天皇陛下御即位おめでとうございます。国民こぞってお祝いいたしましょう。
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天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い
各界代表1800名参加のもと盛大に開催

天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い開催 NHK交響楽団有志と同団主席クラリネット奏者伊藤圭氏による奉祝演奏

 平成31年4月10日、天皇皇后両陛下の御成婚60年の佳き日に、「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」が国立劇場(東京)に約1800名の参加者を得て開催されました。天皇陛下御即位三十年奉祝国会議員連盟(伊吹文明会長)、天皇陛下御即位三十年奉祝委員会(三村明夫会長)、公益財団法人日本文化興隆財団(田中恆清理事長)が共催。

 冒頭、天皇陛下がお好みでいらっしゃるクラシックの中からモーツァルト作曲「クラリネット協奏曲第一楽章」が、NHK交響楽団有志と同団主席クラリネット奏者伊藤圭氏により奉祝演奏がなされ、和やかな雰囲気の中で開会されました。


第一部 奉祝式典の部

伊吹文明・元衆議院議長、三村明夫・日本商工会議所会、安倍晋三・内閣総理大臣、北野武・タレント・映画監督

 「奉祝式典の部」では、宮本隆治さんの司会のもと、主催者を代表して奉祝国会議員連盟会長の伊吹文明・元衆議院議長奉祝委員会会長の三村明夫・日本商工会議所会頭が式辞を述べられたのち、ご来賓の安倍晋三・内閣総理大臣大島理森・衆議院議長からご祝辞をいただきました。続いて各界からのご祝辞では、経済界から中西宏明・日本経済団体連合会会長、学界・医療界から京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授、芸能・芸術界からタレント・映画監督の北野武氏、被災地から東日本大震災被災者で岩手県三陸花ホテルはまぎく社長の千代川茂氏、また海外からは、今年の新年に天皇皇后両陛下からご会釈をいただいた日系ブラジル人・サンパウロ市エタバ高校三年生の宮崎真優さんが、それぞれ御即位30年をむかえられた天皇陛下へ心のこもった感謝とお祝いの言葉を述べられました。


第二部 祝賀コンサートの部

MISIAさんによる祝賀演奏 松任谷由実さんによる祝賀演奏

 続く「祝賀コンサートの部」では、中井美穂さんの司会のもと、音楽プロデューサー・松任谷正隆氏の企画により、MISIAさん、松任谷由実さん、ゆずの皆さんの3グループが祝賀演奏。とりわけ天皇陛下の御製と皇后陛下の御歌に曲を付けさせていただいた天皇陛下御即位三十年奉祝曲「御旅(おんたび)」の奉祝演奏では、会場は大きな感動に包まれました。

「御旅」の奉祝演奏 「御旅」の奉祝演奏

初公演 御製・御歌の謹作曲
天皇陛下御即位三十年奉祝曲「御旅おんたび

御製

我が国の旅重ねきて思ふかな
 年経るごとに町はととのふ

平成十五年歌会始御題「町」

御歌

さきくませさきくませと人びとの
 声渡りゆく御幸みゆきの町に

平成十六年歌会始御題「幸」


 結びに、伊達忠一参議院議長の先導により参加者全員による聖寿万歳で閉式いたしました。

 当日の模様は、地上波テレビの実況中継を含めマスコミ各社により広く内外に報道され、会場に参加した関係者のみならず、広く国民の皆さんにも周知される行事となりました。



ご祝辞全文

主催者式辞

伊吹 文明

天皇陛下御即位三十年奉祝国会議員連盟会長

伊吹 文明

 本日は、今上陛下と皇后陛下御成婚の佳き日です。この佳き日に、天皇陛下御即位三十年奉祝と感謝の集いを開催するに当り、主催者の一人として謹んで式辞を申し述べます。

 日本国憲法は、「日本国と日本国民統合の象徴としての天皇の地位は、主権の存する国民の総意に基づく」としています。従って、国民各層を網羅する奉祝委員会と全国民の主権をお預りする衆参両院の各党各会派の五百四十九名よりなる奉祝国会議員連盟の共催により、本日の配びとなったことは、誠に意義深いことと存じます。海外からご参加頂いた方々、安倍総理、大島・伊達衆参両院議長始め国内各地からお集まり下さった皆様方に厚く御礼を申し上げます。

