礼直後の平成二年と第六十一回式年遷宮後の平成六年に伊勢神宮御参拝でお越しいただき、平成十三年には地方事情の御視察もいただきました。また、第六十二回式年遷宮後の平成二十六年に伊勢神宮を御参拝いただきました際には、「あまたなる人らの支へ思ひつつ白木の冴ゆる新宮に詣づ」との御製で、式年遷宮のため尽力した多くの人々への感謝のお気持ちを表していただきました。いずれの際にも沿道で両陛下をお迎えする人々に対して穏やかな笑顔で手を振り、歓迎の声にお応えになるお姿、御視察や台覧の折々の関係者への細やかなお心配りや温かいお言葉をいただいた様を思い起こすにつけ、私は、今なお深い感銘を覚え、感謝の念に堪えません。

 誠に光栄なことに、三重県は来る四月十八日の「神宮に親謁の儀」により五度目の行幸啓を賜ります。このことは、県民にとりまして、まさに幸甚の至りであります。六十年前に御結婚の御奉告に両陛下で御参拝いただきました思い出の地とも申せます伊勢神宮に再びお越しくださいますことを、県民とともに、心よりお待ち申しております。

 結びに、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄を謹んでお祈り申し上げ、奉祝と感謝の言葉といたします。

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松川 浩明(愛知県議会議長)

松川 浩明(愛知県議会議長)

 「平成」を顧みて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年という慶賀すべき年をお迎えになられましたことを心からお慶び申し上げます。

 平成の三十年間を顧みますと、バブル経済の崩壊、国際紛争・テロの発生、大規模災害など国内外において数多くの困難に直面し、乗り越えてきた時代でありました。また、グローバル化の進展や産業構造・就業構造の変化など社会的変動の大きな時代でもありました。

 このような中、天皇陛下におかれましては、世界平和と国民の幸せを願われ、常に全身全霊をもって多岐に渡る御公務に精励されておられます。宮中における公務はもとより、諸外国への友好親善訪問、全国各地で開催される国民体育大会、全国植樹祭、豊かな海づくり大会などへの御臨席、自然災害による被災地の御見舞いなど、精力的に各地を御訪問されております。これらの訪問の際に、人々の声に耳を傾け、思いに寄り添われながら常に国民と共にある陛下の御姿を拝見するにつけ、感銘を受けて参りました。

 本県にも、平成三年の豊かな海づくり大会を始め、平成六年の国民体育大会、平成十七年の愛知万博、平成二十七年の国際第四紀学連合第十九回大会など、七度にわたり皇后陛下とともに御訪問いただきました。

 特に、平成十七年の「自然の叡智」をテーマとした愛知万博では二度も会場を御視察いただきましたが、両陛下は動植物に関する展示などに御関心を寄せられ、お楽しみいただいていたことが思い出されます。その際、私どもに温かいねぎらいの御言葉をかけていただきましたことは、大変光栄で、心から感動いたしましたことが忘れられません。

 また、平成二十七年の国際第四紀学連合第十九回大会の際には、併せて県内も御視察いただきました。訪問先や沿道でお迎えした大勢の県民に親しくお応えくださり、両陛下の温かい御人柄に触れることができましたことに、感銘を受けたところであります。

 現在、社会の急激な変化に伴い、我が国や愛知県が直面する課題は山積しておりますが、両陛下の心温まる御姿を胸に県民の声に耳を傾け、豊かさを実感できる県民生活の実現に向けて愛知県議会として努力を重ねて参る所存であります。

 天皇陛下御即位三十年の佳節を機に改めて陛下の御心に深甚なる感謝を捧げ、天皇皇后両陛下の幾久しい御健勝と御長寿を心から念願いたしますとともに、皇室の末永い御繁栄をお祈り申し上げます。

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三日月 大造(滋賀県知事)

三日月 大造(滋賀県知事)

 琵琶湖の生物にも御心を寄せていただき

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを、百四十一万滋賀県民とともに心よりお祝い申し上げます。

 陛下には、御即位以来、皇居での御公務をはじめ、皇后陛下とともに全国各地、とりわけ大規模な自然災害に見舞われた被災地を御訪問される中で、ひたすら国民の幸せを願い、深く御心をお寄せいただき、ともに歩んでこられました。その真摯なお姿に、これまで国民はどれほど勇気づけられ、励まされてきたか計り知れません。

