誇りある国づくりへ
行事報告

天皇陛下御即位二十年奉祝委員会設立総会

―平成20年6月5日、東京・赤坂グランドプリンスホテル


●開会の挨拶

奉祝の国会議連も設立へ

平沼 赳夫

日本会議国会議員懇談会会長・衆議院議員

平沼 赳夫

 我々国会議員団も奉祝の国会議員連盟の設立世話人会を開催し、会長に、森喜朗元首相にご就任頂き、歴代総理大臣に顧問に就任して頂きました。

 本年と明年の二ヶ年に亘って御即位二十年のお祝いがされます。我々国会議員一同も、皆様方と共に力を合わせて、盛大にお祝いができますように最大限の努力を傾注していく構えです。

 今日お集まりの皆様にも全力のご協力を心からお願いし、本日の奉祝委員会の設立を心からお祝い申し上げます。


●会長式辞

奉祝の気運を全国に

岡村 正

奉祝委員会会長・日本商工会議所会頭

代読 日本商工会議所専務理事 中村利雄

岡村 正

 天皇陛下におかせられましては、本年、御即位二十年をお迎えあそばされますこと、先ず以って心よりお祝い申し上げます。また、来る平成二十一年十一月秋には、世界各国の元首のご参列を得て挙行されました即位の礼、及び大嘗祭より数えて満二十年、またそれに先立つ四月春には、御大婚満五十年という誠に慶賀すべき年をお迎えになります。

 この度は、皆様方より奉祝委員会の会長にご推挙をいただき、図らずも天皇陛下御即位二十年の奉祝行事に参画できますことは、誠に光栄の至りに存じます。

 天皇、皇后両陛下の御心にかないますよう、本日から向う二ヶ年、微力ながらその重責を全うする所存でございます。

 大いなる世界の動き始まりぬ父君のあと継ぎし時しも

 これは、陛下が御即位当時を偲ばれた御製ですが、御即位直後にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦の終結を見ました。その後、世界各地では各種の紛争やテロなどが相次ぎ、また国内にあっては、政治、経済、社会の混迷とかつてない厳しい諸情勢に加え、地震をはじめ大規模な自然災害が数多く発生いたしました。

 この間、天皇陛下におかれましては、日本国及び日本国民統合の象徴として、ひたすら国家、国民の安寧と世界の平和をお祈りになり、御心を砕いてこられました。天皇陛下は、平成十六年の歌会始に「幸」という御題で、次の御製をお詠みになっておられます。

 人々の幸願いつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ

 陛下は、御即位直後より「なるべく早い時期に全ての都道府県を訪れたい」とご希望になり、毎年開催される植樹祭や国民体育大会のご臨席に際し、その隣接する県をご視察先に加えられ、民生の向上と福祉の充実、産業の発展ぶりなどを親しくご覧になってこられました。

 そして、平成十五年秋の鹿児島県をもって四十七都道府県全ての行幸を達成され、その行程は、地球三周分に当たる十二万キロメートルに達し、全国の奉迎者は、実に六百六十万名に及んだと伺っております。

 特に陛下は、阪神淡路地区や新潟県中越地区など大規模災害の被災地に対しては、いち早くお見舞いになって被災民を励まされ、その後の復興を見守ってこられました。また、先の大戦で尊い命を捧げた戦歿者や遺族に対しましても深い御心を注がれ、戦災の規模が大きかった沖縄をはじめ、長崎、広島、東京、そして硫黄島やサイパン島にまで慰霊の旅をお続け下さいました。更には、ご公務の忙しい合間を縫って海外にもお出ましになり、世界各国との友好親善を進めてこられました。

 陛下には、平成十五年のご手術の後も、これまでと変わることなく、このようなご公務を続けておられます。私共は、こうした陛下のご聖徳に心からなる感謝の誠を捧げると共に、このような皇室を戴く日本に生まれた幸福をかみしめ、奉祝の気運を大きく盛り上げて参りたいと存じます。


●来賓挨拶

政府記念式典の挙行も

町村 信孝

内閣官房長官

町村 信孝

 天皇陛下が昭和六十四年一月七日、御年五十五歳で皇位につかれて以来、平成の御代も二十年を数えることとなりました。この間我が国は、内にあってはバブル経済の破綻後長く続いた景気の低迷を乗り越えて、着実な経済成長を取り戻し、阪神淡路大震災をはじめとする自然災害を教訓として、災害に強い国土建設に取り組んで参りました。