 今上陛下には、昭和八年十二月二十三日に昭和天皇と良子皇后の第一皇子としてご誕生になりました。時代的に言えば、欧米列強の狭間で、日本が大東亜戦争への道を歩んでいた時にご幼少期を過ごされたのです。ご自身も栃木でご疎開のご体験をされました。終戦で東京にお戻りになり、戦争による荒廃と破壊の現状を目の当りにされたと拝します。戦争で肉親を失い、飢えに苦しむ国民の姿を目にされた、当時の小学生・中学生の皇太子であられた今上陛下の御心は如何であったでしょうか。

 国民にお示し頂いている今上陛下や皇后陛下の平和への祈り、戦没者への鎮魂のお気持、被災者や障害のある方々へのやさしさ、常に私達国民の安寧をお心に置いて頂く基は、ここにあるように思うのは私だけでしょうか。両陛下の国民と同じ目線でのご姿勢、おかけ頂いた温かいお声に癒され、元気を取戻した国民は数え切れないと思います。

 先達の努力と頑張りで、日本は戦後復興の道を歩み、高度成長を達成し、その果実を使って今日の豊かで行き届いた社会を達成しました。今上陛下のお言葉どおり、平成の三十年間は、日本の近現代史において唯一戦争に巻込まれなかった時代でしたが、一方で陛下もお述べになっているように、日本国は東日本大震災のような地震災害以外にも、温暖化、長寿少子化による社会の変化、グローバル化等による難しい状況に直面してきました。これ等は、成熟した行き届いた国になれたなかで生ずる人間の弱さ、足るを知らない業のようなものを克服せねば、対処できない難問でもあります。陛下のお述べになった「島国として比較的恵まれた形で育ててきた独自の文化」、即ち日本人の伝統的生き方、心根を私達が再確認する時ではないかとも思います。かつてのように、皆で絆を結び、豊かななかに慎ましく、公共への貢献を大切に、新しい時代を拓いていかねばなりません。

 四月三十日を以て、特例法により今上陛下はご退位になり、皇太子殿下のご即位により「令和の時代」が始まります。しかし日本国は絶え間なく日々を積み重ねています。今上陛下が求め続けられ、自らお示し頂いた「国民統合の象徴」としてのお姿は、「令和の時代」にも受けつがれ、皇室と日本の伝統・文化を大切にしつつも、時代とともに良き変化を遂げていかれるかと存じます。

 私達国民もまた、そのような「皇室と共に平和な日本を作っていく」との静かな決意を持って、品性ある国民による品格ある国・日本を未来に引継ぐため、現在を誠実に生きてまいりたいと思います。

 今上陛下ご在位三十年間の御心に感謝申し上げ、天皇、皇后両陛下のご健康、そしてこれからの穏やかな日々を念じあげ、皇室の弥栄をお祈りし式辞と致します。


主催者式辞

三村 明夫

天皇陛下御即位三十年奉祝委員会会長

三村 明夫

 本日、ここに「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」をご案内申し上げましたところ、内閣総理大臣、衆参国会議長のご来賓をはじめ、全国各地より、各界各層の皆様方に多数ご参列いただき誠にありがとうございました。

 天皇陛下におかれましては、本年一月七日、御即位三十年の佳節をお迎えになりました。そして、この四月三十日にはご譲位され、皇太子殿下が第百二十六代天皇の御位にお即きになられます。

 ご譲位による御代替りは、我が国憲政史上初めてのことであります。先頃、新元号の「令和」が発表され、以後、様々な皇位継承儀式が実施されるのを目前にして、私共は、長い歴史の中で連綿と受け継がれてきた皇室の伝統の尊さに、深い敬意を抱かずにはおれません。

 さて、天皇陛下におかれては、決して平坦ではなかったこの三十年、常に国民と共にあることを願われ、その思いに寄り添ってこられました。私共国民は、陛下の御心に支えられ、楽しい時も悲しい時も心を一つにして、前に進んでこられたのではないかと思います。

 本日は、両陛下ご結婚満六十年の慶賀すべき日に当たります。陛下は、昨年のお誕生日の記者会見で、皇后陛下について次のようにお述べになりました。

 「現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、六十年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。」