 本県におきましても、平成十九年に開催いたしました、第二十七回全国豊かな海づくり大会・びわ湖大会に御出席のため両陛下の御来県を賜り、県内各地を御訪問いただきました。両陛下には琵琶湖の固有種であるニゴロブナ、ワタカ、ホンモロコ等を放流いただきましたが、平成の御代におきましても、琵琶湖では新種として平成二十二年にヨドゼゼラが発見され、ビワコガタスジシマドジョウやオオガタスジシマドジョウなど、新たに学名と和名が確定した魚もいます。四百万年以上の歴史があり、世界最古の湖の一つである琵琶湖は、今も豊かな命を育み、多様な環境と生態系を有しております。

 陛下がお詠みになった和歌

 古き湖に育まれきし種々の魚安らかに住み継ぐを願ふ

は、琵琶湖と共に生きる私たち滋賀県民の心に根付いた思いでもあります。

 また、皇太子殿下でいらっしゃった昭和五十九年に、本県で開催し、御臨席賜りました第一回世界湖沼会議は、今や第十七回を数え、世界十か国で開催されるまでになりました。「湖沼の在り方についての展望が一層開けてくるものと願っております」とのお言葉のとおり、湖沼の有する生態系サービスへの認識が深まり、湖沼は世界の水議論の主要課題となりつつあります。

 人と湖沼の持続可能な共生を目指した本県の取組は、平成二十七年に琵琶湖が国民的資産に位置付けられることにもつながりました。琵琶湖をお預かりしている私たちは、琵琶湖の環境と生物を未来によりよい形で引き継いでまいりたいと思います。

 両陛下におかれましては、その温かなまなざしで、今日まで国民を見守り続けていただきましたことに改めて感謝申し上げますとともに、これからもお健やかにお過ごしいただきますことを、心からお祈り申し上げます。

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溝口 善兵衛(島根県知事)

溝口 善兵衛(島根県知事)

 心に残る両陛下の温かいお人柄

 天皇陛下におかれましては、この度、御即位三十年をお迎えになりました。

 謹んでお慶び申し上げます。

 両陛下におかれましては、災害にあわれた方へのお見舞いや福祉施設のご慰問など、機会あるごとに、全国各地で親しく国民に接していただいております。

 島根県には、皇太子の時代から数えて、五たび、お出でいただき、出雲、石見、隠岐のいずれの地域にもお立ち寄りくださり、各地で県民に親しくお声をかけていただきました。

 最近では、平成十五年に浜田市で開催された「豊かな海づくり大会」にお越しいただきました。

 この県西部の会場へのご移動には列車をご利用になりましたが、多くの県民が両陛下のお姿をひと目でもご拝見したいと、沿線で歓迎申し上げておりましたところ、両陛下におかれましては、その長い道のりのほとんどをお席につかれることなく、お立ちになったままで県民のご期待にお応えくださりました。

 こうした両陛下の温かいお人柄は、多くの県民の心に残る誠に有難い思い出となりました。

 天皇陛下は、昨年十二月、お誕生日に寄せられた談話の中で、「東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。」と述べられるとともに、「ただし、その中で人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気づけられます。」と述べられておられます。

 島根県でも、昨年四月には県西部で大きな地震があり、また、七月には豪雨による被害が県内各地で発生し、県は、被災された方々の生活再建や復旧復興のための支援を行ってきまして、復興も進んできております。

 私どもは、天皇陛下のお言葉を胸に、県民が力を合わせて、安全・安心な県土づくりを推進し、島根の一層の発展に向けて努力していく所存であります。

 ここに改めまして、皆様とともに、天皇皇后両陛下のご健康と末永いお幸せを心からお祈り申し上げます。

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三村 申吾(青森県知事)

三村 申吾(青森県知事)

 天皇陛下御即位三十年を迎えて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、青森県民とともに心からお祝い申し上げます。

 陛下は、御即位以来、絶えず国家・国民の安寧と世界の平和を願い、地方事情の御視察をはじめ被災地への御見舞いや戦没者への追悼など、国内外の各地を御訪問されております。皇后陛下とともに、国民一人ひとりに温かいお言葉をかけられ、寄り添うお姿は、我々国民にとって大きな励ましとなっているところであります。

 青森県には、平成二年に三沢市で開催された「第十回全国豊かな海づくり大会」に御臨席を賜り、「くろそいとひらめの稚魚を人々と三沢の海に共に放しぬ」との御製をお詠みいただきました。その御製からは、青く美しい海原に向けて、県民とともに笑顔で稚魚を放すお姿が思い浮かべられ、国民とともに歩むという陛下のお気持ちがあらわれた御製と深く感銘しております。

