天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典
――各界より4000名が参列、天皇陛下御即位20年をお祝い
[平成20年12月19日、東京ドームシティJCBホール]

◎開会の辞
国会議員と国民で国を挙げての奉祝の気運を
平沼 赳夫(衆議院議員)
天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟実行委員長

天皇陛下は、ご即位になってより二十年という洵に慶賀すべき年を迎えられました。心からお祝い申し上げます。
陛下は、平成19年末までに180回の地方巡幸をおこなわれました。全国四十七都道府県、国境離島を含めて514市町村をご訪問になり、奉迎者総数は約770万人に上ります。全国すべての都道府県をおめぐりになったのは、歴代天皇で初めてのことです。
この間、平成7年の阪神・淡路大地震や平成16年の新潟県中越地震をはじめとする様々な大規模自然災害に見舞われ、多くの国民が想像を絶する苦難に遭遇したなか、陛下は被災地に御心を寄せられ、国民を励ましてこられました。
また、平成7年の終戦五十年決議や、平成18年にかけて検討された靖国神社に代わる国立追悼施設建設を巡る問題に代表されるように、大東亜戦争をはじめとする我が国の近現代史が政治の場で激しく議論されました。
こうした動きのなか、陛下は平成6年、昭和天皇が念願とされ、ご巡幸が適わなかった、硫黄島、平成7年には東京、広島、長崎、沖縄へのご巡幸を実現なさいました。そして平成17年には全体の戦没者三分の二を占める240万人の「外地で亡くなった人」を慰霊するため、サイパン島を行幸啓され、数多の戦没者を慰めてこられました。
さらに、陛下は皇太子時代に国賓としてご訪問になったものを含めて、これまでに実に48カ国にものぼる国々を公式訪問されています。陛下が外国に最初に出発されてからのご人生は、我が国の占領が解け、新たな一歩を踏み出した国家の歩みと重なっています。
敗戦と他国からの占領を受けた我が国が、いかに占領という苦難の道を克服し国家を発展させていけばいいのか、そして、世界の中で我が国が果たす役割とは何かについて、自問されていることが、ご訪問国での陛下のご発言から拝察せずにはおれません。
平成という混迷の時代にあって、我が国を真におささえ下さったのはまぎれもなく陛下の御存在であることはいうまでもありません。
この度、私は、天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟の実行委員長を拝命しましたが、民間の奉祝委員会と手を携えて、陛下への誠を捧げるべく、国を挙げての奉祝の気運を盛りあげてまいりますことをお誓い申し上げ、開会の辞とさせていただきます。
◎主催者式辞(一)
国会議員連盟で奉祝記念事業の展開を
森 喜朗(元内閣総理大臣)
天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟会長