 陛下の三十年に亘る象徴天皇としての「御旅」は、まさに皇后陛下との深い絆に支えられた道程であったと拝察いたします。両陛下がご健康にて、本日をお迎えになられたことを、国民こぞってお祝い申し上げたいと思います。

 最後にこの場をお借りしてのお知らせとなります。この秋には、皇居にて新帝陛下の「即位礼正殿の儀」と大嘗祭が執り行われます。この時に当たり私共は、皇居前広場をお借りして御即位奉祝行事を実施いたします。新天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ開催する「国民祭典」の日程が、この度、十一月九日、土曜日と決定いたしました。五万人以上のご参加を得て開催いたしますので、どうか皆様方のご協力をよろしくお願い申し上げます。

 結びにあたり、天皇皇后両陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄を心からお祈り申し上げ式辞といたします。


ご来賓祝辞

安倍 晋三 氏

内閣総理大臣

安倍 晋三

 天皇陛下には、本年、御在位三十年をお迎えになりました。また本日は、両陛下が御結婚された昭和三十四年四月十日から六十年の記念すべき日に当たります。この縁ある日に、「天皇陛下御在位三十年奉祝感謝の集い」が、かくも盛大に開催されますことは、誠に意義深く、心からお慶び申し上げます。

 政府におきましては、去る二月二十四日に御在位三十年記念式典を、天皇皇后両陛下御臨席の下で挙行し、現在、各地で慶祝行事等を行っております。本日皆様とともに、改めて官民あげて、天皇陛下の御即位三十年をお祝いできますことを心からうれしく思います。

 両陛下におかせられては、全国津々浦々、四十七都道府県を二度以上にわたり御訪問になられました。御訪問は遠隔の地や離島なども含まれ、日本の各地で、人々の声に耳を傾け、その思いに寄り添ってこられました。

 我が国は、平成の三十年、阪神・淡路大震災や東日本大震災など多くの自然災害に見舞われましたが、こうしたとき、両陛下は現地の救援活動への影響にお気遣いなさりながら、被災地をお見舞いになり、犠牲になられた方々を悼まれるとともに、被災者一人一人の傍らに立ち、お言葉をかけられました。

 両陛下のこうしたお姿は、被災地の方々はもとより、多くの国民の心に深く刻み込まれております。

 国外へは、御即位以来、三十五か国を御訪問になり、我が国と各国との友好親善関係の発展に御尽力いただきました。

 陛下は、文化や芸術、科学技術の発展にもお心を寄せられ、日本学士院授賞式をはじめ各種の授賞式に、毎年、お出ましになられたほか、地方への御訪問の際には、地元の文化・産業施設などをお訪ねになり、関係者を激励なさってこられました。

 こうした御活動が、日本国民の幸せと国家の発展、世界の平和の実現に寄与したことは言うまでもありません。改めて、深く感謝を申し上げます。

 私たちは、長きにわたり国民に常に寄り添ってこられた両陛下のお姿を胸に刻みながら、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を、創り上げていく決意であります。

 終わりに、天皇皇后両陛下の御健康と皇室の弥栄を心からお祈り申し上げ、私のお祝いの挨拶といたします。


ご来賓祝辞

大島 理森 氏

衆議院議長

大島 理森

 天皇皇后両陛下におかれましては、本日、御結婚満六十年をお迎えになりました。このよき日に、皆様と天皇陛下御即位三十年を盛大にお祝いできますことをうれしく存じます。

 天皇陛下には、昭和八年の御誕生以来、国民の期待を一身に負われて御成長になりました。戦争と戦災からの復興の時代に青少年期を過ごされ、昭和二十七年のサンフランシスコ平和条約発効直後に、成年式と立太子の礼をお迎えになりました。翌年、英国女王陛下戴冠式に御参列になり、欧米諸国を訪問されたことと併せ、当時の陛下のお姿は、新たな独立日本の象徴として、国民に深い感激を与えたものと拝察されます。

 そして、昭和三十四年の御結婚は、国を挙げての慶事となりました。皇太子同妃両殿下の時代に、両陛下には、お三方のお子様をお育てになるとともに、御即位後につながるお務めの在り方を求めてこられました。特に、障害者などの困難を抱える方々に思いを寄せられ、また、苦難の歴史をたどってきた沖縄を度々御訪問になったことなどとは印象深いことです。さらに、昭和天皇・香淳皇后には長く「全国植樹祭」に御臨席になっていましたが、今上両陛下には新たに昭和五十六年以来「全国豊かな海づくり大会」への御臨席を重ねられました。