 また、平成二十六年には、東日本大震災からの復興状況などの御視察のため御来県いただきました。八戸港の被災状況や復興に向けた取組などを御覧になり、復興に向けて懸命に取り組む多くの県民を元気づけていただき、改めて心から感謝を申し上げます。

 このほかに、緑一色の天然芝と険しい岩礁の織りなす景色が美しい種差海岸での御散策や、田んぼをキャンパスに見立て、色の異なる稲で巨大な絵を描く「田んぼアート」を御覧いただいたほか、りんご生産農家への御訪問では、赤くたわわに実ったりんごを収穫し、召し上がっていただきました。本県が誇るこのような美しい自然や豊かな文化などを御紹介できたことは、誠に光栄であり、青森県民の大きな喜びとするところです。

 青森県におきましても、人口減少をはじめとするさまざまな課題を抱えておりますが、両陛下の励ましのお言葉を心に刻み、県民とともに、さらなる県勢発展に向けて努力して参りたいと存じます。

 結びに、平成の長年のお務めに深く感謝申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄を心から祈念し、お祝いの言葉とさせていただきます。

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村井 嘉浩(宮城県知事)

村井 嘉浩(宮城県知事)

 天皇陛下の御即位三十年を二三〇万宮城県民とともにお祝い申し上げます

 天皇陛下におかれましては、第一二五代の皇位にお即きになられてから、三十年という誠に慶賀すべき年をお迎えになられました。二三〇万の宮城県民とともに心からお祝いを申し上げます。

 御即位以来、天皇陛下におかれましては、日本国及び日本国民統合の象徴として、ひたすら国家、国民の安寧と世界の平和をお祈りになり、御心を砕いてこられました。また、全国をくまなく行幸啓され、国民を励ましてこられました。とりわけ、大規模な災害等で被災された方々への御激励や、先の大戦での戦没者への追悼などの行幸啓には、大変御熱心に取り組まれ、深く御心を寄せられてこられました。

 本県には、平成四年の「地方事情の御視察」、平成九年の「第四十八回全国植樹祭」、平成十三年の「第五十六回国民体育大会秋季大会│みやぎ国体│」と、三度にわたり行幸啓になられ、また、大きな被害をもたらした平成二十三年の「東日本大震災」以降は、六度にわたり被災地を御見舞いいただき、被災された方々一人一人に心温まるお言葉を賜りました。被災された方々に向き合われるその御姿に、県民は心から感謝の念を抱くとともに、天皇陛下のお人柄と高い見識、皇后陛下のお優しいお心遣いに感銘を受け、大きな励ましと感動を与えていただきました。誠にありがたく、改めまして心から深く感謝を申し上げる次第です。

 このような、常に国民の健康と安全な生活を祈られ、国民の悲しみを御自身の悲しみとしてお受け止めになる天皇皇后両陛下のお姿に、国民誰しもが、強い感銘を受け、両陛下と皇室に対する尊敬と敬愛の念を一層強く、深くいたしておりますことは、誠に喜ばしいことと存じます。

 結びに、天皇陛下の御聖徳に感謝申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室のますますの御繁栄を心からお祈り申し上げます。

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村岡 嗣政(山口県知事)

村岡 嗣政(山口県知事)

 お言葉を胸に「活力みなぎる山口県」の実現に挑戦

 天皇陛下におかれましては、御即位から本日に至るまでの三十年間、平和国家日本の象徴として、諸外国との友好親善を深められ、また、国民統合の象徴として、常に国民の安寧と幸せを祈られるとともに、地方への御巡幸等を通じて国民に親しく接してこられるなど、極めて御多忙の中を公務に御精励されてこられました。ここに、深甚なる感謝の念を捧げますとともに、御即位三十年を迎えられましたことを、県民とともに心からお慶び申し上げます。

 本県には、昭和二十四年の学習院御在学中をはじめ、昭和三十八年の国民体育大会夏季大会では皇后陛下と、昭和六十一年の全国高等学校総合体育大会では紀宮清子内親王殿下とお越しいただき、御即位後は、平成六年の全国豊かな海づくり大会、そして、平成二十三年の国民体育大会、平成二十四年の全国植樹祭と二年続けて両陛下に御来県いただきました。

 中でも、平成二十四年の全国植樹祭の際には、心臓手術を終えられたばかりであり、御体調面を大変御心配申し上げておりましたが、初夏を感じさせる爽やかな晴天のもと、介添えの子ども達にやさしくお声かけをされながら、丹念にお手植え、お手播きをしていただきました。また、県内事情の御視察では、関係者に心温まる激励やねぎらいのお言葉を賜るとともに、沿道各所や提灯奉迎では、多くの県民に終始笑顔でお応えになるお姿に接し、県民一同その温かいお人柄に改めて深い感銘を受けたところであります。