天皇陛下には、御即位二十年をお迎えになりました。
このたびのご慶事をお祝い申し上げるべく「天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典」のご案内を申し上げたところ、本日、政府代表、駐日外交団、衆参両国会議員、都道府県知事及び議長、ならびに経済界、学界、教育界、宗教界など各界代表のご来臨をかたじけなく致しました。また、北は北海道から南は沖縄に至る、全国各地から多数の皆様がご参列くださいましたことを心から御礼申し上げます。
今月初旬、天皇陛下にはご体調を崩され、すべての日程をお取りやめになられました。その後、ご公務には復帰されましたが、不整脈及び胃の炎症という診断が公表され、私ども国民一同、一日も早いご快癒をご祈念申し上げている次第でございます。
この御不例の原因について、担当の医師はご心労、ご心痛だと指摘していますが、私もそのような印象を持っております。それは、天皇皇后両陛下とも勿体なくも実に細やかなご配慮をされておられるからです。私はたびたび地方行幸啓に際して、あるいは外国ご訪問に随行させていただく機会に恵まれましたが、その際の両陛下がいかに国家・国民のため大変な御努力をなされているのか、間近に拝見し、そのご心労はいかばかりかと案じている次第です。
例年、国民体育大会開会式にご来臨頂きますが、この時、八十歳、九十歳を越えても現役で選手を続けておられる方々が表彰されます。陛下はこれらの選手の皆さんに優しくお励ましの言葉をおかけになるのですが、昨年、兵庫県でその中の九十八才の陸上選手が感謝に打ち震えて、思わず陛下のお手を握り、おし頂かれたのです。私は思わず、その方の耳元で、陛下のお手をはずされるよう声をかけました。陛下はその時、全く意を介せず、優しいお言葉で「森さん、よいのですよ」とおっしゃり、この選手の手を包む様にしてお讃えになっておられました。
また、平成17年5月、両陛下はノルウェーをご訪問され、私が首席随員を命ぜられました。両陛下は、ノルウェー王室のご歓待をお受けになられ、楽しい旅をお続けになっておられました。古都トロンハイムで船遊びをされ、市場のところで下船されました。その市場の入口に寿司の屋台がつくってあり、多くの魚をねたにした寿司を並べてありました。陛下は立ち止まり、しばらくその握り寿司をご覧になっておられましたが、お召し上がることなく、マーケットの中に入られました。現地の寿司職人は少しがっかりしたようでしたので、私が二、三個つまみ、その場を取りつくらせて頂きました。
陛下はマーケットを一巡され、お帰りの御車に乗られたのですが、その時、お乗りになる前に突然私に「森さん、お寿司はおいしかったですか」とお尋ねになられました。本当にびっくりしました。こんなに細かいところにまでお気を配られ、私の行動までご覧になっておられたのかと、感激するやら、冷や汗ものでした。
このようにお疲れのおいとまもなく、国内はもとより、外国との交流にもお心をくだいておられます両陛下のご健康を心からお祈りする次第です。
また、天皇陛下が戦没者追悼について強いお気持ちを寄せていらっしゃいます。先帝陛下があれほど願われながら、ついに訪問できなかった沖縄に天皇陛下は天皇として初めてご訪問になったほか、硫黄島やサイパンにも訪問されました。
サイパンご訪問については多くの課題があり、なかなか実現を見なかったわけですが、最終的には両陛下の強いご希望があって米国政府の配慮で国内のご旅行として実現されたと伺っております。そして今後も激戦地となった島々を訪問され、ご弔問されたいというご希望があるとも伺っています。先帝陛下のお気持ちを受け継ぎ、戦没者の慰霊と追悼に努めたいとの陛下の強いお気持ちに、何とかしてお応えしたいと思っております。
天皇陛下の二十年にわたるご活動に心から感謝申し上げるべく10月16日、各党代表の賛同を得て「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」を設立しました。今後はこの議員連盟の皆様と共に、御即位二十年をお祝いする記念事業を展開していく決意であります。
ここに、天皇皇后両陛下のますますの御健勝と皇室のいやさかをお祈り申し上げまして、主催者の式辞といたします。
◎主催者式辞(二)
官民を挙げて国民のまごころこめた奉祝事業を
岡村 正(日本商工会議所会頭)
天皇陛下御即位二十年奉祝委員会会長

天皇陛下におかれましては、本年、御即位二十年という慶賀すべき年をお迎えになりました。国民こぞってお祝い申し上げるべく、この度、奉祝中央式典を開催いたしましたところ、各界ご来賓、奉祝委員会関係役員など、全国各地より多数の皆様方のご参列をいただき、誠にありがとうございます。とりわけ駐日外交団より、百カ国に及ぶ各国代表の大使閣下のご臨席を仰ぎ、主催者として心より御礼申し上げます。
さて、昭和64年1月7日、父君昭和天皇の御位を継がれ、第125代天皇に御即位されてより二十年が経ちました。「内平らかに外成る」、この「平成」の元号に込められた願いのもと、私どもは、天皇陛下を国民統合の中心と仰いで、日々の営みを続けて参りました。
この二十年を顧みますと、平成元年12月の冷戦終結で幕が開き、バブル崩壊による日本経済の低迷、アジア通貨危機、地域民族紛争やアメリカ同時多発テロ、世界を襲った幾多の大規模自然災害、そして現在は、アメリカの金融危機に端を発した世界経済の同時減速など、内外ともにまさに激動の二十年間であったのではないかと感じております。
天皇皇后両陛下におかれては、かかる厳しい状況に直面した国民を励まし、その叡智によって困難を乗り越えられるよう、深く祈りをお続けになって来られました。そのため、できるだけ多くの国民と接したいとの思し召しにより、全国47都道府県を隈なく行幸啓され、国民生活の向上や諸産業、福祉の発展などの、充実ぶりをご視察になり、国民を励ましてこられました。とりわけ、大規模自然災害で被災された皆様へのご激励、戦没者慰霊の行幸啓には、大変ご熱心に取り組まれ、深く御心を注がれて来られました。
いついかなる時も人々の幸せと平和を祈られ、国民の悲しみを御自身の悲しみとしてお受け止めになる両陛下のお姿を拝見して、私どもは、強い感銘を受け、両陛下と皇室に対する崇敬と敬愛の念をいっそう深くいたしました。御即位二十年に当たり、両陛下の二十年にわたる御聖徳をあまねく国内に伝え、報恩感謝の誠を捧げて参りたいと念願いたしております。
ご案内のとおり、現下の我が国経済は、景気後退に直面し、極めて厳しい状況にあります。しかし、こうした時代であるからこそ、天皇陛下の御心に応え、私ども国民が力を合わせてこの難局を克服し、新たな成長を実現していかなければならないと決意を新たにする次第です。
ところで、明年4月10日には、国民の大きな祝福の中で挙行された御成婚より満五十年という、重ねての御慶事をお迎えになられます。陛下は平成15年1月、手術をお受けになられましたが、その後お休みになることもなく、ご公務をお続けになって来られました。
承るところによれば、陛下は、「できるだけ多くの国民に会い、公務を続けたい」と思し召しになり、時間を見つけられては、テニスなどで体力の維持と健康の増進に心掛けていらっしゃるそうでございます。陛下には、先般、体調を崩されご公務を一時お取りやめになられましたが、一日も早いご快癒と、皇后陛下とお揃いで幾久しくご健勝であれますことを国民を代表して心から念願いたしております。
私ども奉祝委員会は、本日の中央式典を契機に明年一杯まで、全国各地で奉祝運動を推進して参ります。どうか皆様におかれましては、陛下の御聖徳を伝える各種の広報事業や記念事業、国民こぞってお祝い申し上げる奉祝式典やパレードなどが、国民の真心を結集した奉祝事業になりますよう、ご支援とご協力をお願いいたしたいと存じます。
この度、政府におかれては、来年11月12日に記念式典を挙行されることを閣議決定されております。これに伴い、各省庁でも各種記念事業が実施されるものと存じます。
都道府県の一部では既に先行して奉祝行事を実施されております。ご列席の地方公共団体や民間の企業、各種団体におかれましても、それぞれが心のこもった奉祝記念事業を取り組まれますことを、この場をお借りしてご提案させていただきます。どうかよろしくお願い申し上げます。
結びにあたり、天皇陛下、皇后陛下の万歳を寿ぎ、両陛下のご健勝と皇室の益々のご繁栄をお祈り申し上げまして、式辞といたします。
◎政府代表祝辞
国民は両陛下に励まされ勇気をいただいてきた
麻生 太郎
内閣総理大臣