 御即位後も、天皇皇后両陛下には、常に平和を念願され、国民と共にあることを大切にされながら、一つ一つのお務めに心を込めて精励してこられました。とりわけ、皇室の伝統を守り続けることに深く意を用いておいでです。天皇陛下には、御齢を重ねられてもなお、新嘗祭をはじめとする宮中祭祀に出御あらせられ、国の安寧と人々の幸せをお祈りになっています。また、両陛下には、長く皇室で重んじられてきた歌を多くお詠みになり、私どもは御製や御歌を拝するたびに深く感銘を受けてまいりました。さらに、皇后陛下には、歴代皇后から引き継がれた御養蚕に熱心に取り組まれています。

 また、天皇陛下御自身がハゼ類の分類などを御研究になり、皇后陛下も絵本の文章の執筆や詩の翻訳をなさるなど、学術や文化に深い造詣をお持ちです。宮中のほか、学会や式典、展覧会や演奏会などにお出ましのたびに多くの方々と親しく接していらっしゃいます。

 天皇陛下におかれましては、先般、ここ国立劇場で挙行された御在位三十年記念式典において賜ったおことばで、長い年月に日本人がつくり上げてきた我が国の持つ民度を称揚されるとともに、「島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って、他国との関係を構築していくことが求められているのではないか」と仰せられました。私どもは、このおことばを厳粛に拝承し、次なる御代に向けて、決意を新たにしていかねばなりません。

 この度、次なる御代の元号が、「令和」と定められました。誠に素晴らしい新元号が選ばれたことを喜ばしく思います。「令和」は、万葉集のうち、今から約千三百年前に大宰府で行われた宴に際し詠まれた和歌に付された漢文を出典とするもので、初春の梅花薫るやわらかな風の中、人々がむつみ合い、和歌を詠む様子を表した文章から採られました。新しい天皇陛下を仰ぎ、この元号の下につくられていく新たな時代を、平和で物心両面とも豊かで活気に満ちあふれた幸せなものとすべく、私どもが思いを共にすることが求められております。

 結びに、本日の集いの開催に当たり御尽力になった奉祝国会議員連盟の伊吹会長及び奉祝委員会の三村会長をはじめ関係者の皆様方に心から敬意を表します。ここに、天皇皇后両陛下をはじめ皇室の皆様方の弥栄を衷心よりお祈り申し上げ、お祝いの言葉といたします。


各界からの祝辞

中西 宏明 氏

日本経済団体連合会会長

中西 宏明

 経団連会長の中西でございます。

 「天皇陛下御即位30年奉祝感謝の集い」が、かくも盛大に開催されますことは、誠に意義深いものであります。奉祝委員会の一員として、陛下のご即位三十年をことほぎ、心からお慶び申し上げます。

 「内平らかに外成る」の平成の御代、日本は平和と安定を続けました。一方で、わが国では、グローバル競争の激化に伴う成長率の低迷、少子化や高齢化の進行、相次ぐ大規模自然災害が起きました。海外ではテロや国際的な紛争などが頻発する激動の時代でもありました。多くの予期せぬ困難に直面した時代にあって、我々国民を束ねる象徴としての陛下のお姿、お言葉、ご行動に励まされ、明日への勇気を頂いてまいりました。改めて、平成30年間のご事跡に深く感謝申し上げる次第でございます。

 さて、この三十年間を私なりに振り返りますと、平成は新たな時代を準備する期間ではなかったかと思います。この間の様々な試行錯誤を経て、時代は正に転機を迎えようとしています。

 デジタル化の波は、世界経済全体の成長の枠組みを急速なスピードで変えつつあります。経済の構造が大きく変わるときであり、技術革新を基盤に、力強い経済成長、国民生活の利便性向上、ヒト、モノ、カネの効率的な配分を実現すると共に、わが国が抱える社会課題を解決していこうという考え方が重要です。これが経済界の提唱する「Society 5.0 for SDGs」の基本コンセプトであり、国連で採択された「持続的な開発目標(SDGs)」達成への貢献をはたしていくものです。デジタル革新について各国も力を入れているところですが、日本のSiciety5.0の考え方は各国から高く評価されており、日本が強いリーダシップを発揮しています。