 また外に対しては、湾岸戦争を契機として国連平和維持活動への参加など、国際協力への取り組みを強化して参りました。大きな苦難と試練にさらされながらも、私達日本国民は、弛まぬ努力を積み重ねて明日を切り拓いて参りました。歴代内閣もこのような国民の努力が身を結ぶよう、自由と平和を希求する日本国の発展に努めて来たと確信致しております。

 天皇陛下におかれましてはこの二十年間、憲法に定める国事行為の重責を担われるなかで、皇后陛下と共に全国戦没者追悼式、全国植樹祭、国民体育大会などの式典、大会にご臨席され、また全国の福祉、文化、教育、産業施設を訪れ、関係者を激励してこられました。大きな災害時には現地に赴かれ、犠牲者を悼み、被災者を慰め、救援活動に携わる人々を励まされました。

 昭和天皇が果たせられなかった沖縄への行幸を含めて、四十七全都道府県を訪問されました。また戦災に倒れた人々とそのご遺族のうえを思われ、先の大戦の惨禍が特に大きかった地域や島への慰霊のご訪問を続けてこられました。さらに御自ら外国ご訪問、外国の賓客のご接遇や親書の交換などを含めて我が国の国際親善に努めていらっしゃいました。天皇陛下が常に世界の平和と国民の幸せを願い、身を粉にして国のため、国民と共に歩んでこられたことに思いを致しますとき深い感動を覚えずにはいられません。

 来る平成二十一年は御即位二十年であると共に、両陛下の御成婚五十年という誠に慶賀すべき年。この年を迎えるにあたり、設立総会が、各方面でご活躍の錚々たる皆様方を設立発起人として盛大に開催されましたことはご同慶にたえません。

 政府としても記念式典の挙行など検討して参りたいと思いますが、天皇と国民との結びつきという視点からは、我が国社会を構成する多くの人々が立場を超えて奉祝運動を展開されることが非常に重要なことと考えます。御即位二十年の奉祝運動が、華々しくも力強く全国各地で繰り広げられ、天皇陛下と国民の結びつきを皆が再確認するすばらしい機会となりますよう、皆様方のご奮闘を心よりお願い申し上げ、皇室の益々の弥栄をお祈り申し上げます。


●来賓挨拶

伝統・文化・規範の中心は天皇

伊吹文明

自由民主党幹事長

伊吹文明

 私たちが生きております「今」は、私たちの祖先が試行錯誤を重ねて良いものを残し、悪いものを削り取りながら作り上げて来たものです。従って現在ある文化、伝統、規範に対して私たちは常に謙虚な姿をもって対応しなければなりません。謙虚な姿を持っているものこそ、その現実が時代の流れに合わなくなったときに本質的なものを失わずに形を変えて行くことができるのです。

 真の改革を可能にするのは、真の保守主義者であると確信しております。現実に対して謙虚さを失った結果、歴史で何が起こったか。保守主義のバイブルと呼ばれるエドマンド・バークの『フランス革命の省察』を読めばわかるとおり、革命によって現実を破壊したフランスと、二歩進んで一歩退きながら議会制民主主義を着々と進めていた英国と、どちらが世界のなかで認められた国になるのが早かったのかということを考えれば良くわかると思います。近代史では、大きな節目が二つありました。

 一つは明治維新、もう一つは終戦です。私たちは武士道に裏打ちされた日本人として、規範を失わずに維新を迎えたが故に近代国家としての第一歩を踏み出すことができました。これは洋才を入れるとき常に和魂を持っていたということでしょう。

 戦後、昭和天皇様には大変なご苦悩をされ、また日本国民が会社人間と言われながらも、公に尽くす日々を送って今日の日本を作り上げた。それを今上陛下は目の当たりに見ておられた。であるからこそご公務に誠に忠実な陛下であらせられると伺っております。賢所を始め宮中三殿における祭祀は、代拝をお許しにならずに、今でもご自分でおつとめになっていると伺っております。

 我が国においては伝統文化、そして規範の中心におられたのは、常に天皇家でありました。脈々と継がれている伝統を守り、そして我々の今の姿をもう一度反省し、次の世代にいい時代を受け継いでいく、これが悠久の歴史の中で今に生きる我々の義務だと思います。