本日ここに、広く各界から、多数の皆様のご参集を得て、「天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典」が、かくも盛大に開催されますことは、誠に意義深いものがあります。心からお慶び申し上げます。
今上陛下におかれましては、来年一月七日で、ご即位満二十年を迎えられます。政府におきましても、お祝いの式典を、来年十一月十二日に、開催することを、決定したところであります。本日、それに先立ち、皆様とともに、陛下のご即位二十年をお祝いできますことを、心からうれしく思います。
「内平らかに外成る」の思いをこめて、平成の御代が始まりました。この間、日本は繁栄と平和を続けましたが、一面では、我が国においても、また、世界的に見ても、激動の二十年でした。大規模自然災害、テロ、国際的な紛争などが頻発する状況の中で、常に人々の幸せと世界の平和を願われてやまない、大御心に思いをいたしますと、そのご心労はいかばかりであったかと、ご推察申し上げる次第であります。

この間、陛下は、皇居でのご公務はもとより、皇后陛下とご一緒に友好親善のための、諸外国ご訪問、各般の行事へのご出席、被災地へのお見舞いなど、休まれることなく、ご精励されておられます。
「人々の幸〔さち〕願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ」
平成16年歌会始の御製であります。このような天皇皇后両陛下のお姿に、お言葉に、笑顔に、我々国民がどんなに励まされ、勇気をいただいてきたことか、改めて申し上げるまでもありません。誠にありがたく、深く感謝申し上げる次第であります。
現在、我が国には、克服すべき様々な課題が山積しております。
私は、日本国と日本国民の行く末に平和と安心を、人々の暮らしに落ち着きと希望を、そして子どもたちの未来に夢をもたらすべく、一身をなげうって邁進する所存です。
このような時に当たり、日本国と日本国民統合の象徴であられる、天皇陛下のご即位二十年を、皆様とともにお祝いできますことは、国民と皇室を結ぶ、敬愛と信頼の絆が、ゆるぎないものであることを示すものであり、慶賀にたえません。
ここに、天皇皇后両陛下のご健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いのご挨拶とさせていただきます。
◎各界からの祝辞(一)
経済活力を取り戻し希望溢れる国づくりを誓う
御手洗 冨士夫
日本経済団体連合会会長