 また、豪雨や台風により本県が甚大な被害を受けた際には、お見舞いのお言葉とともにお見舞い金を賜りましたことは、被災した県民にとって大きな励みとなりました。改めて両陛下の御厚情に感謝を申し上げます。

 本県を取り巻く環境は、少子高齢化や人口減少等、厳しい環境にありますが、両陛下から賜りました心温まるお言葉を胸に、私達地方自治体も、地域の発展に向けて日々努力を重ねてまいる覚悟であります。本県の持つ様々な強みを最大限活かし、潜在力を余すことなく引き出し、さらに伸ばしていくことで、活力に満ち、将来に希望を持って暮らすことのできる山口県を創り上げるため、県民や市町と一体となって挑戦を続けてまいる所存であります。

 結びに、本年は天皇皇后両陛下が御成婚から満六十年をお迎えになられる年でもあります。改めて心からお慶び申し上げますとともに、天皇皇后両陛下のますますの御健勝と皇室の更なる御繁栄をお祈り申し上げます。

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村田 正治(京都府議会議長)

村田 正治(京都府議会議長)

 陛下の御心に感謝を込めて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年の佳節をお迎えになられましたことを、謹んでお慶び申し上げます。

 天皇皇后両陛下は、御即位以来、常に我々国民の安寧と幸せを願い、これまで全国四十七都道府県を複数回にわたり巡幸啓いただくなど、お休みになられる暇もなく御公務に精励してこられました。

 この平成の三十年を振り返ると、多くの「災害」の記憶がよみがえります。阪神・淡路大震災、東日本大震災、昨年には、平成三十年七月豪雨、北海道胆振東部地震など、我が国は過去に例を見ないほど多くの災害に見舞われてまいりました。

 こうした折、天皇陛下が皇后陛下とともに、各地の被災地をお見舞いになり、被災者と同じ目線で励ましのお声を掛けながら被災者に寄り添ってこられたお姿は、まさに両陛下のお気持ちそのものであり、深い感動と感謝の意に堪えません。

 さて、我々の住む京都は、京都御所や門跡寺院など古来より皇室に縁深い中で歴史を育み、歩んでまいりましたが、両陛下には、今の「碁盤の目」の街並みの基礎となった平安京の建都一二〇〇年記念式典や、今や世界的に有名となった源氏物語の千年紀記念式典など、京都を象徴する行催事に御臨席を賜りました。

 また、平成十二年の「全国豊かな海づくり大会」の際には、京都府北部一円にも行幸啓を賜り、沿道では、延べ二十万人もの京都府民が両陛下のお姿を目に深い感動を覚え、大きな勇気をいただきましたほか、各分野の学会や地方事情の御視察など、両陛下には、これまでに二十回以上にわたり京都府に行幸啓を賜ってきたところであり、京都府民を代表して深く感謝を申し上げるところであります。

 陛下におかれましては、この春をもって御退位され、五月に皇太子殿下が御即位されますが、新たな御代を迎えるに当たり、二六〇万京都府民とともに、未来に希望の持てる地域づくりに尽力してまいりたいと決意を新たにしております。

 改めて、御即位三十年を、こうして府民、国民挙げてお祝いできますことは、天皇陛下と私たち国民が深い敬愛の絆で結ばれている事をゆるぎなく示すものであります。

 結びに当たり、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の弥栄を心より御祈念申し上げ、私のお祝いの言葉といたします。

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森田 健作(千葉県知事)

森田 健作(千葉県知事)

 陛下との思い出と賜った勇気

 今上陛下におかれましては、第百二十五代の天皇として御即位されてから三十年をお迎えになられましたことを、六百二十万県民とともに心からお慶び申し上げます。

 御即位以来、天皇・皇后両陛下におかれましては、各地への御訪問も天皇の象徴的行為として、全国をくまなく巡幸されてこられました。

 平成の御代における両陛下と本県との思い出を振り返りますと、平成四年十一月に勝浦市で開催された「全国豊かな海づくり大会」に、平成十五年五月には木更津市で開催された「全国植樹祭」に御臨席を賜りました。

 また、平成二十二年九月に開催された「ゆめ半島千葉国体」の開会式では、朝からの雨空に台風の影響を御心配されていた陛下に対し私が「陛下がお出ましになるときには、必ず晴れにしてみせます」と申し上げましたところ、県民の熱意が空に届き、開会式が行われた午後には見事な秋晴れとなったことを、昨日のことの様に覚えております。