●来賓挨拶

憲法に国事行為の明記を

鳩山由紀夫

民主党幹事長

鳩山由紀夫

天皇陛下御即位二十年奉祝をお祝いする議員連盟ができますが、私もその一員として、積極的に参画することをお誓い申し上げます。特に記念事業の中で来年の十一月十二日を臨時休日にしたいということでございますので、政治家としてその実現のためにがんばりたいと思います。

 改めて申し上げるまでもありませんが、天皇陛下はまさに日本の尊厳そのものだと思っております。災害の時に天皇皇后両陛下がご巡幸されることによって、多くの方々の心が安心できたわけでございます。さらには今、町村官房長官からもお話がありましたが、海外からの賓客のご接遇、或いは外国ご訪問を大変積極的にお努めになっておられます。このことも日本の尊厳を大変高からしめていると確信いたします。

 ただ残念なことに、国賓の接遇、或いは外国訪問は、憲法の中の国事行為には記されておりません。私はでき得るならば憲法改正の議論の中でこのようなことも国事行為として謳われるべきではないかと申し上げたいと思います。

 また、これはまだ民主党のなかで議論を深めたわけではございませんが、数年前に私自身の憲法私案の中で書かせて頂いたように「日本国は国民統合の象徴である天皇を元首とする民主主義国家である」と謳うべきではないかと思っております。自民党と民主党、お互いの損得を超えて、日本の未来のために果たすべき役割として、皆様方とともにこの国の繁栄に尽くして参りたく思います。


●来賓挨拶

国民を一つにされた陛下

島村宜伸

天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟準備世話人

島村宜伸

 有志の国会議員が相集いまして天皇陛下の御即位二十年をお祝いし、金婚の御儀に対して奉祝の意を表すために国会議員の会ができました。本日はその会を代表してご挨拶申し上げます。

 私は、今上陛下と学習院で同級生でしたので、お若い頃から今上陛下を拝見しております。初めてお目にかって、お話をさせて頂いてから五十年余の間に、これほどご成長されるものなのだろうか、私たちとは違うと何度も思い知らされました。

 驚きましたのは、学校の記念祭の時に吉田茂首相がみえられました。その際、吉田首相は皇太子殿下に対して直立不動の姿勢で敬意を表し、お話を聞いていても普段のワンマン宰相にはとても思えないぐらい緊張で顔がこわばっているように見えたわけです。当時のお若い皇太子殿下は平然と、謙虚に振る舞われ、その中でも尊厳といいますか、近寄りがたいものを感じました。そして、美智子様を皇太子妃としてお迎えになられた後、心の底からお笑いになるようになられたように思います。終戦直後、食べるにも職が無く、社会がいつ乱れてもおかしくないような状況でしたが、先帝陛下が「戦争の責任の一切は自分にある。国民に罪は無い」と、身をもって国民を守られたあのご姿勢にマッカーサーが感動して、占領政策が大きく変っていきました。そして今日の日本があるわけです。

 先帝陛下は大変ご立派だったと思います。その後をお継ぎになられる皇太子殿下は大変な重荷なのではと、密かに感じたものでした。しかし五十五歳で先帝陛下の後をお継ぎになった後の天皇皇后両陛下は、大変素晴らしいお姿です。ご就任以来、全国各都道府県を全て廻られ、即座に被災地に赴かれて、避難所では膝を折られ被災者と同じ目の高さで温かいお言葉をかけられ励まされておられる。再建に立ち上がる人に心からの御激励をなさる。このことがどれほど国民を励まし、心を一つにさせて、人づくりにつながったか。海外でも世界中で日本の天皇の権威というものを御自らのご行動のなかで示し続けてこられた。伺うところによると、各国の大使たちが、離任するとき、宮中に参内すると、目に涙をいっぱいためて日本との別れを惜しんで帰国されると、宮内庁や外務省の方々から何度も聞きました。こういう目に見えない恩恵を私たちは知らず知らずに受けているのです。

 この御即位二十年の行事を素晴らしいものにし、あわせて五十年の金婚の御儀を心を込めてお祝い申し上げ、陛下の御代をお讃え申し上げたいと思います。


●各界より祝辞

陛下の温かい御心に感動

山口信夫

日本商工会議所名誉会頭

山口信夫

 天皇皇后両陛下におかれましては、私が昨年十一月まで務めました日本商工会議所の会頭時代、経済三団体長との懇談会や宮中晩餐会の席上で親しくお言葉をかけて頂き、また東京商工会議所が携わりました、江戸開府四百年記念事業の徳川将軍家展に、思いもかけず両陛下のご来賓を賜り、身近にそのお優しいお人柄を東京都民と一緒に拝見させて頂くことができました。私はその時の両陛下の温かい思いやりとお気遣いに満ちたお言葉の一つひとつに心から皆が感動したことを昨日のことのように覚えております。そして、その思いを機会ある毎に周囲の皆さんにお話しております。私達は経済界に身を置く一員として、我が国の経済発展に引き続き微力を尽くし、国民生活の向上に貢献して参りたいと存じます。