本年、天皇陛下におかせられましては、御即位二十年という慶賀すべき年をお迎えになられましたことを、まずもってお慶び申し上げます。
この度、天皇陛下御即位二十年奉祝委員会が設立されるにあたり、図らずも名誉会長にご推挙いただき、皆様方とともに奉祝運動に参画できますことは、誠に光栄の至りに存じます。微力ながらこの重責を全ういたしたく存じます。
さて、今まさに、世界は未曾有の危機にあります。昨年から続く国際的な金融システム不安の影響が信用収縮を起こし、消費の低迷、生産の減少、雇用情勢の悪化というように、実体経済へと波及しつつあります。
すでに、日米欧の主要3極の経済成長率は、足もとでマイナスに転じております。また、これまで高い成長を遂げてきた新興国経済も、減速を余儀なくされております。今や、世界経済全体が同時不況に陥る懸念が著しく高まっております。そのため、世界中で官民が緊密に連携し、採りうる政策を総動員して目下の難局を乗り越え、世界経済を安定的な成長軌道にのせることが求められております。
日本経済も、一年を通してマイナス成長が予想される極めて厳しい環境下にありますが、危機的な状況から脱却し、持続的な成長につなげていくためには、明確なビジョンに基づいて、果断に政策を実行していくことが不可欠であります。
私は、経団連会長に就任いたしました翌2007年に、この国の輝かしい未来に向けたビジョンを発表いたしました。本ビジョンは、国際競争の激化、人口減少社会の到来など、大きな環境変化の中で、わが国を世界の中で光り輝く「希望の国」にしていくためのロードマップというものであります。
そのため、本ビジョンに基づいて、これまでの2年間の活動を、日本経済の発展のために捧げてまいりました。これからの日本に思いをいたす時に、この国の未来について、明確な目標を国民と共有し、共に行動していくことが非常に大事になると考えます。
そして、実績と経験に裏打ちされた高い技術と知見に基づいて、民間企業が牽引役となることで経済の活力を取り戻すとともに、希望溢れる国づくりに向けて、引き続き、取り組んでまいりたいと存じます。
今、大事なことは、日本は世界第二の経済大国として、自らの手で、一日も早く景気を回復軌道に乗せることにあります。私ども経済界に身を置くものにとって、陛下の御心をお悩まし申し上げることのないよう、全力を挙げて努力してまいることをお誓い申し上げたいと思います。
結びに、天皇皇后両陛下の益々のご健勝、皇室の弥栄とわが国の繁栄、そして世界の平和をお祈り申し上げ、祝辞とさせていただきます。ありがとうございました。
◎各界からの祝辞(二)
両陛下から賜ったお言葉が被災地復興の大きな力に
麻生 渡(福岡県知事)
全国知事会会長

全国知事会会長の福岡県知事・麻生でございます。
天皇陛下におかせられましては、在位二十年をお迎えあそばされますことを謹んでお祝い申し上げます。
御即位以来、バブル経済の崩壊や阪神・淡路大震災など困難な事態もございましたが、常に国民を温かく激励していただき、現在の平和と繁栄が築かれてまいりました。特に地方には一貫して深い御叡慮をお寄せいただいております。
全国植樹祭や国民体育大会などへの御臨席に加え、平成4年から始められた「地方事情ご視察」など、これまで全ての都道府県、400を超える市町村への行幸を遂げられました。
被災者へのお見舞い・激励、福祉施設の御慰問はもとより、歴史・文化・教育施設、環境改善への取り組み、地域の特色を活かした地場産業などをつぶさに御視察になり、地域の福祉と住民生活の向上に尽くす人々に対し労いのお言葉をおかけになっておられます。
福岡県西方沖地震で被災した私どもの福岡県に行幸啓を仰ぎました折にも、天皇皇后両陛下からそれぞれ親しくお言葉を賜り、県民一同元気づけられ、復興の大きな力となったところであります。天皇陛下におかせられましては、被災地の玄界島への船上でわざわざ二階の操舵室まで上がられ、御愛用の望遠鏡で丹念に島全体を御覧あそばされました。そのお姿が今でも大変心に残っております。
まさに皇室は私達にとって「希望と統合の象徴」であります。
現下の厳しい経済情勢の下、両陛下から賜りました心温まる支援のお言葉を胸に私達地方自治体も我が国の一層の繁栄に向けて日々努力を重ねてまいる覚悟であります。
ここに改めて両陛下の御健康と皇室のいやさかをお祈りいたしますとともに、皇室と国民の親愛の絆がさらに深まることを心から祈念いたします。
◎各界からの祝辞(三)
両陛下のおかげで障害者福祉が大きく前進
小川 榮一
日本身体障害者団体連合会会長