 さらに、両陛下におかれましては、何よりもまず私たち国民の安寧と幸せを祈り、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添ってこられました。

 平成二十三年三月に発生し未曽有の大災害となった東日本大震災において、本県でも多くの犠牲者を出した旭市の被災地へ、翌四月にお見舞いいただきました。

 当日は、地震発生の二時間半後に来襲した津波で多くの被害が出たことや、原発事故による農産物の風評被害について御説明申し上げると、両陛下は大変お心を痛めておいでの御様子でした。

 避難所では、冷たい床に両膝をつかれ、被災者お一人おひとりに、時には手を握りながら、お言葉をかけられると、被災者の皆様が目を潤ませ、感激されていました。被災された方だけではなく、県民全体の心が温まり、大きな勇気をいただくことができました。

 両陛下には、心から感謝を申し上げたいと思います。

 間もなく、陛下におかれましては、四月三十日に御退位を迎えられます。御退位までの間、平成の御代を大切に過ごしていただきたいと思います。

 御即位三十年という佳節にあたり、陛下のこれまでの御治世と大御心に衷心より感謝と報恩の誠を捧げ、御退位後も両陛下の益々の御健勝と皇室の弥栄を心から祈念申し上げます。

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柳居 俊学(全国都道府県議会議長会会長・山口県議会議長)

柳居 俊学(全国都道府県議会議長会会長・山口県議会議長)

 常に国民の幸福と平安に深く御心を砕かれるお姿に深甚なる感謝を捧げて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことは誠に慶賀に堪えないところであり、心よりお祝い申し上げます。

 平成の御世を顧みますと、バブル経済の崩壊に端を発した経済不況、雇用情勢の悪化、更には、阪神・淡路大震災、東日本大震災をはじめとした大規模自然災害が日本各地で頻発するなど、困難な事態もございましたが、その中にあって、陛下におかれましては、常に国民とその苦難をともにされ、国民の幸せを祈念されてこられました。

 そのことは、全国四十七都道府県すべてを二巡され、障害者や高齢者の福祉や医療の現場などのご訪問、産業施設のご訪問などの地方事情のご視察や被災地へのご慰問等により、多くの国民を励まし、労い、勇気づけられましたことに象徴されており、深く感謝申し上げるものであります。

 また、先の大戦における戦没者の追悼やその遺族に対する慰問のため、沖縄をはじめ、広島、長崎などの各地に慰霊のご訪問を重ねられました。

 更に、世界平和を希求され、世界各国をご訪問の上、友好親善の増進にお力を尽くされました。

 私どもは、こうした陛下の常に国民の幸福と平安に深く御心を砕かれるお姿に深甚なる感謝の意を奉げるものであります。

 現在、我が国は、多くの課題を抱えておりますが、陛下の国民を思う御心に沿うべく我々は、地域住民の福祉の向上のため最大限の努力を傾注してまいる所存でございます。

 天皇皇后両陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉を奉げます。

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山木 靖雄(広島県議会議長)

山木 靖雄(広島県議会議長)

 お祝いの言葉

 天皇陛下におかれましては、この度、御即位三十年という誠に慶賀すべき年をお迎えになられました。

 この間、天皇皇后両陛下は、毎年開催される国民体育大会、全国植樹祭、豊かな海づくり大会などにおいて関係者を激励されるとともに、各地の福祉施設などでは温かいお言葉で、入居者や職員を元気づけてこられました。

 さらに、全国各地で多発しております大規模災害の際には時を置かずに現地へ赴かれ、犠牲者を悼み、被災者を慰め、救援活動に携わる人々を励まされるなど、御公務御多忙の中にも、できるだけ多くの国民とお会いになるよう努められ、国家国民のために尽くしてこられました。

 広島県におきましても、平成六年の広島アジア競技大会から、平成七年の全国植樹祭、平成八年の国民体育大会と三年続けて行幸を賜るとともに、原爆養護ホームや、ふれあいの里をはじめ、県内各地をお訪ねいただくなど、多くの県民にとりまして、両陛下は大変身近な存在であります。

 また、平成二十六年八月、平成三十年七月と、本県が記録的な豪雨による災害に襲われた際には、お見舞いのため被災地をご訪問いただき、多くの被災者をはじめとした関係者に慰めと労いのお言葉を賜りましたことは、復興に向けて歩みだす大きな励みとなりました。とりわけ、平成三十年は、悪天候により三度延期された後に、日帰りでお立ち寄りいただくという強行スケジュールでご訪問いただいたところであり、国民を思う慈愛に満ちたお心配りに接し、深く感銘を受けた次第であります。