 天皇陛下におかれましては、日本国および日本国民統合の象徴として機会ある毎に国民に親しく接せられ、常に国民との触れ合いを大切にしてこられました。御即位二十年の佳節を機に改めて天皇陛下の大御心に心からなる感謝を捧げますと共に、皇室のご繁栄を祈念し皇室と国民の親愛の絆がさらに深まることをご期待申し上げます。


●各界より祝辞

日本神話の心を伝えたい

浅野温子

女優

浅野温子

 この度、天皇陛下におかせられましては御即位二十年の嘉節をお迎えになられましたことを、心よりお祝い申し上げます。また、御即位二十年奉祝委員会の設立にあたり奉祝委員就任のご指名を頂き、たいへん栄誉なことと感激いたしております。

 陛下の御祖神をお祭りされている伊勢神宮で、平成十五年より「日本神話への誘い」と題した公演の産声をあげさせて頂きました。日本人の財産であり、日本のルーツである古事記を、今の若い人たちにも分かり易くしたひとり語りの舞台です。

 古事記の中には国を想い、人を想い、家族を想い、自然や食に感謝するという古来から日本人のDNAにある想いが、たくさん詰まっています。陛下の慈しみの御心やお気持ちに手を合わせることが日本にはたくさんございました。敬う気持ちというものがこの日本の中から薄くなってしまってはいけません。役者をやっている私にできることは、語り継ぐということだけです。

 陛下のご巡幸の御心にならい、私も語り舞台で全都道府県全ての神社をまわり、受け継がれた日本人の気持ちを伝えていきたいという希望があります。日本神話を通じて、日本の皆様に何か感じて頂くきっかけになればと思っています。今まで、全国三十五のお社をまわらさせて頂きました。今年も、山口、伊勢など、語り舞台公演をさせて頂きます。

 更なる陛下とのご縁は、持統天皇から始まった第六十二回伊勢神宮式年遷宮の記念公演です。明後日、六月七日、新潟にて公演をさせて頂きます。天の岩屋戸、天照大神さまのお話です。天の岩屋戸が開くこれからの日本において、陛下のお気持ちが人々を明るくし、希望に満ちた輝かしい世の中となりますよう心より祈念致します。


●各界より祝辞

陛下に良い報告を申し上げたい

川淵三郎

日本サッカー協会会長

川淵三郎

 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会の設立まことにおめでとうございます。世界に日本サッカーを発信されたサッカー協会の名誉総裁は故高円宮憲仁親王殿下で現在は、高円宮妃久子殿下にお願いしております。またサッカー協会の旗のシンボルは三本足の八咫烏で、神話では神武天皇の道案内をしたということで、そのような皇室にまつわるご縁からお祝いの言葉を申し述べる機会を与えられたところと推測しております。

 天皇陛下は教育についてはもとより、スポーツが青少年に与える影響についても、深いご関心をお持ちで、常に励ましのお言葉を賜っております。

 サッカー界に限って言えば、二〇〇二年日韓ワールドカップの際、その成功のためにと日本と韓国の皇室の歴史的な繋がりについて、韓国の人たちの心に響くお話をされました。日本代表チームに関しては、二〇〇二年ワールドカップ直前に行われた、スウェーデンとの強化試合を国立競技場でご覧頂き、試合終了後、選手一人ひとりに直接激励のお言葉を賜りました。ブラジルとドイツの決勝戦にはご臨席を賜り、ワールドカップは一層の盛り上がりをみたわけでございます。

 また二〇〇六年のワールドカップ・ドイツ大会の際には、大会に出発する直前、ジーコ監督、宮本キャプテン、中田英寿、中村俊輔、川口能活の選手などを皇居にお招き下さり一時間余りにわたって和やかな雰囲気の中でお話をさせて頂きました。その時に、天皇陛下が「楽しみながらプレーをすることが一番大切」と仰ったお言葉に、全員が深い感銘を受けました。