ただ今ご紹介に預かりました日本身体障害者団体連合会会長の小川榮一でございます。一言、天皇皇后両陛下に対し感謝の言葉を申し述べたく存じます。
日本身体障害者団体連合会が昭和33年に創立して以来、障害者福祉に関わってはや五十年が経ちました。その間、なかなか障害者に対する社会の理解が進まず胸の痛む思いをしてきましたが、そんな私共を一貫して支えて下さったのが、天皇皇后両陛下でした。正確に申し上げれば、両陛下のおかげで障害者福祉が大きく前進したと言っても過言ではありません。
どういうことかと申しますと、障害者に対する社会の見方が大きく変わる契機となったのが、昭和39年、東京オリンピックにあわせて開催されたパラリンピックでした。
障害者がスポーツを通じて交流を行うこの世界大会が初めて日本で開催された際に、皇太子同妃両殿下であられた両陛下は、連日会場を廻られて選手を激励し、大会終了後は東宮御所に関係者を招かれて労われました。
その際、陛下は、こうお述べになりました。
「日本の選手が病院や施設にいる人が多かったのに反して、外国の選手は大部分が社会人であることを知り、外国のリハビリテーションが行き届いていると思いました。このような大会を国内でも毎年行ってもらいたいと思います」
この御言葉がきっかけとなって昭和40年から毎年、国民体育大会にあわせて身障者スポーツ大会が開催されるようになったのです。この大会のおかげで、閉じこもりがちであった身障者たちが施設の外に出てスポーツに取り組むようになり、「障害があってもやればできる」という勇気と自信を持てるようになりました。
家族もまた、その姿に励まされ、支えられてきたのです。スポーツを通じ、社会参加の助長と、障害や障害者に対する社会の理解が深まったことが、今日の障害者福祉向上の原動力にもなりました。
さらに両陛下は、地方行幸啓に際して障害者施設をご訪問になっていらっしゃいます。おかげで、どちらかというと閉鎖的だった障害者施設も社会の脚光を浴びるようになり、国民の優しさが障害者に伝わるようになりました。
数年前、園遊会にお招き戴いたときも、「障害者の皆さんはどうですか」と質問があり、「皆、明るく頑張っております」とご返答申し上げたところ、「障害者のため頑張ってほしい」と、ありがたい御言葉を賜りました。
ハンディーがあっても国民の一人として尊重して下さり、障害者とその家族・関係者に、勇気と自信を与えて下さっている皇室こそ、日本の素晴らしい国柄を代表されていると思っております。
これまでの両陛下のご活動に感謝申し上げるとともに、両陛下の御健勝を心よりお祈り申し上げます。
◎各界からの祝辞(四)
沖縄に寄せられる両陛下の深い御心に感謝
座喜味 和則
沖縄県遺族連合会名誉会長

沖縄に対し、並々ならぬお気持ちをお寄せ戴いている天皇陛下、皇后陛下に心からの感謝を申し上げたく、この度、沖縄県より参りました座喜味でございます。
私はこれまでに5回、両陛下とのご接見の機会を戴いておりますが、最も印象深く残っておりますのは、平成5年、天皇陛下が御即位後初めて沖縄に行幸なされた時です。沖縄県で行なわれた全国植樹祭にご臨席のためでした。
両陛下は4月23日、那覇空港にご到着されると先ず最初に沖縄戦の激戦地・南部戦跡に向われ、天皇陛下として初めて国立沖縄戦没者墓苑に献花、ご参拝になりました。
次に、沖縄平和祈念堂で県内各市町村遺族の代表150名に対し約五分間、お言葉を述べられました。「即位後、早い機会に沖縄県を訪れたいという念願がかない…」と、ご自分のお気持ちを込められたお言葉を拝聴し、沖縄の犠牲に対して心から慰めなければいけないという陛下のお気持ちを強く感じました。国の安泰を守るために犠牲になった方々へのお言葉は、御霊の供養になったものと思います。
次に両陛下は前列に並ぶ遺族代表十名の前にお立ちになり、遺族一人ひとりに優しく声を掛けていただきました。「どなたが亡くなられたのですか、大変ご苦労されたのですね」とのお言葉をいただき、戦歿者の妻は感激の余り返事につまり、顔をあげることができませんでした。戦歿者の遺児は、苦労の末亡くなった母へのお言葉として受けとめ、「親子の苦労が一変に報われました。早速亡き父母の霊前に報告します」と涙していました。
最後に沖縄県遺族連合会会長であった私が代表して、「陛下のお気持ちは、ここに来られなかった多くの人に必ず伝えます」と、お礼の言葉を申し上げました。天皇陛下から直接お言葉を賜ったあの日の感激は、いまなお私ども遺族の心の支えとなっております。
次にぜひご紹介申し上げたいことは、陛下から賜った琉歌のことです。
琉歌とは八・八・八・六音を基調とした沖縄独特の短歌ですが、陛下は、皇太子殿下として沖縄に来られた昭和五十年、南部戦跡を初めて巡拝されたお気持ちを、次のようにお詠みになりました。
ふさかいゆる木草 めぐる戦跡 くり返し返し 思ひかけて
「生い茂っている木草の間を巡ったことよ、戦いの跡にくり返し思いを馳せながら」という意味です。
「摩文仁」と題されたこの琉歌を、沖縄では毎年、戦没者追悼行事の中で紹介しています。沖縄戦が終結した6月23日の前夜、沖縄平和祈念堂では、沖縄全戦没者追悼式前夜祭が行われております。その前夜祭において、この「摩文仁」の琉歌が、琉球古典音楽の調べに乗せて献奏されているのです。私どもは毎年、陛下の琉歌を拝しながら、戦歿者の霊を慰め、平和への誓いを新たにしております。
沖縄は戦中・戦後、苦難の歴史を歩んできましたが、そうした沖縄に対して深い御心を寄せられる両陛下によってどれほど私どもは支えられ、励まされてきたことでしょうか。天皇皇后両陛下、本当にありがとうございます。
最後になりましたが、両陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄を祈念申し上げ、私のご挨拶とさせていただきます。
◎各界からの祝辞(五)
ご訪問国に感動をもたらし各国との友好関係を増進
苅田 吉夫
元宮内庁式部長官