 社会経済が目まぐるしく変化する中で、災害からの復興をはじめ様々な課題が山積しておりますが、両陛下から今日までに賜りました温かい励ましのお言葉を胸に刻み、郷土の一層の繁栄のため、日々全力を挙げて努力を重ねることをお誓いいたします。

 ここに改めて、天皇皇后両陛下の御健康と皇室の末永い御繁栄を心からお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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山口 祥義(佐賀県知事)

山口 祥義(佐賀県知事)

 志を未来へ

 天皇陛下におかれましては、このたびご即位三十年を迎えられましたことを、県民を代表いたしまして、また国民の一人として、心からお喜び申し上げます。

 平成元年は、私が自治省に入省し社会人の第一歩を踏み出した年でもあり、平成の歴史とともに地方行政を担う一人として人生を歩んできたことを考えますと、万感胸に迫る思いです。

 今から二十五年前、天皇・皇后両陛下が鳥取県にご滞在された折、私は同県の観光物産課長として両陛下にご覧いただく物産展示を準備いたしました。そこで両陛下が目を留められたのが、同地の工芸士の手による木彫りのミニカーでした。それは、両陛下ご成婚当時のメルセデス・ベンツ製御料車をモデルにしたもので、お二人でご覧になりながら肩を寄せ合い仲睦まじくお話しされる光景に、私は緊張しつつも温かい気持ちになったことを今でも憶えております。

 それから四半世紀の時が過ぎ、私自身結婚し、三人の子に恵まれました。仕事で全国を駆け回る日々の中にあっても、家族との時間を大切にしたいという思いが強かったのは、そうした両陛下のお姿への憧憬の念があったからではないかと、あらためて思い返しています。

 また、平成二十八年春の園遊会では、陛下からは、九州北部豪雨についてご心配いただき「先日の災害で佐賀はどうでしたか」とお言葉をかけていただきました。

 この災害をきっかけに、佐賀県では、森と山と海のつながりを守り、そこに関わる人々の想いを未来へ繋げるプロジェクトを立ち上げ、県民とともにさまざまな取組を進めています。

 被災された方々をはじめ、国民一人ひとりの暮らしを思い、その気持ちに寄り添われる陛下のお気持ちは、佐賀県民の心にも届いているように思います。

 昨年、明治百五十年の節目に、佐賀県では、時代を切り拓いた佐賀の先人たちの偉業を知ってもらう様々な取組を行うことで、県民に未来への勇気を、子どもたちには志への種を蒔くことができました。

 そして平成から次の時代を迎えようとする今、私たちはあらためてふるさとを誇りに思い、未来へと歩みを続けております。

 両陛下にはどうかこれからもお身体をおいといいただくとともに、日本そして世界のとこしえの平和をご祈念いただき、国民にかわらぬご慈愛を賜りますようお願い申し上げます。

 天皇・皇后両陛下の末永いご健勝とご長寿、そして皇室の弥栄をお祈り申しあげ、お祝いの言葉といたします。

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山田 一仁(全国市議会議長会会長・札幌市議会議長)

山田 一仁(全国市議会議長会会長・札幌市議会議長)

 天皇陛下御即位三十年をお祝い申し上げます

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられますことを謹んでお祝い申し上げます。

 また、本年は、天皇皇后両陛下の御成婚六十年という誠に慶賀すべき年にあたり、心よりお慶び申し上げます。

 これまで両陛下におかれましては、日本全国数多くの地域をご訪問され、国民に対し希望に満ちた、数多くの感銘するお言葉をいただきました。

 また、常に国の平和と発展はもとより、国民の安全安心な暮らしが日々続くことを第一に願われ、そして数多くのお言葉をいただいたことは、大きな励みになったものであり、全国市議会議長会を代表し、心より深く感謝申し上げます。

 平成の三十年間を振り返りますと、阪神淡路大震災や東日本大震災、火山噴火、台風被害など大規模な自然災害が数多く発生したところであり、昨年の平成三十年も、六月の大阪府北部を震源とする地震、七月には西日本豪雨、そして九月には北海道胆振東部地震などの自然災害により、多くの尊い命が失われました。

 両陛下におかれましては数多くの被災地を見舞われ、膝をつかれ、あるいは正座をされ、目の高さを合わせられてご遺族や被災された方々に寄り添われ温かいお言葉をかけ続けてこられました。このようなお姿に、国民はどれほど励まされ、復興に向かう人々の心の支えになり、未来への希望を見出してきたことでしょうか。