 昨年の九月、天皇、皇后両陛下に、こうした経済、社会の動きを官も民も、更に学も力を合わせて推進しております、とご説明する機会がございました。両陛下からは、それは良いことと「頑張って下さい」とのお言葉を頂き、大いに元気付けられました。

 本年は、陛下のご譲位、皇太子殿下のご即位を初めとして、大阪のG20サミット、ラグビーワールドカップの開催、更に来年はオリンピック・パラリンピックの東京大会が開かれます。

 日本が世界の注目を集めるこの時期に、日本の素晴らしさを内外に発信するまたとないチャンスが訪れます。経済界として、新たな経済社会の構築に全力を挙げて邁進することをお誓い申し上げ、私の祝辞の結びといたします。ご清聴誠にありがとうございました。


各界からの祝辞

山中 伸弥 氏

京都大学iPS研究所所長・教授

山中 伸弥

 天皇陛下御即位三十年、そして天皇、皇后両陛下ご成婚六十年、誠におめでとうございます。この記念すべき節目にお祝いと感謝を申し述べる機会をいただきましたこと、誠に光栄に存じます。

 天皇陛下は研究者でいらっしゃいます。皇太子殿下の時代からハゼについて、つい先日発表されたものも含め33本もの論文を報告してこられました。形態学的特徴より種類を見分ける手法は、ハゼの分類学の発展に大きく貢献されています。学術名にローマ字のアキヒトが使われているハゼも複数あります。皇太子殿下の時代に発表された英語論文の著者名はプリンス・アキヒト。そして、御即位後はアキヒトです。私の知る限り著者名がファーストネームだけなのは陛下の論文のみであり、日本人研究者として大きな誇りです。

 また秋篠宮殿下との共著論文も発表されています。陛下が形態学的な解析を、秋篠宮殿下がDNA解析を分担された共同研究の成果です。研究者にとって家族と共著論文を発表することは喜びのひとつです。私もいつの日か実現できたらと夢見ております。

 平成二十四年六月、横浜で開催されました国際幹細胞生物学会に両陛下のご臨席を賜りました。この国際学会が日本で開かれるのは初めてのことでした。居並ぶ海外からの研究者にとっても両陛下のご臨席は大きなインパクトでありました。ただ、陛下はわずか4カ月前に心臓の手術を受けられたばかりでした。正直申し上げて、私は陛下のご臨席は難しいのではないかと思っておりました。それを押して、横浜までお越しいただきました。

 そればかりか、陛下の方から研究者一人一人に手を差し伸べ、握手をしていただきました。それは陛下がいつも災害や病気に苦しむ人々に寄り添われているときの優しさと同じものでありました。いつも陽気で気さくな外国人研究者も、このときばかりは感激と緊張で手が震えていたのが強く印象に残っております。

 同年の十二月に私はノーベル医学生理学賞を受賞し、スウェーデンを訪れました。選考を行ったカロリンスカ研究所の教授の一人は、横浜で陛下に握手をしていただいた研究者でした。授賞式の後、ウプサラ大学を訪問いたしました。北欧で最も歴史のあるこの大学を陛下も数年前にご訪問され、名誉学院の称号を受けられていたことを知りました。陛下が研究者であられることに改めて強い感銘を受けました。

 平成が幕を開けた三十年前、私は医師の道から研究者へと人生のかじを切りました。そして十八年後にiPS細胞と巡り合い、その後さまざまな病気の治療に使うための研究が進んでおります。私にとっての平成はiPS細胞が芽生え、成長し、つぼみを付けた三十年でした。間もなく訪れる令和の時代、その元号に込められた意味をしっかり受けとめて、iPS細胞を大きく花開かせ、患者さんのもとに届けられるよう努力していきたいと思います。

 陛下、三十年間、本当にありがとうございました。長きにわたりご重責を担われ続けてこられたことに、心からの感謝と敬意を申しますとともに、両陛下の末永きご健康をお祈り申し上げます。