本日ここに、天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典におきまして、感謝の言葉を申し述べる機会を頂きましたことを誠に光栄に存じます。
天皇陛下は御即位以来、常に変わることなく、国民の幸せと、世界の平和をお祈りになりつつ、極めて多岐にわたる御任務を一つ一つ全力を尽くして遂行なさっておられまして、おそばにおつかえしました私ども一同、その真摯なお姿にはいつも心からの感動を覚えておりました。
本日は、陛下の外国御訪問についてお話申し上げます。
外国御訪問は御公務の中でも非常に大きな行事でありまして、その準備には少なくとも半年以上を要しますが、両陛下は訪問先が決まったそのときから、御訪問の全ての側面につき深く思いを巡らされ、その国の状況をはじめ、日程、行事でのお言葉の一語一語に至るまで、心を込めた準備をなさいます。そして御訪問中は、お疲れをいとわず、誠心誠意、ひたすら全力でお尽くしになります。
両陛下は平成20年間に公式、非公式を含め31もの国々を訪れておられまして、その都度御訪問国の人々に大きな感動をもたらし、友好関係の増進に大きな役割を果たしておられるのであります。
外国御訪問に随行して特に印象的でしたのは、各訪問国での歓迎の大きさであります。御即位後初めての御訪問国はタイでありましたが、行く先々で人々の大歓迎をうけ、その熱気には本当に驚かされました。南国特有のスコールが降って来た時も、沿道の両側を埋め尽くした人々は、大雨をものともせず傘も差さず、手を振り続けておりました。
中国の上海では車列の通る大通りに20万人以上の人々が集まり、手を振り、歓声を上げて歓迎してくれました。
日系人100万人以上を擁するブラジルでは、訪れた都市都市で、歓迎の人波は空港から市内までの沿道や、歓迎行事の会場を埋め尽くしました。このような歓迎は訪問した各国で繰り返され、その情景は生き生きと心に残っております。
御訪問先では、元首、政府首脳とのご会見、公式晩餐会などの後、先方の関係者から両陛下の訪問国に対する深い思いに直接触れて、とても感激したとの感想をしばしば耳にしました。
さらに、できるだけ多くの人々と接したいとの両陛下のご意思も受けて、日程には一般の人が参加する文化行事や学校、病院、老人施設御訪問などが盛り込まれており、こうした場で示される両陛下の優しい振る舞いや、真心のこもった人々との触れ合いの御様子は逐一現地のテレビ、ラジオ、新聞で報じられ、国中に広く行き渡ります。
人々はまさに両陛下を通じて、日本という国を実感するのであります。数日から一週間程度の短い御訪問の期間中に、日本に対する人々の態度が一変するほどの変化が見られることもしばしば肌で感じました。
このように、訪問する国々は、皆様が想像される以上に大きな関心と親しみを持って両陛下をお迎えするのが常であります。これは、日本という国に対する関心の大きさ、とりわけ世界で最も長い歴史と伝統を持つ日本の皇室に対する関心の大きさを示すものであります。しかし何よりも大きいのは、ご訪問中に示される両陛下のお人柄と、相手国の人々に対する真摯で細やかなご対応が御訪問先の人々の心に触れるためであると思われます。
私は、外国各地を訪れる度に、長い歴史、美しい自然、変化のある四季、勤勉で秩序を重んじる国民性などに恵まれた日本という国の素晴らしさをあらためて痛感しますとともに、とりわけ世界に誇るべき皇室の存在が、どれだけ日本の風格を高め、日本に対する外国の好意と尊敬に資しているかを実感し、深い感謝の念を新たに致します。
このような皇室を持つ私たちは幸せであると思いますと共に、日本の皇室が今後末永く続き、栄えて行くことができますよう、制度の整備に力が注がれますことを心から願うものであります。
天皇皇后両陛下に心からの感謝をささげますと共に、一層のご健勝と、皇室のいやさかをお祈り申し上げます。有難うございました。
◎各界からの祝辞(六)
上野由岐子(女子ソフトボール金メダリスト)
北京オリンピック選手団