 また、「全国戦没者追悼式」においては、陛下は「戦争の惨禍が再び繰り返されないこと」を願われ、御退席の際には、「全国戦没者之霊」と記された標柱に向き直られ、しばらく見つめられたのち、皇后陛下がお声をかけられ、両陛下そろって一礼されたことを今でも鮮明に覚えております。常に国民の安寧と幸せを祈られることを何よりも大切に考え続けてこられたことを痛切に感じ、誠にありがたく、深く感謝を申し上げます。

 我々全国市議会議長会は、この平和な日本を未来につなげていけるよう、今後の人口減少・少子高齢化など厳しい社会情勢の中にあっても、一層の努力を重ね、日本の発展のために日々尽力してまいる覚悟でございます。

 ここに改めて天皇皇后両陛下の御健康と、皇室の末永い繁栄を心から祈念いたしまして私からのお祝いの言葉とさせていただきます。

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山本 文雄(福井県議会議長)

山本 文雄(福井県議会議長)

 天皇陛下御即位三十年を祝う

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年という慶賀すべき年をお迎えになられましたことを謹んでお祝い申し上げます。

 御即位より今日までを振り返りますと、我が国においては、バブル経済の崩壊や東日本大震災など幾多の困難もございましたが、陛下におかれては、常に国民に寄り添い、世界の平和と繁栄、国の安泰、人々の幸せに御心を傾けてこられましたことに対し、深く感謝の意を表します。

 さて、福井県におきましては、昨年九月二十九日から、半世紀ぶりとなる第七十三回国民体育大会「福井しあわせ元気国体」が、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ盛大に開催されました。

 福井県に両陛下をお迎えするのは、平成二十一年六月以来であり、県営陸上競技場において行われた総合開会式では、雨に濡れながら力いっぱい演技を披露した式典演技者を、温かい笑顔でねぎらってくださいました。

 また、訪問先の県教育博物館においては、両陛下は尋常小学校や国民学校で使用されていた教科書を興味深く眺められました。お二人で微笑みながら語られるお姿は大変感慨深く、脳裏に焼き付いております。

 訪問先や宿泊先、沿道には、子どもから大人まで多くの県民が詰め掛け、日の丸の小旗を手にした人々に優しい笑顔で手を振られ、歓迎の声に応えてくださいました。

 私ども福井県民にとりまして、大きな喜びと励みとなったこのたびの行幸啓を契機として、ふるさと福井の更なる発展に、力を合わせて取り組んでいかなければならないと決意を新たにしている次第です。

 結びに、天皇皇后両陛下のますますの御健勝と皇室の弥栄を心よりお祈り申し上げ、奉祝のことばといたします。

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湯崎 英彦(広島県知事)

湯崎 英彦(広島県知事)

 被災地に寄り添う強いお気持ち

 天皇陛下御即位三十年を県民とともに心からお慶びを申し上げます。

 天皇陛下におかれましては,平成元年九月に安浦町(現呉市)において開催された第九回全国豊かな海づくり大会に御臨席いただくなど,これまで七度にわたり,広島県を御訪問いただきました。

 中でも,平成二十六年十二月には同年八月豪雨に伴う被災地を,また,昨年九月には,平成三十年七月豪雨災害による被災状況を御視察いただきました。

 特に,昨年の御視察に際しては,陛下の被災地に寄り添う強いお気持ちが,気象状況の悪化が懸念された中での,本県に向けたヘリコプターの出発につながり,御視察いただくことができたものと存じます。

 被災された方々のお話に深く耳を傾けられ,直接お見舞いのお声掛けを賜りましたことは心の支えとなり,また,救援・復旧に尽力された方々にお労いのお言葉を賜りましたことは,大変大きな励みとなりました。

 また,御訪問地はもとより,沿道など様々な場において,県民によるお迎えに,にこやかにお応えになり,親しく接していただきましたことは,私ども広島県民にとりまして大きな喜びとなりました。被災地の御見舞を賜りましたことを,改めて深く感謝申し上げます。

 さて,天皇陛下御即位三十年を振り返りますと,経済社会の不安定性や将来の不確実性が極めて高まった一方で,地球環境,過疎化,ジェンダー問題等社会的課題への関心の高まりなど,社会と価値観が多様化し,またそれを尊重する動きが進んだ時代でした。

 今後も,環境,社会,技術,国際情勢等の変化のスピードは衰えず,むしろますます速くなっていくものと考えられ,先行きの不確実性や不透明さはましていくものと考えられます。