各界からの祝辞

北野 武 氏

タレント・映画監督

北野 武

 お祝いの言葉。天皇皇后両陛下におかれましては、御即位から三十年の長きにわたり、国民の安寧と幸せ、世界の平和を祈り、国民に寄り添っていただき、深く感謝いたします。

 私はちょうど六十年前の今日、当時十二歳だったその日、母に連れられて日の丸の旗を持ち、大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりました。母は私の頭を押さえ、「頭を下げろ! 決して上げるんじゃない」と、ポコポコ殴りながら「ばちが当たるぞ」と言いました。私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。そうしないと、ばちが当たって、急におじいさんになっていたり、石になってしまうのではないかと思ったからです。そういうわけで、お姿を拝見することはかないませんでしたが、おふたりが目の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました。

 私が初めて両陛下のお姿と接したのは、平成二十八年のお茶会の時でした。なぜか呼ばれた私に、両陛下は「交通事故の体の具合はどうですか」「あなたの監督した映画を見ています」「どうかお体を気をつけてください」「頑張ってください」と声を掛けていただきました。この時、両陛下が私の映画のことや体のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました。

 ただ、今、考えてみれば、天皇陛下がご覧になった映画が、不届き者を二人も出した「アウトレイジ3」ではないということを祈るばかりです。また、おみやげでいただいた銀のケースに入っているコンペイトーは、わが家の家宝になっており、訪ねてきた友人に、一粒八百円で売っております。

 五月からは、元号が「令和」に変わります。私がかつて居た「オフィス北野」も、新社長につまみ枝豆を迎え、社名を変えて「令和」に対して「オフィス冷遇」にして、タレントには厳しく当たり、変な情をかけないことと決めました。

 私は、自分が司会を務めた番組で、私たちがニュースなどで目にする公務以外にも陛下が、一月一日の四方拝を始め、毎日のように国民のために儀式で祈りをささげ、多忙な毎日を過ごされていることは、知っていました。皇后陛下におかれましては「皇室は祈りでありたい」とおっしゃいました。お言葉の通り、両陛下は私たちのために、日々祈り、寄り添ってくださっていました。私は、感激するとともに、今、感謝の気持ちでいっぱいです。

 平成は平和の時代であった一方、災害が次々と日本を襲った時代でもあります。そのたびに、ニュースでは、天皇皇后両陛下が被災地を訪問され、被災者に寄り添う姿が映し出されました。平成二十八年八月、陛下は次のように述べておられます。

 「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず、国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」

 国民の近くにいらっしゃり、祈る存在であること、そのお姿に私たちはひかれ、勇気と感動をいただきました。あらためて、平成という時代に感謝いたします。また、ずっと国民に寄り添っていただける天皇皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に、生を受けたことを、幸せに思います。ありがとうございました。


各界からの祝辞

千代川 茂 氏

三陸花ホテルはまぎく代表取締役

千代川 茂

 本日、天皇陛下ご即位30年奉祝式典に東日本大震災津波の岩手県被災地の被災者国民としてお祝い申し上げます。

 国難と一千年年に一度の大震災が三月で八度目の命日を迎えました。

 天皇陛下、皇后陛下は被災地に何度もお足を運び被災地国民に寄り添い励ましと復興に勇気と生きる希望を賜りました。

 私は大震災に経営するホテルが全壊、当時の社長の兄が津波で行方不明となりホテル再建が出来ずに、もう「駄目だ」と人生どん底の中、被災地避難所におりました。震災の年の十月二十日、皇后さまの喜寿のお誕生日、皇居の御所に白い花が咲き、両陛下のお姿をテレビ映像と新聞写真で拝見し、驚きました

 白い花は「はまぎくの花」。亡き兄が二十年前、両陛下が岩手の全国豊かな海づくり大会にご臨席の際、記念に皇居にはまぎくの種を贈呈し咲いた花でした。はまぎくの花言葉は「逆境に立ち向かう」。被災地に陛下の励ましのメッセージ「逆境に立ち向かい復興に元気に歩んで下さい」暖かいお言葉で御座いました。

 震災三年後、はまぎくは復興の花、名称を「花ホテルはまぎく」として再建致しました、陛下の励ましがなければ再建が出来ませんでした。大震災から風化が進む満八年。東日本大震災に尊い二万三千人余りの悲しい犠牲により、国の復興予算で災害避難道路、三陸沿岸道路、岩手県横断高速道路等、生活整備が進みました。今、被災地は高齢化と人口減少、産業の低迷、被災地は未来の希望と厳しい現実の二つの道を進んでいます。