 現在二〇一〇年南アフリカ・ワールドカップに向けて、予選リーグを戦っておりますが、明日は四十度の酷暑のオマーンで三次リーグの試合を戦います。これを突破すると、九月から来年六月までの長期に亘る最終予選リーグが始まります。これを勝ち抜いて本大会出場決定という、良い報告を天皇陛下にお届け出来ますよう、我々はがんばって参ります。


●各界より祝辞

陛下に賜った復興の力

長島忠美

元山古志村村長・衆議院議員

長島忠美

 私は、旧山古志村長でございます。新潟県中越地方の人々が大地震によって故郷を奪われてから三年八ヶ月が過ぎました。平成十六年十月二十三日、震度七の地震が襲った時、翌日、私共は全村避難の決断をし、長岡市に避難することになりました。口が裂けても言えなかったことは、この村に二度と住むわけにはいかないかも知れないと思ったことです。

 そんなとき、十一月六日、考えられないことが起こりました。天皇陛下、皇后陛下がお見舞いに来て下さるので、お迎えに行くようにと県庁からご指示を頂きました。天皇陛下がお乗りになって上空からご視察を頂くヘリコプターに私も同乗し、ご説明をさせて頂きました。山古志村上空で被災状況をご覧頂いた時、両陛下から、「きれいな村だったんでしょうね。牛はどうしていますか。錦鯉はどうしていますか」とお言葉を掛けられました。お答えすることが出来ませんでした。こんな小さな村のことをご心配下さっておられる。そのことが分かっただけで私は胸が熱くなりました。避難所をお見舞い頂くことになり、陛下がお履きもので入れるようにと配慮したつもりでございましたが、玄関の所で皆と同じように靴をお脱ぎになり、そのままスリッパも履かれずに避難民の前に、膝を折られて一人ひとりお言葉を掛けて頂きました。

 私だけではなく、お見舞い頂いた村民の全員が涙を浮かべました。どんな時、場所、立場、身分の人でも分け隔てなくご心配して、愛してくださる。それが天皇陛下の御心である。そのことを感じたからこそ全ての人が涙を浮かべ感謝をしたのだと私は思います。

 私達の村にお寄せ戴いた御製があります。

地震により谷間の棚田荒れにしを痛みつつ見る山古志の里

 この御製を拝して、私達は歩き出す元気を戴いたといっても過言ではありません。陛下がご心配して下さっている、それは国民にとって最高の幸せです。今度は我々が元気になって天皇陛下の御即位二十年をお祝い申し上げ、全国津々浦々から参加してお慶び申し上げる奉祝式典になるように、私も微力を尽くさせて頂くことをお約束し感謝の言葉に代えさせて頂きます。


●閉会の辞

皇室と農業の伝統

宮田勇

全国農業協同組合中央会会長

宮田勇

 本日、この場に各会の代表が相集い天皇陛下御即位二十年奉祝委員会の設立を見ましたことは、誠に崇高にして意義深いことと存ずる次第でございます。

 さて誠に恐縮に存じますが、せっかくの機会でございますので皇室と農業の関わりについて若干触れさせて頂きたいと存じます。日本ではアジアモンスーンという自然条件のもとで古来より稲作文化が営々と受け継がれております。農作物の生育は、気象条件に大きく左右されます。そのため古来より五穀豊穣を祈る御祭りや、豊作に感謝する御祭り、言わば自然にお願いをし、感謝する催しが自然発生的に全国津々浦々で認められてきたのであります。

 陛下は、毎年皇居内の水田で、種籾撒、田植え、稲刈りをされておられる他、祈年祭や神嘗祭など節目節目で、御祭りを催されております。とりわけ新嘗祭は、夕の儀、暁の儀と、二回に亘って長時間神様に一年の収穫を感謝し五穀豊穣を祈る儀式を斉興されます。古来より日本人が育んできた、自然への畏敬の念や、そこから生まれる伝統文化を次代に伝えていくことの意義を、一番良くご存じなのが天皇陛下であらせられるのではないかと存じます。

 本日を機に、各界各層におきまして天皇陛下御即位二十年を祝い奉る気運が盛り上がり、全国で奉祝運動が展開されていくことをご期待申し上げ、更なるご皇室のご繁栄をご祈念いたしますととともに、ご皇室と国民との親愛の絆が更に深まることをご祈念申し上げ閉会のご挨拶とさせて頂きます。


平成20年6月5日、東京・赤坂グランドプリンスホテル
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