 本県では,このような変化にしなやかに対応できる人づくりを進めるとともに,その人材の力を合わせ,様々な課題に一つひとつ丁寧に対応することで,県民の皆様の不変の願いである「広島に生まれ,育ち,住み,働いて良かったと心から思える広島県の実現」に向け,全力で取り組んで参る所存でございます。

 最後に,天皇陛下御即位三十年に際し,国民とともに歩むことを常に念頭に置かれた天皇陛下の御聖徳に,改めて感謝の誠を捧げますとともに,今後,本県,ひいては我が国の繁栄が大きく進んでいくことを,心から祈念いたしまして,お祝いの言葉といたします。

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吉田 栄光(福島県議会議長)

吉田 栄光(福島県議会議長)

 被災地復興への御心を励みとして

 天皇陛下御即位三十年という慶賀の年を迎え、大慶の至りであり、福島県議会を代表して、心からお祝い申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、御即位以来、皇后陛下と御一緒に、平成七年十月の第五十回国民体育大会秋季大会、平成十一年十月の第十九回全国豊かな海づくり大会、平成三十年六月の第六十九回全国植樹祭をはじめ、九度にわたり、本県に御来県いただき、大きな励ましと感動を与えていただきました。

 その際には、本県の文化、産業、福祉などの実情も御視察いただき、各地での県民の歓迎に親しくにこやかにお応えいただきましたことは、県民にとりまして誠にありがたく、大きな喜びでありました。

 特に、東日本大震災及び原子力発電所事故以降は、お見舞いのため避難所や応急仮設住宅等にお立ち寄りいただき、温かい励ましのお言葉を賜りましたほか、本県の復興状況をつぶさに御視察いただくなど、幾度となく御来県くださり、常に被災地に寄り添われる両陛下のお姿は、復興への歩みを進める県民の大きな力となっております。

 私も、昨年、南相馬市において開催いたしました全国植樹祭におきまして、直接お話をする機会をいただき、その際に両陛下の温かいお人柄に接し、さらに親しみのこもったお言葉を賜り、大変感激いたしますとともに、発災から今日まで常に被災地の復興を御心に留めていただいておりますことに、深い感銘を受けたところであります。

 ここに、これまでの天皇皇后両陛下の県民への温かいお心遣いに対しまして、改めて深く感謝を申し上げる次第であります。

 本県の復興への道のりは長く厳しいものがありますが、両陛下から賜りました心温まるお言葉を励みとして、県民一丸となって震災からの一日も早い復興を成し遂げてまいる所存であります。

 結びに、天皇皇后両陛下の今後益々の御健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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吉村 美栄子(山形県知事)

吉村 美栄子(山形県知事)

 両陛下の優しさ、温かさを感じて

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられ、誠に慶賀にたえないところであります。山形県民を代表して、謹んでお祝い申し上げます。

 また、本年は天皇皇后両陛下の御成婚六十年という大変喜ばしい年でもあります。この二重の御慶事に接することができましたことは、誠に大きな慶びとするところであります。

 この三十年間、両陛下は、日々の多忙なる御公務に精力的に取り組まれ、数多くの式典や地方事情御視察にお出ましいただき、国民生活に直接触れられ、地域の現状を御熱心に御覧いただくとともに、温かい笑顔や励ましをいただきました。

 本県には、平成四年の「第四十七回国民体育大会(べにばな国体)」、平成十四年の「第五十三回全国植樹祭」、平成二十七年の私的御旅行、そして平成二十八年の「第三十六回全国豊かな海づくり大会」と、四度にわたり御来県を賜りました。

 直近の御来県である平成二十八年の全国豊かな海づくり大会の際には、鶴岡市立加茂水族館において、庄内浜の魚や五十種類以上のクラゲを御覧いただく機会を賜りましたほか、国指定史跡・松ヶ岡開墾場では、床下から部屋を暖める「埋薪」や繭を作らせる寝床「わらまぶし」を編む機械などを興味深く御覧いただきました。

 また、御視察先の関係者や沿道の県民に対して、にこやかにお手を振ってくださったり、親しくお声をかけられたりと、どんな場面でも常に国民に心を寄せて歩んでおられる両陛下のお姿、優しさに深く感銘を受けたところであります。

 これまでの本県への御来県において、両陛下の細やかな心配り、優しいお人柄に接するたびに、両陛下の温かさを感じ、誠にありがたく、深く感謝申し上げる次第であります。

 結びに、日本国の象徴としての御活動に精励されてこられたこれまでの三十年の御事績に、改めて心より感謝申し上げますとともに、両陛下の益々の御健勝と皇室の御繁栄を心より祈念申し上げます。

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