 結びに、天皇陛下にはお元気で今後も被災地国民に希望と励ましを賜りたく思います。天皇陛下に感謝を申し上げ、被災地から天皇陛下ご即位三十年奉祝を申し上げます。


各界からの祝辞

宮崎 真優 さん

ブラジル国サンパウロ市エタバ高校三年生

宮崎 真優

 去年平成三十年の十二月二十一日、私は松柏・大志万第二十二回使節団として日本へ行きました。そして、今年の一月二日、天皇陛下、皇后陛下に御年賀のため朝早く起きて皇居に行きました。列に並んでいる私たちにまゆみ校長先生が声をひそめておっしゃいました。

 「みなさん、みなさんは天皇陛下、皇后陛下にお会いできるかもしれないのよ。」「え? 夢じゃないの?」「そんなことありえない。」と思いました。

 私は去年の十二月、天皇陛下、皇后陛下に差し上げるお年賀のお手紙で、「かつて平成十一年の第十二回使節団が経験したように、私達も天皇陛下、皇后陛下に会いたい」と書きました。でも願いがかなうなんて夢にも思っていませんでした。

 夢が現実になりました。皇居のお車寄せにご案内いただいたときは、体は震え、手は汗でビショビショになっていました。天皇陛下と皇后陛下は、ゆっくりと階段を降りていらっしゃいました。下に降りられた皇后陛下が、「宮﨑真優さんはいらっしゃいますか。」とおっしゃった時、私はびっくりしました。思わず「はい」と答えていました。皇后陛下は私に「日本語は大変ですか?ポルトガル語もがんばっているんですね。うれしく思います。日本語は漢字も言葉も難しいですけれど、がんばって下さい。」とおっしゃいました。次に天皇陛下が「夢が叶うよう応援しています。お医者さんになるんでしょう。」とおっしゃいました。

 突然、必ず成功して日本に戻る夢を持ち、幼い娘を残してブラジルに来た、ひいひいおじいちゃんたち。ご飯に水をかけ、つけものだけでおなかをみたし、働いても、どんなに苦労しても、大好きだった日本には、最後まで帰れず、娘とは行き別れになってしまった話を思い出しました。私の祖先が、天皇陛下、皇后陛下にお言葉をいただけたのだったら、きっと涙をながして喜んだことでしょう。

 みんながざわざわ歩き始めました。気がつくと、みんな輪になっていました。私たちのグループは、皇后陛下を中心に輪になりました。皇后陛下は、「お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんは元気になさっていますか。」と優しくおっしゃってくださいました。皇后陛下のあたたかい握手と、天皇陛下の優しいひとみは、私達に勇気と力を下さいました。このひとときは私の一生の宝物となりました。

 天皇陛下と皇后陛下との楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいました。私たちは両陛下が二階へと階段を上がって行かれるのを、涙を流してお見送りしました。

 私はブラジル人です。ブラジルを愛しています。そして、日本も私の中でずっと生きています。私は日本が大好きです。そして今、ブラジル人であり、日本人であることを誇りに思っています。

 日本語ってとっても難しいですね。きびしい先生のお叱りを受け、「日本語はいやだ。」と思うこともありました。でも両親は日本語を絶対に止めさせてくれませんでした。そして、最近、私は日本語の深さと美しさに気付き初めるようになりました。漢字は一字一字に意味があり、その漢字を組み合わせると更に深い意味の熟語が成り立つことが面白くなってきました。日本語をとおして私は思いやりの心、優しさを学ばせていただいています。素朴で優しい心を持った医者になり、たくさんの人を助けたいです。また、日本とブラジルの架け橋になりたいと思っています。

 天皇陛下、皇后陛下、三十年も日本を護ってくださり、支えてくださり、日本人を笑顔にしてくださってありがとうございました。「扇子は涼しい風を送るためにあります。天皇陛下と皇后陛下は日本に優しさと言う風を送る扇子の要でいらっしゃいます。」私の日本語の先生のこの言葉を胸に秘め、私は両陛下のことを絶対に忘れず世のため、人のために頑張ることをお約束します。

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