―秋の園遊会で。
天皇陛下には決勝戦を観戦戴いたとのことで「大変でしたね。しかし、しっかり投げられて」とお声を掛けられました。私は「仲間がいたので最後まで投げ切れました」とお答えしました。
―天皇陛下からお言葉をかけられて。
緊張しました。しかし女子ソフトボールのチームメイトを代表してのことですから光栄に思いました。
伊調 馨(女子レスリング金メダリスト)
北京オリンピック選手団

―姉妹二大会連続メダル獲得について。
世界選手権でも優勝しましたが、やはりオリンピックという晴れ舞台で姉妹でメダルが獲れたことは嬉しいです。
―両陛下主催のお茶会にお招きを受けて。
緊張しましたが、大変光栄に思いました。
松永 共広(レスリングフリースタイル五五キロ級銀メダリスト)
北京オリンピック選手団

―レスリング14大会連続メダル獲得について。
先輩達が作ってきた偉大な記録です。伝統を繋ぐことができてよかったです。
―レスリングの天皇杯全日本選手権について。
天皇杯は最優秀選手に贈られており、みんな天皇杯をめざして頑張っています。平成15年には、両陛下に天皇杯全日本選手権をご覧いただきました。
◎聖寿万歳
三好 達
元最高裁判所長官


◎語り舞台「日本神話への誘い」
浅野 温子
女優

平成15年伊勢神宮よりスタートした語り舞台『日本神話への誘い』。
今回は第62回神宮式年遷宮を記念して制作された舞台より「天の岩屋戸にお隠れになった天照大神~月読命の語れる」が上演された。浅野温子さんは、女優としてテレビ・映画・舞台等で幅広く活躍中。
◎歌唱「「御即位奉祝歌―平成の御代をたたえん」「旅立ちの日に」
秋川 雅史
テノール歌手

「御即位奉祝歌―平成の御代をたたえん」は、平成2年、当時の奉祝記念事業として歌詞が公募され、黛敏郎氏が曲をつけ、御即位奉祝式典にて発表されたもの。秋川雅史さんは、日本を代表するテノール歌手として活躍中。「旅立ちの日に」はアルバム「千の風になって~一期一会~」に収録されている。
●主催者挨拶
陛下を奉祝する熱い思いを感じる
中村 芳夫(経団連事務総長)
天皇陛下御即位二十年奉祝委員会運営委員長

本日は天皇陛下御即位二十年をお祝いする会に、かくも大勢の方々にお集まりいただき有り難うございました。
本日の式典をご案内したところ参加を希望される方が日に日に増し、2000名の会場が満杯になる状況になり、急遽この会場を用意させて頂きました。式典には駐日大使が100ヶ国から、国会議員が約150名、各界を代表される方々が約800名と多くの方が参加されました。二会場合わせて約4000名の方々が出席されています。皆様方の熱い思いをひしひしと感じております。
天皇皇后両陛下には、お喜びのことと存じます。
この式典にご参加頂きました御礼と、ご不便をおかけ致しましたお詫びを申し上げ挨拶とさせて頂きます。
●来賓挨拶①
陛下の御祈りに値する国民に
つのだ☆ひろ
音楽家

皆様は、家族や知人や親戚の健康を祈った経験があると思いますが、それ以外の人を祈っている方は、なかなかおられないと思います。陛下にあらせられては、御即位より我々国家、国民のために祈り続けておられます。さらに世界の平和、あらゆる国の人々にも御心を砕かれておられます。天皇陛下は、来年11月12日に御即位二十周年を迎えられます。国民にとって、陛下の慶賀すべき日を祝うことができる喜ばしい年になるでしょう。このよき年を迎えるにあたり、我々も陛下が祈ってくださるに値する国民になるべく、心新たにしなくてはと思います。誇り高い国、平和な国を作るため惜しまぬ努力をしていきましょう。
天皇陛下御即位二十年を心よりお祝い申し上げます。
●来賓挨拶②
陛下は、大胆で沈着冷静なお方
篠沢 秀夫
学習院大学名誉教授

私は、陛下は温厚な方だと思っていましたが、実は大胆な方だということを最近発見しました。昭和34年の陛下の御成婚パレードが盛大に行われた時の映像を改めて観ました。何十万人の人々が溢れ、当時、皇太子殿下と美智子妃殿下の馬車の周りには、多くの警官等が護衛についていました。
その時、美智子妃殿下の側に、とんでもない奴が出てきて、馬車に飛び乗り、石を投げようとした。美智子妃殿下は、ばっと陛下の方に身を寄せられ、陛下も一瞬動かれたが、すぐにまた、さっと手を挙げられ、ずっと馬車上からお手をお振りになった。警護が男を取り押さえる間もです。陛下は、「国民に応えることは務めである」と思っていらっしゃる。大胆で、沈着冷静なお方です。そのことを申し上げ、お祝いの言葉とさせて頂きます。
■式典に参加して(参加者の声)
- まだ感動が覚めやりません。歴代総理の皆様が式典に揃って参列したことで一層喜びが大きくなりました。ご祝辞にも胸がつまりました。人生でこれ程大きい感動を味わったことはありません。奈良から一緒に来た方々から「生きていて良かった」「式典に参加出来て良かった」との声を、帰りの車中で聞きました。心より御礼申し上げます。
(奈良県・47歳女性) - 厳粛に行われ、良い式典になったと思います。特に、日本身体障害者団体連合会の小川会長の身体障害者の経緯とご自身の体験を交えたご祝辞は、涙がでるほど感動しました。浅野さんの語り舞台は初めて見たのですが、子供達も楽しめそうな内容で良かったと思います。秋川さんの歌唱も初めて聞きましたが、素晴らしい歌声に感動しました。
(福岡県・20歳男性) - 各界の代表から陛下のエピソードがお話されましたが、陛下の国民を思う無私の大御心に接し、感動し胸を熱くしました。北京五輪メダリスト三人の初々しい姿に好感が持てました。浅野温子氏による語り舞台「天の岩屋戸の神話」は、本会に相応しかったです。テノール歌手の秋川氏の声量には圧倒されました。
(千葉県・56歳男性) - 緊張と奉祝の気持ちが漲るお言葉の数々に感動しました。麻生総理大臣をはじめ会場を埋める人々が一体になった奉祝式典は大成功でした。秋川雅史さんの格調高い歌にも感動しました。明年十一月十二日までに国民の心を結集してまたすばらしい国民式典が催されることを期待しております。
(滋賀県・52歳男性) - 陛下の細やかなお心遣いについて、式典の中でお話を聞くことができて良かった。浅野温子さんの「神話語り」については以前から聞いていたが、今回初めて見て、聞いて感動しました。御即位二十年を国民がこぞってお祝いできるようにマスコミも協力して、記念の年になれば良いと思う。
(千葉県・31歳男性) - 日本身体障害者団体連合会長の小川榮一氏の祝辞内容が特に良かった。元最高裁長官の三好達さんの万歳三唱は、凛として堂々として、さすがだと思った。
(東京都・70歳男性) - 会場いっぱいに広がる力強い「君が代」に涙した。天皇陛下を戴く日本人である事に、誇りと喜びを感じさせる各界の方々のご祝辞でした。気持ちを同じくするたくさんの方々と同席することができて幸せでした。「やまたのおろち」や「海幸、山幸の話」を、昔、父がよくしてくれましたが、教育で神話をぜひ取り上げて日本人としての心を取り戻すことが必要だと思います。これを機に、国歌を誇りをもって歌える若者を一人でも多く増やしてほしいと切に思いました。
(東京都・41歳女性) - 沖縄県遺族連合会と身体障害者団体連合会の代表の挨拶には涙をいっぱい流しました。浅野さんの「神話語り」も秋川さんの歌唱も感動しました。素晴らしい式典でした。
(東京都・67歳女性) - これから全国で奉祝事業が展開されていくことが伝わりました。いろいろなお立場の方からお言葉をいただきとても心強く、また貴重なお話を聞くことができましたことに感謝申し上げます。秋川雅史さんの「旅立ちの日に」は、美しいピアノ伴奏にのせて心にしみる歌声でした。「平成の御代をたたえん」を秋川さんに歌っていただき感動しました。天皇陛下、御皇室への感謝の心が全国に広がり、奉祝の声が盛大に沸き上がることを祈っています。
(神奈川県・34歳女性) - 麻生総理大臣以下、国会議員や百ヵ国にも及ぶ国々の大使の方々と共に御即位二十年を奉祝できて感動でした。三人のオリンピックメダリストがお祝いに来られたことを嬉しく思います。浅野温子さんの神話の舞台は関心があったので、今日聞くことができて、良かったです。秋川雅史さんの歌声は暖かみがあり、力強くて素晴らしかったです。
(東京都・51歳・女性)